33. 異変
――あそこの……
――え……でもあの家は……
――駄目。もう今日は……
家路を辿る真琴の耳が、辺りの霊のザワつく声を捉えた。
ヒソヒソと囁き合うそれは、どこか切羽詰まった様な響きを乗せて遠ざかって行く。
一度足を止めた真琴だったが、再び歩を進める。
街頭の照らす道に、彼女の影は映らない。
駅の近くまで来ると、流石の真琴でもその異変に気が付いた。
(誰も居ない……?)
いつもなら生者亡者問わず賑わうこの場所。
しかし今は生きた者の姿は見れど、霊の姿は一人も見付ける事が出来なかった。
「えー? でもさぁそれって――」
異様な光景に足が竦む真琴の傍を、茶髪の女が電話越しで話しながら通り過ぎた。
弾かれた様に歩き出し、早足で家まで向かう。
繁華街を抜け、行き交う人すらも少なくなった時、彼女は背後からねっとりとした視線を感じた。
背中を駆け抜ける悪寒に、このまま走り抜けようと足に力を込めたのだが、それを止めたのは見知った声だった。
「やっぱり桜庭さんだ。よかったぁ、もし違う人だったらどうしようかと思った」
振り向いた真琴の顔を見て、安心した表情を浮かべるのは八雲旭だ。
彼は「あっ」と小さく声を上げると、鞄から携帯を取り出し、それを耳に当てた。
「ごめんね、周りには一人で話してるように見えるから」
「ううん。気にしないから」
「久しぶりだね。何度か寺に来てくれてたみたいだけど、兄さんが来るなって煩くて」
それなら今も話さない方がいいのではと問われると、旭は「内緒ね」と小さく肩を竦めた。
「八雲さんも今帰り?」
「そうそう。高校ん時の友達と飲んでてさ。もって事は桜庭さんも帰るの?」
「うん。夜はいつも家に帰る事にしてるから」
「あ、俺も一緒! 夜は絶対帰る様に言われててさ。兄さんは結構夜遊びとかしてるみたいだけど」
口を尖らせ不満を漏らす旭。
それを聞いていたかの様なタイミングで耳元の携帯が鳴り出し、驚いた彼は危うくそれを落とす所だった。
「――びっくりしたぁ。噂をすれば……もしもし兄さん? え? 今帰ってる所だよ。えーっとここは小紋時町の――え? ……うん。分かった」
電話を切り、苦笑を浮かべる旭に、真琴は子首を傾げる。
「駅まで戻れってさ。よく分かんないけど、この先は危ないんだって。兄さんが迎えに来るって言ってるから、桜庭さんもおいで」
「え、でも会った事知られない方がいいんじゃないの?」
「そうだけど……やっぱり危険だって所を女の子一人で行かせられないし」
「え」
「それにね、実を言うと俺も桜庭さんが一緒に居てくれた方が心強いというか……」
弱々しく笑う旭に、言葉が詰まる。
洋平からは寄り道せずに帰れと言われた。しかしこのまま旭を一人で行かせていいものか……
(何が危ないのかは分かんないけど、南雲さんが止めるくらいなら、私も行かない方が……いい、のかな……?)
「分かった」と頷くと、旭の笑顔が弾けた。
一抹の不安は残るが、これでいいのだと自身を納得させると、真琴も笑みを返した。




