⑪西虎消滅
「朱雀国が堕ちたそうです」
ヘイカンが言った。その表情や声から感情は一切読み取れない。ヘイカンは最強の武官だ。統率力に長け、剣技にも優れている。ヘイカンがいるから西虎国も平安が保たれていると言っても過言ではない。
「朱雀国が……トウコツ、何か知らないかい?」
「知るわけないでしょ。西虎が私を離さないから、動けないわ。知っている情報は同じよ」
「だって、トウコツの能力は魅了だろう? 他の誰かに見初められて、連れ去られてしまうかもしれないからね」
ある意味、それは正しい。人は皆、トウコツに魅了され、言いなりになる。しかし、西虎には、能力が聞いているのか、いないのか判別がつかない。魅了はできているようだが、操ることが上手くいかない。彼が西虎だからだろうか。本当は、始終一緒にいるのは嫌なのだが、西虎がトウコツを離さない。トウコツに物理的な力はない。女性としての腕力しかないのだ。腕力で男の西虎に敵うはずがないない。いつも無理やり、共に行動させられる。
「西虎様、事態は重いですよ。四凶と名乗る者が現れたそうです。その者達は四人いて、この世界を滅ぼすために存在しているようです。恐らく、西虎国にも来ているでしょう」
「そうかもしれないけれど、今は何ともないからいいじゃないか」
「貴方のそういう楽天的なところは、長所でもありますが、短所でもあります。手を打っておかなければ、手遅れになることもあります」
「ヘイカンがいるから大丈夫だ。ホロウだっているじゃないか」
そう自信たっぷりに言われると、ヘイカンは、何も言えなくなる。頼りにされていることが嬉しいのだ。
「ねえ、ホロウ。私を砂漠に連れて行ってほしいの。女二人で行きたいの。西虎いいでしょ?」
「……いいよ。ホロウが一緒なら安心だ」
西虎は渋い顔をしたが、許した。
「ホロウはいい?」
「……わかりました」
砂漠には、ラクダに乗って一時間くらいだった。強い陽射しに耐えるため、頭に布を被る。
「砂漠は、とっても綺麗ね。そして、残酷なところね」
「そうですね、弱いものは、簡単に死ぬ。あなたもです。どうして、わたくしと?」
「ホロウは、西虎が好きよね?」
「そのようなことありません。大切な我が王です」
真っ赤になるホロウを、トウコツは可愛いと思った。
「私は、西虎の妻ではないし、これからもそのつもりはない。安心して。しばらくしたら出ていくわ。砂漠で迷っていて、ちょっと休む場所が欲しかったの。西虎は私を休ませるために嘘をついているだけよ。恐れ多くて西虎城に遠慮していたから。客人よりも妻の方が居やすいと思ったんじゃないかしら。私が出ていく時に撤回するはず。」
「それならば、早く出て行ってください」
ホロウのきつい言葉が浴びせられた。トウコツは知っていた。ホロウにも魅了の能力が上手く聞いていないことを。同性には著しく効かない能力。なんて不自由な能力なの、とトウコツはホロウに見えないように爪を噛んだ。
西虎はトウコツをどこに行くのにも一緒に連れて行った。しかも、夜は一緒のベッドで寝ないといけないのが、トウコツにとって苦痛だった。寝る前に西虎は必ず言う。
「トウコツ、危なくなったら、トウコツであることを放棄するんだよ」
「私は危なくなるの?」
「君がトウコツである限り、危なくならないとは言えないんじゃないか?」
「あなたが、守ってくれると思っていたんだけど?」
「もちろん、守るよ。でも、絶対ではないよね。オレはどうなってもいいけど、君だけは無事でいてほしいんだ」
寝る前に西虎は必ず、こう言う。一緒に過ごした夜全部だ。トウコツは、それを否定している。四凶のトウコツが危なくなるわけない。そう思っていたからだ。
西虎が寝付いた頃、闇から声が聞こえた。
「トウコツ」
トウコツは笑顔になった。この国で見せたことのないような破顔だった。
「トウテツ!」
窓辺のヘリに腰かけていたのは、四凶の長、トウテツだった。
「しっ! 静かに!」
「どうしたの?」
「守備はどうですか?」
「全然……私、四凶に向いてないのかしら? どうやったらこの国を滅ぼすことができるのか皆目見当もつかないの……私の能力は異性限定なの」
少し考えて、トウテツがトウコツに問う。
「……あなたは、西虎が好きですか?」
「いいえ、好きではないわ。長く一緒にいるから、情は多少わいたかもしれないけれど、それだけ」
トウテツはベッドで寝ている西虎を見た。
「……では、俺のことは好きですか?」
「もちろんよ! トウテツのこと尊敬してるわ!」
嬉しそうに言うトウコツは、何も気づいていないようだ。西虎は起きている。
トウテツは微笑んだ。
「ありがとうございます。あなたなら、できます。がんばってください」
「はい!」
その日から、西虎が目に見えておかしくなった。
ホロウがトウコツを揶揄すればするほど、西虎は言う。
「君は頼りになるけれど、トウコツに比べたら女性らしくないね」
「気の強い女性より、トウコツみたいに謙虚な方が好きだな」
「ホロウは強いね。あ、でも、トウコツはそのままでいいよ」
西虎の笑みは次第に病的になっていった。そんな西虎に怯えるトウコツを見かねて、ヘイカンが彼女に声をかけていた。
「顔が真っ青です。大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとうヘイカン。大丈夫よ。気にしてくれてありがとう」
その会話を聞いた西虎がヘイカンを怒鳴りつけた。
「彼女はオレだけのものだ! 誰の許可を得て我が妻に話しかけている!」
西虎の評価は地の底まで落ちていた。彼は、妻を寵愛し狂った哀れな王だ。
「ねえ、やめてくれる。そんなこと言われたって嬉しくないわ!」
「君までそんなことを言うの? 君を手放したくなくて必死なのに」
どんなにトウコツが言っても、西虎は、耳を貸さなかった。
ホロウは西虎国のこれからを思うと不安で眠れなかった。これからどうなってしまうのだろう。自分とトウコツを比べる発言、ヘイカンを怒鳴りつける西虎。そんな姿は、今までみたことがなかった。部屋の外のテラスに立ち、思案に耽っていた。
「トウコツが来てからだ! あの者さえいなければッ……!」
「では、その者を亡き者にすればいい」
ホロウの前に黒い印象の男がいた。闇から溶け出たような男だった。
「貴方は誰だ?」
「俺の名前はトウテツと言います。四凶の長です」
「この世界を滅ぼすという?」
ホロウは持っていた剣をトウコツに突き付けた。
「ええ。ですが、俺は青竜国にしか手を出せないのです。俺があなたを害することはありません。それよりも、トウコツです!」
「西虎様の妻のトウコツのことか?」
「ええ、ご存じないかと思いますが、トウコツは四凶の一人です」
「そんな馬鹿な! 西虎様はそれを知っているのか!」
「知っています。彼が西虎であるならば、必ず知っています。そういう理になっていますから」
「では、なぜ、西虎様はトウコツを妻などと言ったのだ!」
「トウコツの能力は魅了です。西虎も魅了されているのでしょう」
「なんてことだ!」
「俺も困っているのです。彼女は、西虎国を滅ぼすという任務を放棄し、西虎に代わり西虎国を支配しようとしているのです。四凶の長として、俺は、彼女に制裁を加えたい。ですが、俺が、トウコツに直接手を下すことは、この世の理上できないことなのです。西虎国の未来を考えるならば、あなたはトウコツを放っておくことはできないはずです」
「当たり前だ! 西虎様がおかしくなったのは、やはりトウコツが原因なんだな!」
「そうだとも言えますが、そうだとも言えないのですよ」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、俺は伝えました。どうするかは、あなた次第です」
ホロウの目には、薄暗い炎が宿っていた。裏切られた、と思った。西虎にも、そして、トウコツにも。
その足で、すぐホロウは西虎の寝室に向かった。
「西虎様!」
「……どうしたんだい、ホロウ。こんな夜分に」
西虎は半分寝ているような状態で起き上がった。トウコツに至っては起きてもいなかった。
「その者は、四凶の一人、トウコツです!」
「知ってるよ」
騒ぎを聞きつけたヘイカンが駆け付けた。
「何事ですか?」
ホロウの顔色が変わった。
「知っていて、その者を妻にしたのですか?」
「ああ、そうだよ」
ホロウは、西虎に主従以上の好意を抱いていた。彼のことが好きで仕方なかったのだ。だから、ホロウはトウコツに激しく嫉妬した。彼女は、西虎を諦めようとした。だが、トウコツが四凶の一員であると裏切られた。嫉妬の炎は燃え上がった。
「何?うるさいわね」
トウコツが目を擦りながら、起き上がった。
「おまえのせいで!」
ホロウは、トウコツ目がけ切りつけた。切り付けられる時、トウコツの頭の中にあったのは、西虎のいつも語っていた言葉だけだった。
「私は、トウコツであることを放棄します……!」
ヘイカンが、トウコツを守るように立っていた。そして、西虎には、血が返っていた。
「西虎様……なぜ……?」
ヘイカンにも血が返っていた。切り付けられていたのは、ホロウだった。心臓を一突きにされて、床に転がっていた。
「もう、西虎と呼ばないでほしい。オレは西虎であることを放棄した」
「どういうことですか?」
「ヘイカン、君さえいれば、例えオレが西虎であることを放棄しても、西虎国の領土は決して滅びない。勝負には負けた。けれど、領土は守れた。そこだけは、オレの勝ち」
「西虎国は、この世界が終わる時まで滅びることはなくなったよ。ヘイカン、後のことは頼む」
震えて、茫然としているトウコツに、西虎が近づく。西虎の影に彼女の身体が震えた。
「オレのこと軽蔑した?」
トウコツは茫然としたまま答えない。
「オレはこの世界よりトウコツが大事だ」
「どうして!私を好きだったのは能力のせいだったんでしょ!」
「君の能力は、オレにはきかないよ、最初から」
「最初から?」
「オレは君に一目惚れしたんだ。好きだ。君がトウコツを放棄しても、オレは君が好きなままだ」
二人は見つめ合ったまま掻き消えた。残されたヘイカンと刃の刺さったホロウだけがその場に残された。
こうして、西虎国の勝敗は決した。西虎の勝利によって。
強制移動による、目が回り具合の悪くなるような移動空間の中、トウコツはつぶやいていた。
「これが、私の限界。四凶のみんな、ごめんね。後は、任せるわ」
トウコツは全部知っていたのだ。自分が力不足であることも、西虎がトウコツの能力の魅了にかかっていないことも。
「協力してくれてありがとう、トウテツ」
トウコツは目を閉じた。