第22話
その日、皇太子アーチボルドは皇家直轄領の視察を終えて、皇都に帰還した。
最近皇太子を狙う刺客が増えていた。身元は割れている。帝国から独立すると紛争を起こしているゲール地方の過激派だ。そのため皇太子の身辺警護は厳重で、外出する公務も大幅に減っていた。
今回は皇太子の強い希望により城の外に出ての公務になったが、居場所は極秘であり、目立たないために護衛も少数であった。
馬車に揺られながらアーチボルドはポツリと漏らした。
「やはり自分の目で見ねばわからぬことは多いものだ」
今回の視察先は、上がって来ていた報告では大きな問題もないとされていた地域だったが、実際は3週間前の大雨からの復興が全く進んでおらず、民は疲労困憊していたのだった。
シリルは、そうですね、と頷いた。
「報告だけを信じる訳にはいきませんが、全ての場所を見に行く訳にも参りませんし……難しいものです」
普段であれば皇太子はシリルの発言に対しては、ただ頷くか無視することが多い。しかし、今日は珍しく声に出して返答した。返答、というよりは独り言かもしれないが。
「本当は視察でも、それ以外でも構わぬから様々な場所を旅してみたいものだが……。儘ならぬ身だな」
シリルが何か答えようと口を開いた時だった。
ガタン、と音を立てて、馬車が大きく揺れた。嘶く馬。
「敵襲! 」
外の護衛が叫ぶ。剣を交える音がし始めた。
シリルは馬車内で身構えた。この馬車は頑丈だ。ここで凌げる筈だ。襲撃者たちは人数こそ多いものの、明らかに戦闘慣れしていない素人が大半を占める。まさか今日襲撃があるとは思わなかったが、手練れの騎士たちの手にかかればそう心配はないだろう。
しかし、それにしても今日は妙に時間がかかっている。嫌な感じがする。首の後ろがチリチリする感覚。
外の気配を探る。激しい戦闘が繰り広げられているようだった。……今までこれ程騎士たちとやり合える相手はいなかったはずだ。
異変に表情を硬くするシリルに気づいてか、アーチボルドはちらりとシリルを見やった。シリルは強張った笑みを浮かべる。全てを察したようにアーチボルドはため息を吐いた。
「思っていたより早かったな……」
呟いたアーチボルドの声はあまりに小さ過ぎて、シリルの耳には届かなかった。
シリル、と唐突に名を呼ばれた彼は美貌の主に視線を移した。用件を問おうか迷ったが、結論が出るより先にアーチボルドが言葉を発した。
「扉を開けろ」
シリルの顔が驚愕に染まった。確かにアーチボルドの位置から扉の鍵を開けることはできないが、外には護衛ですら対応しきれていない程の実力を持つ賊がいるのだ。
「申し訳ありませんが、出来かねます」
シリルの答えをアーチボルドは予測していた様だった。彼は驚いた顔1つ見せずに淡々と言い放った。
「扉を開けろ、と言ったんだ。これは命令だ。お前に拒否権はない」
「殿下の御身をお守りするのが僕の仕事ですから。開けることは出来ません」
珍しく食い下がった言葉にもアーチボルドは冷静に返した。
「ではこのまま中にいれば安全だと言えるのか? 」
痛い所をつかれたシリルは唇を噛んだ。実際、アーチボルドの意見は正しかった。よく外の様子が見えないとは言え、気配や音で察知する限り味方はおされ気味である。中に立て籠った所で、扉はいずれ蹴破られてしまう可能性だってある。
しかし、外に出れば安全かと言われるとそういう訳でもない。この場を立ち去ることが出来れば勝算はあるが、扉を開けたその瞬間に襲われればこちらの勝ち目は殆どないのだ。
シリルは目を伏せた。
「……馬車内の危険性についてはおっしゃる通りです。ですが、外に出た瞬間の危険性が高過ぎます」
「だが少なくともこのまま手を拱いて待つのが最善ではなかろう」
反論を即座に切り捨てたアーチボルドはもう一度、扉を開けろ、と命じた。
「結局は死ぬのだとしても私は精一杯足掻いて死にたい」
主の意志が翻らないことを悟ったシリルは不承不承、馬車の扉を開くことを了承した。
突如開かれた馬車の扉に、襲撃者たちは少なからず驚いた様だった。しかし、さすが手練れの襲撃者と言ったところだろうか。反射的につきだされたダガーはシリルの白い肌に赤い線を走らせた。
シリルは傷付いた腕には目もくれず、即座に体勢を整える。動揺による相手の僅かな隙をつき、扉近くにいる、先程シリルに傷を与えた男を、続いてその隣の襲撃者をダガーで仕留めた。噴き出す血飛沫。シリルの真っ白な騎士服にも赤が飛び散る。
突然現れた2人に驚いたのは敵だけではなかった。他の護衛騎士たちも目を見開いて一瞬こちらを見たが、彼らは訓練された精鋭である。すぐに目の前の敵に意識を集中しなおした。護衛騎士たちの指揮官、ヘンリーは目は敵から離さず、シリルに向けて一言告げた。
「逃げろ! 」
たった3文字の短い言葉はシリルに正しく伝わった。アーチボルドの手をとったシリルは走り出し、戦線から離脱した。
敵に背を向けるのは本来自殺行為である。今回は残った騎士たちが攻撃を防いでくれると踏んでの逃走だった。彼らは必ず自分たちを逃がしてくれる。……たとえ味方の誰かがそのせいで命を落とす大怪我を負ったとしても。
敵を振り切ったのを確認し、シリルは息を1つ吐いた。これで安全、とはとても言い切れないが、それでもずっと状況は良くなった。
応援を求めて城の方に向かおうとするシリルを制したのはアーチボルドだった。口にこそ出さないものの、何故、とでも言いたげなシリルに、アーチボルドは頓着しなかった。
「城に向かっては相手の思う壺だ。恐らく敵の仲間が待ち伏せしている」
敵の手の内を読み切ってでもいるように淡々と言葉を紡ぐ。彼からは、命を狙われていることに起因する恐怖や動揺は一切見えなかった。
「増援はいらぬ。お前1人いれば十分だ」
真意の読めない言葉。普段のアーチボルドならば絶対に言わないことだ。言葉だけを見れば信頼の証のようでもある。しかし、そのようなことをアーチボルドが言う筈がない。期待をしてはいけない。期待すればその分裏切られるのだから。
シリルは悶々とループに陥りかけたが、今はそれが許される場合ではないと意識的に思考を断った。
「……わかりました。市街地に向かいましょう」
周囲を警戒しながら歩くシリルの肩にぽつりと小さな水滴が落ちて来た。
「雨? 」
雨粒の頻度はだんだん高くなって行き、やがて、礫のように打ちつける激しい雨となった。冬とは思えない雨だ。濡れた衣服が重くなっていく。アーチボルドの歩みが少し遅くなって来た。シリルの心に憂鬱がじわり、じわりと侵食を始めた。
ただでさえ、視界を遮り、敵に気づくのを難しくする雨は戦士に嫌われやすいものだ。しかし、彼が雨を嫌うのにはもう1つ重要な理由がある。
太陽神ソルを中心に信仰するジェミニ教徒にとって、太陽が隠れるということは、一時的とはいえ神の加護の喪失を意味する。雨とはすなわち太陽を隠すものである。信じる神の加護すら失い、状況は圧倒的不利。シリルが気を落とすのも無理のないことだろう。
2人は市街の住宅地まで辿り着いた。雨のせいか、誰もが家の戸をかたく閉めて中に籠っている。
「民家を訪ねましょう。ひとまず匿ってもらわなくては」
シリルは久方ぶりに口を開いた。彼の申し出はとても合理的なものに思われた。しかしアーチボルドはまた首を振った。
「無関係な民を襲撃に巻き込む様なことがあってはならぬだろう」
「それはそうですが……。雨を凌ぎ、暖をとる場所がなければ、このままでは体が冷えてしまいます」
雨に濡れた洋服が体温をじわじわと奪っていくのをシリルは感じていた。季節は冬である。雨が上がったとしても、もうじき日も暮れる。このまま夜を迎えれたならば、間違いなく凍死してしまう。
「ならぬ。どう足掻いても私は死ぬ。せめて誰も巻き込みたくないのだ」
らしくもない皇太子の弱気な台詞にシリルは瞠目した。必ず生きて帰る、といつもなら言うはずであるのに。やはり今日のアーチボルドはどこかが変だとシリルは感じた。
歩き回った末にシリルがやっと見つけたのは、廃倉庫だった。暖をとることは出来ないが、取りあえず雨は凌げる。
「ここなら敵にも見つからない筈です」
確証はどこにもなかったが、シリルは努めて明るい声を出した。アーチボルドは儚げな笑みを浮かべた。
「いや、必ず見つけるだろう。あの襲撃者が……の手の者なら」
アーチボルドは妙に確信したように言った。シリルは先程から覚えている違和感を追及するか迷ったが、結局何も言わなかった。
雨に濡れた体から体温が徐々に奪われていく。アーチボルドの唇が紫になっているのを見てとったシリルは、自らの上着をそっとかけた。
「これも少し濡れていますが……」
「……悪いな」
「いえ」
短い言葉が交わされて、また沈黙が落ちる。大きく息を吐いて、アーチボルドは誰に言うでもなく呟いた。
「私はこのまま死ぬのだろうな」
「何を弱気なことを。僕がこの命にかえても必ずお守り致します」
シリルは、それができると思っていた。皇太子だけで構わないのであれば、逃がすことができると希望を持っていた。
「いや、必ず彼らは私を仕留める」
「何故そこまでおっしゃるのですか?僕だってもう22です。騎士としても一人前です」
「……そういう問題ではない」
アーチボルドは拳を強く握りしめ、震えていた。シリルは自分の能力を疑われたようで不服だったが、いつものことだと流すことにした。
「…お前に話してから死ぬのも悪くないかも知れぬな」
暫くの沈黙を再び破ったのは、やはりアーチボルドだった。
「話す、とは何をですか?」
「真実を」
シリルのもっともな問いにアーチボルドは静かに答えた。
「真実、ですか……? 」
「そうだ。お前も疑問に思ったことくらいあるだろう?何故私がお前を疎むのか」
シリルは息を呑んだ。心臓がキュッと縮む。やはり自分は疎まれていたのか、と無感動に思う一方で、目元が熱くなった。判ってはいても、面と向かって言われると、精神的にくるものがある。
それと、ほんの少しの希望。理由がわかれば何かを変えられるかもしれない。……そうすれば、ほんの少しでも、優しい態度をとってくれるかもしれない。
期待をしまいとしているのに、疎ましいと言われたばかりなのに、それでもシリルの脳は好き勝手に妄想を広げる。
「……知りたいです。聞かせてください」




