episode02-初クエストと醜い争い
「はぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐ、もぐもぐ……」
「おい」
「はぐはぐはぐはぐ……」
「おいってば!」
「もぐもぐもぐもぐ……」
「こっ、この野郎……!」
全く俺の呼びかけに返事をせず、目の前に並んだ料理を食べ続けるボロボロの乞食。手掴みで何でもかんでも口に放り込むその姿には、かつて光の空間で出会った神聖さは微塵も感じられない。
「もぐもぐ……ごっくん。ああー生き返った!あと少しで、死者として天界に逝っちゃうとこだったわ」
「そりゃ良かったな……お前のせいで、俺の財布の中はスッカラカンだよ」
「そうなんだ。でも、私のご飯代になったんだから仕方ないわよね。あなたにはご褒美として私の信者第一号の権利をあげるわ!他の信者たちに自慢できるわよ、感謝なさい!」
「何わけ分かんねえこと言ってんだ!てめえには感謝されこそすれ、感謝しなきゃならん謂れなどない!大体、お前の信者なんかこの世界のどこを探したっていねえだろ。そんな奴の信者第一号なんて何の自慢にもならんわ!」
「あーっ、言ったわね!私はこの世界を治める主神よ!もちろん信者だって一番多いだろうし、私が呼びかければ、信者の子たちがすぐにやって来ちゃうんだからね!」
「じゃあ、何でお前乞食なんかやってたんだよ」
「そっ、それは……」
言い辛そうに視線を泳がせる自称女神。大方俺の予想通り、腹が減って助けて貰おうと自分の信者を探したものの、一人も見つからずに玉砕したんだろう。てか、こんな大バカが主神?ハッ、寝言は寝て言えってんだ。
「まあ、お前の妄想なんてどうでもいいんだよ。銭湯に行く金も、当面の空腹を満たす食い物も与えてやった。これでお前に異世界に連れて来て貰った借りも返したな。それじゃ、俺は行くから。もう街で見かけても近寄ってくんじゃねえぞ」
「ちょちょちょちょっと!私をここに置いてくつもり!?明日のご飯だって、寝るとこだって安定しないのに、私をこんな過酷な環境で放置するの!?」
「そーだよ。何を甘えたこと言ってんだ。お前の世話を俺がみてやるとでも思ってたのか?ハッ!この世界に来て俺を真っ先に置き去りにしたのは、どこの誰でしたかねえ」
「うっ、それは……」
自称女神は俺の思わぬ反撃に、返す言葉がないご様子。いや~いいな。この恨みをネチネチ返していく感じ。この世界に来た当初との圧倒的な立場の逆転に俺の嗜虐心は膨れ上がって行く。
「そういえばお前、こういってたよな。『私にはこの世界でやることがあるの。だから、私のお願いを聞いてくれない?』だったっけか?で、この世界の主神であらせられる立派で高潔なラミル様は、何をなさったんでしょうかねえ。さぞ、俺みたいな凡人が思いつかないような世界に関する重要事項なんでしょう?ですよねえ。この世界に来たばかりで右も左も分からない一般人を置き去りに去って行った、偉大で華麗な主神様?」
「うっ、うう、うわあああああああああんっ!」
俺の間髪いれぬ口撃に耐えきれず、ワッと泣き出す女神。いやー、爽快!周りの食事客からヒソヒソ俺への非難の声が聞こえるが、そんなものは気にならん!俺の中では、憎っくきラスボスをコテンパンにしてやった気分だ。
この世界の食堂は基本前払いなので、泣き喚く女神を置き去りにさっさとその場を後にしようとする。しかし席を立ったその時、頭の中に何やら聞き覚えのある声が流れてきた。
『レンさん、聞こえますか?』
……誰だっけ?
『リルです。天界でラミル様とあなたを送り出した天使兼神のリルです。ああ、声は実際に出さなくて結構ですよ。心の中で思ったことが、直接こちらに伝わりますので』
何、その盗聴機能。心の中まで覗かれるとか嫌過ぎるんですけど。
『ご安心ください。プライバシーには十分配慮します。この通信を切ったら、あなたの声は私に聞こえないようにしますので』
あっそ。で、何の用?てか、天使兼神?あんたって、この泣き虫女神の傍仕えの天使じゃないの?
『本来はそうなのですが……ある日を境に、何故か私が神格化されてしまいまして……神格化は、その存在に対する信仰の強さが一定以上になると起こります。私としては、日頃怠けておられたラミル様の代行として仕事をこなしていただけなのですが……』
ほう。ということは、このクソ女神の怠慢があまりに酷かったから、こいつよりちゃんと神っぽかったリルに、下界の人間が鞍替えしたってことか。主神って言い張ってるくせに、こいつの信者が全くいなかった原因についてやっと解決した。
『はあ……うちのラミル様が本当にすみません……』
いや、いいよ。あんたは頑張ってるよ。それで、本来の要件は何だ?そろそろ周囲の俺に対する視線がキツいから、さっさとこの場から立ち去りたいんですけど?
『そうでした。申し訳ありませんが、あなたにはラミル様の同行者となっていただきたいのです』
はあ、いきなり何言ってんだ?そんなの嫌に決まってんだろう?
『お願いします……このまま放置しておくと、ラミル様は死者として天界に戻って来てしまいます。しかし、大した苦労もせずに私が連れ戻してしまってはラミル様のお仕置きになりませんし、何よりラミル様には、日頃適当に対応している下界の人々の苦労を知っていただきたいのです。そうすれば神の職務に無頓着なラミル様も、必ずや真摯に自分の役目を全うしていただけることでしょう』
……ほろりときた。まるで我が子を千尋の谷へ突き落す母のようだ、世界規模の。こりゃ下界の人たちも鞍替えするわ。目の前で自分のしでかした事の因果応報に泣き喚く自称女神と、そのバカを見捨てず、心を鬼にして世界のために更生を求める本物の天使。どっちを信仰しますかって聞かれたら、10人中13人くらいが後者を選ぶだろう。
『それで、いかがでしょうか……?』
俺の内心を聞かれていたのか、リルの声が少し恥ずかしげだ。世界と彼女のためにも、この自称女神の世話をしてやろうかという考えが鎌首をもたげるが、しかしこの世話のかかりそうなバカを連れて行くことに一抹の面倒臭さも感じる。必死なリルには申し訳ないが、その二つの考えを秤に乗せた時、どうしてもバカのお守りの方が俺にとってはリスキーに感じる。言うことは聞かない、態度はデカい、おまけにワガママと来たもんだ。しょうがない、ほんとーにしょうがないが、今回のところはお断り―――
『……ラミル様の面倒を見ていただければ、来世であなたのことを大好きな義理の妹と姉のいる裕福な家庭に転生させて差し上げますが―――』
「よし、引き受けた!」
「!?」
『……』
リルのあまりに巧妙な交渉術に敗れ、光の速さで即答してしまった。俺の迸る思いが内心に留まりきれず、外側に漏れ出てしまったものの、そんなことは些末な事だろう。何せ俺には、このバカの面倒を適当に見るだけでウハウハな来世が約束されるのだから!
『……それでは、くれぐれもお願いしますね』
おう!大船に乗ったつもりで任せとけ!
『……何もなければいいんですけど』
その言葉を最後に通信は途絶えた。締めの言葉に何かラミルに対する心配以外のニュアンスがあったような気がするが、そんなことはないだろう。俺は何倍も、このバカ女神より頼りになるはずだからな!
「おい、泣き虫女神行くぞ!輝かしい来世が、俺を待っている!」
「えっ、何!?急に何!?突発的に奇声を上げたと思ったら、今度は来世!?万年お花畑の頭が、いよいよ出来上がっちゃったの?」
「うっせー!お前に言われたかねえんだよ!どうでもいいから行くぞ!お前の飯代のせいで財布がカラだから、お前はそのままな。俺とこれからクエストをこなしに、街の外まで行って貰う!」
「ちょっと!?えっ、本当に?私このボロボロの服しか……待って!そんなに引っ張らなっ……!いやあああああああ、助けてーっ!」
喧しく騒ぎ立てる女神を拉致って、俺たちは街の外へ出た。
◆
「うう、怖い……薄暗い……」
「いつまでもぐちぐち喚いてんじゃねえ。仕方ないだろう、今回のクエストはホーンスタッグの皮の納品なんだし。ホーンスタッグはこの森にしか生息してないらしいから、ここに狩りに来るしかないんだよ」
「そんなこと言われても!私装備って、このボロ布一枚しかないのよ!こんなんでクマとかに襲われたらひとたまりもないわ!」
「知るか。大体、俺だってこの世界に来たばっかの頃は、全くの一文無しだったんだぞ。それでも俺は働いて日銭を稼ぎ、その日の飯やこのショートソードを手に入れた。その間、お前はどうしてたよ。どうせ働きもせずに、誰かが助けてくれると思って観光気分でふらふらしてただけだろう?そんな奴に、自分に対する扱いでとやかく言われる筋合いはない。さっきの飯を食わせてやっただけでもありがたいと思え」
「うっ、ううう……」
俺の一片もつけ入る隙の無い正論に、涙目で黙り込む女神。調子に乗って、今まで好き放題していたこいつにはいい薬だ。このまま反省の機会を与えて行けば、いずれはリルの思うような理想の女神像に近づいていくだろう。
そのまましばらく森の中を散策していると、少し大きめの茂みの中から立派な角を携えたシカっぽい生き物が姿を現した。俺とラミルは奴に見つからないように、相手の死角となる茂みに隠れながら機会を窺う。
「よし、あれが目的のホーンスタッグだ。俺が後ろから近付いて攻撃するから、お前はあいつの目の前に出て注意を引け」
「えっ、正気!?確かにクマじゃないけど、このか弱い私にあんな大きなモンスターの囮になれって!?冗談じゃないわ!こんなブラック企業、今日限りで止めてやるっ!」
「こら待て」
どさくさ紛れに逃げようとするラミルをすんでのところで捕まえる。ラミルは腕の中で拘束から逃れようとジタバタ暴れるが、俺はそれを許さず、ホーンスタッグに気づかれないよう彼女の口を塞ぐ。
「んーっ!んーっ!……ぶはっ、何すんのよ!後ちょっとで、懐かしの天界に逝っちゃうとこだったわ!」
「良かったじゃねえか、お前の故郷に帰れて。とりあえず静かにしろ、ホーンスタッグに気付かれるだろうが。あいつを狩れるかどうかで、今日の飯の有無が決まるんだぞ。分かったら、さっさと哀れな囮を演じてこい」
「分かったわよ……」
不承不承の体でラミルが茂みから姿を現し、それに足元の草をモシャモシャ咀嚼していたホーンスタッグが気付く。ホーンスタッグは基本的に繁殖期以外は大人しい気性らしく、目の前に怪しい乞食がのっそり現れても、ただ見つめるだけで佇んだままになっている。俺はその隙にホーンスタッグの背後に近付き、右手のショートソードで一気呵成に襲いかかる。
「ブロモオッ!」
「チイッ!」
俺のショートソードが奴の左足の付け根に突き刺さった瞬間、襲撃に気付いたホーンスタッグがその健脚で後ろ蹴りを繰り出す。俺はその蹴りを間一髪で避け、そのままホーンスタッグの左脇に逸れると、今度は引き抜いたショートソードで胴体を袈裟切りにする。鮮血が辺りに飛び散り、討伐したかと淡い予感が芽生えるが、流石の野生動物の生命力と言うべきか、ホーンスタッグは最期の悪あがきとばかりにその立派な角を振り回し、角に左肩を当てられた俺の身体は、盛大に背後に立っていた樹木に吹っ飛ばされる。
「かはっ!?」
「レンっ!」
「ブルモオオオオッ……オオ」
怒りの雄叫びを上げながらも、バタンと衝撃音を立てて大地に横たわるホーンスタッグ。ようやく俺の付けた傷が致命傷となり絶命したようだ。
俺が樹木に叩きつけられた状態のままその木に凭れ掛かっていると、戦闘が始まってからその場に固まっていたラミルがふと我を取り戻し、若干心配を滲ませながら俺に駆け寄る。
「ちょっと大丈夫?あなたが木に叩きつけられた時、物凄い音がしたけど。それに肩も打撲とかしてるんじゃない?」
「んん、ああ、そうか……背中とかはこのブレストアーマーで大丈夫だったけど……イテテ……くっそ、肩が痛え……」
「ちょっと見せてみなさいよ」
「んん、いいって。別に脱臼とかはしてないみたいだし、何より素人診察で悪化したらヤバい」
「いいから、ほら!」
強引な女神に急かされながら、ブレストアーマーを外し、肩の位置まで上着を脱ぐ。大事には至っていないと思っていたが、やはりそこにはくっきりとした青痣が存在し、結構な内出血を起こしていた。
「あー、やっぱりこうなってたか。仕方ないわね、私に任せなさい!」
「おい、何を……」
不安げな俺をよそに、ラミルは呪文を唱え、その呪文を唱え終えると俺の肩に淡い光が降り注いだ。
「……ライトヒール」
「おお、痣が……」
ラミルの魔法により、先程まで青痣が鎮座していた皮膚には元の綺麗な肌色が戻り、痣による痛みも嘘のように改善した。
「ふっふーん、凄いでしょ!今のはライトヒールって言って、打ち身とか切り傷みたいな軽傷を治す魔法よ!私の偉大さにひれ伏し、痣を治してあげたことに感謝なさい!」
「ああそう、ありがとよ」
痣を治して貰って素直に感謝するつもりだったのに、このバカの余計な発言で有難味が薄れた。こういうところが、リルの言う直して欲しいとこなんだろうなあ……
「ほれ、お前が凄いのは分かったから、さっさと達成報告しに帰るぞ。こいつの肉は食えるらしいから、丸ごと持って帰ってギルドで調理して貰おう」
「そうね、晩御飯が私を待っている!」
そう決めて、運ぶ際に邪魔になる角の部分を切り落として荷運び用の袋に入れ、ホーンスタッグの身体に縄を結んで引っ張る。ラミルにやらせようとしたが、非力すぎて逆に時間がかかるので止めにした。ホーンスタッグの身体は全長2m程あるものの、日がな工事現場で経験を積んだ俺の敵ではない。改めて、身体作りをしておいて良かったという実感が湧いてくる。
ただホーンスタッグを引っ張っているのも暇なので、さっき気が付いたことをラミルに聞いてみる。
「なあ、お荷物女神」
「何よ、シカに吹っ飛ばされて私に痣を治してもらった情けない新米冒険者さん。この気高い私を囮に使ったんだから、もう少し華麗に討伐して欲しかったもんよね」
「喧しいわ!囮の役目もそれほど果たせてなかったお荷物野郎に、何でそこまで言われなきゃならん!」
「何ですって!あなた、私が痣を治してあげなかったら、このシカだって運んでこれなかったでしょうに。そんな無能な人間に、私の功績をとやかく言われる筋合いはないわ!」
「何が功績だ!お前がしたことなんか、ちょっとホーンスタッグの注意を引いた事と、どうでもいいような青痣を治しただけじゃねえか!あんな痣ぐらいあったって、俺は十分こいつを運んでこれたわ!こいつに巻き付けた縄を引っ張った時に、1ミリも動かせなかった貧弱女神にそんなこと言われたかねえんだよ!」
「あーっ、言ったわね!あんたなんか、こうしてやる!」
「なにをっ、やるかっ!?」
掴みかかってくるクソ女神の罵りをゴングに、醜い争いが幕を開ける。正直本気でやったら、腐り切っている鯛とはいえ女神を怪我させてしまうので、適当に手加減しながら頬を引っ張ったりする。しかし男の意地もある俺は、泣き出す手前と言わずきっちりクソ女神を泣かしてから勝負を終える。
「ふん、どうだ思い知ったか!」
「うう、うわあああああああんっ!ひっ、酷いわ!男のくせに、女の子で女神の私に手を上げるなんて!」
「知るか!1対1のタイマンに、女も女神も何もない!悔しかったら、魔法でも何でも使って俺を屈服させてみろ!」
「うう、うううううううううっ!」
俺の完全な勝利宣言に、負け犬の女神は悔し涙を流す。はっはーっ、良い気分だ!やはりどんな時も、敗者の悔しがる姿と言うのは俺に快感を与えてくれる。
「ねえ、あなた。大丈夫?」
「ひどいわねー、あの男。こんな可愛い子にこんな恰好させて。おまけにこの子を泣かせて、誇らしげな顔してるわよ。どれほどゲスい奴なのかしら」
「ホントよね。ほらあなた、このハンカチで涙を拭いて」
「うっ、うん。ありがとう……」
ラミルの周囲の女冒険者が、泣いている彼女に駆け寄って声をかける。
「とんだゲスね。あなた、良かったら私のパーティに来ない?」
「そうよ。あなた、あの男に無理やりパーティに入れられてるんでしょ?だったら、私のパーティに来なさい。服だって新しいのを買ってあげるし、あなた可愛いから、うちの男連中にもすぐに受け入れられるわよ」
「そうね、それがいいわ!ねっ、皆あなたの味方だから泣き止んで?」
「グスッ……ありがとう、みんな……」
女冒険者のラミルにかける優しい言葉に反比例して、徐々に騒ぎを見ていた周囲の視線が鋭くなってくる。
忘れていた、ここは……
「ゲス……」
「クズ……」
「外道……」
街の中だったんだ……