白の記憶
とんでもない夢を彼、『尾張 一』は見ていた。
耳を裂くのは兵士たちの怒号。鼻に衝くのは赤錆のような臭い。口に広がるのは荒野のジャリッとした砂。見えるのは真っ赤な湖と見間違う鮮血。
その全てが夢を夢ではないと悟らすのに十分な刺激を受ける。そして手には蒼き鋼の刀。
この平和な日本で裏の世界でも知らなければ使うことはないであろう殺傷のための武器、刀。
日本では平凡な少年である彼には無用の長物であるその刀が一種の驚きを伴って手になじむ。
はるか前から神が鍛えた神剣と謳われた誉れある刀が今はこの荒野と同じように真っ赤に滴っている。
周りを見渡せば味方の骸。戦場ににてただ一人。敵は無数。まさに絶体絶命、もしくは四面楚歌。
しかしながら群がる兵士に致命傷を許しはしなかった。
斬って、殺して、殴り捨てる。
一心不乱に一生懸命に剣をふるう。自分が生きるために。わが故郷を守るために。そして愛する人をこの手で守るために。縦横無尽に鬼神の力を振るう
鬼神、比喩ではなく赤き闘気は身を滾らせ、神に通ずるその力は彼に圧倒的な武力を可能にさせている。
ただし体に余計な力みは一切なく柔く強かに敵を殺す。
いつまでそんな事を繰り返しただろうか。
荒野は屍の山と化し、敵を全て討ち取った武勲者であるにも関わらず鳴る凱歌は乾いた風のみ。
もうこれ以上は動かせない、満身創痍の体に鞭を打って帰路を急ぐ。
風を話し相手にして帰る孤独な帰り道…にはならなかった。
バカラバカラと蹄の音を響かして白馬がこちらに迫る。
王家にしか許されないその純白の馬に乗るのはまるで初雪を束ねたような長い髪を揺らす麗しき少女。
仕立て良く白で整えられたドレスは跳ね上げられた泥で薄汚れている。
それでも背に乗っている少女はまっすぐ彼に向って駆け馬から跳躍し胸に飛び込む。
「良かった…カムラが無事で…」
消え入りそうな声で呟く。その声はいまだ残っていた、闘気、殺気、血の臭いを洗い流すかのごとく、『カムラ』という名とともに心にしみ込んだ。
「一人でここに来てはいけないと何回も言ったじゃないか」
冷ややかな言葉と裏腹に強く抱きしめる。がすぐに膝を折り頭を垂れた。
「ノリス女王、カムラ帰還しました」
「…うん…うん」
一国の女王に忠誠を誓い一介の兵士として戦場を駆け抜ける。
その関係に二人は当てはまらなかった。
「すぐに帰らないと、国民が心配します」
「うん…ねえ、カムラ?」
立ち上がり王家にしか許さない白馬に跨ろうとする。
そんな彼を呼び止め振り返らす。無知な彼は素直に振り向いた。
「なんですか…むぐっ」
唇を塞がれ息が詰まる。女王としてはあるまじきその行為を彼は受け入れた。
「何するんだ…姉さん」
「いつもあなたが先だったから、弟に先手を取られるようじゃ姉として失格でしょ?」
さっきまで泣いていたのはどこへやら、舌を出してからかう。
「一人で行かないで、私だって本当はついていきたいのよ」
「俺だって連れていきたい、でも万一が怖いんだ好きだから故にな」
血に染まるのは自分の手だけでいい。姉の手を汚すわけにはいかない。
弟のそんな覚悟は痛いほどわかっていた。しかしこう望まずにはいられない。
「私のことを一人にしないで、暗い沼に落とさないで」
「あぁ、どれだけ深い谷に落ちようと、劫火の炎に包まれようと、深淵に呑まれても、___」
いきなりジリリリ!という音が脳内に響いた。意識は遠ざかっていく。いや覚醒しようとしている。
視界はホワイトアウトして、何も見えなくなる。深海に落ちたように体が重くなって…
彼は現世に悪魔によって引き戻された。