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第27話

 一方、ルーカスとソフィアはノアに客間に案内されていた。一通りの設備を説明し終わった後、ノアは1通の封筒を差し出した。


 受け取ったルーカスが、中身を確認する。丁寧に折り畳まれた1枚の紙。そこには、こう記されていた。


『金貨20枚、銀貨2900枚、銅貨1万枚』


 達筆な字で下に添えられているのは署名だろうか。ルーカスの横から覗き込んだソフィアが、書かれている目の回るような大金に怪訝な顔をする。


 日本円に直すと、ざっと5000万円である。もっともな反応だと言える。


「こちらがシリル様のご養生への謝礼金でございます」


 慇懃な口調でノアが言った。ルーカスは何かを悟ったように、ふうん、と小さく呟いた。


「謝礼ってことは、もう俺たちはお役御免ってことかな? 」

「とんでもございません。ただ、シリル様にもお立場がございますから」

「立場? 」


 あまりに早すぎる展開に取り残されたように、ソフィアは呆然としている。


 少し考えれば判ったことかもしれない。わざわざ、伯爵が迎えを寄越したということは、これ以上シリルを遊ばせておくつもりはないという意思表示に他ならない。


 平民に過ぎないソフィアとシリルの人生は、本来であれば交わるはずもない。だが、彼はすでにソフィアの生活の一部になっていた。いつかは雲の上に帰ってしまう存在なのに。


「1つ教えてよ。この後、シリルはどうなるの? 」

「どう……とは」


 ルーカスは蛇のような笑みを浮かべ、ノアの瞳を覗き込んだ。


「そっちとしては、表に出したくないんでしょ、このことは」


 ノアが静かに息を呑んだ。


「おっしゃる通りです。……シリル様は、恐らく皇都へ。理由は、存じ上げません」

「ふうん。ところで、シリルが向こうで自殺未遂なんかしちゃ、困るよね? 」

「そうですね。しかしそれは」


 関係ない、とでも続こうとしたその言葉を、ルーカスは目線1つで遮った。


「ところでさ」


 ルーカスが続けた言葉にノアは軽く目を見開いた。それは、問いの形をとっているものの、脅迫に近い要求だった。


 沈黙が場を支配する。ほんの身じろぎすら躊躇(ためら)われる空気の重さ。ノアの嘆息がやけに大きく響いた。


「……畏まりました。伯爵様にお伺いしておきます」


 それを聞いたルーカスは微笑んだ。




 ノアがその場を辞した後、ソフィアは大きなため息を吐いた。


「ここ最近で一番疲れたよ……。で、まさか、本気なのかい? 」

「まあね。丁度いいかなって」


 ソフィアは何とも形容しがたい微妙な顔をした。それに気づいているのかいないのか、ルーカスは平然としている。


 固まった空気を払拭するかのように扉が規則正しく3度叩かれた。遠慮がちに開かれた扉から、姿を現したのは、シリルだった。


「お取り込み中でしたか? 」


 シリルの言葉に2人は同時に激しく首を振る。シリルは予想外の強い否定にたじろいだように、そうですか、と言った。




 3人はそれぞれ腰を下ろした。小さな机を挟んで向かい合うように、左にソフィアが、右にルーカスが座っている。さすがは伯爵家の屋敷というべきか、座り心地も抜群である。


「それで、お兄さんとの話はどうだったんだい? そう仲は悪くないって言ってただろ」

「ええ。兄上はお優しい方ですから」


 そう答えつつも彼の表情は浮かない。ルーカスは足を組み、椅子の背にもたれかかって静観している。


「……皇都に、行くことになりました」


 ポツリとこぼしたシリルは俯いた。右手は左肘の下あたりを握りしめている。余程強く掴んでいるのか、左腕の一部が白くなっていた。


「兄上は無理をしなくてもいいと言ってくださいました。僕が自分で行くと答えたんです。……でも、今は、少し後悔しています」

「アンタが、自分で? なんでだい? 」


 ソフィアの目は大きく見開かれている。無理もない。シリルは父伯爵に呼ばれたときにも全く嬉しそうではなかったのだ。まして、自分から嫌な思い出のある皇都に行きたがるとは思わなかったのだろう。


「変わりたいと、思ったからです。こんな僕のままでは駄目だって」


 その言葉を聞いたルーカスが目を細める。


「だけど、判らないんです。僕が皇都に行くことに、いいえ、僕が生きていること自体に、何の意味があるのか。どうするのが正解で、何が間違いなのか。何も、判らない」


 ソフィアが身を乗り出し、シリルの右手を優しく掴んだ。シリルの手から力が抜ける。白くなっていた腕に一気に赤みが戻った。


「生きてる意味なんてアタシにも判りゃしない。だけど、1つ助言をやろう」


 シリルはおずおずと顔をあげ、ソフィアを見つめた。彼女は微笑んでいた。


「“正しい”ものなんてこの世には1つもありやしない。だけど、無数にあるんだ」

「……矛盾していませんか」

「してないさ」


 ソフィアはカラカラと笑った。


「誰にとっても“正しい”ものは存在しない。なぜなら正しさは人の数だけある」

「どういう、意味ですか」

「アンタにとっては絶対的に正しくても、アタシからしたら馬鹿馬鹿しいこともある。逆もまた然りさ」


 シリルは呆気にとられたように口を開けている。それを見たソフィアは満足げに唇を吊り上げた。


「ま、だから“正しさ”なんて考えても無駄ってことさ。それより“優しさ”を選んだ方が幾分(いくぶん)かマシってもんだよ」

「優しさ、ですか」


 シリルは何度か、優しさ、と呟いた。それは、その言葉を咀嚼しているようにも見えた。


「自分に優しくできないやつは他人にも優しくなれないさ。だって人間、自分が一番大事な生き物だからね」

「あはは、それには同意だね! 」


 ここまで沈黙を保ってきたルーカスが、楽しげに賛同する。ソフィアは一瞬隣を見やったが、肩をすくめた。


「ま、これ全部、父さんの受け売りだけどね」

「あ、今ので台無し」

「台無しって何だい、台無しって」


 軽やかに会話を交わすソフィアとルーカス。いつも通りの彼らのやりとりを見ながら、しかし、シリルの胸は締め付けられる。


 皇都に行ってしまえば、もう、彼らとは会うこともないだろう。至極当然のことであるのに、シリルにはそれが無性に寂しく感じられた。


 物思いに浸っていたシリルは、扉が叩かれる音にビクリと身体を震わせた。ルーカスとソフィアに目で確認を取り、どうぞ、と声をかける。


「失礼致します」


 律儀に頭を下げて入室してきたのは、ノアだった。思わぬ人物の姿にシリルは目を丸くする。


「何かありましたか? 」

「いえ、シリル様ではなく、ルーカス様に。伯爵様からの伝言をお預かりしております。許可する、と」


 そう、とルーカスが花のように微笑んだ。


「それともう1つ。伝えておきたいことがあるから、夕食後に書斎の来て欲しい、との仰せです」

「りょーかい。ありがとね、ノアさん」


 ノアは深々と黙礼すると、部屋を辞した。


 ルーカスは何事もなかったかのようにソフィアとの会話を再開する。ソフィアはチラチラとシリルの方を伺っているが、シリルに何か言う様子はない。


「あの……父からの伝言って」


 耐えかねたシリルはついに自分から尋ねることにした。ルーカスが、ああ、とわざとらしい声を上げる。


「言い忘れるとこだった。俺、皇都までついてくからね? 」

「ど、どうやって、ですか」


 シリルは混乱しているが、その声には明らかに喜色が滲んでいる。そしてルーカスもそれには気づいているらしい。にんまりと笑みを浮かべて言った。


「お前の世話係として、かな。よろしく頼むよ、ゴシュジンサマ? 」

色々と思うところがありまして、若干書き方が変わっているかもしれません。温かく見守っていただけると幸いです。


それから、リアルが想定以上に忙しくなっております……当分土曜日の更新は不定気になります。ご了承くださいませ。

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