コケシ少女とボク
─序文─
こんにちは。
私の処女作でございます。
元々、2ちゃんねるのvipのとあるスレにて出された“こけし職人”というテーマを、
膨らませて投下したアイデアから、この短編物語を書きました。
シンプルに、頭の中で浮かんだ言葉を記録しています。
何か勢いというか、私という人間の脳みそを覗くような気持ちで読んでいただければ、幸いです。
──────
彼女には、売春のウワサがある。
ボクの通う私立中学のクラスには、能面の様に表情を凍らせた女子がひとり居る。
常に、机の教科書に目を伏せており、
彼女を「コケシ」とからかう集団と、センセイ以外、誰一人として声をかける者はいない。
そんな彼女に対する売春のウワサが、気になった。
真相を暴いてやろう、コケシなるものの本性を覗き見てやろう、
という、どうしようもなく下種な考えが、ボクの中でムクムクと首をもたげはじめたのである。
「放課後、話をしたいのだけれど。」
普段は関わることのないボクが、彼女の均衡を破った。
とりあえず、静かに情報を聞き出せるだろうと思い、図書室で待つように伝えた。
さあ、藪を突ついた。
鬼が出るか、蛇が出るか。
大きければ大きいほど良い。無責任だが、そう期待した。
午後の授業も、全く耳に入らない。
期待の高まりと比例して、暗がりの鬼もますます大きくなるばかりだ。
ようやく午後の授業も済み、終礼が終わるとボクは真っ先に席を立ち、そっと図書室に向かった。
古臭い紙の臭いが充満する部屋に入ると、なるべく一番奥の、人目につきにくい席を選んだ。
四角い長テーブルの上にカバンを置き、深いため息をする。
膨らんだ期待感と暗がりの鬼は、次に静かな緊張感を産んだ。
落ち着かず、キョロキョロとあたりを見回すと、
貸出しカウンターの上に大きく掲示された一文句に目が留まった。
「知識は人を自由にする。」
幼いボクにとっては、その文句の意味は分からなかったが、ある一つの疑問が浮かんできた。
果たして、彼女のウワサの真相を知ることでボクは、どうするのだろう?
ウワサがただのデタラメなら、万事変わらずだ。いつもの学校だ、教室だ、コケシも居る。
しかし、万が一にも期待の通り、売春が真実ならば、どうする。
その知識も、ヒトを、ボクの何らかを自由にするのだろうか?
ボクはのっそりと首をもたげた、彼女の大蛇を前にして何を──。
その時、戸がカラカラと空き、コケシが音も無く入ってきた。
彼女はこちらを見つけると気まずそうに、歩幅ちいさく歩いてきて、ボクと向かい合うように座った。
「私のウワサの事、聞きたいんでしょう?」
幸い、まだ図書室の中にはボクたちしか居ない。
彼女の線の細いかすれた声も、よく聞きとれた。
思えばコケシの音読以外の声など、初めて聞くかも知れない。
ボクは先の迷いを抱えながらも、声の響きにドキリとしながらも、
真っ直ぐに彼女の瞳を見据えて、返した。
「ウワサは本当なのか?」
言ってやったぞ。コソコソしてる連中め、ざまあみろ。
さあ、こい。どうせボクには関係のないことだ。
みるみるうちに、彼女の白い頬が紅色に染まる。
沈黙の中、ボクは視線を窓の外の桜に向けた。
もう花もほとんど落ちて、新緑の葉が賑やかになりつつある。
これから暗い梅雨を抜けて、夏には力強い太陽を全身で受け止めるのだろう。
そうして、来たるべき冬と春の解放に備えるのだ。
うつむいていた彼女が、顔を上げた。
「ウワサは、本当なの。」
全身の血の気が、一斉に引いていくのを感じた。
なぜだ。
「何で、そんな事を?」
「お金が欲しいから。」
「何のために?」
それは、と彼女が言い淀んだ。
脳が、退け、もう関わるなとアラートを出している。
しかしボクの、より深層から湧き出た形容しがたい熱い感覚が、真相追求の手を緩めることは無かった。
「父に、言われて。」
そしてコケシは、彼女は、涙ぐんで再びうつむいてしまった。
藪の中から、大きな大きな蛇が一匹出てきた。
それで、ボクはどうするのだ。
一人の少年が天井を見上げて、ぐるぐると思考を巡らす。
一番は、誰にも言わないからと約束して、いつもの世界に戻る事だ。
至極、簡単で穏便な事だ。他人の大蛇など知らぬふりをするに限る。
一人の犠牲で事は済む。
「キミの家は、どこ?」
もう、ここから先は脳の担当範囲を超えていた。
「なぜ?」
「いいから。」
彼女も、ボクのただならぬ雰囲気を感じとったのだろう。
あるいは、恐らく善人であろうヒトと抱え込んでいた重荷を共有して、油断していたのかも知れない。
「……学校の裏の、近くの──。」
「わかった、ありがとう。」
「最後に、本当の事だよね?」
血を沸き立たせながら、最終確認を行った。
「本当よ。」
「ありがとう、この事は誰にも言わないよ。」
勢いよく席を立つ。
彼女とひそひそ話しているうちに、幾人かの生徒が部屋に入ってきていた様だ。
ボクは呆気にとられる彼女をよそに、駆け出した。
下駄箱で靴を履き替え、無意識に自宅へと向かう。
玄関のドアを開き、土足のままキッチンへ向かい、包丁を二本ひっつかんでカバンに放り込んだ。
許せなかった。
再び、駆け出す。目的地は聞いたとおりだ。
息を抑えながら、目的の場所で呼び鈴を鳴らす。表札も彼女と同じだ。
ハァイ、と眠そうな男の声が聞こえた。
既に、右手には持ち出してきた包丁を準備している。
禿げかけたぼさぼさの髪を触りながら、みすぼらしい小太りの男が戸を開けた。
瞬間、ボクの右手が男の土手っ腹目がけて跳ね上がった。
包丁が肉にめり込む、気味の悪い感触を確認して、素早く手を引く。
ググッ、と呻いて前のめりになる男の、今度は顔面を目掛けて、再び右手を突き上げた。
その刃先は右目の眼球を貫き、ゴリッと音を立てて、眼窩を囲む骨で止まった。
アア、と男は叫んで大きくのけぞり、玄関先に仰向けに倒れた。
ボクは血濡れの包丁を捨て、カバンからもう一本を取り出した。
遠くからヤメテという声が聞こえた気がする。
いよいよだ。
躊躇無く、青虫の様にうごめく男の喉に刃を突き立てた。
そこから先は、あまり記憶にない。
誰かが、ボクの背中を優しく抱いてくれた気がする。
───────……
「デ、なーンでこんな事したのよ。」
白髪頭の小柄な刑事が、漠然と質問を投げかけてきた。
ボクはうつむいていた。黙秘ではなく、答えのために思考していた。
「あーの、お嬢ちゃんに、ホレてたんだろ?わかるよ。」
刑事は、にかっと笑いながら言った。
「違います!ただ、ボクは……。」
「キミは、何だね?」
面前の両眼が、ギラリとひき締まるのを感じた。
何十年と、こういう事をしてきたのだろう。
その刑事の凄みに、何か大きな手のひらの上に居るような心持ちになった。
思うまま、吐き出そう。だが、彼女との、あの約束がボクの決心を抑えた。
しかし刑事は、ボクの態度から全てを察したのだろう。
「……お嬢ちゃんが、全部話してくれたよ。」
その言葉を聞いて、ボクの目に涙がいっぱいに溢れた。
「ただ、許せなかった。」
「彼女を傷つけた父親をか。」
「違う!」
「許せなかった!」
彼女を、ヒトを、コケシにしたその根源的な邪悪そのものを、
ボクの純然たる正義の魂は許すことが出来なかった。
ボクの家族や後の彼女の生活など、知ったことではないのだ。
真実を燃料に若く燃えたぎる魂は、きらめく彗星となって一つの邪悪を貫いたのである。
ボクは、両目をらんらんと輝かせて、じっ、と刑事を見つめた。