6.約束
本日、二話目を投稿します
ルネは下宿先であるバーボルの自宅へと戻り、小さな荷物袋を引っ張り出した。
マラキアの丘は、このルーヴェと同じ外界にある。日帰りできる距離であるために、ほとんど物はいらない。精々、水と食料くらいだ。それも一食分ないし二食分程度で十分だろう。
結局、今日準備すべきものは何もないことに気付き、その荷物袋を机の上に放り投げた。読みかけの本の上に乗っかる形となる。
ベッドに腰掛け、そのまま倒れる。うつ伏せとなって見た天井は丸太をそのまま使用してあった。
ヴァンとマラキアの丘へ行く。
そもそもルネがこの町へやってきたのは、前任者がマラキアの丘へと調査へ行ったからだ。「外界にそんな強い悪魔がいるわけない」と言い放ち、独りで出て行ってしまった。
元々独断専行の目立つ兵士だったために左遷されたのだが、その悪癖がこの町でも出てしまった結果だ。
結果、その兵士は帰って来なかった。
その報を聞いた時、ルネは驚きと悲しみを隠しきれなかった。
何せその前任者――ランドは、ルネの数少ない友人だったのだ。
貴族であり、なおかつ兵士として非常に弱いルネ。それ故、よく馬鹿にはされていた。ただ、貴族故に、直接的なものはほとんどなかった。
唯一、ランドだけが、彼に突っかかってきた。
真正面から「親のコネで入った人間が、のうのうと兵士面してるんじゃねえよ!」と言い放った。そんな男は、今まで一人もいなかった。
当然、彼は侮辱罪として一週間ほど独房に閉じ込められたが、出てくるとまたルネに突っかかってきた。
不甲斐ない自分自身に苛立っていたルネは、非合理的で非生産的で、しかし的を得たことを言ってくるランドの態度に、好感を持てなかった。いや、敵意すらあったかもしれない。
取っ組み合いの喧嘩もやった。その時は、互いに独房へ入れられた。
そこで、彼らは互いに腹を割って話した。それからだろう、以前のように嫌われることがなくなったのは。しかしランドがルネと話をしようと言う気になったのは、ルネが一日たりとも鍛練を欠かさずに行っている姿をみていたからだろうと、考えている。
互いに相性は良かったのだから、違う一面を知れば仲が良くなるのは道理だ。
トラブルメーカーのランドと、貴族で弱いルネというコンビは、奇異の目を向けられてはいた。しかし、扱いづらい二人が勝手にまとまってくれたということで、むしろ好都合だったらしい。
それでも、ランドはすぐにトラブルを起こす。その中の一つに、とある貴族が市民をいたぶるという些細な事件があった。
しかしランドには、それが許せなかったらしい。ごくありふれた事件であったし、その市民にも非はあったのだ。それでもランドは怒り狂い、その貴族に危害を加えようとした。
幸いその貴族に実害はなかったのだが、ことがことだ。すぐさま僻地の駐在勤務を言い渡された。元々出世街道からは大きく外れていたが、その辞令は「王都に戻ってくるな」ということと同義だった。
別れの時、ランドから言われた言葉は今でも覚えている。
「正義に立場なんて関係ない」
とても良い笑顔で言い残し、彼は旅立った。そしてルーヴェで、消息を絶った。
ランドは強かった。剣術は上級兵士よりも秀でていただろう。
しかし何よりも、彼の強さは、己の正義を曲げない意思の強さだった。
そんな彼を、ルネは羨望し、少しだけ嫉妬していた。
確かに、マラキアの丘は危険だ。たとえヴァンと共に行くとしても、恐怖がないわけではない。
それでも――それでも、人を助けたい。見ず知らずの男だが、見殺しになど出来ない。それがルネにとっての正義だ。
拳を握り締める。握った掌には、未だ何も掴めてはいない。
コンコン、とノックの音が鳴った。
ルネは立ち上がり、「どうぞ」と言った。
入ってきたのは、シャレットだった。
「どうしました、シャレットさん?」
「えっと……バーボルさんが、ルネにこれを渡しておけって」
おずおずと差し出された袋を受け取る。
開けると、中には淡い緑色の葉が何枚も入っていた。傷薬として用いられるオキシールの葉だ。血液に反応して接着性が現れ、それによって傷口に貼り付けることが出来る。殺菌効果の強い薬草であるため、破傷風や化膿を防ぐことが出来る。とても有用なものだが、非常に値が張る。そのため、使い勝手が悪く殺菌力も劣るウィリコールの樹液で代用されることが多い。
「こんなにたくさん……どうして……」
「心配してくれているんだよ」
顔を上げると、シャレットの唇が震えていた。
また、胸が痛んだ。
自分が弱いから、彼女は自分を案じてくれるのだ。
唇を噛み締める。弱い自分が、悔しくて。
「ねえ、ルネ。私が行かないでっていったら、君は行かないでくれるのかな?」
「……それは」
「私、もう誰も失いたくないの」
言葉に詰まってしまった。
シャレットの両親は、もういない。
元々シャレットは、今はローザ王国に併合されたとある国の、一市民だったのだ。それがローザ王国によって滅ぼされ、国と住む場所を失った。そして流れ、この町にやってきたらしい。
シャレットの父はローザとの戦争で亡くなり、母もこの町で亡くなった。最後にシャレットの母を看取ったのはバーボルで、彼はそのままシャレットを引き取ったという。バーボルは若い頃に妻と娘を亡くしているらしく、そのせいもあったのかもしれない。
親以外にも、多くの死を見続けてきたはずだ。医者であるバーボルの家に住んでいるというのは、そういうことだ。
しかし、
「シャレットさん、ヴァンさん一人で行かせられません。そんな無責任なことを、兵士たる自分がやるわけにはいきません」
「でも、そうしたらルネが――」
「シャレットさん」
彼女の手を握る。一瞬だけ強張るが、それだけだ。とても小さくて柔らかく、弱々しくも温かい手だった。
「僕は、必ず彼を救います。それが僕にとっての正義だから。そして必ず、戻ってきます。あなたを悲しませたくないから。そして出来るなら、ランドが消えた理由も知りたい」
シャレットの手に力が込められる。ルネとランドの関係を知っているからこそ、何も言えなくなってしまったのだろう。そう思っていた。
だから、もう少しで聞き逃すところだった。彼女の、震える小さな声を。
「……一つ、約束して」
大事にその声を受け止め、答える。
「何ですか?」
彼女が手を強く握った。柔らかな暖かさが、伝わってきた。
「私の誕生日、覚えてるよね?」
「ええ、もちろん」
一週間後が、彼女の誕生日だ。
けれど、それは彼女の生まれた日ではない。彼女が、この町に辿り着いた日、そして彼女の母が亡くなった日。それが、彼女にとっての誕生日。
「その日に、ちゃんとおめでとうを言ってね?」
「もちろんです。ちゃんと、誕生日プレゼントも用意していますよ」
ルネにとって、初めて迎えるシャレットの誕生日。決して、不義理なことはしない。
「本当!?」
その約束をすると、シャレットは手を離し、そして太陽みたいな笑顔を、ルネに向けた。
「よし! 約束破ったら、一週間お昼抜きだからね!」
「えっ!? ちょっとそれ厳しくないですか?」
「ぜーんぜん! だって、忘れたりしないでしょ?」
「それはまあ、そうですが……」
嬉しそうに笑うシャレットを見ていると、たとえそれが強がりだったとしても、安心してしまう。そして、自然と笑みが零れ、無駄な力が抜けていく。
肩肘張って何かを主張しても仕方ないのだ。勝つため、生き残るため、何かをなすために、自分が出来ることをしよう。
ヴァンは土を固めただけの、ルーヴェの道を歩いた。辺りを見渡すと、畑が見える。夏過ぎの畑には、大麦やライ麦が見受けられる。それらの穂に触れると、顔をしかめた。
その後、休耕地に下りたヴァンは屈んで土に触れる。
「思ったよりも、痩せた土地だな」
思ったより、というのは、この町の人々をみてのことだった。会うたびに、住人が明るく挨拶を交わしてくれるのだ。大抵、貧しい町は住人の心も貧しいものなのに。
何か、他に特産でもあるのか?
「到底、そうとは思えないが」
近くを通りかかった中年の女性に声をかけて尋ねるが、やはりそういったものはないらしい。
「妙な町だな」
前にも、こういう町に来たことがあった。しかしその時は、その町の近くに薬草が群生する場所があり、栽培も行っていた。それが特産物となっていたのだ。
ものを売らないなら――技術?
しかし、歩いて見かけるのは農地ばかりで、他の店はほとんど見当たらない。
ますますわからない。何故こんなにも貧相な町で、人々は明るいのだろう。民族性、みたいなものだろうか?
「そういえば、アンミラは暗かったな」
今は無き自分の故郷を思い出し、自嘲した。
ヴァンの故郷であるアンミラは、とても貧しかったわけではないが、とても暗い町だった。その理由を、子供の頃は全く知らなかった。知ってから、それが何に起因するものか知った。
子供だった自分は、あの暗さから脱却したいと思っていた。
だからこそあの時、あの光のような少女に惹かれたのだろう。
あの頃の胸焦がれる想いも、そして今の締め付けるような痛みも、忘れることは出来ない。
そんなことを感じている自分は、本質的に暗いのだろう。やはりルーヴェの明るさは、その土地に住む人柄なのだろうか?
――分かりようのないことを考えても、仕方ないな。
その考えに至り、自分で自分を鼻で笑った。
町の様子は、大体わかった。ここに長居しても無駄だろう。男の一件が終わり、気になることを確かめたら、目的地に向かうべきだ。
そう結論付け、小屋へと戻ることにした。そろそろルネの準備もできただろう。
踵を返し、ふと疑問が頭をよぎった。
「もし悪魔が出てきて俺が戦っても、金って貰えないよな?」
これは大問題だ。腕組みをして、ヴァンは思案し始めた。どうしたものか。ただ働はごめんだ。
「おいこら」
突如、肩を掴まれた。
振り返るとそこには、汚い鎧と雑な黒髪の男。確か、ミランとか言っていたような気がする。もう一人の駐在兵士だった。
「何だ」
「何だ、じゃねえよ。あんた、ルネを連れてマラキアの丘に行くって本当か?」
「そうだが?」
そう答えた途端、ミランは吹き出す。
「ぶははは!!」
そしてヴァンの方から手を離し、腹を抱えて笑い始めた。
「お前、ばっかじゃねえの? あの役立たずを連れてマラキアの丘に行くなんて。そんな死にたいのかよ?」
「死にたい? 役立たずの一人や二人を抱えたくらいで、俺が死ぬわけがない」
自信満々に言い放つ。それでもミランは笑い続ける。
「うははは!! マジばっかだわ。見張りがいなくなるから文句言ってやろうかと思ったけど、もう別にいいや! こんだけ笑わせてもらったしな」
下品な笑い声をあげながらミランが去っていく。その後ろ姿を、ヴァンは睨みつけていた。
しかし、決して腹を立てたわけではない。あの程度の侮辱は屈辱とも思わない。これまでの人生のほとんどを薄氷の上で過ごしてきたヴァン。きちんと己を律せなければ、すぐに死ぬような生き方をしていたのだ。
「……肩を掴まれるまで気付けないとはな」
この町の明るさにあてられたのかもしれない――などと反省し、帰路に着いた。
明日また投稿します。
時間は恐らく、22時頃になると思います。




