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さくらのはな  作者: 日縒 千夜
間章
32/59

クレーム


 ――春は入れ替わりの季節だ。

 学生は社会人に、社会人は転勤で新たな地に。

 それは辻ヶ花でも例外でなく、不動産会社は慌ただしい日々を送っていた。


 フラワーエステートとプリントされた社用車で、営業先を回る男女――津辻(つつじ)愛子(あいこ)萩尾(はぎお)(まもる)もまた然りだ。


 忙しい時期だというのに、去年入ったばかりの衛の教育係に抜擢された愛子は、助手席で本日何度目かの溜息を吐いた。


「……そこを右」

「はい!」


 手元の資料を見ながら指示を出す。

 朝一のクレームに追われ行けなくなった他の職員から預かった資料なのだが、所々誤字があったり、隅に落書きがしてあったりと、大変見にくい物となっていた。


「――田崎さん、大丈夫ですかね。お客様かなり怒ってましたね……」

「そりゃあ買って一月やそこらで家に霊が出たら、文句の一つでも言いたくなるでしょ。まあ、あの家は事故物件でもないし、見たのもその一回だけって事だから見間違いで通すと思うわよ」

「その、やっぱり事故物件だと出る事もあるんですか?」

「……さぁ。でも……事故物件かどうか関わらず、嫌な雰囲気な所はあるわね」

「そ、そうなんですね」

「そこ左」


 沈黙に耐えかねて話題に出したのは、朝のクレームの事。

 買ったばかりの家に男の霊が出たと言うのだが、そこで誰かが死んだという情報は無く、それを伝えた後も男は納得せずに調べ直せと激昂していたのだ。

 社長の花菱が出た事で落ち着きはしたのだが、初めて修羅場を見てしまったと肩身の狭い思いをしていた衛。愛子から外に出ると声をかけられた時は内心かなり喜んだ。


「その……気味が悪い物件ってどんな……?」

「空気が澱んでいるというか、暗い。頭痛がする。耳鳴りがする。変な音が聞こえる」

「変な音って! モロじゃないですか!!」

「前見て運転! とにかく、これ以上ここに居たくないって直感で分かるわ」


 思わず助手席を振り向いた衛に厳しい声がかかる。

 自分から始めた話だというのに、先程から何度もバックミラーで後部座席を確認している衛に再び溜息を吐くと、「もし、」と続けた。


「一人で回っている時におかしいと思う物件に当たったら、すぐに出る事ね。一度社に戻って調べる。どうしても行かなきゃいけない時は、誰かを連れて行くとかね」

「つ、津辻さん~!」

「私が教育係の間は私でもいいけど、独り立ちしたら別の人にお願いね。私も出来れば関わりたくないから」


 すっかり怯えた衛を励ますため、微かに口許を緩めた愛子だが、彼女の体にも確かに力が入っており手元の資料がくしゃりと音を立てた。


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