第9話
決して人の訪れることのない険しい山々の間に、かつて栄耀栄華を誇った帝国の居城があった。帝国が滅びて数百年、その古城は人々の記憶から既に消えて久しい。
古城の最奥、かつて皇帝の間と呼ばれていた広間に、黒いフードを被った者達が集まっていた。広間は暗く、黒い者達の周りにロウソクの明かりが灯っている。
「グラフィトスが敗れた」
黒い者達の一人がそうつぶやいた。グラフィトスとは、クラニア城下町に住んでいたデネス商会の幹部ロジャーズが変化した異形のモノの名前だ。
グラフィトスはルミを体当たりで崖下に落とした後、ロレンス達に倒された。
「やったのはクラニア王国の魔法アカデミーの連中か」
「あの裏切り者が建てた魔導院の子弟が、時を越えて我々の邪魔をする、というのか」
「だが、氷のジュエルは我々の手にある。これで封印が弱まり、まもなく十悪が復活するだろう」
「太古の昔、地上のあらゆる生物を蹂躙した伝説の魔獣、十悪か」
十悪はその名の通り10匹の恐るべきモンスターだ。人智を超えた力を持つ十悪はその力の根源を共有している。力の根源を10等分しているので、根源が100とするなら、1匹あたりが持つ力は10しかない。しかし、魔道士によって十悪のうち1匹が倒されたとしても、その1匹が持っていた力は消滅せずに一度根源に戻り、残っている9匹に改めて分配される。2匹目、3匹目と倒されていっても、根源の力の総量は変わらず100のままで、残っている十悪に均等に分けられていくのだ。
「つまり、十悪の数が減れば減るほど、残っている魔獣の力は強大になると」
「うむ、十悪が魔道士に次々と倒されていき、最後の1匹になった時、その魔獣の力は神々を凌駕するだろう。地上のあらゆる生物は死に絶え、我々のみが残るのだ」
「その時、我々の悲願である理想郷が地上世界に誕生する」
「我々が十悪を滅する事はできん。あの裏切り者の弟子どもに奮起してもらうとしよう」
「その為にも残りの3つ、火、風、土のジュエルも手中に収めねばなるまい」
「ところで、氷のジュエルを奪ったときその場にいた魔導院の小娘だが……。奴はもしや、アジャセの子ではないのか?」
アジャセの名が出ると、黒い者達の間に流れていた空気が変わった。唾棄すべき呪われた名だ。奴はもう死んだ。もはや我々の脅威ではない。
「死んだかどうかはわからん。大穴に落ちて生死を確かめる術はない。小娘も崖に落ちてもう助かるまい。我々を脅かす不安要素はもうない。ようやくだ、1万年待ったのだ。もうすぐ夜明けの時だ」
もう三日も獲物を逃している。おかしらの堪忍袋の緒も限界だろう。ヘイデンは焦っていた。何か金目のものを取らないと。
そう思いながら村はずれの川まで来たヘイデンは、川辺で誰かが倒れているのを発見した。ヘイデンは最初、天使が空から落ちてきたのかと思った。そこに倒れている少女は今まで見たこともないほど美しい少女だった。
「だ、大丈夫か?」
おそるおそる近づいて声をかける。もしや死んでいるのでは?と思ったが、まだ息はあった。気を失っているだけだ。少女の顔は吸い込まれそうなほど美しい。まだあどけない可憐な表情だが、どこか大人びた妖艶さも感じさせる。年はまだ十代前半くらいだろうか。酒場のねーちゃんみたいなムチムチした身体ではなく、ひょいっと持ち上げられそうな華奢な身体だ。それでも黒ニーソックスとローブの間の太ももは、大人の女性のような色気をにじませている。
「ううん……」
少女の目が開いた。右眼の色と左眼の色が違う。なんてこった、そっくりだ。倒れていた少女ルミはきょろきょろと辺りを見渡した。
「ここは……?」
「気がついたか?君、なんでこんなとこで倒れてたんだ。怪我はないのか?名前は?」
ルミは目の前にいる人物を見る。十代後半の、どこか憂いを帯びた瞳をした少年だ。
「わたしはルミ。アカデミーの見習い魔道士です……」
「アカデミーの学生か?すげえな!オレはヘイデン。この近くのゴウレ村に住んでる」
ヘイデンは魔道士を見るのは初めてだった。彼のような平民にとっては雲の上の存在だ。ヘイデンはぼーっとルミの姿を見ていたが、ふと、彼女の腰に下げている短剣が目に止まった。金目のものだ……。ヘイデンの脳内に2つの顔が浮かぶ。1つは激怒するおかしらの顔。もう1つは……。
「なあ、ルミ。うちで休んでいかないか?もう日も暮れそうだし、怪我してるかもしれないだろ?」
ルミはこくりとうなずいた。ヘイデンの中で良心が痛む。こんなあどけない子供の大事そうなものを盗もうというのだ。しかし、2つの顔を思うとやらないわけにはいかなかった。ヘイデンはルミに気づかれないよう静かに短剣に手を伸ばした。




