嫁の愛は重い
少し長くなっちゃいました。
「北に行きます」
「嫌です」
「行きます」
リーシャと僕は現在、山の麓で立ち往生していた。目の前に立ち塞がる大山脈は、雪化粧にしてはかなりの厚化粧である。
先ほどまで、僕らは必要そうなものを街で買い揃えたり、様々な情報を集めたりしていた。
そして、いざ東方のシュラフタ王国に向け意気揚々と出発したはいいが、雪がいつの間にか腰のあたりまで積もってしまっていた。
これでは延々と広がる山脈を越すのは難しい。例年はまだ雪など降らないはずなのだが・・・・・・。
「なんでこんな時に北に行くのよ! 余計寒いでしょうが!」
シュラフタ王国は諦めて、北にあるデーン王国に行こうという僕の主張に納得のいかないリーシャ。
行き先は僕が決めていいと約束したくせに、早速忘れてやがる。
「冬だからこそ北に行くんだ。さっき行商人に聞いたんだが、デーン王国には温泉があるらしい。僕は入りたい、温泉に」
熱意がこもりすぎて、つい倒置法になってしまった。だが、それくらい温泉に浸かりたいのだ。
戦闘訓練を始めて苦節8年。ついに孤児院を離れ、ひとり立ちしたのである。とりあえず、旅先で魔道具でも売りながらゆっくり過ごしてみたい。
「そんなに温泉に入りたいならその辺に穴掘って入りなさいよ! なんなら、魔法でお湯は出してあげるから!」
「いいか? 温かい水が湧き出る水たまり=温泉じゃないんだぞ。趣向の凝らされた浴場、そこから見える景色、そしてゆったり旅行気分を味わえる温泉街。全部合わせて温泉なんだ!」
本でしか見たことのない、未知の世界『オンセン』。なんと心惹かれる場所だろう。まさに天国に違いない。
だからリーシャがなんと言おうと、今回だけは絶対に折れるつもりはない。いざとなれば、もう一回決闘してどちらの実力が上かはっきりさせてやる。
その後しばらく話し合い (後半はお互いの悪口をまくしたてあった)をした結果、無事北のデーン王国に行くことが決まった。代償として今度オリジナルの魔道具をプレゼントすることになったが、温泉に比べたら安いものだ。
「あ、ここから歩いて1週間だってさ! 案外近くてよかったな」
街を出て小一時間ほど歩いただろうか。
平原に立てられた立て札に、デーン王国までの距離が書いてある。
看板を見てはしゃぐ僕。それを見て呆れるリーシャ。
この様子じゃ、僕らが新婚夫婦だとは誰も思わないだろうな。
「油断しないでよ。雪が降ってて視界が悪いし、この辺は魔物だって出るんだから」
「確か、ワイルドウルフとかドラゴンフライが出るんだよな」
ワイルドウルフはD級、ドラゴンフライはC級の魔物だ。
C級やD級の魔物相手に連戦はきついかも知れないし、なるべく避けて通るつもりだ。だが、自分達の実力を測るためにも1回くらいは戦っておきたい。
「そうよ。まあドラゴンフライは気にしなくていいけど、最低限の警戒はしなさいね」
え? むしろドラゴンフライの方が強敵だろ。ランクは上だし、剣で簡単に貫けるような相手じゃない。
でも僕は本で読んだ情報しかない。リーシャが平気だっていうなら大丈夫なのだろうか。
「ほら、早速いたわよ」
リーシャの発言を不審に思いつつしばらく歩いていると、近づいてくる獣の気配を感じた。
積もった雪で直接は見えないが、恐らく敵は3頭。かすかに足音が聞こえるということは、ワイルドウルフだろう。
「2匹引きつけるから、その間に1匹は仕留めなさい。倒したら、私の援護」
「了解」
リーシャも敵の状況を察知しているようだ。魔法で収納していた剣を取り出しながら、的確な作戦を指示してくる。
そして、ワイルドウルフの潜む雪影に向かって突っ込んでいった。
僕は飛び出してきたワイルドウルフに雷弾を撃ち込むため、その場で待機する。だが、敵が一向に出てこないし、足音も全く聞こえない。
不審に思っていると、リーシャが積もった雪の後ろから顔を出した。
「ちょっと来て」
呼びかけに応じて彼女のもとへ駆けつける。すると、地面にはワイルドウルフの死体が3体転がっていた。
「最初から死んでたのか?」
「いえ、普通に斬ったわ」
「・・・・・・は?」
いやいや、駆け出しの冒険者がD級の魔物を瞬殺するとかおかしいでしょ。
「ドラゴン以外の魔物とは戦ったことがなから分からないけど、もしかしたら魔物には個体差があるのかも知れないわね」
そうか。冒険者もG級からSSS級までいるんだし、同じワイルドウルフでも強さに差があってもおかしくない。
「そうだな。次敵に出くわしたら、僕も戦って確認してみるよ」
だが、僕らの予想は見事に外れた。
先ほどから何度もワイルドウルフに出くわしているが、リーシャの剣なら1撃。僕の魔弾でも1発で絶命しまう。
「・・・・・・事実に気づくのが怖くて、ずっと黙ってたことがあるんだけど言っていい?」
リーシャが複雑な表情で言った。
僕は転がったワイルドウルフの死体を眺めながら、静かにうなずく。
「ドラゴンって、S級の魔物らしいわよ」
「・・・・・・そっか」
薄々おかしいとは思っていた。ワイルドウルフはD級なのに、ドラゴンの方が50倍くらい大きい。
子供の頃に僕が倒したドラゴンは、火を口から吐いたり魔法を弾いたりもしていた。
だが、雷弾を10発くらい当てたら倒せたし、攻撃も大振りで簡単に避けられたから、せいぜいE級くらいだと思っていたのだ。
けど、今ならわかる。ワイルドウルフに比べたら、ドラゴンめっちゃ強い。
「・・・・・・あんた、私が『ドラゴンはS級』だって冒険者に聞いた話をした時、絶対ありえないって笑い飛ばしたわよね」
確かに言った。
あの時は、他人から吹き込まれた荒唐無稽な話を真面目に信じるリーシャ可愛いとかって思ってた。
「見知らぬ冒険者とユダ。私は当然あんたが正しいと思ってたわけだけど、さっき確信した。あれ、絶対にE級なんかじゃないわ」
「・・・・・・ごめん」
今まで院長が元八大剣豪だとか言っていたのを僕は話半分に聞いていたが、もしかしたら院長って普通に強いのでは?
少なくとも、『剣を持たせたら村の中で8番目くらいに強い』という僕の中での八大剣豪のイメージは、捨てなければならないようだ。
「別にいいわ。むしろ、自分が思ったより強くて安心した。院長はSS級だったみたいだし、引退した彼女と互角だった私はS級くらいかしらね」
あれって互角だったのか? 普通にリーシャが圧倒していたような気がするが・・・・・・。
いや、今さっき僕が非常識だったと痛感したし、口を挟むのはやめよう。
「油断だけはしないようにね。追い詰められた弱者ほど怖いものはないって師匠も言ってたわ」
「・・・・・・うん」
僕らが予想以上に強かったことは全く問題ない。むしろ、喜ばしいことだと言えよう。
だけど、なんだこの気持ちは・・・・・・。
なんというか、物語を読んでいる時に「この先こんな展開になるのかなぁ」なんて想像してたら、それが全部当たってて意外性が全く無い、みたいな虚しさがある。
少なくとも、この辺りに僕らをおびやかすようなランクの魔物はいないのだ。
別に生き急いでるわけではないが、スリルのない冒険なんて何も面白くないのではないだろうか。
「今日はこの辺で休みましょ」
そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか日が落ちかけていた。赤く染まった空の上を、小さな雲がゆっくりと流れていく。
「もっと川の近くとかじゃなくていいのか?」
リーシャが野宿に選んだ場所は、いい感じに岩に囲まれた空間。平原は身を隠せるような場所が少ないので、こういった岩陰があるのはありがたいが。
「夜になったら魔物が川に水を飲みに来るかもしれないでしょ。水が必要なら、私が魔法で出してあげるわ」
なるほど、魔法ってやっぱり便利だよな。
最初は1人で旅する予定だったけど、認識が甘かったみたいだ。リーシャが居てくれて助かった。
「そうだな。じゃあ夕食を済ませてとっとと寝るか」
「いいけど、私食料なんて持ってきてないわよ」
「ほら、ワイルドウルフ」
「・・・・・・あー」
明らかに不満げな表情。
魔物の肉は臭くて食べられないというのが常識だからな。食料が尽きた冒険者が仕方なく食べるくらいで、そもそも食材として扱われること自体少ない。
だが、それくらい対策済みだ。
「大丈夫。強烈な臭いを消す野草があるから」
「そんな雑草程度の力で何とかなるの?」
失礼な。魔弾だって魔道具だって、全部野草から抽出した魔力で作ってるんだぞ。
あと、野草は雑草じゃない。
「とりあえず試してみて、どうしても無理なら保存食を持ってきてるから」
「だったら普通にそっちを食べたいんですけど」
グダグダ文句を言うリーシャ。くそ、絶対美味いって言わせてやる。
「それじゃあ、火と水はよろしくな」
「はーい」
と言うわけで、野外調理開始。
「まず、鍋を用意して水を入れます」
『神聖なる水』
僕がリーシャのリュックから取り出した鍋に、彼女が魔法で水を入れていく。
・・・・・・今のでリュックが一気に小さくなったんですが。他には一体何を持ってきたんだろう。
リーシャが担いでいたリュックをのぞくと、調理器具しか入っていなかった。
さすが食欲魔人。食に対して妥協はすまいという心意気を感じる。でも、旅の装備くらいきちんとして欲しいものだ。
まあいい。それより、料理の続きだ。
「そして、この赤い野草と一緒にワイルドウルフの肉を入れて火にかけます」
僕は自分のリュックから消臭効果のある野草を取り出し、適当に切った肉と一緒に鍋に入れる。
『地獄の業火!』
なんだその物騒な魔法。料理するだけなのにそんな大技使うなよ・・・・・・。
でも、薪がなくても火が持続してつけられるのはすごいな。
「今から30分くらい煮るから、今のうちに寝床を作ろう」
料理の完成まで少し時間がある。今のうちに出来ることを済ませておきたいのだ。
「その辺で寝ればいいんじゃないの?毛布くらいなら収納魔法で持ってきてあるわよ」
そう言って、虚空から毛布を取り出すリーシャ。魔法って本当になんでもありだな。
けど、見たところ毛布は1枚しかない。
2人で使うには小さすぎないか、と尋ねたら、
「一緒に包まって寝ればいいでしょ」
と言われた。
正直、寝床確保のために用意した秘策を披露する決意が揺らぐ。
リーシャと身体を寄せ合って寒い夜を明かす。非常に魅力的な響きである。
だが一方で、リーシャのためにも快適な空間を演出したいという気持ちが一層強まった。
「今は雪が止んでるけど、朝起きたら雪に埋もれてた、みたいなのは御免だよ」
「だったらずっと起きてればいいでしょ」
相変わらず無茶を言いますね、リーシャたん。でもそこも可愛いよ。好き。
・・・・・・危ない。毛布に包まって一緒に寝ようというリーシャの言葉の破壊力が高すぎて、人格が崩壊しかけた。
「大丈夫、ちゃんと準備はしてきたから」
僕はリュックからある魔道具と小瓶を取り出した。小瓶には野草から抽出した魔力が液体状になって入っている。
取り出した魔道具は、手のひら大で家の模型のようなものだ。
「何よそれ。あんた15歳になってもまだ人形遊びとかしてるわけ?」
リーシャが蔑むような目でこちらを見ている。
「そんなわけあるか。まあ見てなって」
僕は魔道具に液体状の魔力をかけ、それを地面に置いた。そして、リーシャを伴って少し距離を取る。
すると、模型の家がゆっくり大きくなり、やがて人が入れる立派な家が完成していた。
「・・・・・・嘘でしょ」
唖然と立ち尽くすリーシャ。
僕は慣れた手つきで家に入り、カバンから別の模型を取り出して床に置く。そして、先ほど同様に魔力液をかけていくと、瞬く間にベッドとテーブルが完成した。
さらに、この家には備え付けの流し台や暖炉まであるのだ。今日は寒いので、暖炉に炎弾を撃ち込んで火をつける。
家具のほとんど無い殺風景な部屋だが、旅先にどこでも持っていけることを考えれば十分な完成度だ。
「これはすごいわね・・・・・・」
玄関から恐る恐る入ってきたリーシャが、家の中を見回しながら感嘆の声を漏らす。
特にベッドが気になったようで、近くに寄って肌触りを確かめていた。
「ねえ、この家って私も住んでいいの?」
リーシャが不安げな表情でこちらを見ている。
なんだか様子がおかしいと思っていたが、そんなことを気にしていたとは。可愛いやつめ。
「当たり前じゃないか。持ち物は全部、夫婦の共有財産なんだろ?」
リーシャがパァーッと笑顔を浮かべた。
そして、そのままベッドにダイブし、幸せそうな顔で布団の感触を堪能している。
「すごいわ! 孤児院の布団とは比べ物にならない位ふかふか!」
「アルガドの綿を使用した最高級の布団だからな」
アルガドはふわふわな綿をつける野草で、ハーディーの森にはほとんど生えていなかった。
だから、趣向を凝らしたベッドはこの1台しか作れず、大きさも1人用が精一杯だった。
本当は院長にもあげたかったのだが・・・・・・。
代わりに、畑を修復した時、ついでに自動で水を撒く魔道具を設置しておいたので、それで我慢して頂こう。
「そろそろ30分経ったかな。ちょっと待ってて」
僕が暖炉で身体を温めながら時間を潰している間、リーシャはずっとベッドでゴロゴロしていた。
布団から引き剥がすのは忍びなかったので、1人で火にかけた鍋を取りに行く。
「お、いい感じだ」
沸騰した水の中で、一口サイズの肉が柔らかそうに煮えている。
そして、ブクブクと発生している気泡に揺られ、赤から青に変色した野草が浮いていた。それを丁寧に取り出していく。
肉と一緒に鍋に入れていたのは、トリマスという野草だ。
普段は赤いこの野草は、臭気を放つ食材と一緒煮ると臭いを取ってくれる。青く変色したのは臭いを吸収した証拠だ。
ここで、トリマスを取り切った鍋にシチューの素を投入。出発する時街で買っていたものだが、お湯に溶かせばシチューが出来るという優れものだ。
夕食が完成したので、早速鍋を家の中に運び入れる。かなりの量があるし、明日の朝飯もシチューだな。
「はい、お待たせ」
鍋をテーブルに置くと、布団にくるまっていたリーシャがむくりと起きた。
「いい匂いがする」
犬のように鼻をすんすんと鳴らしながら、吸い寄せられるように席に座る。
「どうぞ、ワイルドウルフのシチューとパンでございます」
シチューを器によそい、街で買ったパンと一緒に並べる。
リーシャは優雅な手つきでスプーンを手に取り、シチューを口に入れた。
目を閉じて味を確認しているようだ。10秒ほど沈黙したあと、リーシャはおもむろに口を開いた。
「シェフを呼びなさい」
「ここにおります」
「素晴らしい味だわ」
「ありがとうございます」
僕は熟練のシェフのごとく、恭しく頭を下げた。
「肉以外は既製品を使っているようだけど、魔物の肉をここまで美味しく仕上げたことは称賛に値するわ」
「シチューの素を使ったのバレちゃったか。そんなことまで分かるの?」
「当然。美食家の称号を欲しいままにした私には、全てお見通しよ」
上機嫌でシチューを口に運ぶリーシャを眺めながら、僕も料理を頂く。
うん、なかなかの出来だ。大地のエネルギーを感じる。
リーシャはあっという間に料理を平らげ、おかわりまで要求してきた。シチューはまだ大量に残っているから問題ないが、よくそれで細いスタイルを維持できてるな。
「ふう、ごちそうさま。後片付けは任せなさい」
リーシャは食事が済むと、鍋と食器を流し台に置いた。
「あ、脇に油汚れを落とす液体あるから使って。野草から抽出したやつだから安全だよ」
「・・・・・・本当に便利ね、この家」
リーシャは呆れたように言うと、魔法で水を出しながら洗い物を済ませた。
僕からしたら、何もないところから火や水を出せるリーシャの方がすごいと思うけどな。
「あ、リーシャのリュックを外に置いたままだ。ちょっと取ってくる」
「なら私が行くわ」
「いいって。ゆっくりしてな」
僕は外に放置してあったリュックを回収し、10分くらいかけて周囲を探索した。今のところ、この辺りに魔物はいないようだ。
家に戻ると、リーシャが暖炉の前で体育座りをしていた。ぼんやりと火を見つめているようだが、何か考えごとでもしているのだろうか。
「陽も落ちたしそろそろ寝なよ」
僕はリーシャの隣に座り、声をかけた。
外に出た時には、すでにすっかり暗くなっていた。暖炉の火だけが家の中をぼんやりと照らしている。
「分かったわ。でも旦那様は寝ないの?」
「魔物が来ないか見張らないとな。僕は夜強い方だから起きてるよ」
一応見回りをして安全は確認したが、魔物が襲ってこないとも限らない。2人とも寝てしまうのは危ないだろう。
「魔物がきたら分かるようにすればいいのね。ちょっと待ってて」
「常時発動できる索敵魔法なんてあるのか? 本でそんな魔法見たことないけど」
メジャーな魔法は本で勉強したから大体知っている。まあ、勉強したところで僕自身は使えないというのは皮肉な話だが。
「普通の魔法じゃなくて、『詩』の方よ」
「なるほどね」
リーシャが使う魔法は実は2種類ある。人間なら誰でも習得可能な普通の魔法と、彼女の故郷に伝わる詩魔法だ。
『地獄の業火』や『神聖なる水』もその一種で、生活補助から高火力な攻撃魔法まで色々ある。もちろん、リーシャは普通の魔法も完璧に使いこなせる。
しかし、彼女の真骨頂は詩魔法の方だ。こちらは彼女しか使えないし、普通の魔法では出来ないことまで可能にする魔法なのだ。なんでも、使用する言葉が違うのだとか。
『リュック』や『スプーン』といった単語はリーシャの故郷の言葉が由来らしいが、その言語の話者は既にリーシャしかいないらしい。
しかし、詠唱がやたらと長いので、戦闘中に使う場合は誰かが彼女を守りながら戦わなければならない。
だからこそ、リーシャは魔法より剣士として生きることを選んだのだろう。
僕は遠距離から攻撃するタイプだ。これでリーシャが魔術士だったら、とてもバランスの悪い組み合わせになってしまう。
リーシャは最初から僕についてくるために修行を始めたんだな。そう考えると、一層愛しく思えてくる。
「久しぶりに使うから、ちょっと照れるわね」
リーシャの頬が少し赤い。暖炉の火に照らされて、隣にいる僕にはそれがはっきりと見えた。
『The sky is covered with glittering stars and I’m walking alone. The bird shivering in the cold will huddle against her lover.』
リーシャが歌いだすと、彼女を中心とした大きな魔法陣が浮かび上がった。そして、青い光の球がぼうっと空中を漂い始める。
優しくて温かい声。普段はややガサツなリーシャだが、彼女の歌には周囲を安心させる力があるような気がする。
目を閉じると、身体が空気に溶けていくような感覚があった。遠のく意識と、それを客観的に見ている自分がいるような、そんな感覚。
『No one will warm my blood. I’m walking alone under the starry sky.』
どれくらいの時間が経っただろうか。ふと我に返って目を開けると、不安そうな顔をしたリーシャがこちらをじっと見ていた。
室内は普段通りに戻っていて、暖炉の薪がバチッと弾ける音が響く。
「大丈夫?」
「ああ、ちょっとぼーっとしてただけ。それより魔法は?」
「上手くいった。これで、朝起きるまでに魔物が近づいてきたら寝ていても気づけるわ」
相変わらず規格外の魔法だ。長時間発動できる魔法なんて、普通は無理なんだけど。
「ありがとう。これで安心して休める」
リーシャにお礼を言うと、気恥ずかしそうに顔をそらした。
「明日も早く出発したいし、早速だけど寝ちゃおうか。・・・・・・そう言えば、ベッドは1つしかなかったな。じゃあ僕は床で寝るよ」
「そう、じゃあおやすみ」
リーシャはすくっと立ち上がり、ためらいもせずにベッドへと向かった。
嘘だろ⁉︎
こういう時は普通、家主を床で寝かせるなんて出来ない、とか言って遠慮するところだろ!
もちろんリーシャを床で寝かせる気は無いが、一応気遣いとして言って欲しい。
「冗談よ、そんな顔しないで」
リーシャがクスクスと笑いながら僕の隣に戻り、そっと床に座った。
「でも、寝る前に少しだけ話を聞いてくれない?」
僕が若干拗ねていると、リーシャが急に真面目な表情をして言った。
いきなりどうしたんだろう。不審に思いながらも黙って頷く。
「私小さい頃から旦那様のことが好きだったのよ。孤児になって引き取られた私に話しかけてくれる子なんて、旦那様とガッシュくらいだったもの」
リーシャは金髪で色白だから、周囲から浮いていたのだ。いじめられていたわけではないが、距離を置かれていたのは事実である。
「優しくしてくれる2人に甘えてワガママを言ったりするけど、これでも悪いなって思ってたのよ。だから、旦那様にとって世の中が行きづらいのなら、手助けがしたいってずっと思ってた。旦那様を守れるように、立派な剣士になろうってね」
ふと隣を見ると、窓から入った月の光がリーシャを照らしていた。彼女の髪が、月光を反射してキラキラと輝いている。
「だから、私にS級くらいの実力があるのが分かって嬉しかった。これでやっと旦那様の役に立てるってね」
「・・・・・・そうか」
まさか、そんなことを考えているとは思わなかった。
僕はリーシャといられて嬉しいし、役に立つかどうかで判断する気は無いのだが。
「けど、不安なのよ。旦那様はいつだってずっと前を走り続けてる。私が少しでも立ち止まったら置いてかれるんじゃないかって心配なの」
「そんなことないさ。火とか水を出してくれたのは助かったし、戦闘面でも前衛がいるのは安心できる」
「私のやっていることは、いくらでも代えがきくじゃない。この先もっと有能で可愛げのある娘がいたら、私なんてあっさり捨てられるわ」
「あるわけないだろ。僕がリーシャ以外の娘となんて・・・・・・」
ふと隣を向くと、こちらを見つめるリーシャと目があった。
パッチリとした長いまつ毛、赤く上気した頬。それらが鮮明に分かるくらい、リーシャは僕に体を寄せていた。
「お願い。私が旦那様のものだっていう印をちょうだい」
リーシャは目を閉じて、ゆっくりと顔を寄せてくる。綺麗な桜色の唇が目に入り、思わずドキリとした。
「ちょっと待った! 今日のリーシャちょっと変だぞ」
普段のリーシャなら、プライドが邪魔してこんなことは出来ないだろう。もしかして、思いつめた挙句、自暴自棄になってるんじゃ・・・・・・。
「どうすればずっと一緒に居られるか考えていたのよ。旦那様なら、唇だけじゃなく純潔まで奪った相手を捨てるようなことはしないでしょ」
「そんな捨て身の覚悟で身体を差し出されても困る」
「打算的なフリをして、素直になれない本当の私を隠しているのよ。じゃないと、女の子から誘うような真似、恥ずかしくて出来ないわ」
よく見たら、リーシャの顔がさらに赤くなっていた。
どうやら自暴自棄になって関係を迫ってきたわけではないみたいだ。単に、そういうことに興味があったけど、理由がないと恥ずかしくて言い出せなかったのか。
少し安心した。恐らく僕を確実に繋ぎ止めて置きたいっていうのも本音だろうが、同時に照れ隠しでもあるようだ。
「それを明かすことで、自分のいやらしさを隠そうとしてることが既に打算的なんだけど」
「そうね。でも計算高い女の子、嫌いじゃないでしょ?」
リーシャがクスリと笑う。
その妖艶な姿から僕は目を逸らせずにいたが、ふと我に返って顔を背けた。
「リーシャの気持ちは分かった。でも色々と準備がいるだろうし、次の街に着いたらにしないか?」
「ここでヘタれるのはさすがに計算外だったわ・・・・・・」
リーシャがため息を吐きながら言った。
仕方ないじゃないか。僕だって既に理性が決壊寸前って感じだが、冷静に考えたら今は旅の道中だ。倫理観的にまずい気がする。
僕は慌てて立ち上がり、リーシャをベッドの前まで追いやった。
「疲れたし、今日はもう寝よう。ベッドはリーシャが使って」
「ダメに決まってるじゃない。暖炉つけてるからって、旦那様を床で寝かせられるわけないわ」
「ベッドは1つしかないんだから仕方ないだろ」
すると、リーシャは油断していた僕をベッドに押し倒した。
「なら、一緒に寝ればいいでしょ」
リーシャは僕の耳元でそう囁く。
限界だ。僕は理性を捨て、欲望に身を委ねようと決めた。
「・・・・・・っ!」
上にのしかかっていたリーシャの背中をしっかり抱きしめ、転がるようにしてリーシャをベッドに押し倒し返す。
これで先ほどまでと僕らの位置が逆転した。
「リーシャが挑発するから、もう収拾がつかなそうだ」
すると、リーシャは僕の背中を優しく抱き返す。そのまま顔を耳元に寄せる。
「良かったわ。これで名実ともに、私はあなたのものよ」
「名の方はリーシャが結婚の手続きを面倒がったから、まだだけどな」
「じゃあ、実の方だけでもあなたのものに・・・・・・むっ!」
待ちきれなくなり、リーシャの口を僕の唇で塞いだ。
生涯2度目のキスは、刺激的な味がした。
「愛してるよ、リーシャ」
「私も愛してるわ」
僕らはゆっくりと溶け合い、互いの愛を確かめ合った。
こうしてリーシャと僕の初めては、奇しくも院長が初キスをした場所と同じ。平原のど真ん中となったのである。
ルビの位置がおかしいですがご了承ください。
男女がラブラブする的な話を書いたのは初体験なので、優しく(アドバイス)してくださると嬉しいです。