24.餌
今回はとても短いです
――時は、少しだけ遡る。
深い深い眠りから、男は目覚めた。
それは決して爽快なものではなかった。泥の海を彷徨い泳ぎ、何度も溺れそうになりながらも、ようやく岸へと辿り着けたような、そんな目覚めだった。
重たい瞼をゆっくりと開くと、そこにはうっすらと見知らぬ天井があった。
首を動かして部屋を見渡すが、そこは男の見知った、ベルモンド家の使用人の部屋ではなく、見たこともない粗末な小屋のようだった。
今はまだ明け方のようで、窓から薄ぼんやりと青い光が差し込んでいた。
起き上がろうとするが、しかし体に力が入らない。
何故こんなところに――と、疑問に思った時、男は思い出した。
男は、収集家として知られる貴族令嬢と共に、ルーヴェという田舎町へ赴き、実験の中止と、ルネの帰還を告げるはずだったのだ。
この町で行われている悪魔兵器の実験は、元はベルモンド家の亡き奥方の発案だった。そして、その奥方が亡くなった後も、その遺志を継いだ者たちが実験を行っていた。
しかし、それが旦那様であるサン=ベルモンド将軍に露見してしまった。
不当なやり方に激怒した将軍は、即刻実験を停止させるよう、秘密裏に自分を送った。手違いで実験対象とされていたルネを連れ帰る命令も、付け加えられて。
そして、別件で用事のあった令嬢の供に見せかけ、馬車を用意し、また腕の立つ護衛も付けたのだ。
「……そうだ。思い出した」
「何を思い出したって?」
聞き覚えのある粗野な声が聞こえたと同時、いつの間にか誰かが馬乗りになっていたことに気付く。その手には魔鉱剣があり、切っ先が自分の喉元に突き立てられていた。少しでも押し込めば、喉から血が吹き出るだろう。
驚きと恐怖で目を見開く男に対して、その相手は――護衛として雇っていたはずのミランは、にやりと笑った。
「よ―やく目覚めたか。待ちくたびれたぜ」
「ミ、ミラン様。これはどういうことですか!? あなたは私どもの護衛として――」
「ああん? テメエ、俺が何したのかも覚えてねえのか?」
楽しそうにニヤニヤ笑うミランをみて、ようやく気絶する前のことを思い出した。
確か、穢れの大地を渡っていた時だ。突如、ミランが鉱術を使い、何かの粉を撒き散らしたのだ。その粉は馬車の中を漂い、次第に体が重くなっていき、意識が途切れたのだ。
そして次に気付いたのが、今だった。
「ホントはそのまま俺が連れてくるはずだったんだけどよ……鉱術を、あの野郎に勘付かれてな。悪魔の気配と勘違いしたようだから鉢合わせはしなかったんだが、せっかくの撒き餌が台無しになるところだった。さすがに馬車ごと移動は出来ないし、かと言って誰が耐えきれるかはわからなかったしな」
ミランが顔を歪める。
「くそっ、あの『銀髪の悪魔』め! ホントに忌々しい野郎だ。計画を狂わせるだけ狂わせやがって」
しかしその怒りもすぐに収まる。すると次は、やたらと口角が上がり、眉間には皺が寄るような、酷く歪んだ醜い笑い顔になった。
「でもまあ、あの野郎があんたを助けてくれたおかげで、最低限のことは出来る。こうして起きてくれたことだしな。ちゃーんと、起動させてから、殺せる」
ミランが片手を剣から離し、中指と親指を使って、パチンっと指を鳴らした。
「これでオッケー……と。心臓に仕込んだ撒き餌も起動させたし、後はそれが死ねば良しと」
「ミ、ミラン様。あなたは一体何をおっしゃっているのです?」
「ん? ああ、そうだな。そういや言ってなかったな」
ミランの剣が、徐々に頭の方へと上がっていく。そして鼻先辺りで止まった。
ミランが微笑んだ。粗野な外見に似合わない、優しいものだった。
「ま、アレだ。冥土の土産って奴だな」
瞬間、眼の前が光に包まれ――彼の命は、悪魔の餌に成り代わった。




