第八幕
今日は桂さんにえげれす語を教えるため、長州藩邸にお邪魔している。
「ま~だ~お~わ~ら~な~い~の~か~」
高杉さんがつまらなさそうにゴロゴロと畳の上で転がっている。
「全く子どもじゃないんだから、シャキッとしないか」
桂さんは呆れている。
「じゃあ、ここまでにしましょうか」
「ああ、ありがとう」
本を閉じて高杉さんを見る。
「終わったか!?」
嬉しそうに目を輝かせこちらを伺う。
「終わりましたよ」
「よし!遊ぶぞ!」
そう言って勢い良く立ち上がる。
「ゴホッゴホッ」
と高杉さんがむせる。
「風邪かい?」
桂さんが心配そうに聞く。
「そうかもしれんな」
だが、大丈夫だ!と高杉さんは言い張る。
「ちょっと待ってろ。薬を持って来る」
桂さんが立ち上がる。
嫌な予感がした。
そして、ふと思い出す。
確か、高杉晋作は志半ばで亡くなったはず…
原因は……結核!
パッと高杉さんを見る。
「どうした?そんな怖い顔して」
とわたしの頬を指でつつく。
「ちょっといいですか?」
高杉さんの胸に耳を当てる。
「な、何だ!?急に!!やっと俺の物になる決心がついたのか」
そう言ってギュッと抱き締めてくる。
スーッスーッ。
呼吸音を聞いた限りではまだ症状は出ていない。
顔を上げて
「咳き込むことはよくありますか?」
「ん?いや、ないぞ」
「そうですか」
じゃあまだ発症はしていない。
「あの、離してください」
「今さら照れるな」
離すどころか抱き締めている腕を強める。
「何しているんだい?」
桂さんが薬を持って戻って来る。
わたしから高杉さんを離してくれる。
「おい、小五郎。少しは気を使え」
「何の気にだい?」
「何って決まってるだろ」
「さあ、さっぱり分からないね」
ブツブツ高杉さんは文句を言っている。
「桂さん、ちょっといいですか?」
部屋を出て桂さんに話す。
「高杉さん、かかりつけのお医者さんはいますか?」
「医者かい?まあ、いることはいるが、それがどうかしたのかい?」
「わたしが未来から来たこと信じてくれますか?」
「もちろんだよ」
「ありがとうございます。では、率直に言います」
「何だい?」
「高杉さんは病気で亡くなります」
「え?晋作がかい?」
「はい」
桂さんの顔が深刻になる。
「何の病気で?」
「結核…ここで言う労咳です」
「労咳…」
「確かこの時代では、不治の病ですよね」
「ああ、中には治るものもいるが治療法はない」
「そうですか」
「このこと晋作には?」
「言ってません」
「そうか、本人には伏せておこう」
「はい、先ほど肺の音を確認しましたが結核特有の音はしませんでした」
「君は医学も分かるのかい?」
「はい、父が医者なので少しだけ学んでいました」
「そうだったのか」
「かかりつけのお医者さんと会わせてもらえますか?」
「分かった、伝えておくよ」
「よろしくお願いします」
部屋に戻ると高杉さんが薬を飲んでいた。
「うえ~何でこんなに不味いんだ」
「良薬口に苦しって言うだろ?」
「それにしても不味いっ!!!」
「早く治してくださいね」
「こんなの明日には治ってるさ!」
ニッと笑う高杉さん、つられてわたしも笑う。
「それじゃあまた来ます」
「おう!」
迎えに来てくれた慎太さんと寺田屋に戻る。
次の日、桂さんから手紙が届く。
かかりつけのお医者さんと会えるように話しをしてくれたみたい。
指定の場所へ向かうと桂さんと優しそうなおじいさんがいた。
「この方が先ほどお話したナナさんです。彼女は南蛮で医学を学んでいます」
「ナナと言います。よろしくお願いします」
「わたしは緒方洪庵と申します」
「…!」
緒方洪庵ってあの有名な?
「実は、彼女はある病に効く薬を作ろうとしています。先生にも協力して頂きたいのです」
「その病とは?」
「労咳です」
「…!労咳に治療薬はない」
「ですが、労咳は治ります。わたしがその薬を作ります。でも、わたし一人では出来ません。どうか一緒に薬を作ってください!!」
深々と頭を下げる。
「協力して頂けますか?」
「わたしも妻を労咳で亡くしている。ぜひ協力さてもらうよ」
「「ありがとうございます!!」」
桂さんとわたしはこれでもかと言うくらい頭を下げる。
「では、診療が終わった後にわたしの部屋でやろう」
「はい!よろしくお願いします!」
「送り迎えはわたしがさせてもらうよ」
「はい!お願いします」
「では、さっそく明日から始めよう」
「はい!」
帰り道は無言で歩いていた。
「……」
「……」
「桂さん、高杉さんの様子注意して見ていてくださいね」
「ああ、わかった」
「大丈夫ですよ。高杉さんは大丈夫です」
「そうだね」
「わたしが絶対助けます」
立ち止まり、桂さんを見据えて言う。
「君は強いね」
「わたしを信じてください」
「ああ、君を信じるよ。晋作を頼んだよ」
少し寂しそうに桂さんが微笑む。
寺田屋に着いて、武市さんの部屋に行く。
コンコン。
「ナナです。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
スッと障子を開けて中に入る。
「珍しいね。どうかしたのかい?」
「武市さんにお願いがあって来ました」
「お願い?」
「はい、医学書を貸していただけないでしょうか?それと漢方、薬草の本も」
「それは構わないがどうしてだい?」
「どうしても助けたい人がいるんです。少しでも何か役に立つものがあれば何でも知りたいんです!」
「そうか。何か事情があるようだね。詳しくは聞かないでおくよ。だが、何か困ったらすぐに言うんだよ?」
「はい!ありがとうございます」
そう言って、分厚い本を数冊貸してくれた。
自室に戻って武市さんから借りた本を開く。
「字は難しいけど読めなくはないな。よし、絶対作ってみせる!!」
ガッツポーズをしてまた本に目を通す。
月が上ってもまだ本を読んでいた。
気づいたら空が明るくなっていた。
「わ、もう朝?」
急いで台所に向かう。
「ナナはん、おはよう」
「女将さん、おはようございます。すみません、寝坊しちゃって」
「ええよ。これ運んでくれる?」
「はい」
朝餉を部屋に運ぶ。
「ナナちゃん、おはようございます」
「おう、おはようさん」
「おはよう」
「みなさん、おはようございます」
朝餉を食べる。
「そういえば、昨日貸した本は読めるかい?」
「あ、はい。全部読みました」
「え!?貸した本、全部かい?」
「はい」
「すごいな、十冊は軽くあったと思うが…」
「とても勉強になりました」
「そうか、それなら良かった」
「夕刻、少し出ますがよろしいですか?」
「ああ、構んが一人で大丈夫かの?」
「桂さんと一緒です」
「桂さんと?」
「はい、なのでご心配ご無用です」
「ほうか」
朝餉を食べ終えて、みんなはそれぞれの仕事へ向かう。
昼は家事をする。空いた時間に医学書を読む。
夕刻には洪庵先生のご自宅で薬の研究をする。
そうして、一週間が過ぎた頃。
「ナナさん!」
桂さんが慌てて寺田屋に駆け込んで来る。
「どうしたんですか?」
「晋作が!」
「!?」
急いで長州藩邸に向かう。
高杉さんは部屋で眠っていた。
おでこに手をあてて熱を測る。
「熱はないみたいですね」
腕を取って脈を測る。
「脈も正常です」
「そうか、良かった」
「でも、予兆かも知れません。油断は禁物です」
「ああ」
高杉さんが目を覚ます。
「ん?ナナか?」
「はい、気分はどうですか?」
「んー、少し頭が痛い」
「大丈夫か?」
「ナナが膝枕してくれたら治る」
「え?」
「全く心配して損した。白湯を入れてくるよ」
桂さんは呆れて部屋を出る。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ!どこも痛くも痒くもない!」
「良かったぁ」
ホッとため息をつく。
急に腕を掴まれて引かれる。
「わ!?」
そのまま高杉さんの胸に抱きとめられる。
「そんなに心配してくれたのか」
「当たり前です」
「そうか」
ドクンドクン。
高杉さんの心臓の音が心地よく聞こえる。
「好きだ」
「え?」
「俺はお前が好きだ」
「た、高杉さん?」
顔を上げるといつもと違う真剣な顔。
「お前がどこの誰でも構わない。こんなに愛しいと思えるのはお前だけだ」
チュッとおでこにキスをされる。
どうしたらいいのか分からず戸惑っていると
「今はまだいい。その時が来たら返事を聞かせてくれ」
「…はい」
ドキドキと鼓動が速くなっていた。
桂さんが戻って来て少し話をしてから寺田屋に帰る。
自室に戻ってゴロンと仰向けになる。
胸に手をあてるとまだドキドキしていた。
「あんな真剣な高杉さん初めて…」
さっきの様子を思い出す。
「あー!!ダメダメ!集中しなきゃ!」
机に向かって本を開く。