episode05-とんでもないオヤジ
「あいててて……ったく、体中傷だらけだよ畜生……」
「……本当に申し訳ありませんでした。勝手な早とちりで前後不覚に陥り、まさか娘を助けて頂いた恩人に刃を向けてしまうとは……」
「もう、本当だよお父さん。ごめんなさい、レンさん。普段は温和な人なんですけど、私に関する事になると急にああなっちゃうので……」
「……まあ、服ボロボロにされた娘が知らん男連れて帰ってきたんじゃ無理も無いとは思うが……でも被害を被った事実に変わりは無い、きっちり賠償でもなんでもしてもらうからな」
「ばっ、賠償ですか……父がお怪我をさせてしまったのは本当に申し訳ないんですけど、家にはあまりお金が……」
「シェリル、お止めなさい」
「お父さん……」
「今回の件は、どう考えても先走って馬鹿なことをしてしまった私に非があります。しかし娘の言う通り、我が家にはあなたの言う賠償に釣り合うほどの金銭があるか定かではありません。ですのでレンさん、一つ取引を申し上げたいのですが」
「取引?」
急に出て来た胡乱な言葉に思わず眉がピクリと上がる。さっき仕込やら開店前やら言っていたが、この部屋を一通り見渡しても、奇妙な液体が入った瓶や怪しげな粉を乗せた薬包紙っぽい紙が置かれていたりと雑多さが優先してイマイチ何の店か判断がつかない。
「はい。先程の会話からお気づきかもしれませんが、ここは冒険者向けのアイテムや一般人向けの薬剤を製造・販売している店です」
「ああ、店なのは分かってたよ。でも何の店かは部屋の中がカオスすぎて分からんかった」
「…………」
「お父さん、だからいつも言ってるじゃない。使った道具はちゃんと片付けないとお客さん来ないって。雰囲気作りだーとか言ってただ片付けがしたくないだけなんだから」
「……娘が冷たい……これが反抗期というものですか。娘の成長を感じると共に悲しさが込み上げてくるこの複雑さは……」
「ちげーよ」
店の中がやけに汚いと思ったらこのオヤジの不精癖の問題か。オッサンよ、まだ娘が呆れ顔で済ませてくれている内に片付けな。この娘が成長したらそのうち冷ややかな目で見られた後チッて舌打ちされて死にたくなる日が来るぞ。
おっとそうじゃなかった。このへこんでるオッサンの癖などどうでもいい。
「そんで、さっさと取引の内容とやらを教えてくれないか。俺まだお茶しか出してもらってない上に昨日の夕方から何も食ってないから、いい加減クエストで金稼いで飯代を稼ぎに行きたいんだが」
「おや、防具と剣を携えていたからもしやと思いましたが、やはりレンさんは冒険者でしたか。それでしたら良い物があります」
「おい、もしやって何だ。あんた俺の事何だと思ってんだ。そっと目を逸らすんじゃねえよ、こらオッサン」
オッサンは俺の追及を決して目を合わさず躱し続け、奥まった場所に設置された棚の中をゴソゴソ漁りに行く。
「おや、これでもないですね……あれ、これでもない……これでもない……」
ガチャガチャ喧しく何かを探しているオッサンを余所に、再度物が散らかり放題の店内を見回しながら。
「おいオッサン、あんた何渡そうとしてんだ。そんな場所も忘れたホコリ被ってそうな骨董品出されても納得しねえぞ」
「いえいえ、確かここにしまったはずなんですよ……確か……」
「……この店の管理ってどうなってんだ。シェリア……とか言ったな。この店の店主はお前のオヤジだろ?店の経営を片付けすらままならないオッサンに任せといていいのか?」
「はあ……一応私の目に付いた物は片付けるよう心掛けてるんですけど、気が付くとあっという間に元に戻ってるんですよ……もう最近は注意するのもウンザリしちゃって。先程レンさんが仰った通り何の店か分かってもらえず、ますます客足は遠退くばかりで……」
「店にはやたらめったら物があるくせに金が無いって言ってたのはそういう訳か……人のこと言えた義理じゃないが、大変だな、お前も……」
「おお、あったあった」
俺たち二人が貧乏の世知辛さに共感を育ませていると、空気を読まない能天気な元凶が嬉しそうなホクホク顔で変わった形の木の棒を持って来た。
それを受け取った俺はしげしげとその棒を観察するものの、一見目立つのはその先端に嵌められた青とか赤の石だけで、どう見ても攻撃手段がよくヤンキーが持ってる鉄パイプのあれ以外に思いつかない。
「……何これ、棍棒?まさかオッサン、こんな貧相な棒切れ一つで俺を納得させられるとか思ってたの?こっちはあんたの娘さんを助けたのを勘違いされた挙句、あんな理不尽なナイフ攻め受けたんだぞ。冗談にしてはちょっと度が過ぎてるんじゃねえか?」
被害に見合わないトンチンカンな物体を渡されて少しキレ気味にオッサンを睨み付けてみたが、当の本人は相変わらずの紳士的なにこやかさで笑っている。
「はは、レンさんはその杖の価値がやはり理解できませんか」
「ああ?何だ、バカにしてんのか?」
「いえ、滅相もありません。決してレンさんを貶めたのではなく、それは私が自信を持ってお勧めできる秘蔵の逸品でして。それは使用者の魔法を何倍にも増幅する魔道具です。レンさんは既にご自分の武器をお持ちのご様子。ならば、それはお仲間のどなたかにでも……」
「ほう。ただの棒切れかと思いきや、魔法の杖という訳か……」
そう言われてみれば、確かに場末の武器屋に売られている様な杖とは一線を画する様なオーラが……
するわけねえだろ。
「あのなオッサン、ちょっといいか?」
「はい?」
ちょいと腰に下げたショートソードを指差しながら。
「俺は見ての通り駆け出しの近接専門な冒険者な訳よ。だから魔法を使うって言われてもどうやるのかさっぱり分かんねえし、そんな口上で出されただけの杖を信じられないんだが?」
「おやおや、レンさんはお若く見える割に用心深い方なのですね……ふむ。では少し出ましょうか。この杖の効果を実際にご覧に入れましょう」
「えっ、お父さんが……大丈夫なの?」
「心配いらないよシェリル。魔法を使うと言っても、街の外の更地で行いますから」
そう呟いて、傍にあった奇妙な笛を手に取るオッサン。
「こら、勝手に話を進めるな。何でこんな朝っぱらから街の外に行かなきゃならんのだ。まだ朝飯もクエストも受けてないって言ってんだろ」
「おや、それでは仕方ありませんな。では少額ではありますが金銭での賠償という事でお引き取り願いましょうか。この杖は先端に嵌まっている魔晶石だけで相当高価な代物で、本来の市場価格なら10万リルはくだらない……」
「よし。何をしてるお前ら、さっさと街の外に行くぞ」
「レンさん……それよりもまずは、朝食をご一緒しませんか?」
「異存はない」
美味い感じに乗せられた気もしなくはないが、そんな事より金と飯。
◆
街外れ、そこそこ開けた荒野にて。朝食を超高速で貪った俺は給仕をしていたリルに苦笑いをさせつつ、すきっ腹に染み渡るカロリーを摂取し終えて晴れやかな気分で歩いていた。
「ふむ。ここら辺で良いでしょう。レンさん、シェリル、あなたたちはあの大岩の裏に隠れていてください。私が良いと言うまで出て来てはいけませんよ」
「あいよ。それにしても言いだしっぺはあんたなんだが、店を空にしてきても良かったのか?一応店としての体裁を守るためにも、誰か残った方が良かったんじゃないか?」
「気になさらないでください。店を開けていたとしても、日に来るのは顔見知りが夕刻に一人二人ですので。ははは」
「笑い事じゃねえだろ。どうやり繰りしてんだあんたの家は……」
「だっ、大丈夫です!家計は私がしっかり管理してますから!父の使い込みが原因で何度か貯金が底を尽きかけましたけど、それでも借金はした事はありませんので……あれっ、どうして急に目を逸らすんですか!?」
くっ、不憫過ぎんだろこの娘……この世界で無一文かつ宿無しの俺を泣かせるとか……
「おやどうしました二人とも、ささ、早くあの大岩の陰へ」
「このオヤジは……っ!」
いつまでも間の抜けた朗らか顔に表情筋がヒクつくのを感じながら、渋々言われた通りシェリルと一緒に荒野に点在する大岩の一つに隠れた。その陰からオッサンの方を見るとあの杖をただ右手に構え、今から何をする気なのかさっぱり見当がつかない。
何のパフォーマンスも無いオッサンなど見ていても暇なので退屈しのぎに横に目をやると、何故か目を輝かせてオッサンを眺めるシェリルが。
「それにしても、お前のオヤジは今から何する気なんだ」
「まあ、見ててください。父は普段どことなく抜けている所がありますけど―――」
そこまで聞いたところで、ブオーッと高らかな角笛の音が響く。
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』
「うおっ、何だ!?」
空がひび割れ、雄叫びが響く。突如この一帯を覆うように響き渡った轟音に耳を塞ぐが、すぐにその手を放して。
「何だよ、あれ……」
唖然とした。
『GUO……GUOOOOOOOOOOOOON!』
物語で聞いたことはあるだろう。テレビでお伽噺でその存在を知り得ることはあるだろう。俺も引き籠ってた時、散々ゲームやアニメでその姿を確認することはあった。
しかし、元の世界でその姿を実際に確認した者はいないであろう絵空事の怪物―――ドラゴン。
空の割れ目から降り立ち、凄まじい砂嵐を巻き上げながら耳をつんざく咆哮を上げる赤茶色のドラゴン。その大きさは周囲に比較対象が少ないので分かりずらいが、少なくとも人間を10人そこら積んだところで届く大きさではあるまい。
そんな怪物が自分を呼び出したおっさんを高空から睥睨し、その赤く染まった舌で舌なめずりをして滝の様な涎を垂らした。パッと見で分かるその強靭な体躯や鋭爪もさることながら、特筆すべきは血に染まったかの様な目だ。そこからすぐにでも自分の足元に転がる矮躯を呑まんとする獰猛な本性が嫌というほど伝わってくる。
今こそ、ゲームや物語の中で行われるドラゴン退治がどうして偉業となり得るのか、その本当の意味を理解した気がした。
俺は震える足を必死に抑え、勢い良く立ち上がって叫ぶ。
「おい、オッサン!やべえって!すぐにそこから逃げろ!お前も立てって、さっさとここから逃げるぞ!」
彼我の大きさの違いにも動じず、何故かドラゴンをじっと見定めて動かないオッサン。暴虐の権化たる絶対的捕食者を前にその行動が理解できなかったが、逃げようと立ち上がった俺の袖を掴む感触。
「レンさん、大丈夫ですよ」
「何が!お前もあのドラゴン見えてんだろう!お前のオヤジが喰われかけてんだよ、何落ち着いてやがんだ!」
「だから、大丈夫ですって。先程も言ったでしょう。普段は薬草や魔道具を弄ってばっかりで部屋の片づけもしないし、家計が危なくなっても変な物ばっかり仕入れてくる仕方の無い父ですけど……」
「お前……こんな時でも容赦無いのな……」
場違いなシェリルの言葉に緊張感が削がれ、聞かぬが吉の不憫な言われ様に視線をチラッとオッサンの方に送ると、そこにはドラゴンのあぎとが今にもその身に迫る中、杖をドラゴンに向けて高らかに掲げたオッサンの姿が見えた。
―――ドクン。
「!?」
咄嗟に胸をガッと掴む。
何だ、今心臓を鷲掴みにされた様な……
オッサンの持つ杖の先端に夥しい程の輝きが宿り、その周囲の空気がビリビリと凄まじいプラズマの軌道を放っている。ドラゴンはその波動への恐れをおくびにも出さずオッサンを丸呑みにしようと迫るが……
そして、オッサンが叫ぶ―――。
「……ウィスパー・オブ・プルト!」
杖の先端に溜まった光がドス黒く変色し、ドラゴンの胸部を貫通した。その瞬間ドラゴンの瞳孔がカッと見開かれ動きが止まる。一体どうしたのかと思って様子を眺めていると、その巨大な口と目をあんぐりと開けたまま、ドラゴンは砂煙を巻き上げて大地に身を伏せた。
その様子を確認したシェリルが岩陰から身を乗り出し、目の前の出来事に腰が抜けかけている俺の方を振り返って一言。
「だから言ったじゃないですか。お父さん、こういう時は、凄いんです!」
そんな満面の笑顔で言い放った。