④麒麟(金色の光を纏う者)
月明かりに照らされて、彼はいつも窓から入ってくる。
「麒麟」
呼ぶ声に感情はない。ただ、顔だけが無意識に微笑していることを彼自身は知らない。麒麟だけが、それを知っている。
麒麟は食べることも眠ることもしない。黄燐国という塔しか建っていない国の最上階に住み、金色に淡く発光している。東西南北に広がる全土を温かく優しい光で照らし続けている。夜でも発光し続ける。その光は、人々の希望だった。そして、麒麟は全てのことを見通す力を持っている。大事なことも、知りたいことも、知りたくないことも全て知る力を持っている。だから、彼女は塔の最上階という鳥籠に閉じ込められ続けている。登るための階段すらない塔の最上階に彼女は存在し続けなければならない。会うことができるのは、唯一人。
「トウテツ」
そして、麒麟もまた、無意識に微笑んでいる。例え、この世界を滅ぼすために存在している者だとしても、その人にしか会えないならば、その人が来れば嬉しい。口を使い言葉を発するということを、トウテツがいなければ、彼女は忘れるだろう。
「あなたに、会うことができて嬉しいです」
麒麟は、トウテツという存在が嫌いではなかった。世界を滅ぼす運命を持って生まれてきてしまっただけなのだ。彼が暗闇に閉じ込められ、日暮れを待ち、その使命を果たそうとしているだけなのだ。麒麟はその使命こそ憎んでも、彼の存在自体を憎めるはずがなかった。
「君がいるから、俺は存在していられる」
麒麟は天使のような顔で微笑む。それは、理として、事実だ。麒麟がいなければ、この世のどの生物も存在できない。そういう決まりになっている。だが、トウテツがそれを知っているとは思わない。だから、それは、彼の本心の言葉だ。それを、麒麟は嬉しく思わないはずがない。
「私は、あなたがいるから弱くなります。あなたに会えず、一人でいるのが辛いです」
二人は感じていた。この空を切るような虚しい感じはなんなのだろうと。トウテツは、麒麟を愛しているのか憎んでいるのかわからない、と思っている。麒麟もまた、そう感じているのかもしれない。二人は、その使命の違いから、決して相容れないのだから。この逢瀬がどれだけ無意味で、虚しいものか、二人は意識はしていなくとも、感じている。二人は物理的に近い場所にいる。だが、心は遠く離れているのかもしれない。安らぎを求め、二人は会う。だが、お互いの心の隙間を埋めることなどできはしないのかもしれない。その寂しさを感じ取った麒麟は、つぶやく。
「……私は、あなたと会っている時でさえも、孤独なのかもしれません」
麒麟の瞳には、涙が浮かんでいた。トウテツはその距離を物理的に埋めた。手を取る。
「それは、俺も同じでしょう。あなたとは立場が違いすぎる。理解し合えることができるとは思っていない。でも、会わずにはいられない。俺にはあなたが、あなたの存在が必要なんです」
麒麟の瞳から涙が流れる。麒麟は眠らずに、ほとんどの時間を一人で過ごす。彼女は孤独に押し潰されそうなのだ。
「私は、あなたがしようとしていることとは、正反対のことを祈ることしかできない存在です。それでもですか?」
「それは、今は考えないでください。……俺はここには来ない方がいいでしょうか?」
トウテツは心の中で付け足す。今は考えたくない。でも、いずれは、麒麟とは敵対するのだとうということを。敵対するのに、会うことはしないほうがいい。だが、状況と心は別のものだ。心は麒麟にどうしようもなく惹きつけられる。
「いいえ。私は、あなたに会いたいです。これからも来てくれますか?」
麒麟のこの言葉は、寂しさを紛らわせるためのものだと、トウテツは知っている。別にトウテツでなくとも、自分に会いに来てくれる人ならば誰でもいいはずだ。それを考えてしまったトウテツは自嘲する。麒麟はそれに気づかない。孤独の寂しさで目が曇っているし、トウテツが隠しているからだ。
「はい、もちろんです。本当は、あなたを一人にしたくない。一緒にいたい。俺に役目がなければ、昼にも自由に動ければ、あなたと一緒にいます」
口にしたトウテツの願いに一片の迷いも偽りもない。純粋な願いだ。しかし、その願いを叶えられる者は、この世界にはいない。
「その気持ちだけで嬉しいです。ありがとう」
孤独を知る者は、他者に優しくなれるのかもしれない。他者を渇望するのかもしれない。孤独は寂しすぎるから。トウテツしか頼ることのできない麒麟は、トウテツにしか優しくできない。
「あなたが、どうか心安らかになれますように」
「……俺が心安らかになれるのは、この世界が滅んだ時だけです」
トウテツの表情が無表情になる。その表情を麒麟は恐いと思う。トウテツにそんな表情をさせてしのが悲しかった。麒麟の瞳から涙が零れた。
「あなたを泣かせたかったわけじゃないんです。すみません」
「いいえ。事実は受け入れなければなりません。泣くのは、運命に抗うことができないからです。ただ、悲しいだけです」
トウテツはそっと麒麟を抱きしめた。心の距離は埋まらないけれど、物理的距離は埋まった。