第14話
ベルナルドは隠密部の部長らしい。隠密部というのは間者たちが所属する部署であり、表向きは存在しない部署らしい。そのため、隠密部の所属メンバーは厳密には騎士団の所属ではない。
そもそも騎士団に所属するためには貴族である必要がある。貴族でないが実力がある者は大抵適当な貴族の養子になる。しかし、戦功は家の名誉、失敗は家の不祥事になる貴族社会において、任務の特殊性から失敗が多くなる隠密部のメンバーを養子にしてくれる貴族は存在しないのだ。
一連の説明を聞き終わり、いよいよ訓練開始かと身構えたルーカス───彼はルーカスのカエルレラ語読みであるルチアーノと名乗るようになったが、ややこしくなるためこのままルーカスと呼ぶ。彼にとってアーテル語読みの名を捨てることは神を完全に捨てるのと同義であった───の強張りはすぐに解けることになる。その原因は直属の上司兼教育係となったベルナルドの一言だった。
「ま、そうは言っても君がホントに向いてるかは判んないからね! 簡単なテストをするよ。安心し給え。この僕と戦えなんて無粋なことは言わないからさ」
それもそうか、と納得しかけたルーカスは次の一言で硬直した。
「なあに、簡単さ。君の前のお仲間を皆殺しにするだけさ! 」
しかし、硬直したルーカスは次の瞬間には全身の力を抜き、小さく笑みを浮かべてすら見せた。その笑顔は少し強張っていた。
「承知致しました、ピンツィ殿」
「やだなぁ、ベルナルドでいいよ」
ベルナルドは人好きのする笑顔を返した。
「君のそういうとこ、僕は好きだよ。それを悟られないように努力するんだねぇ」
ベルナルドは浮かべる笑顔をうっそりとしたものに変えて言った。ルーカスはびくりと肩を震えさせる。安心するといいよ、とベルナルドが悪魔の囁きのようにふきこむ。
「この程度でいちいち切ったりはしないよ。君がちゃあんと“お仕事”できれば、の話だけどね! 」
ルーカスの目の前にいるのは彼自身と比べると圧倒的な強者だ。ルーカスが多少抗ったり命令に従うのを躊躇ったりしても殺さないのは、いざとなれば直ぐに殺せるからだ、少なくともルーカスはそう捉えた。
実は前日も同じようなことがあったのだ。少年2人の“処分”を命じられたヴァンチェンツォはすれ違いざまにルーカスに囁きかけた。
「心がけは悪くない。後はその手をどうにかするんだな」
ルーカスは己の手を見た。強く握り締められた掌は爪が刺さって血が滲んでいた。痛みはさっぱり感じなかった。ただ、心臓がある場所がジクジクと痛んだ。
覚悟を決めたとはいえ、ルーカスはまだ11歳の少年である。いや、年齢はそう関係ないのかもしれない。昨日まで家族のように暮らしてきた相手の、ましてや共に命を懸けて戦った戦友の敵にならなければならなくなったのだ。あっさりと感情が割り切れる筈がない。無関心を装うのが容易でないことは想像に難くないだろう。
ルーカスは無意識に自らに痛みを与えることでそれを表面に出すことを避けようとしていたのだ。あの場にいた大人でそれに気づかない者はいなかった。しかし、彼らは誰もそれを咎めはしなかったし、寧ろベルナルドやヴァンチェンツォが実際に言ったように好ましくすら思った。国王ティロンに誓った忠誠が嘘偽りならばそれほどの葛藤も罪悪感も生まれない筈であるから。
「…ラウラは」
やっとのことで喉から絞り出した声は掠れていた。
「ん? あぁ、君の妹ちゃんね。その前に保護していいよー。どうせ見届け人としてこの僕も同行するからね! 君は心置きなく殲滅に全力を尽くすといいよ! 」
軽くベルナルドは請け負った。君なら全力出すまでもないか! 、とルーカスにプレッシャーをかけるのは忘れなかった。
殲滅、と小さくルーカスは呟いた。
「そうだよ? 生き残りがいると後々面倒だからね! 綺麗さっぱりお掃除しとくのさ」
悪びれる様子も気遣う様子もなくベルナルドは言った。まあ、気を遣われたところでルーカスも困っただろうが。ルーカスは握った手に力を込めてもう一度、承知致しました、と答えた。満足げにベルナルドは口元を歪めた。
ルーカスが国王ティロンの直属隠密部に所属することになってからおよそ一週間後。ルーカスは見慣れたスラム街の入り口に立っていた。ただし、これまでとは180°正反対の目的を持っている訳だが。
「よし! じゃあ手筈通り進め給え。最初に妹ちゃんを連れてくるんだよ」
ベルナルドにここ1週間で叩き込まれた隠密部独特の敬礼を返して、ルーカスは悠々と歩き出した。
とは言え、ルーカスにはラウラの居場所の検討はついていない。あまり考えたい話ではないが、最悪の場合発作を起こして死んでいる可能性もあることを考慮に入れている。彼は気配を消し、静かにグループが使っていた本拠地に向かった。
警戒の甲斐あってか、メンバーに見つかることなく彼は本拠地に辿り着いた。別に見つかっても悪いことはないのだが、無駄な手間はかからないに越したことはない。本拠地は騎士たちの狼藉により、以前よりずっとボロボロになっていた。ルーカスが力を入れて扉を押した。軋む音を立てて扉が開いた。
ルーカスはおよそ5年前、初めて自身がこの本拠地に足を踏み入れた日のことを思い出していた。あの時は周りにいる人間全てが敵で自分たちの命を脅かすものだと思っていた。そんな自分達を拾って、警戒心の塊のようだった2人を優しく受け入れ、育ててきれたのは紛れもない仲間たちであった。そう言った意味ではここは彼らにとっての故郷に近いものかもしれない。
ルーカスは無意識に留まっていた足を叱咤して先に進んだ。自然と足はラウラがいつもいた部屋に向いていた。数少ない本が置いてある部屋。幼すぎて碌に文字の読み書きも出来なかったルーカスたちに読み書きを教えてくれたのもグループの年上のメンバーたちだった。
優しい思い出ばかりが蘇ってくる。ルーカスは頭を振って深呼吸した。自分は彼らを殺すためにここに来たのだ。そう思い直して彼はふと違和感を覚えた。
この建物は構造上広間を通らなければ他の部屋には行くことができない。そして、幹部以外は皆この広間で暇な時間を過ごしていた。先程からルーカスがいるのはこの広間である。では、メンバーはどこにいるのか。そこまで考えたルーカスはハッとして跳躍し、立ち位置を変えた。
乾いた銃声が一度響いた。
たった数秒前までルーカスがいた場所に弾丸がめり込んでいた。ルーカスの額を冷や汗が伝う。彼は大声で呼びかけた。
「待て! 俺だ、ルーカスだ! 」
返ってきたのは沈黙だった。まさかルーカスが寝返ったことを彼らは知っているのか。そんなあり得ない妄想が彼の脳裏を過ぎる。戦闘態勢は解かないままに、ルーカスは攻撃の意思は見せない。ラウラが回収できていない現段階での戦闘は避けたい。ラウラを巻き込むリスクが上がってしまう。
そんなことをルーカスが考えているとひょっこりと1人が顔を出した。見知った顔だった。
「パウロ! 」
ルーカスがそう呼ぶとパウロは辺りをキョロキョロと見渡した。そして、顔を引っ込めると何やら仲間に言った。すると、閉ざされていた奥の部屋への扉が開き、少年たちが一斉に出てきた。
「「「ルーカス兄ちゃんっ! 」」」
ルーカスは彼らを一度に受け止めたため鈍い声を漏らした。それさえお構いなしに少年たちは思い思いに喜びの声をあげながらルーカスをもみくちゃにした。ルーカスの胸の奥が鈍く痛んだ。
「ねえ、ルーカス兄ちゃん、マリアーノ兄ちゃんたちは? 」
無邪気な質問を聞いたルーカスの顔が歪んだ。これは彼らを裏切ったことへの罪悪感からのことだった。しかし、少年たちには違った解釈をもたらした。
「駄目、だったの…? 」
ルーカスは我に返って、頷いた。
「2人とも、命懸けで俺を守ってくれて…。俺は何とか逃げられた。けど兄ちゃんたちは…っ」
少年たちの目がみるみるうちに潤んでいった。ごめん、とルーカスは小さく言った。誰かが嗚咽を漏らした。ルーカスもそれに釣られて少しだけ、ほんの少しだけ泣いた。




