衝撃
それからは男爵令嬢ご一行を、ことごとく無視した。言いたいことは言ったし、あとはもう勝手にやってくれという気持ちだった。なにより、フィルと彼女が一緒にいる所を見たくなかった。今、私の心には真っ直ぐに毒を帯びたナイフが突き刺さっているようだった。常に私に痛みを与えるだけじゃない。二人の事を思い出すだけでドロリとした、嫌な色に変色した血が流れ出るのだ。
私の思い出が毒の塊になってしまったあの日の夜、フィルから手紙が届いた。しかし、読まずに使いの者に突き返した。手紙が、言い訳が欲しかったのは今じゃない。あのお茶会の時にちゃんと話を逸らさずに向き合ってくれたら……もう、彼との繋がりを全て消し去りたかった。
フィルとの関係が希薄になるのに反して、ドナートが私にべったりするようになった。
「ねえ、エレオノーラ。兄上との婚約を白紙にして私にしない?」
最近、暇さえあればこのセリフを言ってくる。
「ありがとう、ドナート殿下。私を心配してくれているのね。でも私の一存では決められないし、出来れば私はもう王族そのものと関わりたくないわ」
そう断るも、なかなか諦めてくれない。まあ、婚約自体がなくなる事なんて早々ないのはわかっているし、ドナートも挨拶のように言ってくるので最近は冗談だと思っている。
そんな中、残念ながら毒と化した私の思い出は、フィルと会わなくなった今の方が根深く私の中に根付いていて離れてくれない。どうやら私は、自分で思っていた以上に彼の事が好きだったらしい。
毎夜、ベッドに入るとどういう訳か涙が出てくる。暗闇の中、根付いた毒が花を咲かせる。そして彼の笑顔や怒った顔、私を心配そうに見つめる顔。黒い笑みまでが私の瞼の裏に貼りつくのだ。彼との小さなやり取りまでもが胸の中で咲き乱れて、私の心をズタボロにするのだった。
そんな日々を過ごしていたある日。
図書室から教室へ戻る途中、パルミナ嬢が向こうからやって来るのが見えた。珍しく一人で歩いている。そしておもむろに私の前に立ちはだかる。
「ちょっと、大切な話があるから放課後、実習棟の階段の踊り場まで来なさいよね。勿論、一人でよ。わかった?」
それだけ言うと、さっさと立ち去る。
「何だったのかしら?」
不思議に思うも、放課後を待って行く事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
様々な記憶が頭を巡る中、パルミナ嬢諸共、階段から宙に舞ったのを感じた。このまま落ちていくという寸前、何かが光ったような気がした。
『魔法だわ』
そう思ったのは一瞬で、物凄い突風が吹き、その風の勢いで私たちは落ちることなく踊り場に戻った。しかし、突風の威力は凄まじく、戻ったどころでは済まなかったのだ。
物凄い衝撃を背中と後頭部に感じたのを最後に、私の意識は途絶えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「しまった!!」
彼女たちを助けようと咄嗟に放った風魔法は、焦っていた自分を嘲笑うかのように膨大な力となって彼女たちを襲った。
ガツンッ!そんな嫌な音がした。
「エレオノーラ!」
踊り場の上にでもいたのだろうか、ドナートが彼女の元へと駆けつける。
私もすぐに階段を駆け上がった。
「いたた」
幸い、パルミナ嬢は大したケガもなく助かったようだ。が、後ろで彼女を庇うかのように壁にもたれていたエレオノーラが、パルミナ嬢がどいたと同時に傾いた。
そしてスローモーションのようにそのまま床へ沈んだ。
「エラ!」
近づいていたドナートを押しのけ、パルミナ嬢も無視して彼女へと駆け寄る。抱き起そうとした途端、ドナートに怒鳴られる。
「頭を打っているんだ。下手に動かすな!」
ふと壁を見ると、彼女の頭があったであろう場所に、血の染みがわずかながらも広がっていた。
「エラ?」
呼び掛けても何も反応しない。
「エラ、起きて」
びくともしない。
「エラ、ねえエラってば」
「……」
「エラ―――ッ!!」
気が付けば私は保健室で横になっていた。
「気が付きましたか?」
保健の先生に声を掛けられた。
「はい……」
頭が少しずつクリアになる。
「エラッ?エラは?」
パニックになりかける私を先生が落ち着かせた。
「エレオノーラ嬢は、迎えが来て家に帰っております」
「エラは無事なのですか?」
「無事と言いますか……」
私の頭は真っ白になり再びパニックに。
「落ち着いてください、殿下」
「エラ、エラ、エラ」
「エレオノーラ嬢は命に別状はありません。ただ、まだ意識が戻っておりません」
その言葉で我に返る。
「意識が?」
「はい。背中と後頭部を強打していました。そのせいで一瞬呼吸が止まったようです。ですが、すぐに吹き返したのでそれは、問題はないと思います。ですが、後頭部からは少量ですが出血が見られました」
「エラは無事、なんですよね」
「ええ、命は、ですが。意識がいつ戻るのかは全くわかりません。明日にでも戻るかもしれないし、一年後かもしれない。下手をすればもっと先かも。こればかりは本当に予想が出来ないのです。ですからお家の方にお帰り頂きました」
「そう、ですか」
「殿下、あまり気落ちはしないで頂きたい。もし階段から落ちていたら、命さえも危なかったのですから」
「……はい」
「殿下は彼女たちを救ったのですよ」
そう励ましてくれる先生の言葉も、今の私には全く耳に届かなかった。