第25話
二夜続いた暴露大会が終わった翌朝。顔色が悪いルーカス、ソフィアとは対照的に、シリルの顔は普段より赤みがさしているように見えた。体調が優れない様子の2人にシリルは労りの言葉をかけたが、ぎこちない笑顔が返ってくるばかりだった。
そして、1週間が経った。
夕暮れ時、ルーカスは夕食の準備をしていた。シリルは横で家庭菜園からとった野菜を切っている。最初は危なっかしい手つきだったものの、今ではすっかり手慣れた様子である。
ちなみに、シリルは野菜や肉を切る以外の作業はしない。彼は料理の神から嫌われているようで、一度火の番を任せた時にはほんの数分で黒焦げにした。スープを混ぜているだけで何故か焦茶色のドロドロとした物体が出来上がる。ルーカスは手間の軽減を諦めざるを得なかった。
「でもさー」
不意にルーカスが話しかけた。シリルは一瞬驚いた顔をしたが、何ですか、と問い返した。
「お前に協力してもらう、って言ったって、お前が皇都に戻らないことにはどうにもならないよね? 」
「そうですね。まあ、戻ったところで、という気もしますが」
だよねー、とルーカスは大きく伸びをした。
「ま、物事そう都合よくはいかないよね」
シリルが相槌を打とうとした、その時。コンコンコン、と家の扉がノックされた。
ルーカスが怪訝な顔をする。村人は全員この時間ならソフィアが診療所にいることを把握している。ルーカスやシリルを訪ねてくる人物などいるのだろうか。
無視する訳にもいかないため、ルーカスが応対に出る。
「はいはーい、どちら様、って、誰? 」
「やれやれ、田舎者は礼儀というものをご存知ないようだ」
見知らぬ男はため息混じりにわざとらしく煽った。ルーカスが目に見えてムッとする。
「突然人の家に押しかけて礼儀のご教示とは恐れ入るね? 随分と礼儀正しい方だ」
「いえいえ、貴方ほどではございませんよ」
「とんでもない。それで、ご用件は? 」
にこやかな嫌味の応酬の末、ルーカスが冷ややかに要件をきいた。用事を済ませてさっさと帰れ、という副音声が聞こえてきそうな口調だった。
「これは失礼。アルスター伯爵家の使いの者です。長い間お預かりいただきましたシリル様を受け取りに参りました」
ルーカスが言葉に詰まった。彼が待ち望んでいたはずのお迎えである。しかし、かれは一向に嬉しい気持ちにはならなかった。それどころか。
「預けたり受け取ったり、結構なご身分だね? アイツはお人形じゃないんだよ? 」
彼自身にも想定外の怒りに襲われていた。
「あの、ルーカスさん? ……って、貴方は」
「あ、シリル。この人のこと知ってるの? 」
なかなかルーカスが戻らないことを不自然に思ったのだろう。シリルが中から顔を出した。ルーカスの問いにシリルは頷く。
「と言っても一度お会いしただけですが。名前は……そう、確か、ベンジャミンでしたか」
「ふうん? なんかこの人、シリルを引き取りに来たとか言ってるけど」
男、ベンジャミンはシリルの言葉を完全に黙殺した。ベンジャミンの態度にもルーカスの言葉にも一切怒りを見せることなく、シリルは淡々と、そうですか、と言った。
「事実ですか? 」
「……ええ。伯爵閣下がお召しです。すぐに支度を。まあ、貴方に私物なんてないでしょうが」
シリルが直接尋ねたのはさすがに無視できなかったらしい。彼は、丁寧な姿勢は崩すことなく、舐めくさったように答えた。
「待ちなさい。僕という厄介者を押し付けておいて、彼らには何の説明も礼もなしですか」
いつになく凛としてシリルは問い質した。ルーカスがこのような彼を見るのは初めてだった。シリルはいつも穏やかな物腰を崩さなかったから。
「閣下から、随行させよとの命をいただいておりますが? 」
「……ならば、すぐには伺えない、と父上にお伝えしてください。彼らにも生活があります。無茶を言う訳にはいきません」
「閣下の命令に逆らう、と? いつから貴方様はかように偉くなったのでしょうねえ」
ベンジャミンは露骨に苛立った顔をした。
「この様な所にそう長くいらっしゃることもございませんでしょう。まあ、貴方にはお似合いかもしれませんが」
嘲る様に言い放った男に、ルーカスはムッとした。しかし、相手が相手だ。下手なことをする訳にはいかない、と彼は努めて冷静であろうとした。シリルを見やると、彼は形の良い眉を顰めていた。
「仮にも伯爵家の一員である僕の恩人に対し、失礼な態度をとるとは何事ですか。家の恥となる行動は慎みなさい」
「なっ……! “忘れ子”風情が調子に乗りやがって」
気色ばんだベンジャミンは、言葉遣いに気を使う余裕すら失ったらしい。声を荒げ、シリルを睨みつける。シリルは悠然と受け流した。
「謝罪なさい。貴方の言葉は許されるものではありません」
ベンジャミンが言葉に詰まった。その時。
「あれ、玄関先で何して……アンタ、誰だい? 」
家の主、ソフィアが戻ってきた。一通りの経緯を聞いたソフィアは、面倒だねえ、とため息を吐く。心底気だるそうに、彼女は3人を室内に入るよう促した。
「で? シリルを迎えに来たのかい? アンタは」
「その通りですよ。喜ばしいでしょう? 貴方たちも苦労したはずです。シリル様の面倒を見るのには」
これ見よがしに肩を竦めたベンジャミンに、ソフィアは胡乱げな目を向けた。
「アタシには、アンタに預けるのがシリルのためになるとは思えないんだけどねえ」
「何をおっしゃるやら。元々“預け”ていたのはこちらの方ですよ」
ムッとした顔をしたソフィアをシリルが制した。
「帰還命令には従います。ですが、ソフィアさんやルーカスさんに対する貴方の態度が、あまりに常識を欠いていると言っているのです」
「……それは失礼。では、シリル様、今すぐ支度を。他のお2人も」
ベンジャミンは口先では謝罪の言葉を紡いだが、納得していないのは明らかである。苛立ちを隠しもせずに、急かすように言った。
「ですから、先程言ったはずです。今すぐには無理です、と。そうですね……父上には1週間以内にはお伺いするとお伝えを」
シリルは表情を動かすこともなく、言った。ベンジャミンの眉がピクリと上がった。
「ふん、どうなっても知りませんよ」
「それは僕と父上の問題です。貴方に指図されるいわれはありません。では、伝言を頼みましたよ」
「……承知しました。1週間後の朝に迎えをよこします」
不承不承頷いたベンジャミンは、不愉快な様子を隠すことなく、立ち上がった。
「さて、用事は終わりましたから私はお暇します。機会があればまた」
「……2度と会いたくないね」
大仰に礼をしたベンジャミンは足早に家を出ていった。恐らく空車の馬車を率いて帰るのだろう。ルーカスが呟いた悪態は幸か不幸か不躾な来訪者の耳には入らなかったようだった。
「家の者が失礼な態度を……申し訳ありません」
開口一番、シリルは2人に謝罪した。ソフィアが面食らった顔をする。ルーカスの反応も似たようなものだった。
「アンタのせいじゃないだろうよ。アンタに対する態度も酷いもんだった」
「いくら何でもアレはあんまりだよね……せめてプロなら上手に隠しなよ」
自身を擁護するような言葉にも、シリルは困ったように笑うだけだ。
「でもさ。シリルってああいう物言いするんだね。正直意外だった」
シリルが返事に困っているのを察したのだろう。ルーカスが話題を転換した。その意図を知ってか知らずか、ソフィアも同調する。
「一応最低限の線引きは必要かな、と……。それと、ここを馬鹿にされたことに思ったより腹が立ったので」
シリルは言いながら、少し顔を赤くした。
「何だい、可愛いとこあるじゃないか」
「ちょっとソフィアさんっ! や、やめてくださいよ」
ソフィアに突き回されたシリルは素っ頓狂な声を上げた。それを横目で見ながら、ルーカスは静かに呟いた。
「何にせよ、状況が動く。これが吉と出るか、凶とでるか……。結果は神のみぞ知るってね」
神を信じないルーカスのその言葉は、妙に空虚に響いた。




