婚約者
声の主は私たち二人を見て、それは嬉しそうに笑った。
「やっといいと思える子を見つけたのね。なんて綺麗な子なのかしら」
「そうなのです、母上。彼女はマッツォレーラ侯爵家のご令嬢でエレオノーラ嬢です」
私の動きを封じたのはこの国の国母、王妃だった。
「マッツォレーラ侯爵家長女、エレオノーラ・マッツォレーラと申します」
咄嗟の事にカーテシーでなんとかそれだけ言う。
「綺麗なカーテシーね。フィリベルトと仲良くなってくれてありがとう。これからもよろしくね」
小首を傾げてそんな事を言う王妃に、私はイエスとしかいう事が出来なかった。
『もう今日は逃げられない』
そう悟った私はふと、王妃の後ろに誰かいることに気が付いた。私より少し背の低い、歳の頃は同じような少年だった。私が見た事で彼と目が合う。彼は照れくさそうな顔をして一瞬隠れたが、そうっと王妃の背後から姿を現す。
「あの」
「はい、なんでございましょう?」
「君はニケの生まれ変わりなの?」
「ニケとは神話の中の女神様の事でしょうか?」
「そう、勝利の女神のニケ。君、私の持っている本の中のニケにそっくりだ。もしかして生まれ変わり?」
「私の持っている本のニケには似ていないよ」
フィリベルト王子が横槍を入れる。
「女神に似ているとは光栄なことですが、残念ながら私は女神の生まれ変わりでもなんでもありません」
私自身もはっきり否定する。
「……そうなんだ」
少しがっかりした様子の彼。
「女神様のお話よりも先に、自分の名前を言わなくてはね」
笑顔で彼に突っ込む王妃に言われて、初めて自分が名乗りもせずにいきなり質問したことに気付いたようで、恥ずかしさからか顔をほんのり赤くしながら彼は私に再び向き合った。
「挨拶が遅れてしまってごめん。第二王子のドナート・アルファーノです」
「マッツォレーラ侯爵家長女、エレオノーラ・マッツォレーラと申します」
ニコリと笑顔で挨拶をすれば、赤くした顔が更に赤くなった。
「私との挨拶の時には、そんな可愛らしい笑顔してくれなかったのに」
フィリベルト王子がむくれた顔をする。
「だって、殿下の時はそんな雰囲気ではなかったですよね」
「エラが冷たい」
「だからエラと呼ぶことをまだ許しておりませんが」
「殿下じゃなくてフィルって呼んで」
「嫌です」
同じようなやり取りに再びなり、思わず二人で笑ってしまった。
そして、この数カ月後。私はフィリベルト王子の婚約者になるのだった。
それからは、週に一度のお茶会などで順調に交流を深めた。フィリベルト王子は『食わせ者』のイメージは払しょくされることはなかったが、それだけの人ではない事がすぐにわかった。
彼は思慮深く、とても頭が切れる人だった。時には大胆に、時には繊細に、臨機応変に対応出来る所も凄いと思った。この人ならば今の国王にも、もしかするとそれ以上の賢王となれる器であると、彼を知って行くうちに私は確信していった。
そして、私にはとても優しくて時々意地悪な人だった。私はあっという間に心を奪われてしまった。彼も私を慈しんでくれていた。
「早くエラと結婚して一緒に暮らしたい。いつも別れるときは身が切り裂かれる程辛くなる」
「私だって同じ思いです」
そんなバカップルぶりで、周囲を呆れさせるほど私たちは想い合っていた。
私がもうすぐ彼と同じ王立魔法学院に入学する話をした時には本当に喜んでくれた。
「これで一緒に過ごす時間が増えるね」
「はい」
「もうすぐ正式に発表されることだけれど、エラには先に言っておくね。私は卒業と同時に王太子になる事が決まった。だからね、その2年後。エラが学院を卒業したらすぐに結婚してエラは王太子妃になるんだ。覚悟は出来ているかい?」
「勿論。フィルを精一杯支えていく覚悟はとっくに出来ているわ」
「それも必要だけれど、私が求めているのはもっと違う事だよ」
はははと笑いながら私の頬をするりと撫でる。
「何?」
わからないという意思表示に小首を傾げれば、頬を撫でていた手を滑らせて私の顎へと移動させて微笑むフィル。
「私にがんじがらめに愛される覚悟だよ」
そう言って、不敵に笑ったフィルはそっと私にキスをした。予想外の答えと行動に、真っ赤になった私を彼はそっと抱きしめてくれた。
「エラ、初めて会った時から君を愛している。これからもずっと、愛するのは君だけだよ。この先、きっと色々な事があるだろう。お互いの気持ちがすれ違ってしまう事もあるかもしれない。だけどどんな時でも私の愛を疑わないで」
そう言って、抱きしめる力を強めたフィルの背を優しく撫でる。
「当たり前よ。この先、何があったとしても、あなたの愛を疑うような事はしないわ」
私の言葉を受け取ったフィルは、優しく笑い、再び私たちはそっと顔を近付けた。
この時は私たちの愛は、間違いなく本物だと思っていた。
ところが、私が王立魔法学院に入学して僅か数か月で、私たちの関係はあっけなく壊れていくのだった。