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4.カノンの面影

 ルネは大剣を残し、扉の部屋へと入って行った。おそらくそこに着替えがあるのだろう。 


 ヴァンが奥の部屋へ入っていく。そこには、先ほど穢れの大地で助けた男がベッドに横たわり、その枕元には、先ほど走ってやってきたシャレットという少女がいた。彼女は、何やら男の体に触れていた。


「何をやっているんだ?」


 近づき尋ねると、シャレットは顔を上げた。


「触診です。医術の心得はないですが、少しくらいならわかるので。バーボルさん――お医者様が来るまでに、簡単な処置でもと思って」

「ああ、もう俺があらかた終わらせた。後は、専門家に任せるだけでいい」

「えっ?」

「意外か?」


 ふっ、と微笑する。恐ろしいと巷で大絶賛の微笑だったが、シャレットには本心が伝わったらしい。恐れるのではなく、恥ずかしそうに顔を俯かせていた。


「あの男を保護したのは、穢れの大地だからな。穢れが溜まっているかもしれないから、早めに処置は済ました」


「穢れ……虚孔(ホール)から洩れでる、生物を蝕む猛毒ですね」


 シャレットの言葉にヴァンが頷く。


「ああ。俺らみたいな鉱術師は耐性が高いが、あいつみたいな一般人は、そうは耐えられない。鉱術師は穢れの大地を跨ぐから、穢れの処置に関しては、それなりに知識を蓄えているんだよ」


 するとシャレットは、顔を上げて目をキラキラと光らせた。


「そうなんですか。強いだけじゃないんですね」

「強さというのは、戦闘が強いだけではない。生き残れることが、強いということだ――って、そんなことあんたに言っても仕方ないな」


 思わず苦笑する。

 しかしシャレットは、首を横に振った。


「いえ、そのお話、ルネにも聞かせてあげたいですっ! そういう、強い人の心得みたいなものを聞けたら、彼は喜ぶと思うんです」

「ルネか……あいつ、一体どういう奴だ?」

「どういうって?」


 と、小首をかしげるシャレット。なかなかに愛嬌がある。


「駐在兵士だということはわかっている。しかし、いくら平和な町だからとはいえ、門番にあんなのを置いて何処かへ行ってしまうのは、問題があるだろう?」


 あんなのというのは、ミランのことだ。ヴァンが怒っていた理由が、これだった。ルネが無責任なミランを門番にしていたことが、ヴァンは腹立たしかったのだ。

 己のミスは己に降りかかる――少しこらしめてやろうと思い、攻撃を仕掛けたのだった。殺すと言ったのはまあ、勢いみたいなものだ。

 シャレットも、誰のことを指しているか理解したのか、少し顔をしかめる。


「今日は、ミランさんの当番ではありませんでした。多分、当番の人を追い出したんです。自分がこの詰め所を使いたいが為に」

「屑だな。どうしてそんな奴を、見張りに使っているんだ? 外した方が、この町のためにもなるだろうに」

「……本当は、ルネもミランさんを見張りのローテーションから外したいそうです。けどこの町、駐在兵士が二人しかいなくて……町の人が見張りを手伝って、ようやく何とかなるんです」

「なるほど、二人しかいないのか……。王都から派遣された身としては、あの男を見張り番から外すわけにはいかないということか。難儀なことだな」

「でも、ミランさんはやる気がなさすぎます! 毎日毎日お酒ばっかり飲んで、夜警をせずにすぐに寝て、そんなのだから、左遷される……あっ」


 自分の言った言葉の意味を知っているのか、唇をかみしめて、俯く。

 左遷――つまり、ルネはミランと同格の落ちこぼれということ。


「……左遷は、あいつだけのせいじゃないだろうけどな」

「えっ?」


 顔を上げるシャレット。ヴァンは、シャレットの反応を意外に思う。


「本人から、何も聞いていないのか?」


 頷くシャレット。

 ヴァンは思案する。ルネがどういう人間かを教えれば、それが距離を置かれる原因にもなりかねない。確かにそれは、説明を躊躇う理由にはなる。

 しかし、この娘に限って、それは無かろうに。言い辛いのもあるだろうが、心配し過ぎだ。


「ルネ=ベルモンド――あいつの本名だ。ベルモンドというのは、別に珍しい名字ではない。けれど、ローザ国内で金髪碧眼の、しかも兵士とくれば話は別だ。ルネがなぜ兵士になったか知っているか?」

「えっと、そういう家系だって」

「間違いない。奴は将軍の息子だ」


 シャレットが息を呑んだ。しかし、気にせず続けた。


「サン=ベルモンド……現在のローザ王国将軍にして、当代最強の男。その息子や娘も、ことごとく軍属で、要職に就いている。ただ一人――落ちこぼれのルネ=ベルモンドを除いて」


 この話は噂好きの王都民なら誰でも知っている話で、周辺の街にも流布している。しかし、辺境の町であるルーヴェには、その噂が流れてこなかったのだろう。


「ルネは実直で真面目な少年だった。学問にも秀で、信仰心にもあふれていた。けれど最大の欠点が武芸。武器の扱いが、致命的に下手だったと聞いている」


 あくまでこれは俺の推測だが――と、前置きをして、彼の能力について語り始める。


「反応速度はかなり良いし、体捌きも悪くない。けれど、武器の扱いがとてもぎこちなく、不器用さを感じさせる」

「ルネ、不器用ですか? 野良仕事とか、他の男の子よりも飲み込み早いですよ?」


 シャレットが首を傾げる。

 貴族にそんなことさせてたのか、なんて野暮なことは言わない。


「それなら単純に、剣術には向かないのかもしれない。あるいは――いや、それはいい」


 少しだけ間をあけ、続けた。


「ルネは馬の扱いも致命的に苦手だったという。乗っても、すぐに馬が暴れ出すとか。それでは騎兵にはなれない。それでは絶対に出世が出来ない」


 ローザ王国では、騎兵と歩兵は完全に区別される。前者には貴族が多く、能力があれば出世することが出来る。しかし後者はどう足掻いても分隊長以上にはなれない。

 そのことを説明すると、シャレットの眉尻が下がった。


「だから、左遷させられたんですか?」

「そう。これが他の家なら問題ないが、奴はベルモンド家の末弟だ。一族の恥を近くに置いておくなんてことは出来ない。ゆえに、安全なこの町に放りこんだんだろうな」

「そんな……」


 シャレットが泣きそうな顔になる。優しい子だな、なんて思った。


「しかし、ルネはそれでも満足している。気にしない方が良いだろう」


 そう言って、背を向ける。そして、顔だけで彼女の方を振り向く。


「しばらくそいつを診てやってくれ」

「えっ? あっ、はい。わかりましたっ!」


 と、シャレットが満面の笑みでこたえる。魅力的な笑顔だった。

 だが同時に、久しく感じていなかった強い痛みが、胸を貫く。思わず左手で心臓のあたりを握り締めた。それが何に由来するものなのか、ヴァンはすぐに思い至った。


 ――まだ、こんな心が残っていたとはな。


 自嘲し、そのまま部屋を出た。ユノンは、いまだ椅子に座ったまま。先ほどから一歩も動いていない。


「なーんか、楽しそうね」


 戻った途端、ユノンが突っかかってきた。眉尻を上げて、やや睨みつける形だった。


「ん? なんだ、嫉妬か?」

「いつ、誰が、どこで、何故、嫉妬するって!!」

「今、ユノンが、ルーヴェの駐在兵士詰め所で、義兄が年下のガキに魅了されて、嫉妬すると」

「そんなわけないでしょ!」


 と、彼女が魔鉱杖を振るう。ぶんぶん振るわれる魔鉱杖を避けつつ、ヴァンはユノンに語る。


「大丈夫だ。あそこまで年下となると、さすがに趣味じゃない」

「それはそれで困るのよ!」


 ぶんぶんとユノンが魔鉱杖を振り回す。それを軽々とステップしながら、ヴァンは彼女の攻撃をかわす。


「ユノン、何故困るんだ? 俺が年下趣味だと、あのシャレットとか言う女に惚れていることになるのかもしれないんだぞ?」


 俺のからかい半分の疑問に対し、ユノンは面白いくらい顔を真っ赤にさせた。

 そろそろ潮時か――と、ユノンの攻撃をいなして背後に回り、肩を抱いてやる。


「大丈夫だ」


 ほんの少しだけ、力を強める。微かにユノンが震える。

 ヴァンが、ゆっくりと口を開く。


「俺は、カノン以外の女を、好きになることはないさ」

「……いつか火炙りにしてやる」

「物騒な奴だな」


 苦笑するが、ヴァンは気付かなかった――ユノンが歯がゆそうな表情で、強く歯を食いしばっていたことに。

読んで頂き、ありがとうございます。

次話は23日の20時頃に投稿する予定です。

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