第24話
「嫌われたって良かった。憎まれたって良かった。でも、あの言葉だけは許せなかった」
告解でもするような切実さを秘めながら、それでもシリルは淡々と語った。珍しく敬語が外れたその言葉は、自分自身に向けられているようにも見える。
「ねえ、何がそんなに許せなかったの? シリルの問題じゃないなら仕方なくない? 」
「確かにね。アンタが自分を責める必要はないじゃないか」
シリルは淡く微笑んだ。伏せた瞳が開かれる。口元がぎこちなく、切なげに歪んだ。
「19年ですよ? 19年お側に仕えて、それでもあの方は一度も“僕”を見ていなかったんです」
ルーカスとソフィアはほぼ同時に息を詰めた。
「僕は、皇太子殿下を……アーチボルト様を、心から敬愛し、お仕えしていました。だからこそ、だからこそ許せなかった! 」
血を吐くようにシリルは叫んだ。瞳には涙が滲んでいた。水面のようなそれを、ルーカスは場違いにも美しいと思った。
「僕は、僕のあの日々は何のために存在したのですか。誰よりも傍で守ると誓ったその人を、僕はこの手で殺めたというのに! 」
見たこともないシリルの様子に呆気に取られ、ソフィアとルーカスは完全に無言になった。ふう、とシリルは長い息を吐いた。先ほどの取り乱した様子が嘘のように、彼はいつもの感情の読めない笑みを貼りつけていた。
「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。これで僕の話は終わりです」
「……あのさ」
「何でしょう? 」
遠慮がちに口を開いたルーカスに、シリルは軽く首を傾げ、飄々と答えた。ルーカスは軽く微笑むと爆弾を落とした。
「嫌われても良かったって、それ、噓でしょ? 」
シリルは、は、と浅く息を吐いた。
「どういう意味ですか? 」
「文字通りだよ。お前は嫌われてもいいなんて思っちゃいなかったんじゃないの、って」
「何をおっしゃるのかと思えば……。紛れもない本音ですよ」
シリルは嘲笑を浮かべた。ルーカスはそれを気にした素振りもなく、唇の端を吊り上げた。
「いーや、嘘だね。お前は本当はこう思ってたはずだよ。愛してほしい、ってね」
瞬間、シリルの表情が凍った。やっぱりね、とルーカスが呟く。
「違う! 僕はそんな大それたことを願ってなんかいない! 」
「その割には随分焦ってるね? 俺には図星をつかれて慌ててるようにしか見えないんだけど」
「違う、違う、違う……! 」
シリルからは完全に余裕が失われている。ルーカスは追撃をやめ、愉しそうにシリルを見ている。ここまで沈黙を守っていたソフィアはため息を吐いた。
「シリル、一回落ち着きな。ルーカス、アンタは遊びすぎだよ、全く」
「えー、別に遊んだわけじゃないんだけどなー? ま、俺はしばらく黙っとくよ」
シリルは数回深呼吸を繰り返すと、大きく息を吐いた。ソフィアは、それでよし、と頷いた。
「そ、その、重ね重ねすみません……」
「別に誤ることじゃないだろうよ。忘れそうになるけど、アンタは療養のために来てるんだから」
「いや、そこは医術士として覚えとこうよ」
小声でのルーカスのツッコミはソフィアによって完全に黙殺された。
「けど、まあ医術士として、ってのは抜きでアンタの本音が知りたいね」
「貴女までそんなことを」
げっそりとしてシリルが言った。それを聞いたソフィアは不意に立ち上がる。そのまま、シリルに近づくと、数回頭を撫でた。シリルが硬直する。
「1人で頑張ってきたんだろ? えらいじゃないか」
「……子ども扱いはやめてください」
顔を背けたシリルの耳はいつもより少し赤くなっている。ソフィアはにんまりとした。
「居心地が悪いのでそろそろやめてくださいませんか? こういうの、慣れていないんですよ……」
「へーえ? じゃあ慣れるまでこのまましとこうかね」
「やめてください! 」
珍しく本気で嫌がるシリルを見て、ははは、とルーカスが笑い出す。シリルは一瞬きょとんとしたが、つられたように、ふふっ、と笑い声を漏らした。
「……先ほどの話ですが」
一通り笑い転げたルーカスが落ち着いた頃、シリルが切り出した。曖昧な作り笑顔すら浮かべず、真剣な顔をしている。
「僕は本気で嫌われても構わないと言っていましたし、愛されたいだなんて思ったこともここ10年は皆無です」
ここで、シリルは不意に表情を和らげた。氷が溶けたような、緊張の解れた様子だった。
「自分の感情に向き合ったことなんて、ありませんでしたから」
「え……? 」
ルーカスが思わずといったように声を漏らした。
「個人の感情なんて邪魔になるだけです。毎回傷ついていては仕事になりませんし」
「け、けど、それって」
「わからないんです。意志と呼べるものが今の僕にあるのかも」
シリルは静かに微笑んでいた。いつものアルカイックスマイルとはどこか異なる、寂しげな顔。ルーカスは呆然としていた。いかなる困難の中でも、自分を決して失わなかったルーカスは、一種シリルの対極とも言える。
「だから、余計に皇太子殿下の護衛に固執したのかもしれません。あの時の気持ちは、紛れもない僕の意志だったから」
ソフィアとルーカスは再び完全に沈黙した。シリルは困ったように笑った。
「まあ、僕がどう思おうが、あの方の騎士になるのは決まっていたことでしたけどね。ある意味“運命”みたいなものです」
「……ねえ、シリル」
呼ばれたシリルは、ルーカスの方を見た。ルーカスは、少々躊躇った後、シリルの目を見て尋ねた。
「今の記憶を持ったまま過去に戻ったら、どうする? もし自分の未来を選べるなら、騎士を目指す? 」
シリルは顔を伏せ、しばらく考え込んだ。やがて、答えを見つけたのか、顔を上げた。
「僕は同じ道を選びます。結局僕は、これ以外の未来を考えられない」
ルーカスは、そっか、と呟くと、礼を言った。
「1つだけ。お前の気持ちはお前の自由だよ。意識してても、してなくても」
「ありがとう、ございます? 」
「まだ判んなくていいよ。つい言いたくなっちゃっただけ。……お前はもう1人の俺だから」
ルーカスの言葉の後半はシリルには聞こえなかったらしい。聞き返すような素振りをされたが、ルーカスは首を振る。シリルは不審そうな顔をしたが、何も言わなかった。
話が一通り終わり、シリルは自室に戻った。片付けをして、自室に向かおうとしたソフィアをルーカスが呼び止めた。ソフィアが振り返る。
「ちょっと話さない? 」
2人でテーブルを挟んで向かい合う。そういえば、とソフィアが言った。
「何だか、シリルが初めてここに来た日にも同じようなことがあったねえ」
「ん? ああ、確かに。そんなこともあったね」
「『あの子を部屋から追い出してどうするつもりなんだい? 』だっけ? 」
そうそうそんな感じだった、とルーカスが悪戯っぽく言う。ルーカスとソフィアは顔を見合わせて笑った。
「それで、わざわざ呼び止めたんだ。何か話があるんだろ。シリルのことかい? 」
ルーカスは頷いた。
「思ったよりシリルの話が衝撃的でさ、すっかり気がつかなかったんだけど。あの話ってかなり不自然じゃない? 」
「不自然? 何がだい? 」
あんまり大きな声出さないで、とルーカスは声を潜めて言った。ソフィアは咄嗟に口を手で覆う。ルーカスはくすりと笑った。
「いくつかあるけど、まず第一に、皇太子サマの意図が判んない」
「意図? 」
「あのタイミングで、なんであの話をする必要があったのか、ってこと。それも、シリルによるとその前も様子がおかしかったらしいし」
ソフィアは、ふむ、と唸ると腕を組んだ。それにね、とルーカスが続ける。
「考えてみるとシリルの存在自体が不自然じゃない? 」
「何言ってんだい? 不自然って……」
「だって考えてみてよ。実子を放って皇太子の世話するような人がさ、あのタイミングで2人目産む? 」
ソフィアが言葉に詰まった。言われてみれば不可思議な話ではある。
シリルとアーチボルトの年の差は3歳。つまり、妊娠したときには皇太子はわずか2歳。既に後継ぎとなる息子は1人いたのだから、せめてもう少しアーチボルトが成長してからでも良かったのではないか。
ルーカスはそう言っている訳である。
「……何か、予想はついたのかい? 」
「ちょっと、ソフィアは俺のこと何だと思ってるの。そんなの判る訳ないじゃ……、え? 」
笑いながら否定しかけたルーカスは、ふと真顔になった。
「いや、でも、さすがにそれは……」
「何か、判ったのかい? 」
深刻さを感じ取ったソフィアが真面目な口調で尋ねる。ルーカスは首を振った。
「今の段階じゃ妄想に過ぎないからね。でも、もしこれが真実なら……そう遠くないうちに状況が動く」
「その仮説、アタシにも教えてくれ。情報は共有しておいた方がいい。だろ? 」
ルーカスは渋い顔をした。しかし、ソフィアが引かないのを見てとった彼は、特大のため息を吐いた。
「あくまで想像だよ? 」
続いた言葉に、ソフィアは表情を凍りつかせた。
「まさか、そんなはず……。けど、そう考えると辻褄が合うのも事実だ」
「とりあえずシリルには、いや、誰にも言っちゃ駄目だよ」
ルーカスの念押しに、ソフィアは青い顔をしたまま頷いた。2人はそのままそれぞれの寝床へ向かったが、なかなか寝付くことはできなかったという。




