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2.二人の出会い

 ルーヴェの町はずれに、小高い丘がある。広場のようになっているその場所には、青々と草木が生い茂り、地平を超えて登ってきた朝日に照らされ、朝露が輝いている。


 その晴天の下、少年が大剣を振るっていた。


 柔らかな金髪が、剣を振るう度に揺れる。汗が飛び散り、朝日を浴びて煌めく。蒼眼がまっすぐに正面を向き、曇りなく虚空の一点を見つめていた。

 頭上に両手で大剣を振り上げ、右足を踏み出すと同時、それを振り下ろす。地面に着く寸前で止め、右足を引くとともに頭上に剣を戻す。そして次は、左足で踏み出して同じ動作を行う。


 少年――ルネはそれを、日が昇る前から続けていた。


 彼は毎朝、子供たちが来るよりも早く、仕事が始まるよりも早く、ここで剣を振るっている。

 言葉なく繰り返される動作は、しかしその一つ一つに強い想いが込められており、しかし同時に一切の心を動かすことなかった。


 無を見つめよ。心を見つめよ。


 彼が教えを請うた剣士の中で、最も高齢で、最も彼を評価した者の言葉だ。以来彼は、心を無にして剣を振るうようにしていた。

 たとえそのせいで、実際の剣術は一向に伸びず、今までに一度として剣術で勝ったことがないとしても。どれだけ「剣を全く使いこなせてはいない」と言われようと。


 ピタリッ、と大剣を止める。


「駄目ですね。また邪念が混じってしまいました」


 小さく溜息をつき、剣を背中の鞘におさめた。


「隠れてないで出てきて良いですよ、シャレットさん」

「……あれ? バレてた?」


 ひょこっと木陰から現れたのは、長い赤髪の少女だった。太陽のように輝く笑顔で、新緑のような目がルネを見つめていた。少し距離があるからわからないが、近くだとほとんど背丈が変わらない。


 シャレット=オーベル。


 ルネがこのルーヴェに赴任してから、一番仲良くなった少女だ。


 彼女は「おはようっ!」と右手を挙げて近づいてくる。

 そして、ルネの前まで来ると表情が急変し、落胆の溜息をついた。


「今日こそは、ばれないと思ったんだけどなー」

「バレバレですよ。シャレットさんの気配は凄くわかりやすいですから」

「あっ、馬鹿にしてるでしょ? 駄目なんだよ、年上のお姉さんは敬わないと!」


 左手を腰に当て、右手の人差し指で彼を指差した。少しだけ目が吊り上がっていたが、悪戯じみた笑顔が現れていた。


「馬鹿にしてなんかいませんよ。シャレットさんは、いつも太陽みたいに輝いていますから。たとえ目に入らなくてもすぐにわかります。一番綺麗な気配をしているのが、シャレットさんですからね」


 途端、シャレットの頬が赤く染まる。「うっ……」と、小さく呻き、ピシッと立てていたはずの人差し指が徐々にたわんでいく。


「どうしましたか、シャレットさん? 顔、赤いですよ?」

「うっ!? そ、そんなことはな、ないよー? 全然、元気だよー!」


 あはははは、と空笑い。


「と、ところでルネは、今日も訓練? 毎日毎日、よく飽きないわね!」


 急に話題を変えてきた。面白い人だと、ルネは思う。


「僕は兵士ですから。強くなることが仕事です」

「いつもながら、真面目だね。君は」

「そんなことないですよ……弱いから強くなりたいだけです」

「そんなことないと思うんだけどなー」


 シャレットが、優しげに目を細めた。それでもルネは頑なだった。


「僕らの仕事はこの町を守ることです。それが駐在兵士の役割ですから。外敵――悪魔から、町の皆さんを守ることが」

「そんなことしなくても、この町に悪魔なんてやってこないってば」


 はにかむ彼女の言うとおり、この町の付近に悪魔が現れることは滅多にない。


 ルーヴェは外界にある町で、悪魔の住まう穢れの大地からも割と近い。ただ、この町にやってくる悪魔は、非常に低級な、町の人間でも追い返せる程度のものだけだ。穢れの大地から近いからこそ駐在兵士が派遣されているが、本来なら兵士を派遣されるほどの脅威がある町ではない。


「たとえそうだとしても僕は、この町を、そしてこの町に住む人達を守るために強くなりたいんです」

「……そっか。ありがとう」


 彼女がルネの隣に並ぶと、甘い女の子の匂いがした。

 一瞬、胸が痛む。優しく締め付けられるような、心地良い痛みだった。


「ね、そろそろ当番の時間でしょ? 一緒に行かない?」


 横を向くと、シャレット。首を少しだけ傾げて、ルネを見つめていた。

 嬉しくて、思わず笑みが零れる。


「わかりました。よろしくお願いします」




 ルーヴェでは、日が昇れば朝餉の準備が始まり、明るさを増して行くにつれ、人々の活動は活発になる。そんなどこにでもある、ちいさな町だ。

 それゆえ二人が町に降りて行ったときには、もう町人がちらほら見受けられた。


「あらまあ、シャレットちゃんおはよう。朝早いねぇ」

「おはようございます。ミシカおばさん。この間はありがとうございました」

「シャレットお姉ちゃん、おはよう! 昨日はありがとう!!」

「おはようっ、ユーミィちゃん。元気になったみたいで、お姉ちゃん嬉しいわ」

「シャ、シャレットさん! お、おはようございます!」

「あら、ホートンくん。おはよー。朝早いのねぇ……って、私も人のこと言えないけどさっ」


 シャレットは様々な人たちから声をかけられ、その度にきちんとした応対をする。とても人当たりがよく、更には彼女が町で唯一の食堂の看板娘であることも相まって、非常に顔が広い。そして、人気がある。

 その人気は老若男女関係ないが、もちろん男からの人気も高い。事実、何度も求婚されたらしい。その度に、丁重にお断りしたとは聞いていたが。

 シャレットは、飛び抜けて美人や可愛いといったものではない。けれど、彼女には人を惹き付けるものがある。心の美しさが、そのまま顔に現れている。


 ルネが王都ローザを離れて、二ヶ月が経つ。決して長くはないが、短くもない。小規模の町は閉鎖的で、駐在兵士が馴染むには時間がかかると聞いていた。

 しかしシャレットのおかげで、何の違和感も無く馴染めている。現にみんな、シャレットに挨拶した後でルネに挨拶してくれる人が大半だった。


 ゆっくりと二人は並んで歩く。目的の場所は、東にある町唯一の門の方だ。


 人間が暮らしている場所には、必ず囲いが存在する。駐在兵士がいない村でも、人の背丈程度の塀は存在するし、この町でも似たようなものだ。大都市になれば十数メートルはある防壁が存在する。

 もちろん外との入口は必要で、そのために門がつくられる。そしてその近くに、ルネのような駐在兵士の、詰め所があるのだった。


 朝日へ向かって歩いてるせいか、少し眩しい。そして、気持ち良い。その道のりでも、二人はいろんな人に出会う。そのほとんどに手を振り、応えるシャレット。

 その道中のことだった。


「あっ、こんな所に居やがったのか!」


 向かいから走ってやってきたのは、この町で唯一の同僚であるミランだ。いつも通りの汚れた鎧を身に付け、黒髪は寝ぐせだらけ。


「何をやっているんですか? 確かあなたは、王都に行っていたのではありませんか?」

「昨日のうちに戻ってきてたんだよ! それより、どうしたもこうしたもねえ……来たんだよ!」

「――!?」


 横でシャレットが息を呑む。ルネにも緊張が奔る。

 慌てた様子の駐在兵士。「来た」という言葉の意味。それはつまり――敵襲。悪魔の襲来。

 しかしミランは、見当違いのことを言い始めた。


「背中に祓穢外套で包んだ男をしょっててな、二人組っぽくて一人子供で――」

「……ミランさん。来たって、悪魔じゃないのですか?」

「は? んなもんきたら俺、迷わず逃げるぞ?」


 シャレットの問いに、真顔になってミランが応える。

 どう反応していいのか分からないのだろう、シャレットが曖昧な苦笑を浮かべる。ルネは嘆息した。


「えっと。外から人が来た。祓穢外套を持っているから、穢れの大地からやってきただろうと。そして二人組で、その一人が男を背負っていると。そしてその男は外套を着ていない――そういうことですね?」

「あ、ああ。その通りだ」


 落ち着いてきたのか、無駄に尊大な態度になる。先輩風を吹かせているつもりなのだろうか。


 ルネが数度、深呼吸する。そして大きく息を吸って、


「状況的に、どう考えても遭難者を背負ってきているじゃないですか! 僕になんて報告する前に、早く医者を――バーボルさんを連れて来てください!」


 思い切り大声で非難すると、ミランはたじろいだ。しかしすぐに威勢を取り戻す。


「ん、んなこと言われなくてもわかってる! 今から医者を呼びに行くとこだったんだよ……今から」

「バーボルさんの家はあっちです! この道からだと遠回りです!」


 と、ルネは違う方向を指差す。


「ちっ、いちいちうるせえんだよ! 全く……これだから貴族は……」


 ブツブツと不平を洩らしながら、ルネの指差した方へと歩いていく。その悠長さに、ルネは苛立ちを覚えた。


「走ってください!」

「うるせえ!」


 文句タラタラながら、ようやく走りだした。


「全く……」

「ほら、ルネなにやってるのっ! 怪我人がいるかもしれないんでしょ!?」


 ミランと言い争っている間に、シャレットは駆けだしていたようだ。もうかなり先に行っているところから、話を聞いた直後に走りだしたようだった。ミランとのくだらない言い争いのせいで気付かなかった。


「わかっています! すぐに行きますよ!」


 そしてルネも走りだす。すぐにシャレットに追いつき、そして追い抜かして先に行く。


「あーもう、私の方が先に走ってたのにー!」

「走りながら話せるのなら、もっと頑張れるはずですよー!」


 そういう自分も普通に喋ってはいるが、相手は女の子なのだ。こっちは兵士として毎日鍛錬しているのだから、当然だ。


 ただ土を固めただけの道を、軽快に道を走る。地面を蹴るたびに、砂利を踏む感覚がブーツを通して伝わってくる。


 しばらく走っていると、遠くに灰色の石造りの背の低い壁が見え始めた。町を囲う外壁だ。その壁際には、小さな門があった。門のすぐ脇には、簡素な家――駐在兵士の詰め所がある。


 ルネは、その建て付けの悪い扉の前に立つと、それを引き開ける。抵抗しながらもゆっくり軋んで開いた先から、生活臭と呼ぶには少々男臭さと酒臭さの強いものが、中から溢れだした。


 ミランが独りで使っている詰め所は、とにかく雑多だ。中央にある机には衣服や酒瓶が散乱し、また煙草や乾燥した葉――恐らく麻薬の類だろう――もあった。


 そして、見知らぬ人が、二人も椅子に座っていた。


 一人は男だった。銀色の髪に、眼光鋭い緋色の目。不機嫌そうに椅子に背持たれていた。腰には剣。柄頭に透明な半球状の物体が付いている――あれは鉱素抽出器だろうか。ということはあの剣は、魔鉱剣だろうか?


 もう一人は小柄な女の子だった。猫目な黒瞳黒髪の美少女で、少し高めの椅子のせいか、足をぶらぶらさせていた。


「……お前がルネか?」


 銀髪の男が尋ねてきたので、ルネは頷く。

 同時、銀髪の男が立ち上がり、告げた。


「そうか……では、死ね」


 男は立ち上がり、剣を振るった。

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