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第19話

 自身が病気になってもなおレオナルドは仕事を続けた。歩行が困難になっても、診療所を訪れた患者を次々と自室に招き入れ、診療した。ソフィアや伯父ギルベルトに伯母ヴィクトリア、果ては祖父母がどんなに説得してもレオナルドは頑として譲らなかった。

「これが俺の選んだ道だ。もう長くないなら尚更、納得がいくまでやらせてくれ」


 寝台に横たわったレオナルドの傍でソフィアは必死に看病を続けた。幼い頃からずっと横でレオナルドの診療を見ていたのに、医術について何1つ知らないことに気がついた。父親に言われたとおりに動いていれば良かったから。


 父さん、とソフィアが呼びかけた。レオナルドはソフィアの方にゆっくりと顔を向けた。

「なんで、なんでそこまで医術士に拘るんだい……」

ソフィアの口調にはやりきれなさが溢れていた。

「もういいじゃないか。最期くらい、ゆっくり休めばいいだろ? 」


 レオナルドは動かない身体を無理に動かし、はっきりと首を振った。ソフィアの眉根がグッと寄せられる。

「俺には、やらなければならないことが、あるからな」

そう言って彼は力なく笑った。ソフィアは大きくため息を吐いた。

「なんなんだい、そのやらなきゃいけないことってのは……」


 レオナルドは小さく笑って、言った。

「俺の役割を全うすることだ」

「身体を治して心を守る、って? 」


 レオナルドは頷いた。

「前話したことがあったな。昔、俺は商人になるのが嫌だった」


 ソフィアは首を傾げた。前話したと言われても、全く覚えはなかったから。そんなソフィアの様子を気に留めた様子もなく、レオナルドは先を続けた。

「いや、違うな。両親が兄さんの方に期待をかけているのを知っていたから、二番手に甘んじるのが嫌だったんだ。あの時期は兄さんのことも好きになれなかったな……」


 現在の仲の良い2人の印象が強いソフィアは驚いた。ギルバートは休みがあるたびに家に遊び────というよりは突撃────に来ているし、レオナルドも文句を言いつつそれを喜んでいるように見えた。

「俺は誰かの特別になりたかった。商人になって、“ギルバートの弟”と呼ばれるなんてまっぴらだった」


 レオナルドは懐かしむような口調で、俺は馬鹿だった、と呟いた。ソフィアは何かを言おうとしたが、父親が返事を求めていないことに気がつき、口を閉ざした。

「そんな時、師匠に出会ったんだ」


 ソフィアは、ただ黙って話を聞いていた。レオナルドが昔の話をするのは珍しかったから。ソフィアは父親の昔の話をあまり知らない。ソフィアが知っている父親の昔の話は、ほとんどギルバートから聞いたものだった。寧ろ、伯父が思い出話をするだけで、眉間に皺を寄せてそれを制止していた。

「変な爺さんだった。採算度外視で治療するわ、とんでもなく腕もいいわで……。師匠が治療すれば、小さな擦り傷はあっという間に塞がった」


 ソフィアが生まれた時には、レオナルドはとっくに見習いを卒業していたから、彼女は父親の師に会ったことはなかった。ただ、たまにレオナルドが口にする、その教えをいくつか知るばかりである。

「爺さんを見て思ったんだ。俺も医術士になれば、この村の特別な存在になれるのではないか、と」


 しかし、レオナルドの師匠はレオナルドの煩悩を一瞬で見抜いたのだと言う。

「医術を舐めるな、と怒られた。人の命を預かる覚悟もない青二才を弟子になどできるか、ともな」


 レオナルドは自嘲するように笑った。だが、その笑みはどこか、仕方ないな、と昔の自らの未熟を赦しているようにも見えた。

「何とか弟子にしてもらって、とんでもない道に足を踏み入れたことに気づいた。ほんの小さな擦り傷でも手当てがまずいと患者を死に至らしめる」


 食べ物を飲み込めなくなり、手足が痺れ、死に至る。消毒のための化学薬品はおろか、菌という微生物の概念すらないこの世界で、未だ猛威を奮い続けている疾病。その名を破傷風と言う。


 病床の父親が語る昔話に耳を傾けているソフィアには、自分が数年後全く同じ苦悩を抱えることなど知る由もなかった。

「目の前で患者が死ぬのを見て初めて、俺は本気で人を助けたいと思った。目の前の命を救うためならなんでもしたいと思った」


 レオナルドはそこで一旦言葉を切って、大きなため息を吐いた。

「人を助けた分だけ、俺の人生にも意味が生まれると思った。今でもそう思っている」

「……だから診療はやめない、って? 」


 レオナルドはソフィアの問いかけにはっきりと頷いた。

「本気で言ってんのかい? 父さん」

「本気だ」


 ソフィアはキッとレオナルドを睨みつけた。

「アタシの父親だってことは、父さんの中で意味はないのかい! ? 」


 声を荒げた娘にレオナルドは見るからに狼狽えた。自分の発言が娘を傷つけたことに気がついたらしい。

「違う! ……だが、俺はお前に父親らしいことなんて何一つしていない。それならせめて」

「そんなのいらない! アタシが何で医術士を目指さなかったか知ってるかい? 父さんを見てたからだ! 父さんをあんなに傷つける医術士って仕事が大っ嫌いだからだよ! 」


 一息にソフィアはそう言い放った。レオナルドは思わぬ言葉に愕然として、言葉も出ない。

「……けど、今は心底後悔してるよ。アタシが医術をやってれば、父さんを助けられたかもしれない」


 言いながら、ソフィアの声量はだんだんと小さくなった。最後の言葉は囁きのようで、今にも消え入りそうな声だった。俯いたソフィアの顔をレオナルドが覗き込む。ソフィアの瞳には今にも決壊しそうな大粒の涙が浮かんでいた。


「父さん」

暫く黙り込んでいたソフィアが再び呼びかけた。そして、すん、と鼻を啜って言った。

「頼むから、そんなこと言わないでくれよ……。父さんはアタシの何よりの誇りなんだから」


 レオナルドは呆けていた。思いもよらない娘の言葉に混乱していたのかもしれない。暫くして、ようやくその口から意味のある言葉を紡いだ。

「ソフィア、ありがとう。お前は俺の自慢の娘だ。俺には勿体ないほどの」


 ソフィアの唇が、父さん、と動いた。レオナルドは優しく微笑んだ。

「お前は優しい子だ。俺が望めばお前はきっと医術を学んだだろう。だから、敢えてお前にそれを望まなかった」


 ソフィアの濡れた瞳が驚きで見開かれる。

「優しいお前に、俺と同じ思いをさせたくなかった。だが、俺の読みが甘かったようだな」

レオナルドの笑みが今にも泣き出しそうに歪んだ。

「お前は、医術士にならなくてもきっと、救えなかった命を嘆く」


 レオナルドの瞳から涙が一粒溢れ落ちた。

「だから、ソフィア。医術を学べ。人を救う術を学べ。人を助けて……お前自身を救ってやれ」


 ソフィアが、え、と声を漏らす。レオナルドがまた笑みを溢した。

「俺が教えてやれないのが唯一の心残りだな……」


 そう言ったレオナルドは、大きな欠伸をした。

「少し眠くなったから寝る。……ソフィア、約束してくれるか? 」

「約束する。アタシは医術士になる。父さんの跡を継ぐ。今度こそ、後悔しないように」


 その答えに満足したのか、レオナルドは綻ぶように満面の笑顔を浮かべ、眠りに落ちた。


 数日後、レオナルドは息を引き取った。享年43歳だった。


 葬儀の日。泣き崩れる村人たちの中で、ソフィアは堂々と胸を張り続けた。嗚咽が込み上げてくるたびに舌を強く噛んで、痛みで気をそらした。堪えきれずに目に涙が浮かぶたびに、服の袖で乱暴にそれを拭った。この日の哀しみと悔しさを覚えておこうと思った。この気持ちを医術を学ぶ糧にしよう、そう自分に言い聞かせなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうだったから。


 葬儀の後で、伯父夫妻が声をかけに来た。

「堪忍なあ。もっと早く来れたら良かったんやけど、話したら泣いてまうから」

「俺様は元気だぜー! ……レオが、死んだって気が全然しねえ」


 それぞれ哀しみを抱えているだろうに、ソフィアを気遣ってか明るく振る舞っている。そんな2人の優しさをソフィアはありがたく思った。幼い頃から、ずっと陰に日向に支え続けてくれた伯父夫妻。だからこそ、最初に話をするならこの2人だと思った。

「村を出て、領都に行こうと思ってる」


 ソフィアの唐突な宣言に2人は固まった。いつも────今日の葬儀の間ですら────ふざけた顔をしているギルバートが真顔で言った。

「……やめてくれ、レオのことだけでもなのに、お前までなんて。確かにこの村には何もねえ、だけど」

「領都で修行してくる。領都になら医術士も何人かいるだろ」


 ソフィアは伯父の言葉を遮って言った。ギルバートとヴィクトリアの表情が変わった。

「ソフィアちゃん、それって……! 」

「アタシは医術士になる。父さんと約束したからね。いつになるか判んないけど、ここを継ぐ」


 かくして、ソフィアは領都に修行に出向き、立派な医術士となってダキヘラ村に戻った。彼女が診療所を再開させたのは、奇しくもレオナルドが診療所を開いたのと同じ24歳の春だった。

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