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7.マラキアの丘

 ルネとヴァンは門の前にいた。ルネはいつもの鎧姿で、ヴァンは普通の旅装束だった。


 普段は閉め切られている門は、今だけ少し開いていた。噂を聞きつけた町人が、二人を見送るために集っていた。十人くらいは来ているだろうか。その中にはシャレットやバーボルもいる。遠くでは、ミランがニヤニヤと笑っていた。

 それを見たルネは――ミランの存在は無視した上で――どれほど自分が心配されているか、そしてどれだけ想われているのかがわかった。胸が熱くなったのは、決して間違った感情ではないはずだ。


「ルネ、早く戻ってきてね」


 先ほどとはうって変わって、シャレットは朗らかな笑顔を浮かべていた。陽気で優しい彼女には、とても良く似合っていた。

 自然、ルネにも笑みが零れる。


「ええ、もちろんです。すぐに戻ってきますよ」

「なら、よし!」


 頷いて、にっこりと満面の笑顔をルネに向けてきた。

 その姿に、思わず見惚れてしまった。


「……あんたら、いい加減いちゃつくのやめたら?」

「ち、違います! そんなんじゃありませんよ!」


 近くにいたユノンに指摘され、シャレットが慌てたように手をパタパタと振って否定する。

 ルネはシャレットのその態度をみて、ちょっとだけ傷ついた。誤魔化すために、苦笑いを浮かべる。


「おい、そろそろ行くぞ」


 ヴァンがぼそっと呟いたのを聞いて、ルネはその考えを無理やり押し込めて笑顔を作った。


「それではみなさん、行ってきます。出来るだけ早めに戻ってきますので」


 そうはいっても、皆の顔は曇っていた。

 それもそうだろう。マラキアの丘に行って助かった人間はいない。

 ただし、それは今まで一度も鉱術師が赴いたことはないからだ。ルーヴェでは理解されてはいないのかもしれないが、鉱術師は一般の兵士とは比較にならない戦闘単位だ。


 ヴァンは名の知れた鉱術師。自分の実力でないのが不本意ではあるが、彼がいれば、薬草を持ち帰れるだろう。これは決して楽観ではない。

 ヴァンが振りかえり、ユノンに声をかける。


「ユノン。まず無いだろうが、有事の際には頼むな」

「りょーかい」


 ひらひらと手を振って送り出すユノン。ヴァンはそれに応えるでもなく、歩き始めた。


「あっ、ちょっと待って下さい。場所は僕が案内しますから」

「…………」

 ヴァンはそれに反応せず、門の外へと出た。

 慌てて、ルネも追いかけた。




「ヴァンさんって、どこの出身なんですか?」


 道中、無言で歩き続けた二人だったが、徐々にその空気に耐えられなくなったルネが、突然そんな質問をした。


 それに対し、ヴァンは顔をしかめた。


「あっ、答えるのが嫌なら構いません。ただ訛りがないから、ローザやエイループスの近くの出自かなと思っただけです」

「……俺は、十五の頃からローザを中心に旅をしていたからな」


 表情一つ変えずに呟くヴァン。


「噂は本当だったんですね。自分と一つしか変わらないときから……」

「お前では無理だろうな」

「……そうですね。今の僕では、無理かもしれません」


 項垂れるルネ。それをヴァンは、怪訝そうに眉をひそめる。


「どうした。また突っかかってくるかと思ったが」

「いえ、事実ですから。僕はヴァンさんのように強くない。今回だって、もし悪魔が出ても、僕は大して役に立たないだろうし」

「いや、無理というのはむしろ、貴族だからというつもりで言ったんだが……まあ、いい。ところでルネ。お前の血筋に、鉱術師はいるか?」


 ヴァンがやや口を濁しながら、急に話を変えてきた。


「鉱術師、ですか? いえ、僕の知る限りはいませんが……それがどうしましたか?」

「いや、別にいい。大したことじゃない」


 ブツブツと何かを呟いていたが、まるで聞こえなかった。

 首を傾げ、しかしルネは気には留めず前に進んだ。


 二人が今いるのは、少し街道から離れたところで、緑の背の低い草を踏みながら進んでいた。遠くには森が見える。ルーヴェの所有している森であり、それほど広そうには見えないが、あの規模の町には相応のものだった。


 緑があり、獣があり、時折悪魔も現れる。

 人はこのような地域を総称し、外界と呼ぶ。


 ――この世界は、穢れの深度により四つに分かれている。


 まずは、安息地。まったく穢れのない場所。

 そして多少の穢れはあるが、人間が住まうことのできる外界。


 ここまでが、人の領域だ。


 次に、穢れの大地。魔草や一部の動植物、そして鉱術師のような穢れへの耐性者以外、長くは生きられない地域の総称。

 そして虚孔――穢れが染みだす場所とされ、人の身では近づくことすら叶わない。


 これらが悪魔の領域。


 外界は悪魔も現れるが、大抵は縄張り争いに負けた弱い悪魔だ。彼らの糧である穢れも少ないから、成長もしにくい。ある程度の強さを持った兵士なら、よほどのことがない限り負けたりはしない。


 それならなぜ、ランドが姿を消したのか? それほど強力な悪魔が棲みついているのか。

 考えても仕方ないことだ。だからこそ、この目で見て確かめる。

 ルネは決意と共に、歩を進めて行く。




 マラキアの丘は、背の低い丘陵だ。道らしい道はないが、なだらかな傾斜を小さな草花が覆っている。陽光で足元の葉の露が煌めき、風で花弁が優しく揺れる。緑と土の匂いは、いつも訓練している丘を想起させ、しかしその丘よりもずっと芳しいものに感じた。

 山頂以外には樹木はほとんど見当たらない。時折、背の低い木が見えるだけだった。


 道のように草木の生えていない場所を、二人は歩いた。ヴァンは地面を見ながら「妙だな……」と眉をひそめていたが、それ以上は何もしようとはしなかった。

 その山頂だが、遠くからでも見える大きな木があった。背はそれほど高くないが、枝葉が大きく広がり、まるでそこだけが森のようだった。


 ルネ自身、初めて来る土地だ。ルーヴェの人たちは、ここには絶対に近づくなと言っていた。その理由は、非常に多くの悪魔が棲みついているから、らしい。

 しかし、辺りは静かで、悪魔などいそうにもない。


「俺たちの探している薬草は山頂付近にあるらしい。悪魔の気配はないし、とりあえずそこまで行こう」


 背後からヴァンの声が聞こえる。彼ほどの実力者が言うのなら、信じて良いだろう。


「わかりました」


 念の為、辺りへの警戒は解かず、そのまま山頂へと目指す。

 特に障害もなく、息も上がらぬうちに辿り着いた。

 近くで見ると、やはり大きな木だ。森のように見えたそれは、枝を横長くのばし、葉が生い茂ったもの。外界の太陽光を浴び、広々と木陰を作っていた。時折吹く風が枝葉を揺らし、優しい音を奏でていた。


「こういう樹の下には、しばしば赫花あかはなが群生している」


 何を問うわけでもなく、ヴァンが語り出す。


「鮮血のように真っ赤な花で、花弁が二枚しかない。葉は薄く、茎は太い。その茎を折ると黄色がかった粘度のある汁が出てくるのだが、これと葉を用いて丸薬を作ると、滋養強壮にとても良い」

「詳しいですね」

「昔、薬師の世話になったことがあってな」


 薬師というのは、薬草や魔草を収集・調合して薬を作る人間のことだ。鉱術には一部の特殊鉱術を除き、回復に役立つものがない。精々、水系鉱術で傷口を洗うか、火系鉱術で焼いてしまうかだ。

 そのため、旅人や傭兵などにとって、彼らの調合した薬は欠かせない。自分で調合する者もいるが、数は少ない。特に魔草は、毒と薬の見極めが難しく、薬師でなければ判断がつかないことが多いのだ。


「その方は――」「訊くな」


 その声には有無を言わさぬ迫力があった。

 ルネは一歩引いて、ヴァンの後について樹へと近づいていく。すると、なるほど確かに赤い花が群生していた。他にも多様な草花が生い茂っていて、特に目につくのが、地を這う濃い紫色の蔦と、先の尖った黄緑色の葉が地面から直接生えた、背の高い草だった。


「これ、もしかして全部が……?」

「ああ、薬草だ。あの尖ったラリラッカの葉は煎じて痛み止めに用いられ、シアミクの蔦は乾燥させ粉末状にすると解熱薬になる。共に併用出来るものが少ないが、効力はなかなかだ」


 驚くルネを、ヴァンが面白そうに見ていた。見られている自覚はあったが、少しも気にならなかった。


「凄い! こんな場所があったなんて! 悪魔ばかりの危険な場所だって聞いていたけど、悪魔なんていませんしね」

「いや、それは恐らく――って、おい!」


 ヴァンの言葉など聞かずに、ルネは駆け出した。そして群生してある赫花の中から、適当に選ぶ。青臭いその茎を、指で折った。

 膿にも似た液体が流れ出す。それを指につけて、鼻に近づけてみる。見た目の割に、匂いはほとんどしなかった。

 振り返ると、ヴァンがこちらへと駆けてくるところだった。その焦った姿が珍妙な気がした。先を越されると思ったのだろうか?


 ――どこからか、鉄錆の匂いがした。


「ルネ、頭上だ!」


 言葉の意味を捉える前に、体が動いた。

 起き上がりながら後方へと飛び退くと同時、地に衝撃が奔る。彼の元いた場所の地が抉れ、赫花が舞った。

 一瞬でも遅れていれば、死んでいたかもしれない。

 動揺をする間もなく、ルネは激烈な殺気を感じ取る。

 己が頭上――この、大樹からだ。


「な、何が一体……」

「ちっ、見誤った」


 振り返ると、ヴァンは眉間に皺を寄せて、斜め上を睨みつけていた。魔鉱剣の柄に手をかけて、いつでも抜ける様に構えていた。


「どうせ雑魚だろうと高を括っていたが、まさかこいつとはな」


 ルネも、ヴァンの視線の先へと目を向けた。

 太い枝に仁王立ちで二人を見下ろす、全身鎧の巨大な出で立ち。手にある大剣は、外界の陽光で白金のような美しさを持つ。

 そして、頭部の目の部分は、ただ暗闇のみが存在していた。


 金属悪魔(オリハルコン)


 悪魔の王者である、金属生命体だった。

明日も22時頃に投稿します。

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