3.弱いけれど弱くない
「……ほう」
ヴァンの放った不可視の風刃を生み出す風系鉱術「烈風刃」は、ルネにしゃがんで避けられ、扉を傷つけただけだった。
死ねと言ってはみたが、実際に殺すつもりなど毛頭なかった。そのため、かなり威力を弱めていたのだが――まさか、避けられるとは思わなかった。不可視の攻撃を避けるような勘が、あるとは思えなかったのだ。
「あ、あなた一体何を!?」
顔を上げたルネは、酷く狼狽した様子だった。
それを無視し、ヴァンは黒色の鉱物――魔鉱を取り出す。鉱素を含むこの鉱物を、魔鉱剣の柄頭にある鉱素抽出器に押し込む。幾ばくもせずに半球が光り出し、ヴァンに鉱素が流れ込む。
鉱素を、鉱術の源である鉱力へと変換し、どう動くか迷っているルネに向けて、先ほどと同じ風系鉱術「裂風刃」を発動。
風の刃がルネへと奔る。
するとやはりルネは、それを避けてしまう……不可視のそれを避けられるほどの実力者には感じられないのだが。
ルネはようやく腹を括ったのか、背中に吊るしていた大剣へ手を伸ばした。
来る――感じると同時、ルネが宙へと跳ぶ。剣を抜きざま、ヴァンへ向けて剣を振り下ろしてきた。
風系鉱術「巻剣」を発動。ヴァンの魔鉱剣に竜巻状の風が纏わりつく。そして、ルネの剣を受けた。
「……?」
対重量武器の定石として、受け流したのが……予想よりもずっと剣撃が軽い。
ヴァンが後方跳んで距離を空けながら、雷系鉱術「雷電」を発動。現出した一条の雷がルネに迫る。
しかしルネは、それを剣で弾き飛ばした。
ヴァンが目を見開いて驚愕した。
ありえない――魔鉱剣でもないただの大剣が、鉱術を弾き飛ばしたという事実に。
ヴァンの動揺に気付いたのか、ルネは辺りのものを吹き飛ばしながら、一足で迫る。
咄嗟にヴァンが、近くにあった酒瓶を投げつけた。
ルネはそれを剣で叩き潰す。酒瓶が壊れ、酒がルネに降りかかった。
強烈なアルコール臭が立ち込めると同時、ルネが動きを止めた。
「ほう、わかったか」
思わずヴァンが声を洩らす。
「……ええ」
酒塗れのルネが、悔しそうに吐き捨てる。
この酒はアルコール度が高く、簡単に火がつく。ヴァンはそれを狙い、これを投げつけた。
相手が突っ込んでくれば、火系鉱術や雷系鉱術をかすらせるだけで、火だるまにできる。火の粉を飛ばす鉱術でも十分致命傷となる。
しかし、それに気付いたルネはすぐに立ち止まった。
――判断力はある。それに、体捌きも悪くない。しかし、アンバランスなくらいに剣の扱い方が下手。
さて、どうしたものか――ヴァンが次の行動に悩んでいたその時、
「ルネ!?」
扉の方から、女性の声が聞こえた。
なぜこの男が、ルネに攻撃を仕掛けたのかは分からない。
けれど一つだけわかっていた。自分の実力では、この鉱術師に勝てないことが。
鉱術師――鉱術と呼ばれる、理を歪める術式を操る者たちの総称。
そして目の前にいるのは、旅から旅へとさすらう傭兵の類。自分の力だけを頼りに、悪魔のひしめく穢れの大地を渡り歩く者だ。
貴族でありながら僻地に飛ばされたルネのような落ちこぼれでは、勝てないのは道理。状況について行けず、咄嗟に動けなかった自分などでは敵うはずがない。ましてや、いきなりの攻撃で困惑したまま動けるわけがない。
自分の攻撃は簡単にいなされ、アルコール度数の高い酒を被ってしまった。扱いの難しい雷系鉱術を使えるということは、自分を火だるまにすることなど簡単だろう。
男はその鋭い視線をルネに向けたまま、思案しているようだった。何を考えているかは知らないが、決して平和的なことではないだろう。
どうすればいいんだ――と、焦りを帯びながら迷っていた時、
「ルネ!?」
振り返ると、肩で息をするシャレットが扉の傍にいた。そして、ルネと男が対峙しているのを見て、呆然とした。
「な、何これ……」
「……ああ、こいつを殺そうとしていたんだよ」
男の発した言葉に、シャレットは愕然としていたが――すぐに表情が変わる。
「あ、シャレットさん――」
止める暇もなく、男を詰め寄りって睨みつける。それなりに上背のあるシャレットだが、背の高い男を見上げる形となった。
「なんだ?」
パァン、と軽い音。
シャレットが、男の頬を叩いていた。
「シャ、シャレットさん!?」
ルネが思わず叫んでしまった。
それに反応せず、シャレットは男を睨みつけたまま、口を開いた。
「あなた馬鹿じゃないの!? 病人だか怪我人だかを連れてきているんでしょう!? それなのに戦うなんて――殺し合うだなんて! あなたも鉱術みたいな特別な力を持っているなら、その力を使って怪我人を助けるくらいのことしなさいよ!」
「……俺の鉱術に癒しの力はない」
「たとえそうだとしても、ここで無意味に争っていることに意味があるの? ないでしょ!?」
瀑布のような勢いのシャレット。無言で睨みつける男と無言で対峙する。火花が飛び散っているかのようだ。
いや、冷静に見ている場合ではない。あの男は危険だ。助けないと――
「ヴァン、そろそろやめたら? もういいでしょ?」
ルネが止めに入ろうと決意したその時、座ったままだった少女が口を開いた。ヴァンと呼ばれた男は、苦々しい表情を浮かべ、少女へと目線を移す。
「……ユノンも、ときどき甘いよな」
「いや、面倒なのが嫌なだけだし」
心外だといわんばかりに、ユノンと呼ばれた少女が首を振って否定する。
ヴァンはしばらく剣を構えていたままだが、やがて「まあ、いいか」と呟いて剣を下ろした。
ほっ、と肩の力を抜くシャレット。その場にへたり込んでしまう。額には汗をかいていた。
いくら気丈にしていようと、相手は鉱術師。心が折れなかっただけでも凄いことだ。
しかし二人の会話を聞いたルネは、彼女に駆けよる余裕もなくなっていた。
「ヴァン……ユノン……あ、あなたたちまさか『マクスウェル兄妹』ですか!?」
「…………だったら何?」
半眼のユノンの、面倒そうな返事は肯定を表していた。その事実に愕然とし、同時に恐怖で体が震えた。
マクスウェル兄妹――通称『邪神殺し』
妹の『天才』ユノン=マクスウェルは、単独での使用は不可能とされていた鉱術を使いこなせる、唯一の鉱術師。最年少で王立研究院に入り、数年で辞めてしまった、奇人にして天才の美少女。
そして兄の『銀髪の悪魔』ヴァン=マクスウェル。多彩な鉱術と卓越した近接戦闘で、鉱術師の中でもトップクラスの実力を誇る。
この二人のコンビネーションの前には、悪魔の中の悪魔――金属悪魔ですら歯が立たない。
そして――その二つ名通り、邪神とも称されるほど馬鹿げた強さを持つ上位金属悪魔すらも、二人だけで倒したことがあるという話だ。
そんな規格外の男と剣を交えていた――あまりに無謀なことに、言葉を失う。
第一、彼らがなぜこんな辺境にいるのか。なぜ人助けなどしていたのか――
そこでルネは、自分がなぜここに来たのかを思い出した。
ルネの様子に気付いたのか、ユノンが杖で詰め所の奥を指した。
「私たちが連れてきた男なら、奥にいるわよ」
「えっ?」
「ありがとうございます!」
シャレットが急いで立ち上がって頭を下げ、そしてすぐに奥へと向かった。椅子の残骸を跳び越え、ヴァンの横手をすぎ、ユノンの前を通って。
ルネも剣をしまい、駆けようとする。しかし、ヴァンが手をかざし、制止させられる。
「酒臭いから、着替えてこい。着替えくらい、置いてあるだろ?」
自分がぶつけておいて、それは理不尽だ。
そう思ったが、流石にそんなことは言えない。背を向けて少し移動し、隣の部屋への扉に手をかけた。
「ああ、ちょっと待て」
呼び止められ、振り返る。
その時のヴァンの顔は――非常に奇妙だった。
真剣だけれども、どこか楽しそうで嬉しそうな表情。どことなく稚気も混じっているように感じられて、子供が野山で綺麗な石を見つけた時のような表情をしていた。
「ルネといったか。剣を振るう時にどうしている?」
「えっ?」
「あれだけ大きい剣だ。大層重いだろう。振るう時、何かコツがあるのか?」
ヴァンの目には、嘲りの色はなかった。
だから、ルネも真面目に答えた。
「力や技ではなく、剣の力で相手を斬る様に。むやみに操ろうとはせず、剣の重さを使え――そう習いました。それを実践しようとしています」
「お前自身、本当はどう扱いたいんだ?」
――それはおそらく確信だったのだろう。
ヴァンだけが気付いていた。ルネ自身も、誰一人として知らなかった事実に。
「……本当は、そんな使い方をしたくはありません。とても扱い辛いし、そもそも重さなんて使わなくても――」
剣を取り出し、身の丈を軽く超える大剣を、軽々と振るってみせた――片手で。
「僕には、この剣でも軽すぎますから」




