⑭黒竜(悲劇のフォルトナ)
ふわりふわり。
桜が散る、薄紅色の世界。
そこは、夢のような場所。
夢のような牢獄。そこに黒竜がいた。
「桜が散る夢のような場所。貴女がこんな場所にいるなんて、青竜は全く気付いていませんよ?」
その場所に行く時だけは、闇から溶け出ることができなかった。少し歩いて移動しなければ、トウテツでさえ、この場所に足を踏み入れることはできない。応竜島の最果て。それが、黒竜の存在する場所。牢獄のように閉じ込められているのだ。
「何しにきたの? 私は、あなたに話すことなんて一つもないわ」
「貴女にはなくてとも、俺にはあるんです」
「私は早くここから出たいの。早く現実世界に戻りたいの。わかるかしら?」
「それには、同意しますが、それには、青竜に俺が勝たなければなりませんね」
「青竜が勝つに決まってるでしょ。私は、婚約者を信じてる」
「立場が違うので、そのことを話しても平行線なので、やめておきます」
トウテツは、ふっと足を止めた。
「あなたには、兄弟がいますか?」
「私? 妹が一人いるわ」
「その人が好きですか?」
「大嫌いよ」
「……なぜですか?」
「だって、私と違って大切にされているんだもの。ただ、自由ではないけれどね」
「閉じ込められているということですか?」
「でも、怖い思いはしなかったわ。名ばかりの旧家で、矜持だけは馬鹿高い両親のおかげで、家の財政は悪化して、どうしようもなくなったの。その時に、妹は孤児院に預けられた。それから会っていないの。怖い人たちがたくさん来て、怖いことをたくさんされた。両親は妹だけを逃がしたの。私は、旧家の家の名が欲しい企業の息子と婚約させられた。だから、両親も家も助かった。青竜は本当に良い人だったから良かったけど、正直、婚約なんていやだった。私のこと道具としか思ってない。私の意思は関係ない。道具にされるなら、逃がされた方がいい。だから、妹は嫌いよ」
「……その妹は、両親や貴女に会えるのですか?」
「いいえ、財政が持ち直してからは、妹がいる孤児院に寄付はしても、私は会ったことがないわ。両親も忙しくて会っていないと思うわ」
「捨てられたと同じですね。その妹は」
「どうして? 怖い思いも道具として使われることもないのよ? 守られてるわ」
「そばにいないのに守るなんて、できるはずないでしょう。貴女は妹を捨てたに他ならない」
「あなたには、わからないわ! あの子が私より不幸なはずない!」
「……ある少年の話です。少年は母親しかいませんでした。しかも、母親は病気がちで入退院を繰り返していました。母親は、天涯孤独だったので、少年は頼れる人もいなく、孤独でした。お金も、生きていく知恵もなく、一人で生きていかなくてはなりませんでした。でも、少年は自分が不幸だとは、一度も思ったことがありませんでした。少年にはそれが現実で、当たり前のことだったからです。不幸って何ですか? 貴女は自分のことを不幸だと言う。貴女は本当に不幸なのですか?」
黒竜は何も言えなかった。
トウテツの動きが止まった。一瞬、眉を顰めて、それからゆっくり微笑むトウテツを黒竜は不審に思った。
「……どうやら、北が混沌に飲み込まれたようです」
「何を言っているの?」
「貴女を青竜国へお連れする準備が整った、ということです」
「青竜に会えるの?」
「ええ、会えます。貴女が黒竜であればこそ、会うことができます」
「青竜に会えるのが楽しみだわ」
黒竜は知らない。彼女こそが、青竜の運命を狂わせていることに。
まず初めは、現実世界で。青竜には、結婚を約束した女性がいた。だが、選んだのは黒竜だった。青竜の心の中を現在では知ることができないが、彼は、愛よりも家の繁栄を選んだのだ。黒竜は、青竜にとって、運命を狂わす相手だ。だが、黒竜はそのことに気付いてもいない。彼女は、ただ、一途に青竜を思い続けているだけだ。そう、仕向けられていたのだ。青竜もまた同じだ。状況に、悪意に、大人達に。運命という名の必然に。
運命の歯車が歪んだ方向へ、廻り始める。