25.天才の意味
ヴァンたちは穢れの大地で野営した後、ルーヴェへと帰還しようと、元来た道を辿った。
しかしその帰路で、シャレットが奇妙なことを言い出したのだ。
「この道、大量の悪魔に穢されています」
元々、従者は騎士の戦闘補助の役割がある。というのも、騎士並に悪魔の気配を探知できるからだ。またその悪魔の特性も、普通の鉱術師以上に看破しやすい。
その彼女が言うのだから、間違いはない。
ヴァンたちは、急いでルーヴェへと帰還した。しかし、門のだいぶ手前で、彼らは立ち止まった。
「……嘘。何なんですか、これは」
ルネの呟きは、しかしそこにいた誰しもが思ったことに違いなかった。
中に入らずとも、彼らの鉱覚は感じてしまう。
――ルーヴェはもう、悪魔に蹂躙されていた。
何十、何百という悪魔たちが暴れまわっているのが分かる。人の気配は――感じられない。
入れば恐らく、悪魔達がルーヴェを蹂躙し、の住人を食らっているだろう。
ルネが声を震わせ、泣きそうになっていた。
「くそっ……くそっ! なんでこんなことになるんですか!? せっかく……せっかく、シャレットさんが戻って来られたのに……!!」
歯を食いしばるルネが、キッと前を鋭く睨め付ける。剣を抜き、駆けだそうとした。
ヴァンはそれを、後ろから掴んで止めた。
「離して下さい!」
「よせ、お前が単身乗り込んでも死ぬだけだ。あんな大勢の悪魔、相手に出来ると思うのか?」
途端、ルネは悔しそうに顔を歪めた。
「でも、まだ生きている人だっているかもしれないのに……!」
「本当に、そう思っているのか?」
口をつぐむ。
ルネのそれは、ただの八つ当たりだ。駐在兵士としての役目を果たせず、見殺しにしてしまった自分への怒り。それをぶつけるために、剣を抜いて悪魔の群れるルーヴェへ赴こうとしただけだ。
それは自殺と何ら変わりない。
感じる限りにおいて、悪魔の総数は数百はいるのではないだろうか。金属悪魔も、ちらほらと感じられる。
ここは、退避するのが常套手段。悪魔に気付かれないうちに引き返すべきだ。
しかし、
「あの町が、私の故郷なのですね。人間としての私にとっても、悪魔としての私にとっても」
シャレットは、誰に言うのでもなく、独りごちた。
「……ええ、そうです。生まれ故郷は違いますが、紛れもなく、あなたが十年間育った町です」
ルネは絞り出すように答えた。
「そうですか」
シャレットは無表情のまま、虚空を眺めていた。そしてそれほど時間を開けずして、ヴァンへと視線を向けた。
「ヴァン様」
「様など付けるな。ヴァンでいい……それで、何だ?」
「それでは……ヴァン、あの町を救ってはもらえないでしょうか?」
シャレットの申し出に、二の句が継げなかった。
確かに、感情を持っている彼女であれば、生まれる願いではあった。完全に失念していた。
しかし――何故だ。あの町はもう救いようがないというのに。恐らく、人は死に絶えてしまったであろう。
すると、何も言えないヴァンの心中に気付いたのか、シャレットは「そうではありません」と首を振った。
「あの悪魔たちを、あの町から消して欲しいのです。あの町はきっと、悪魔になる前の私にとって、大事なものだと思いますので。たとえ、誰もいなくなっていたとしても」
「……そうか。そうだな」
そして、ヴァンが何を言うでもなく――それがまるで当たり前だといわんばかりに、ユノンが歩を進めた。ヴァンの横を、ルネの横を通り過ぎ、一人ルーヴェへと近づいていく。
「ユノンさん、何を――」
「黙って見ていろ」
ルネが振り返り、ヴァンを見上げた。そして、怪訝そうな顔をする。
「……なんで、そんなに嬉しそうなんですか?」
ルネに指摘されて、顔に手で触れてみる。
口角が上がっていることに気付いた。
流石に不謹慎だと思い、顔を引き締め直す。
「すまない、ルネ。久々に、ユノンのアレを見ることが出来ると思うと、少しだけ心躍ってしまった」
ヴァンたちから数メートルほど離れると、ユノンが立ち止まった。
そして、ユノンは深呼吸を始めた。
体内から余分なものを取り除く作業であり、集中力を最大限まで引き出すための儀式の様なものだった。
それが繰り返され、そして、止まった。そして首から下げたポシェットから、光の塊のような鉱物を取り出した。
「あれは……」
「輝石だ。お前だって知っているだろ? 結晶鉱術を使うには、アレが必要だ」
「結晶鉱術って、あの具現体を召喚する術ですか? ユノンさん、炎が得意だから……サラマンダーですか? でも、そんなものを出してどうするんですか?」
「ユノンが、何故『天才』って呼ばれているか、知らないのか?」
あっ、とルネは間抜けな声を上げると同時に、シャレットの持つ輝石は、彼女の杖へと消えて行く。
そして、杖をがんっ、と地面に突き付けた。
そして彼女は、ルネとシャレットに語りかけ始めた。
「……ルネ、シャレット。あんたたちには同情するわ。ルーヴェがあんなになってしまって、知り合いや友人が悪魔に殺されて……でも、ごめんなさい。私に、それを元に戻す術はない」
でもね、と、彼女は続ける。
「あの悪魔たちは、私が消し去ってあげる。それが私にできる唯一のこと。あなたたちの怒りと悲しみを請け負って――舞い踊ってあげる」
杖の輝きが強まったと同時、杖についている鉱素抽出機から、赤い光が放たれた。
そして――ユノンは静かに舞を始めた。
ゆっくりとした動作で、手や足を動かし、体を捻り、杖を操る。まるでそれは異国の儀式のようで、鉱素変換機で輝く赤光が、杖の動きに合わせて軌跡を作り上げて行く。その光で印を結び、世界に何かを書き込んでいく作業のようだった。
事実、そうなのかもしれない。
詳細は知らない。何故ならそれは、ユノンにしかわからないからだ。
「あれが……マクスウェル式圧縮法」
ルネがポツリと呟いたそれに、ヴァンは頷いた。
――鉱術には、通常の鉱術とは異なる、三種の強力な術式がある。
総称して、結晶鉱術。
輝石と呼ばれる、高密度鉱素結晶体を用いて行う、儀式鉱術だ。
一つ目は、ルネの言っていた具現結晶鉱術。その特化属性に合わせた具現体を召喚する術式。特化属性を究めた鉱術師の中で、更に鍛練を積んだ者のみが扱える。
二つ目が、古代鉱術。現在の鉱術が体系化される以前に存在した術式。現在のカテゴリーでは区分出来ない術が多く存在する。
そして最後が、開放結晶鉱術。異世界の門をぶち破り、まったく異なる理を、この世界に書き込む。鉱術の原型にして秘術ともいえるもの。
最初の具現結晶鉱術以外は、単独使用が不可能と言われており、故に数人で行う儀式鉱術となっている。また開放結晶鉱術に至っては、正式な記録上では、一度しか使用されたことがない。
その開放結晶鉱術であるが、非公式ではあるがユノンも使用したことがある。またそれは、ヴァンたちが上位金属悪魔を葬った術のことだ。
そんなユノンだが、彼女の容量はそれほど大きくはない。大きくないということは、鉱術の中でも特に負担のかかる結晶鉱術は、本来ならば使用できない。
それゆえの、舞だ。
「あの舞には、その一動作一動作に意味があり、空気の流れや光の角度、更には髪の毛の動きまで調節しなければならない。その一つ一つが無意識下で意味となり、断片化され、必要なものだけが圧縮される」
ヴァンはルネたちに解説するが、まるで聞こえていないようだ。
二人とも、ユノンの舞を、食い入るように見つめていた。
舞う度に鉱力が集積し、光となって飛び散る。その幻想的な世界の中で舞姫の如く踊るユノンの姿は、天使のように美しかった。
彼女を取り巻く光は、徐々に強さを増して行き、光の奔流となって彼女を包み込む。
――やがてその光が極限に達すると、徐々に弱まって消えて行く。そして彼女の舞も、そこで終わりを告げた。
杖を掲げると同時、先ほどまでとは比べ物にならない極光が辺りを照らす。慣れていないルネやシャレットは、そこから顔を背ける。ヴァンはただ、目を瞑った。
そして、瞼の向こうの光が弱まってきたのを感じ、ヴァンは目を開いた。
そこには、珠のような汗を滲ませ、息を切らし杖で体を支えるユノン。そして、その頭上に少女の姿を象った炎があった。
第弐式結晶鉱術:古代鉱術発動。
名称「炎ノ巫女ノ海ノ夢」
――異なる世界のとある国に、一人の少女がいた。
その国では炎に神が宿ると考えられ、少女は巫女として、その炎を見守り、そして贄として差し出された。
燃え盛る炎に抱かれ、骨まで消し炭となった少女。願ったことは、ただ一つ。
海が見たい。
少女は巫女として、水に関わるものを一切近づけられなかった。詳しくどのようなものかさえ知らなかった。
炎しか知らぬ少女が抱いた、海の夢。
今それが、顕現する。
「行きなさい、憐れな炎の生贄。あの町にいる悪魔を、あなたの炎で包み込みなさい!」
ユノンの命令と共に、少女は天高く舞い上がった。そして彼女はルーヴェへと飛んでいき、その中空で立ち止まった。
彼女は胸の前で両手の指を組み、空を見上げた。それは、祈りの姿にも似ていた。
そして――彼女から、炎が大瀑布となって溢れ出た。
それは全ての生命を焼き尽くす、鉱力による炎。
全ての生命の源である海とは、似ても似つかぬ、あまりにも強大な炎。
溢れ出る炎は町を包み込み、絶叫がこだます。それが悪魔の声であることは疑いようもない。
炎の巫女の持つ炎は、命のみを燃やす。今はユノンの命令により、悪魔のみを攻撃している。
けれど本来その炎は、全ての生命を呑みこむものだ。
全ての命を包み込む海――その半端な知識が、彼女にこの炎の海を夢想させたのだった。生命を生み出す海ではなく、生命を飲み込み奪い去る海を具現化させたのだった。
……そして、ユノンが疲労で倒れるまで、炎の巫女は炎を垂れ流し続けた。
ユノンが倒れて炎の巫女が消えるとき、彼女は手で自分の顔を覆い尽くしていた。
その残酷な夢を、覆い隠すように。




