17.人の終わり
シャレットの意識が、深い闇の底から這い上がるように、徐々に覚醒していく。目は瞑られたまま、まだはっきりとは目覚めていない。
――ええっと、私は何をしたんだっけ?
昨日――かどうかわからないが、いつもより早く仕事を上がって、ルネがいないことを寂しく感じながら帰って、バーボルさんが何かを話しているのを聞いて――
あの時のことを思い出し、一気に目が覚めた。
目を開くと同時、眩しい光が彼女の眼を直撃する。反射的に瞼を閉じる。
「目が覚めたか」
聞き慣れない声が聞こえた。それと共に、彼女は腕や足、そして胴体が拘束されていることに気付く。また、衣服が全て脱がされていることにも気付いた。
羞恥で顔が赤くなる。聞こえた声は男のものだ。素肌を男に見せたことなんて、今まで一度もなかったのに。
徐々に眼を開いていくと、眩しい光と共に、不可思議な部屋が目に飛び込んでくる。体は固定されているので、首だけを捻って辺りを見渡す。
壁は全て真っ白で、表面が大理石のような、しかしそれとはまるで異なる光沢を放っていた。彼女の隣には、見慣れぬ金属の細い棒や小さな刃物、また見たこともない大きな機械があった。
アレは、前文明の頃の遺物だろうか。表面に金属の突起がたくさんあり、その突起の一つ一つから細長い管状のモノが繋がっている。そしてその先端には、細い針がついてある。また機械本体には、刻々と変化する数字が表示されていた。
その機械の周りには、数人の見慣れぬ人が数名。全員が同じ薄青の衣服のようなものを纏っており、頭を含めて全身が覆われている。辛うじて口と鼻のあたりに空気穴があるだけだった。彼らは真っ白な手袋をしており、服と共に見たことないような素材で作られていた。
その不気味な出で立ちは、まるで何かの儀式を行うかのようで。シャレットは得体のしれないものに対する恐怖を感じた。
「……こ、これは何!?」
「説明をするように言われてはいません」
事務的で感情の籠っていない声に、底知れぬ恐怖を感じた。
裸で晒し物になっているのも、羞恥よりも恐怖が強くなっていた。
何をされるのか――男に囲まれた、裸の女がされることなど、一つしか思い当たらない。
「い、いや……」
唇が震え、弱々しい声が漏れ出る。少しだけ涙が出て、視界が滲む。
しかし、先ほどシャレットの問いかけに応えた男は、やはり事務的に答える。
「感情を昂られて、実験が失敗しては困りますね……別に私たちは、あなたに性的な行為をするつもりはありません」
ほんの少しだけ、安心してしまった。全然安心できない状況なのに。
そしてシャレットは、あのときの――町長とバーボルの会話を思い出す。
その内容は、人間の悪魔化についてだった。
彼らは言っていた。「ランドの悪魔化は最高の結果だったのに」と。
そして――その前になんて言っていた?
バーボルは「あの子にはまだ研究の余地がある」と言っていたはずだ。
あの子というのは、まさか――
「結論が出た」
聞き覚えのある声だった。
「町長」
若白髪の男は、町長。長年この町を支える、素晴らしい人物。
その後に入ってきたのは、シャレットにとっては親同然であるバーボル。
シャレットと受け答えをしていた男は、先ほどとは打って変わった明るい声で町長に問うた。
「それで、始めて良いのですか?」
町長は深く頷いた。
そして、シャレットは気付いた。
町長の隣にいたバーボルには、深い苦悩が刻まれていたことを。
「うむ、問題ない。すぐに施術を開始してくれ」
途端、色めき立つ異装の男たち。
すぐにかちゃかちゃと金属がぶつかり合う音が聞こえ出す。シャレットにはそれが、何かの儀式で奏でる音楽のように聞こえた。
「……バーボルさん。今から何をするんですか?」
シャレットの泣きそうな声に、しかしバーボルは唇を噛み締めるだけだった。
「ねえ、バーボルさん……バーボルさん!」
「シャレット、静かにしなさい」
町長が、バーボルとシャレットの間に入った。
「町長さん、何をする気なんですか! お願いですから止めて下さい!」
こんな状況でも気丈に振る舞おうとするシャレットに対し、町長は優しい微笑みを作った。
奇妙なほどに優しい、歪にも感じる笑みを。
「シャレット、君はルーヴェの礎になるんだ。上手くいけば、ルーヴェはあと十年、いやもっと長きにわたり安泰となるだろう。君なら、君の母親以上の結果が得られるはずだからね」
「……どういう意味ですか?」
母は、自分をこの町まで連れてきてくれた後、亡くなったと聞いていた。
彼女は町はずれの共同墓地に、丁重に葬られたはずだ。シャレットは毎年、自分の誕生日――つまり母の命日にはお参りをしている。
そんなシャレットを嘲笑うかのように、町長は告げる。
「ああ、君の母親は実験体として使ったのだよ。おかげでルーヴェは潤い、今のように人が飢えない暮らしをしている」
「……うそ」
「嘘などではないよ。証拠を見せてあげようか?」
同時、奥から男が何かを抱えて現れた。
それは筒状の水槽だった。上部から数々のコードが延び、胸の高さまで抱え上げているそれには、人の頭部が入っていた。二十代前半くらいだろうか、首元からは触手のようなものが生えている以外は、普通の女性だった。しかしそのせいで、余計に異形だと感じてしまう。
そしてその顔は、どことなく見覚えがあった。
――そうだ。鏡越しに見た、自分の顔と良く似ている。
「あ……ああ……!!」
「そうだよ。これが君の母親であるアリシア=オーベル。その残骸だよ」
――怖いよ。助けて、ルネ。
金属音が鳴り響き、今まさに実験が始まろうとする中。
歯を食いしばるバーボルと、嬉々として語る町長の前で、シャレットは穢れの大地へと赴いた最愛の人に、心の底から助けを求めていた。
見知らぬ男たちに全身を弄られ、心が少しずつ侵されていく。意識を失うことさえ許されないまま、シャレットはその冒涜的な行為に耐えた。
こんな状況になっても、きっとルネが来てくれると確信していた。人としての尊厳を踏みにじられても、自分が自分でなくなる前に、ルネが助けてくれると信じていた。ぎりぎりまで願い続けた。
――叶わぬ願いを、願い続けた。




