5.特殊鉱術
「病気ではないようだな」
町唯一の医者――バーボルが、男の容体を診ていた。白髪の老人で、腕は確かだ。背筋も全く曲がっておらず、体力も町の青年並にあり、あと二十年は生きていそうな人だった。
彼は男の上半身を脱がし、触診をしていた。
ルネとシャレットはその後ろに立ち、ヴァンはそのさらに後方の壁にもたれかかっていた。ユノンに至っては、こちらにすら来ていない。
ヴァンが、眉をひそめる。
「だとすると、怪我か? パラポーの花を無理矢理食べさせているから、体力に問題はないはずだが」
「何、パラポーだと?」
手を離し、バーボルがヴァンを睨みつける。
「あの、バーボルさん、そのパ何とかという花は何ですか?」
「パラポーだ」
ヴァンが訂正するが、気にしない。
その様子を見てか、溜息をつくバーボル。
「パラポーというのは、魔草の一種だ。傭兵なんかには使うものもいるのだが、それの持つ穢れは、ばらつきが大きくてな。専門家じゃなきゃ見極めが難しいのだよ」
「魔草――穢れの大地で育った薬草のことですね」
「そうだ。魔草はその辺の薬草よりも強い効力がある。だがその反面、穢れを含んでいるから使えるものが限られる。その上、多用するとやはり穢れを取り込み過ぎて、死んでしまう」
穢れを取り込み過ぎている――確かに、顔色は決して良いとは言い難い。これは体調の悪さだけではなかったようだ。
バーボルが渋い顔をする。
「……どうやら穢れが沈着してしまったみたいだ。パラポーは劇薬だから、たとえ用量を守っても、穢れが体内に残りやすい」
「ということは、祓うしかないか」
祓うとは、穢れを除去することを指す。
穢れは基本、人間の体内で代謝され、無害になる。鉱術師だとその能力は高いが、一般人はかなり低い。そのため、薬などで穢れを抜く必要が出てくる。
しかしバーボルは、ゆっくりと首を横に振った。その顔には影が落ちている。
「いいや、無理だ。言っただろ? 沈着しているって。沈着しては薬じゃ祓いようがない。あんたが処置をしてくれていたから、まだ持っているようなもの。普通ならもう、手遅れ――」
「まあ見ていろ」
ヴァンは剣を抜き、その切っ先を男の胸元に近づけた。まるでその挙動は、男の胸を真っ直ぐ貫くように見えた。
「ちょ、何を――」
思わず止めようと手を伸ばそうとした、その時。
彼の剣先から、光が放たれた。
「なっ……!?」
ヴァンの放った光は、ゆっくりと男の胸の中へと入って行き、そして消えた。男の真っ青だった顔に、赤みが戻ったように見える。
「な、何が起きたんだ!?」
「穢れを祓った。俺の特殊鉱術――穢系鉱術でな」
さも当然のように言い放つヴァンであったが、ルネには何のことかさっぱりだった。
シャレットが首を傾げる。
「特殊鉱術?」
「ああ」
ヴァンが魔鉱剣を腰に差し直した。
「鉱術は基本四属性――火、水、風、土がある」
「常識ですね」
「えっ? そうなの、ルネ?」
シャレットがきょとんとした顔をしていた。一般人が知っているほど、鉱術は簡単なものじゃない。ルネも貴族だから勉強しているだけで、詳しいことまでは知らない。
ヴァンがシャレットを横目でみて、口を開く。
「一般人なら知らないことだ。ルネはそれなりに学がある人間だろうからな」
「……なるほど」
神妙な面もちで頷くシャレット。しかしルネの心中は、酷く波立っていた。まるで自分が、シャレットと同じ目線にはいないと、言われた気がして。
そのとき、シャレットがルネの顔をのぞき込む。緑色の瞳が、ルネを映し出す。
「ルネ、そんなに顔をしかめて、大丈夫?」
どうやら顔にでてしまっていたらしい。すぐに作り笑いをして、
「大丈夫ですよ?」
と、心配させにように言う。シャレットの顔は曇ったままだったが、しぶしぶながらも納得してくれたようだった。
その様子を眺めていたヴァンが、溜息をついたのが聞こえた。
「続けるぞ。鉱術は基本四属性の概念を組み合わせ、別種の鉱術を発生出来る。それが、上位鉱術だ」
「はい。あなたが使った雷系もそうですね。基本四属性と比べて、扱いが難しいとか」
「ああ。雷系鉱術はまだマシだがな。じゃあ、他にもあることは知っているか?」
「植物を操る樹系鉱術や、幻覚や毒などを生成する霧系鉱術、それから金属を操る鉱系鉱術も聞いたことがあります。それ以外にも、治癒鉱術や破壊鉱術など、鉱術の基本四属性から外れた術式が存在するとか」
「その通り。基本から外れているが故、それぞれの鉱術はそれぞれの才能を持つ人間にしか使えない」
「それが……特殊鉱術と言われているとか」
「その通り。よく勉強しているな」
「兵士たるもの、勉強も鍛練のうちですから」
「そうか……まあ、いい。今使ったのも、その特殊能力といわれる鉱術の一つ。祓系鉱術だ」
「祓系鉱術?」
首を傾げるシャレットに、ヴァンが「そうだ」と、頷く。
「これは、穢れに直接作用して穢れを薄めたり、穢れへの耐性を一時的に上昇させたりする。なかなか使い手はいないが、とても有用な術だ」
「それで、この男の人の穢れを祓ったわけですか? それにしては彼、全然良くなったようには見えませんが?」
ルネの嫌味に対し、ヴァンは意に介さず、説明を続ける。
「穢れは祓えた。これは単純に、穢れに蝕まれて体力が落ちているだけ。今度は魔草を使わず、それ相応の薬草を調合し処方すれば、治るかもな」
「たとえば?」
「さて……俺は何種類か知っているが、この辺に何が生えているか知らない。バーボルとやら、何か良い薬草を知っているか?」
「……知っているには知っている」
「歯切れの悪い返事だな。何か問題でもあるのか?」
渋い顔のバーボルの様子を見て、ルネははっと気付いた。
「バーボルさん、僕が取ってきます。マラキアの丘ですよね?」
「いや、いかんぞルネ。いくら外界といえど、あそこには悪魔が――」
「バーボルさん!」
しかし、もう遅かった。
「なるほど、そういうことか」
ヴァンが納得したかのように頷く。思わず歯噛みしてしまう。
ヴァンはその場で床を見つめ、何やら思案していた。そしてしばらくするとルネの方を向き、口を開いた。
「俺とお前の二人で行くか」
「えっ?」
予想外の一言に、間の抜けた声を出してしまった。
「だから、俺とお前の二人で行くぞと言っている。元々俺の拾ってきた男だから、ある程度は面倒見なきゃな。ただ、俺一人じゃ、お前は安心できないだろう? それに、お前だけじゃあ不安だからな」
思わず「独りで大丈夫です」と強がりそうになったが、マラキアの丘は悪魔の多発地帯だ。ルネ独りで切り抜けられるほど、人間に優しい場所じゃない。
ヴァンに頼りたくはない。自分一人でも出来ると思いたいが、現実はそうでない。二人で行くのなら、好都合かもしれない。
「……わかりました。御同行をよろしくお願いします」
「ああ……俺一人でも良かったが」
最後の方、ルネに聞こえないよう呟いたつもりなのだろうが、思い切り聞こえている。
唇を噛み締め、悔しさを押し殺す。どうしてこの人は、人の神経を逆なでするようなことを言うのか。
「そうと決まれば、準備だ」
「わかってますよ」
棘のある口調になってしまったが、ヴァンは気にも留めない。ルネは先を行くヴァンの後ろをついていく。
隣の部屋へ行くと、ユノンが椅子に腰かけ、分厚い本を読んでいた。
「ユノン、話は聞いていたな?」
「はいはい。私は留守番してるわ。行ってらっしゃい」
ユノンは本を読みながら、手をひらひらと振って送り出した。
ヴァンはそれを確認するとすぐに扉を開き、外へと出て行く。ルネも、準備のために下宿先のバーボル宅へと戻っていった。
扉の閉まる音を聞き、ユノンは顔を上げ、彼らの出て行った扉を見遣る。
やや肩を竦めるようにして、彼女は自身を座った椅子に預け、目を瞑った。
「全く。ヴァンはとことん世話好きなんだから」
呆れが混じった声。けれどそこには、親愛の色が混じっていた。
ヴァンとユノンは義兄妹だが、周りが思っているほど長くはない。
というのもユノンは、一桁の年齢で留学し、ローザ王国の王立鉱術学校へ通っていたのだ。その後、ヴァンに再会したのは、王立中央研究院で結晶鉱術研究室の室長になってからだった。
ヴァンに再会し、室長を辞めて研究室を飛び出した。彼の願いを叶えたいから、という理由もある。けれど一番の理由は、ヴァンと一緒にいたいだけ。彼の傍を離れたくないだけだ。
自分の抱いている想いに気付き、顔をしかめる。そして誤魔化すように舌打ちをして、本に目を落とした。
「その本、面白いですか?」
その声が自分に掛けられたものだと気付き、顔を上げた。視界にうつったのは、シャレットが膝に手をついて身を乗り出す姿だった。
目があうと、彼女は満面の笑みを浮かべた後、本を覗きこんだ。
「うわっ、難しい。何書いてあるか全然わかんない。やっぱりユノンさんって、凄いんですね」
「というかあなた、文字読めるの?」
「ええ。自分で書くのは厳しいですけど、読むくらいなら。パラポーさんとか、ルネとかに教えてもらったんです」
「へえ、こんな田舎なのに。ローザの識字率はそう高くはないのにね」
「シキジリツ?」
「読み書きできる人の割合って言えば、わかる?」
「……なんとなく」
眉間に皺を寄せて考えこむ姿は、なんとなく愛らしい。なるほど、こういう少女を魅力的というのだろう。自分の姉に――カノンに似ている。
そのように感じたせいか、急にこの少女に親近感が湧いた。そこに混じってもおかしくないはずの黒い感情は、彼女とルネの関係を見ていたせいか、影も形も見当たらない。
「あの、この本の内容っていったいどんなの何ですか?」
だからだろう。彼女が興味津々で尋ねて来るのに、邪険に扱う気になれないのは。
「鉱術とその誕生記。簡単に言えば、お伽噺ね」
普段なら無視するようなことを、ユノンは何気なく答えた。
「お伽噺? 鉱術って、神様が悪魔に抗するために授けてくれた技術、なんですよね?」
予想通り、小首を傾げて疑問を口にしてくる。
確かにそれが定説だ。人々は、誤って虚孔を開いてしまった。魔界への入り口である虚孔が開いたため、世界に穢れが流れ込み、そして悪魔が襲来した。その結果、この世界には穢れの大地と呼ばれる、穢れで満ち溢れた土地や、このルーヴェがある外界という、汚染はされているが一応は人の住める地域が形成された。
これら悪魔に抗するための手段として、神が人間に鉱術を授けた。更に安息地という、穢れが一切入れない区域を作り上げた。
そして神は、天使たちを地上へ送り込み、鉱術師と協力することで強大な上位悪魔たちを封印し、仮初ながらも平和を手に入れた
――というのが、聖教の掲げる定説だ。
しかし、ユノンは断言する。
「私はそれが全て正しいとは思っていないの。その説を大っぴらに掲げるつもりはないし、ヴァン以外に教えたって信じてくれないだろうから、心のうちに留めるだけだけどね」
「そうなんですか? でも、ちょっと興味あるかも」
たまにそう言われるが、ユノンとしてはこれを教えるつもりはない。聖教に楯突く真似をして、無事でいられるとは思えない。ついでに言えば、ほぼ全て虚偽だと思っているのだ。言える訳が無い。
「教えないわよ。面倒くさい」
などと溜息交じりで答え、飲みかけの紅茶を口にする。この小屋の隅っこにあった茶器を使って、ヴァンが淹れてくれたものだった。美味しい。
「いえ、そっちじゃありません。ヴァンさんとの関係の方です」
口に含んだ紅茶を、思い切り吹き出した。シャレットの顔面に噴きかかる。
「うわっ! ちょっと、何してるんですか!?」
「な、な、何って、あんたこそ一体何てことを聞いてくるのよ!」
紅茶を浴びせられたシャレットに、ユノンは顔を赤らめて声を荒げる。
最初こそ驚いたシャレットだが、顔を拭いてすぐに平常心に戻った。そして、少しだけ悪戯じみた笑みを浮かべた。
「ユノンさん、そんなに動揺して……兄妹とか言ってたけど、もしかしてそれ以上の――」
「べ、別に何もないし! ああ、あんなの、ただの兄貴ってだけだし!」
「ふーん。本当にそうなんですかぁ?」
わざと間延びした口調で、ユノンをからかう。
「そ、そうよ! 大体あんたこそ、あのルネとかいう奴のこと好きなんじゃないの?」
「はい、そうですよ」
はっきりと断言するシャレットに、ユノンは二の句が継げられなかった。
シャレットはややはにかみ、少し恥ずかしそうにもじもじしていた。
「初めて来たときから、気になっていたんです。こんな辺境に飛ばされたのにいつも一生懸命で、真っ直ぐだった。凄くキラキラ輝いていたんです。そんな彼を見ていたら、心がどきどきして――ああ、これが恋なんだな、って」
頬を赤く染めながら話すシャレットが、とても可愛く、そして遠い存在に感じた。
――いや、そうじゃないわ。
遠いんじゃない。背を向けているだけだ。だから見えないほど遠くに感じるだけ。振り返ればそこにいる。けれど、振り返る勇気がないだけだ。
突然、彼女の脳裏に、ヴァンの後姿が浮かんだ。その隣には、今のユノンをシャレットのように明るく快活にした少女がいた。
カノン=マクスウェル――ユノンの姉で、ヴァンが愛した人。そして消えてしまった少女。
「あの、どうしました?」
ハッ、と顔を上げると、シャレットがユノンの顔を覗き込むように、屈んでいた。
「何でもないわ」
横を向いて目を合わせまいとする。それに対し、シャレットは口をすぼめて少し寂しそうにしただけだった。
いや、そうじゃない。ちらちらと、こちらを窺う様子が見て取れた。何かを聞こうと、きっかけを作るために声をかけたのかもしれない。そしてユノンには、心当たりがあった。
「心配しなくても、ルネは死なないわよ。ヴァンがついているんだから」
「……そう、ですか」
「不服そうね」
シャレットが不安そうに視線を下げる。
「だって、あそこは町のいろんな人が行って帰って来なかった場所だから。駐在の兵士さんなんかも調査に行って、それきりだし……」
「……あなたはこんな田舎にいるだろうから知らないと思うけど、ヴァンはこと戦闘においては、並ぶものがいないほどに強力よ。それこそ中位以上の金属悪魔でもない限りは、ヴァンが負けることはないでしょうよ」
「でも、ルネは――」
「いつもヴァンは、この私を守っているのよ? 対個戦闘じゃ、ルネに劣るかもしれない私をよ? そんなルネを、ヴァンが守れないなんてことはないわ」
「そう、ですか」
それでも心配なのだろう。顔は曇ったまま、俯いたままだった。
ぺこり、と頭を下げ、シャレットが小屋を出ていった。
それを横目に見ながら、ユノンが紅茶に口を付けた。
――ま、あのヴァンが、役立たずにしか見えない奴を連れていった時点で、何かあ
るのは間違いないけど。
その考えは、口に含んだ紅茶とともに、飲み込んだ。




