19.真実
バーボルはルネが背負い、ヴァンは未だ目覚めぬユノンを両手で抱え、駐在兵士の詰め所へやってきた。ルネはその間、始終無言を貫いた。
ヴァンがユノンを、ベッドに横たわらせた。その隣のベッドでは、ヴァンたちが穢れの大地で助け出したと言う男が、静かに眠っていた。
その後、ヴァンがバーボルの手当てを始めた。と言っても、バーボル自身は外傷を負っているわけではないようだ。所々打ち身をしていたが、見た目には命に関わるような傷はない。
「バーボル、頭は打っていないのだな?」
「……ああ、問題ない。これでも医者だ。自分のことくらい、自分でわかる」
「医者の不養生という言葉もあるだろう」
面白くなさそうに、ヴァンが鼻で笑ったのが聞こえた。
ルネは己の唇を噛み締め、ずっと床を睨みつけていた。木目まで見覚えのあるこの小屋は、何ら面白みはない。
するとヴァンは、ついにバーボルへ問い始めた。
「さて、そろそろ訊かせてもらおう。何故、シャレットが悪魔化したのか。あんたは――いや、この町がどう関わっているのか」
「……気付いたのか」
「ある程度な。表向きどのようにしていたのか知りようもないが、このような何もない町が普通に生活できるはずがない」
頭を上げるとそこには、顔を強張らせるバーボルに、いつも通りの仏頂面で睨みつけるヴァンがいた。
「……どういうことですか?」
悪魔化の意味は分かる。人間を悪魔へと変貌させる、禁忌の技術だ。上位金属悪魔が、仲間を増やすために行っていると聞くし、そういった研究を行っている噂も、たまに聞くことがある。事実かどうか、定かではなかったのだが。
当惑するルネに、ヴァンは親切にも説明を始めてくれた。
「この町は大都市からは遠く、交通の便も悪い。しかも特に農業が発達しているわけでもなく、特産はない。売れるものがなければ、富むことはない。そしてそういった町は、概して貧乏だ。旅の最中、そのような町をいくつも見てきた」
「でも、この町はそうでもないと思いますが」
「ああ、そうだな。だから、それ以外に売られているものがあったということだ。悪魔の研究の為の、実験場を提供していた。そして恐らく……その実験体も」
息を呑む。
そんな非人道的なことが、ローザ王国で行われているというのか。
ヴァンが手を顎に当て、思案するような仕草を見せた。
「取引先は、学術目的でダルグベルンか、兵器転用でハーペンスか。王都もあり得なくない」
ダルグベルンは研究都市であり、ハーペンスは国境防衛の軍事拠点である。そして王都はもちろん、政治の中心地である。
ヴァンが促すように、バーボルを睨みつけたが、反応しない。ちっ、と舌打ちをして、話を再開した。
「どちらにせよ、そうやって悪魔を研究していたのだろう。この町の経済状況がいつから良くなったのか――このような非人道的な実験を認める人間は、そう多くはないだろう。となると、現町長からというのが妥当だ。ルネ、今の町長はいつからこの町を治めていたのだ?」
今はもう瓦礫の下敷きになっているだろう町長のことを、ルネは眉間に皺を寄せて思い出そうとした。確か――
「確か、十年前です。シャレットさんが……この町に来た頃に就任したらしいので」
徐々に声が小さくなっていってしまう。
そう、これはシャレットに訊いたことだ。悪魔になる前の、明るくて、可愛くて、優しかったシャレットに。
今はもういない、シャレットに。
そんなルネの心中を察していたのか、ヴァンはバーボルを睨みつけた。それは鋭い一本の刃のようだった。
「バーボル。そろそろ何があったか喋ってもらおう。俺の推測が正しいかどうか、教えてもらおう。もし正しいのなら、どうして俺たちみたいな人間がこの町に滞在しているときに、シャレットを悪魔化しなければならなかったのか」
バーボルはそれでも押し黙っていたが、やがて深く溜息をついた。それは観念したようにも見えたし、深く苦しんでいるようにも見えた。
「……シャレットと、その母親であるアリシアは、ルーヴェへやってきた難民などではない。あらかじめ調査され、素質ありと認定された血統だった」
「素質?」
「上からの指示だから、一体どうやって才能があるとわかったのかは知らない。けれど、彼女たちは十年前にローザが滅ぼしたカメリア王国の出自だ。カメリア王国崩壊の混乱期に、彼女たちは誘拐された……らしい」
「らしい? また曖昧だな」
ヴァンの嫌味に、バーボルは深く嘆息する。
「私はその当時、何も知らされていなかったからな。たまたま別件で町長の家に行ったときに、その事実を知ったのだ」
バーボルが語ることをまとめると――
シャレットとその母親がこの町に連れてこられた時、バーボルは薬の不足を訴えるために町長宅へとやってきていたらしい。まだ実験場として機能する前のルーヴェでは、薬さえまともに手に入らなかったのだ。マラキアの丘の薬草は、実験場として使い始めてから群生し出したらしく、使うことはできなかった。
今よりもずっとみすぼらしかった町長の家に行くと、誰もいない。それで家の中を探していると、地下倉庫の方から声が聞こえる。下りて行くとそこには、見たこともない機材と人間、そして血に塗れた女性がいたという。
それがシャレットの母親、アリシアであり、まさに解体されて実験体として扱われていたのだった。
そしてバーボルの存在に気付いた白衣の男たちは、すぐさま護衛を呼び出し、始末させようとした。けれどそれは、町長の手によって阻まれた。そして彼に、協力するよう要請したのだ。
無論、断れば殺される。なればバーボルの選択肢は、一つしかなかった。
こうして、今に至る。
「……なるほど。シャレットを育てていたのは、実験体の監視と観察の両方を兼ねていたというところか」
「結果的には、そうなったな」
「結果的には?」
バーボルの発言に、怒りがこみ上げてくる。
ルネは立ち上がり、バーボルの傍へと歩み寄る。椅子に座っていたバーボルが彼を見上げた途端、ルネはバーボルの胸倉を掴み上げた。
「何が結果的にはですか! 最初からそのつもりだったのでしょう? 最初から自分の近くで育てて、そして良い頃合になったら実験台にしようとして……シャレットさんは、実験動物じゃないんですよ!」
「違う! 本来ならシャレットは、すぐさま実験に使われるはずだったのだ!」
激昂するルネに、バーボルは焦った様子で言い訳を始めた。
うるさい黙れ――空いている方の手を握りしめるが、その拳をヴァンが抑え、制する。
しぶしぶ手を緩め、バーボルを掴んでいた手も離す。
「それでいい。バーボルには、全てを語ってもらわなければならないからな」
ルネは歯を食いしばり、拳を強く握りしめる。掌に爪が食い込み、血が滴り落ちるほど。そうでもしなければ、今すぐにでもバーボルを殺してしまいそうだった。
やや苦しそうなバーボルではあったが、ヴァンの視線に気づき、続きを話し始めた。
「シャレットは、母親が実験体とされた後に、すぐに実験台として使われることとなっていた。シャレットは母親を超える、数十年に一人の逸材と言われていて、ローザ王国初の悪魔化実験の被検体となるところだった……けれど、私はそんな彼女が不憫でな。何の罪もない幼い娘が、そんなことの為に命を奪われるなど、どうしても許せなかった。理不尽だと思った」
「だから、適当な言い訳を吐いて、彼女を引き取ったということか?」
「……ああ、そうだ。どうせなら成功例を出してから悪魔とした方が良い、それまで私が引き取って監視と観察を行っておくと言ったら、拍子抜けするほど簡単に承諾されたよ。あれから何度か実験体にするという話は出ていたが、何とか成果を出し続けて免れていた」
「それなのに何故、彼女が実験体となった?」
ヴァンの質問と同時、バーボルが唇を強く噛み締めた。
「……聞かれたのだ。私と町長の会話を」
「何の会話を?」
「この町の実験と、その成果の話だ」
「なるほど。たとえ誤魔化せたとしても、疑いは残る。それでは駄目ということか。もしシャレットから俺の耳に入れば、間違いなく実験施設を探して破壊していただろうからな」
珍しくヴァンの声に、苛立ちが混じっていた。この町の実験について気付けなかった自分自身に対する怒りだろうか。
――僕なんて、ここにきてから、ずっと気付けなかったのに。
自分が情けない。この町のことを知らなかった自分と、シャレットを守れなかった自分が。
もう二度と、大切な人を失わないと決めたはずだったのに。
バーボルが溜息をつき、また話し始める。
「……本来なら、君らが倒した金属悪魔で、もう悪魔化の実験は終わっていた。それならシャレットを遠くに逃がすこともできたはずだった。町長には、徐々にシャレットへ情が移ったように見せていたし、ああ見えて町長は人情家だったから、もしかしてシャレットを見逃して貰えたかもしれなかったんだ……」
その言葉で、ルネの頭に血がのぼった。
「僕たちが殺したせいだって言うんですか……!」
言い訳など聞きたくはない。ルネは再びバーボルに掴みかかった。
しかし、今度はバーボルもルネを睨みつけた。
「そうだ。私だってシャレットを助けたかったんだ。シャレットは、私の娘のようなものだったのだからな」
「親は自分の子供を、何があっても殺したりなんてしない! 欺瞞もいい加減にして下さい!」
ルネの拳がバーボルの顔面を殴り飛ばす。殴り飛ばされたバーボルは床を滑りながら、壁へと激突する。
身動きをしない。死んだかと思ったが、微かに呻き声が聞こえた。何とか意識はあるようだ。
ヴァンがバーボルを起こす。バーボルは殴られた箇所をさすっているが、命に別状はなさそうだった。
それでもルネの怒りは収まらない。もう一発殴らないと――いや何発殴ろうと気は晴れない。それでも殴らずにはいられない。
拳を握り、バーボルの目の前に立ち、襟首を掴んで無理矢理顔を上げさせた。
視線が交錯する。そこにあった負の感情に怯むが、すぐに威勢を取り戻して糾弾する。
「子供を見殺しにしたあなたに、親を名乗る資格なんてない!」
「……滑稽だな」
何、とルネが問う前に、バーボルはルネに言い放った。
「滑稽だと言ったのだ! お前も親に見捨てられ、こんな町に実験体として送られてきたのだからな!」
――バーボルが、何を言っているのか、わからなかった。
「何を……何を、言っているんですか……?」
バーボルが酷く歪んだ顔を作った。それが笑顔だと気付き、ルネの背筋は寒くなった。
「お前を含め、駐在兵士は皆、悪魔化用の実験体なのだよ! お前も、前任のランドもな!」
「……えっ」
バーボルは、ルネが実験体だといい、ランドもそうだと言っている。ランドは行方不明だったのではないのか。あの悪魔を倒しに行って、それでいなくなったのではないのか?
それを見透かしたかのように、バーボルが歪んだ顔のままに吐き出す。
「マラキアの丘に悪魔がいるというは、この実験が始まってからずっと流されている偽情報だ。今はもう撤去したが、マラキアの丘にも実験施設があったからな。しかし、その偽情報のおかげで、住民はおろか駐在兵士ですら誰も行こうとしなかった」
それなのにあの男は――途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。
「私たちの忠告も訊かずにマラキアの丘へと行き、以前あった施設を見てしまった。だから私たちは、彼を『処分』した」
「……処分って」
何なのか、何をしたのか――困惑するルネに、バーボルは吐き捨てた。
「悪魔にしたのだよ、ランドは。マラキアの丘を守る、金属悪魔として」
マラキアの丘を守る悪魔。
ルネの倒した悪魔。見覚えのある太刀筋。
もしかして。
もしかして、その悪魔と言うのは。
「ランドは、金属悪魔の『鎧剣士』として再誕した後、お前たちに殺されたのだ」
一瞬、世界から音が消えた気がした。
バーボルを掴んでいた手が、握力をなくしたかのように、自然と離れ、だらりと垂れ下がる。
「……嘘だ」
自分の声じゃないみたいに震えていた。
マラキアの丘にいた悪魔は、ランド。ルネが殺したのは、唯一無二の親友。
「嘘だあああああああああああああああああああああああああ!!」
――それからルネは、ヴァンに気絶させられるまで、叫び続けた。
慟哭にも等しいそれは、愛する人を守れなかった痛みと、親友であった存在を殺してしまった絶望に彩られ、彼の全てを破壊し尽くすかのようだった。




