第15話
暫く経って、ルーカスは恐る恐るラウラの居場所を尋ねた。少年たちの顔が曇った。ルーカスは衝撃を受けた。最悪の事態が再び脳裏に浮かんだ。
「ラウラ姉ちゃん、一昨日から体調悪くって…。外にも出ようとしないんだ」
考えるまでもなく、彼らは全員9歳以下である。この場にいる生き残りはルーカスやラウラよりも年下しかいない。
「…俺が一回話してみる。ずっと中にいると空気も悪いだろうし」
ルーカスがそう言うと、少年たちは口々に賛成した。年長組がいれば誰かが異変に気がついたかもしれない。帰ってきて早々にラウラを連れ出そうとするルーカスの様子は見る者が見ればおかしいとわかる筈であった。しかし、2週間近く年長者がいない不安な日々を過ごしていた彼らが、信頼できる筈のルーカスの裏切りにどうして気がつけただろうか。
「ラウラ」
少年たちに場所を教えられ、ルーカスは最愛の双子の妹の元に行った。彼女は熱はなさそうであるが、魘されているようだった。こんな状態の妹を馬車で移動させるなんて、と彼は一瞬躊躇した。だが、これは彼の採用試験でもある。不測の問題はひとまずベルナルドに判断を仰ぐべきだと判断したルーカスはラウラの身体を軽く揺すって覚醒を促した。
んん、と唸ってラウラはうっすらと目を開けた。ルーカスと目が合う。ルーカスは微笑みかけた。しかし、ラウラはふいと顔を背けた。ルーカスは密かに驚く。彼の知る限り、ラウラが彼に対してそのような態度をとったことはなかった。
「ラウラ? 」
ラウラはそっぽを向いたまま言った。
「どうせ醒める夢なら見たくない」
ルーカスは予想のつかない言葉───それもさっぱり意味がわからない───に困惑した。
「どういうこと? 」
彼は素直に尋ねることにした。
「また、夢なんでしょ! どうせ」
ラウラの声は涙で湿っていた。ルーカスは一瞬考えて、ラウラの言わんとすることに気がついた。生きろ、というルーカスのある意味で無責任な言葉に、彼女は振り回され続けているのだ。恐らくルーカスは一生帰って来ないことを知りながら、ルーカスのことを大切に思うが故にその言葉に囚われて続けている。
もしルーカスが帰ってこなければ。ラウラはそう遠くない内に心を壊してしまったことだろう。彼女の虚ろな様子がそれを雄弁に物語っている。今は夢だ、幻想にすぎないと振り払うことができているが、その夢に呑まれた瞬間ラウラは幸福になれるのだから。
「…ごめんね」
ラウラの耳元にルーカスは小さく呟いた。
「今度は本物だよ」
いつもの夢の展開とは違ったらしい。ラウラが僅かに反応する。ルーカスは尚も畳み掛ける。
「待たせてごめんね、ラウラ」
ラウラが勢いよく振り返る。おずおずと左手が差し出された。ルーカスは力強くそれを握り返した。
「俺、ラウラを一旦外に連れていってくる。このままってのも良くないだろうから」
ルーカスがそう宣言すると、少年たちは口々に同意した。
「ルーカス兄ちゃんが俺たちのリーダーなんだから! 」
その言葉はルーカスの心臓を的確に撃ち抜いた。しかし、既に凍ってしまっていたルーカスの心は微動だにしなかった。…多分。
「ルーク、でもどうして? 」
領兵に連行されて生きて戻って来られる筈がない。少年たちは浮かれてそこまで考えが至らないようだったが、ラウラは本拠地を出て直ぐにそう尋ねた。ルーカスは困ったように笑った。
「…ねぇラウラ、俺についてきてくれる? 」
唐突にそんなことを言い出したルーカスにラウラは戸惑った顔をした。しかし、直ぐに何か事情があるのを察したのだろう。
「ルークがいるところなら地獄にでも」
迷いない口調ではっきりと答えた。
それを聞いたルーカスは泣きそうな顔で笑った。
「…俺と来てくれるなら、このまま通りの入り口の馬車に乗って」
馬車、と驚きを含んだ声でラウラは言った。乗り合い馬車なら平民が乗ることもあるが、こんなところに乗り合い馬車が来る筈がない。そして、個人の馬車を使うのは商人か貴族くらいである。
「中にベルナルドって男が乗ってる。名前を言えば判ってくれるから」
矢継ぎ早にルーカスは言った。ラウラは目を丸くしていた。
「…ルークは? 一緒に来ないの」
「後で行く。先に片付ける用事があるからさ」
ラウラは怪訝そうな顔をしたが、何も言わずに頷き、踵を返した。ルーカスは強く目を瞑った。
走っていったラウラは直ぐに見慣れない馬車に気がついた。馬車は落ち着いたデザインだが、金で縁取られ、美しい紋章が刻まれていた。ラウラは知らなかったが、その紋章は王家のものだった。明らかに高貴な人物の臭いがする馬車の扉を恐る恐るノックした。
馬車の扉はあっさりと開き、茶髪の男が顔を出した。
「はぁい、美しきこの僕が乗っている馬車のドアを叩くのは誰だい? 」
「人違いです。すみません」
ラウラは反射的に一歩身を引き、回れ右しようとした。が。
「ふむ、君がラウラちゃんか! 」
名前を呼ばれたラウラはハッとして振り返った。
「…あなたが、ベルナルド? 」
ラウラがそう問うと、男───ベルナルド───は頷いた。
「取り敢えず乗りなよ。身体、弱いんだろ? 」
ラウラは抵抗を諦めて馬車に乗り込んだ。その内装はとても馬車とは思えぬ質感の高いものだった。豪華で高級感があるものの、決して下品ではない。馬車に乗ったことのないラウラもその広々とした空間に違和感を覚えた。
「いやぁ、君、ルチアーノくんそっくりじゃあないか! 」
「やめてください。…ルチアーノ? 」
自然体を装ってラウラに近づこうとするベルナルドをはっきりと拒絶したラウラは、耳慣れない呼称に首をかしげた。ベルナルドの方も一瞬きょとんとしたが、ああ、と笑った。
「彼の本名、ルーカスだっけ。こっちではルチアーノって名乗ってんのさ」
「兄とあなたの関係は? 」
唐突にラウラが尋ねた。あー聞いてないか、とベルナルドは言った。そこまでの時間がなかったのであろうことは簡単に予想がつく。ルーカスにとっては幸いなことにベルナルドはそこに文句をつける嫌な上司ではなかった。
「簡単に言うと上司ってやつさ! 」
ラウラの顔が凍る。
「今の“ルチアーノ”は国王陛下の忠実なるワンちゃんだよ」
ラウラの顔から元々薄い表情が一切抜け落ちた。
「それにしても君がラウラちゃんねぇ…」
ベルナルドは意味深に呟いた。ラウラが目線だけで真意を問う。ベルナルドは小さく笑った。それはルーカスを試した時に浮かべていたあの嗜虐的な笑みだった。
「だって気になるじゃあないか! 彼がプライドも仲間も全部投げ捨てて守った妹ちゃんだろ? 」
「…まさか、ルークの“用事”って」
ラウラの表情は固い。ベルナルドの笑みが深くなった。
「その通りさ! 反逆者集団の“殲滅”」
最低、とラウラは吐き捨てた。ベルナルドの笑みは質を変えた。自嘲の色が混ざっているようにラウラには思われた。
「そう。君はそう思うんだね。…なら君は恵まれてる」
ラウラは顔色ひとつ変えなかった。
「そう、私は恵まれてる。…ルークが犠牲になって守ってくれてるから。そんなの、望んでないのに」
ラウラは小さく呟いた。口調は変わらず淡々としている。それなのに、何故か痛みが感じられた。
「へーえ? 君はルチアーノが好きじゃないの? 」
ベルナルドの笑顔は愉しそうなものに戻っていた。
「大好き。だけど、私のことは大嫌い」




