決定的
「今日はもう帰るわ」
立ち上がった私の手首をフィルが掴んだ。辛そうな顔をしている気がする。しかし、掴んだだけで何かを言う訳でもない。ただ、ギュッと掴む力が強まった。
「離して、痛いわ」
「ご、ごめん」
慌てて離した彼の顔は、やはり辛そうだ。
『その表情はどういうことなの?』
疑問に思うも、彼が何も言おうとしないのが全てだと思いこのまま城を去った。
翌日。
もしかしたら、フィルから昨日の事で言い訳なりなんなりしてくるかと思ったけれど何もなかった。
そして私は、週に一度のお茶会に行くのを止めた。
フィルとのお茶会に行かなくなって何度目かのある日、友人たちと中庭で過ごしていると数人の殿方たちを侍らせて、パルミナ・サバニーニ男爵令嬢がやって来た。
「あなたがエレオノーラ・マッツォレーラ嬢かしら?」
私たちが話をしているのを当然のように遮り、格上の私に向かって平気で話しかけてくる彼女に驚きすぎて声も出なかった。
「この人聞こえてないみたいよ。耳が遠いの?」
隣にいる殿方に聞いている。伯爵令息である彼は、流石に格上で第一王子の婚約者でもある私に対して無礼は働けないようで、首を横に振りながら数歩後ずさった。
「あなた、格上の方に対しての礼儀もご存じないんですの?」
友人の方が先に反応してくれた。
「ここは学院よ。格上だの格下だのは関係ないわ」
「それは友人であった場合の話よ。当たり前でしょ」
もう一人の友人も応戦するが、そもそも礼儀だの常識だのを知らない彼女は全くめげない。
「そんなの元々平民暮らししていた私が知っているはずがないのに。酷いわ!」
突然、顔を覆い泣き出した。
「ああ、パルミナ。そうだよね。君は知らないのだから仕方ない。泣かないで」
アホか!?と喉まで出かかったのを、なんとか我慢する。
「ところで、私たちの話を中断してまで、私に何か用があったのでは?」
すると、全く涙の出ていない顔をこちらに向けた。
「フィリベルト様の元気がないのは、エレオノーラ様のせいなのではと思って」
「はい?」
「フィリベルト様に何か意地悪をしたのではないですか?彼ったら可哀想に、ここの所ずっと元気がなくて。私心配なんです。もし何か意地悪をしているならすぐに止めてあげてください!」
私がお茶会に行かなくなったせい?一瞬そう思ったが、仮にそれが原因だったとしても、彼が私の疑問に何も答えようとしなかったのがそもそもなのだ。それなのに、勝手に落ち込んでいるって?ふざけないでもらいたい。
フィルもこの勝手に私を咎める男爵令嬢も、彼女の非礼を咎めないそこの貴族令息たちも。私の中にちょっとしたイラつきを生んだ。
「何を勘違いして言いがかりをつけるのか存じませんが。私は何もあの方にしておりませんわ、何もね。それよりもあなた、パルミナ様だったかしら?この学院に入学なされてから、もう随分日が経ちましたわよね。それでも貴族としての常識も礼儀も全く身に付いていないのはどうしてですの?
男性を誑かす能力の方はメキメキと力が付いているようですのにね」
それだけ言って立ち上がる。友人たちもクスクスと笑いながら立ち上がった。
「そちらの殿方たちも、本当に彼女を大切に思われていらっしゃるなら、常識のひとつでもお教えしたらどうです?それと、皆様の婚約者の方々は、そろそろあなた方に見切りを付けていらっしゃいますわよ。ふふふ。そうなった場合の、自分の行く末を案じた方がよろしくてよ。
どんなにそこの方を想っていても、所詮選ばれるのは一人だけなのですから。いつまでも仲良しこよしなんてしていると、気が付けば誰からも相手にされない、なんて事になってしまうかもしれませんわよ。まあ、皆さんで仲良く順番に彼女とお付き合いでもいいなら別ですが」
そしてその場で、文句のつけようのないほど完璧なカーテシーをして去った。
「ああ、スッキリしましたわ」
友人たちは、言いたいことの全てを言ってくれたと、本当に嬉しそうに私にお礼を言うのだった。
それからまたしばらく月日が経った頃。
私はドナートと数人の友人たちと共に、食堂に向かっていた。すると男爵令嬢ご一行が中庭にいるのが目に入った。
ベンチの中央にパルミナ・サバニーニ嬢が座っており、誰かにもたれかかっている。その手前の隣には公爵令息、彼女の周りを囲うようにして何人かの殿方たちが立っていた。向こう側の、彼女がもたれている相手は立っている殿方で見えない。しかし、私は誰なのかわかってしまった。
ふいに立っていた殿方の位置がずれる。
『やっぱりね』
彼女がもたれかかっていたのはフィルだった。ご丁寧に彼の手は彼女の肩をしっかり抱いている。
「……」
「ほら、やっぱり。完全に浮気だよ。それどころかあの女の方が本命なんじゃないの?」
ドナートの言葉が私の胸に突き刺さった。
ふと、フィルがこちらを向いた。しっかりと私と目が合う。そして、自分の手の行方に気が付いて慌てて離す。その動作が私の中の最後の灯まで消し去ってしまったような気がした。
『私に触れていたその手で、平気でその方に触れるのね』
彼の今まで私と交わした愛の言葉も、手のぬくもりも、優しいキスも全てが胸の中で毒の塊になったように感じて気分が悪くなった。
「どうでもいいですわ。早く行きましょう」
心配する友人たちに囲まれて、私は食堂へと向かうのだった。