忘れられた婚約者
「記憶喪失!?」
城の謁見の間。国王、王妃は勿論、私やドナート。宰相と騎士団長もいた。
「はい。医者にも診せましたが断片的な記憶喪失であると診断されました」
エラの父君であり、魔法師団のトップであるマッツォレーラ侯爵がピリついた空気を出す。
「ほとんどの事は覚えております。ですが二名ほど、エレオノーラの記憶から消えている人物がおりました」
私とドナートが同時に喉を鳴らした。
「まず、一人はパルミナ・サバニーニ男爵令嬢。光魔法を持っていると言われる令嬢です」
マッツォレーラ侯爵は無表情で淡々と話す。
「そしてもう一人は……」
無表情のままこちらを向くマッツォレーラ侯爵。
「フィリベルト王子殿下。あなたです」
シンと静まる部屋。かつてこの謁見の間がこんなに静かになったことがあっただろうか。
そんなどうでもいい事を考える程、私は動揺していた。
「私、なのか?」
なんとかそれだけが言葉として口から出た。
「はい。婚約者であることはおろか、会ったこともないそうです」
侮蔑を含んだ声色で言ったのは、エレオノーラの兄であるドメニコだった。
「アレ、してますよね」
ドメニコが私の手元を見る。
「している」
「じゃあ、まさか本当に?」
「断じて違う!!」
「それなら!何故、あんなに傷つけた!?」
「それは……」
「二人とも落ち着け」
静かに、しかし有無を言わせない声色でマッツォレーラ侯爵が止めた。
「何を言ってももう遅い。ただ一つ、殿下。方法はお任せすると言った事を後悔していますよ」
大きな石で頭を殴られたような気分だった。
「これ以降、あとはこちらで進めます。殿下はもう関わらないで頂きたい」
「それはっ!」
声を上げたのは国王である父上だった。
「それは、なんです?もう看過する時期は過ぎましたよ」
先程より空気がピリついた。動けば肌が切れてしまいそうな感じがする。
「わかっている。わかっているが……」
「陛下、確かにこれ以上は」
宰相が静かに言った。
「……わかった。任せる」
「では、私たちはこれで失礼させて頂きます。フィリベルト王子殿下。もうひと月も経たないうちに今年度は終わりますので、エレオノーラは2年に上がってから復学させます。それまでは学院全体に、エレオノーラの記憶喪失の話を浸透させてください。エレオノーラの記憶はいつ戻るか、はたまた戻らないのかわかりません。ただ、強引に戻そうとすると壊れてしまう可能性もあるので、無神経に当時の話をするような連中がいると困ります。わかりますよね」
「わかった、約束する。それと……」
言いたいが言っていいのかしばし悩んでしまう。私にはもう資格がないかもしれない。
「どうぞ、会いに来るのは構いませんよ。ですが、殿下とはあくまで初対面であると、そういうつもりでおいでになってください」
私の言いたいことを理解したのだろう。存外優しい口調で言ってもらえたことに安堵する。
「ありがとう。本当にありがとう」
マッツォレーラ侯爵とドメニコが謁見の間から立ち去ると、父上も宰相も騎士団長もほっと息を吐いた。
「相変わらずだな、アイツは」
騎士団長がこぼす。
「本当ですね。『静かに怒れる暗黒の竜』あの人が怒っていると部屋中に電気が走っているような空気になります」
騎士団長も宰相も、マッツォレーラ侯爵とは同じ魔法学院時代からの友人だったらしい。そして国王である父上も。父上が一つ上、騎士団長とマッツォレーラ侯爵が同級、宰相が一つ後輩だったそうだ。
「ああ、全くだ」
父上の顔色は少し悪かった。
「ねえ、一体なんなの?」
ドナートだ。
「マッツォレーラ侯爵は、途中から何の話をしていたの?」
ドナートと王妃である母上は、今のこの出来事をよく理解していなかった。
「おまえが気にすることではない」
「なにそれ。私だってもうすぐ社交界デビューする歳です。何かあるなら教えてください」
「まだデビュー前であろう。そういう事は成人してから言え」
「チェッ」
不貞腐れたドナートは、謁見の間を出て行ってしまった。
「……」
ドナートが出て行くのを黙って見送っていると父上に呼ばれる。
「フィリベルト」
「はい」
「もしもこのまま、エレオノーラの記憶が戻らなかったらどうするつもりだ?」
「そんなの決まっています。エラは私の婚約者です。今までも、これからも」
「……そうか。今はそれでもいい。だが、このまま彼女の記憶が戻らないようなら考え直すこともあるかもしれん。それは頭に入れておいてくれ」
「……はい」
謁見の間を出ようとする私を母上が呼び止めた。
「エラちゃんは本当にいい子よ。元気だし、明るいし、誰にでも優しく出来る子なの」
「はい、知っています」
それに意地っ張りで、泣き虫なんです。そして、そんなエラをずっと愛しているんです。心の中で付け足す。
「でもね、少しだけでも自分の知っているはずの記憶がないという事は不安になる事だと思うわ。きっとね。だから、支えてあげてね」
「はい!」
そして、私は謁見の間を後にした。