15.犯人の可能性
昨日投稿し忘れていたので、本日は二回投稿します。
これが一回目です。
ヴァンとルネは、交代しながら夜通し見張りを続けた。その間ユノンは、一睡もせず調査を行っていた。小さな破片はテントの中に持ち帰り、細かく調べていた。ヴァンいわく「完全に趣味に走ってやがる」ということだった。
太陽も昇り、簡単な朝食を摂っている時のことだった。
「えっ、何もなかったんですか?」
「ええ」
塩漬け肉と固焼き黒パンを煮込んだものを口に含み、ユノンはルネに応える。
「正確に言うなら、何もないということが証拠なの。ただの獣が、何も痕跡を残さないわけがない。これは、誰かが痕跡を消したのよ」
しかし、そこでユノンは渋面を作った。目の下にくっきりと残った隈が、それに凄みを与えていた。
「ただ、その何かがわからない。砂礫から証拠が上がらないかと思って、細かい破片も調べてみたけど、駄目だったわ」
ヴァンが趣味と言っていたのは、どうやらちゃんとした調査だったらしい。思わずヴァンの方を見ると、明後日の方を向いていた。こめかみ辺りに汗が一筋流れているのを、ルネは見逃さなかった。
ユノンは朝食を食べ終え、湯冷ましを飲んでいた。町の外では紅茶を淹れないらしい。
「とにかく、もう一度だけ再調査してみる。万が一、見落としがないってわけじゃないんだし」
言うや否や、ユノンは外へと出て行った。
「精力的ですね……」
「あいつの言い出したことだからな」
やや呆れ気味のルネに対し、ヴァンはやけに冷たい口調だった。しかしその顔には笑みが浮かんでおり、彼女を信頼しているのが、見て取れた。ユノンが事件だというのだから、間違いがない――そう言わんばかりだった。
そもそもこれを事故ではなく事件の可能性を見ているのは、ヴァンとユノンだけだ。ルネも、言われてみれば事件かもと思っただけで、事故である可能性も十分に考えられると思っていた。
第一ルネは、彼らが殺された理由が全く分からなかった。
「あの、ヴァンさん」
「なんだ?」
ヴァンが目だけを動かして、ルネを見た。
「ヴァンさんは何故、彼らが殺されたと思っているのですか?」
「……そうだな。彼らは身なりからいって、貴族に仕える人間だったのだろう。そして恐らく、悪魔に食われていた女性に仕えていたと推測できる。そして貴族がこのような危険な場所を通る理由――誰にも知られずに何かをすることだろう。逃亡か密会か。最初は逃亡だと思っていたが、実際は密会、そして取引が絡んでいたと思う」
「……どういうことですか?」
ヴァンが顎をしゃくる。それは、馬車の残骸の梁を指していた。
「あの中に、いくらか金があった。貴族が金を持ってこんな場所を通っているんだ。人に見られては困るものを買い取るためだったのだろうな」
「ああ、なるほど」
ルネも一応は貴族だ。決して人に知られてはならない取引というものはある。そしてそれは往々にして、本人のみが受け取り可能なのだ。人任せにしてはならない内容だからであるからなのだが。
「護衛は、いなかったのでしょうか?」
「いただろう。最初は逃げてしまったと思っていたが……あの時は、金を持っていると思わなかったからな。恐らく護衛として雇った奴が、犯人の可能性が高い」
だが、とヴァンが顔を歪める。
「ユノンでもその証拠を見つけきれないと来た。こうなると、やはり事故だったのかもしれないな」
「はあ、そんなもんですか」
「ああ。しかし、金が手に入ったのは僥倖だな」
「ネコババですか」
ふんっ、とヴァンがルネを蔑むように鼻で笑った。
「穢れの大地に落ちていたものを拾ったところで、どこからも文句は出ない」
「……まあ、別にいいですけどね」
そこでルネは、一つの考えへと思い至る。
「あの梁の中、僕が見てきても良いですか? もしかしたら、何か分かるかもしれません。僕も一応、貴族ですし」
ヴァンが顎に手を当てて、思案する。そしてすぐに、ヴァンが頷く。
「一応頼む。その間、俺が代わりに見張りをしておく」
「わかりました。よろしくお願いします」
ユノンの邪魔をしないように馬車の残骸へと近づき、中を確認する。
木組みの馬車は半壊し、梁もところどころ破れ、赤黒い血の跡が残っている。散乱した荷物は、食料などの必需品を除けば、大量の金貨と手慰み程度の酒だけだった。
――おかしい。
貴族が飲むのは良質の果実酒や異国から輸入した飲料などだ。しかしここにあるのは、あまり質の良くない葡萄酒だけだった。
使用人が酒を嗜むとは考えにくい。となるとこれは、護衛のためのものだろう。しかし、手をつけられた跡がない。
「どうだ、何かわかったか?」
背後からヴァンの声が聞こえた。振り返らずに、ルネはボトルを手に持って応える。
「この二つは、護衛のものです。貴族は嗜まないですから。これから、何か調べられるんじゃないでしょうか?」
「ユノンに訊いてみよう。他には何かないのか?」
じっと、ルネは馬車の中を凝視する。
そこに、煙草の吸殻があったのを見つけた。
「あれは……」
「ほう、煙草か。見落としていたな」
ルネが指差した方の煙草を、ヴァンがつまみ上げた。
「ほう。これは確か、ミランの吸っていた銘柄と一緒じゃないか? あいつと趣味が合う護衛だったのだろうな。いや、この護衛は酒に手を出していないから、そうでもないか」
「……そうでもないですよ」
ルネの口から出た声は、震えていた。
訝しんで、ヴァンが怪訝な顔でルネへと振り向いた。
「ミランさん、葡萄が駄目なんです。食べると下痢になるとかで。だから葡萄酒も飲みません。酒はエールしか呑んでいませんから」
「……何だと?」
ルネは、更に思い出す。
「そういえば、ヴァンさんたちが来る少し前、ミランさんは定期報告として王都に呼ばれていたんです。本人は予定よりも早く戻ってきたと言っていましたが、本当は……ヴァンさんたちがやってきた日に戻ってくる予定でした」
途端、ヴァンの目が見開かれた。
すぐに顔を引き締める。
「ルネ、今すぐ荷物をまとめろ! ユノン、すぐ戻るぞ!」
驚きを受け止める間もなく、ヴァンが馬車から飛び出た。慌ててルネも追いかける。すると、ユノンがこちらへ寄ってきた。
「何があったの?」
寄ってきたユノンに対し、ヴァンは応える。
「護衛をしていた奴は、ミランの可能性がある」
苛立ちを隠さずに顔を歪めるヴァン。彼は慣れた手つきでユノンを抱えた。いわゆるお姫様抱っこだ。当然、ユノンは赤くなるだろうと思っていたが、しかし何故か平然としていた。
「ルネ、用意は!?」
「ま、まだ測定機とテントが残っていますよ?」
「放置しろ! もしミランが護衛をしていたのなら、あの男とシャレットが危ない!」
護衛は、ここで人を殺そうとした。その生き残りがルーヴェにいて、そしてその傍にシャレットがいるのだ。危険であることは間違いがない。
「でも、ミランさん程度の実力なら――」
「こんなこと出来る奴が弱いわけない! あの男、実力を隠している――何が目的か、わかりようもないが」
行くぞ――と言い残し、ヴァンが駆け出した。
慌ててルネも身体強化を施して駆け始めた。
そこでユノンを抱えた理由を知った。
ユノンの身体強化では遅すぎるのだ。ルネが本気を出さねば、ヴァンについて行けない。それくらい全力で走っていたのだ。
その状況に、ルネは驚きやうろたえなどを捨て去った。
――守らねばならないのだ。今、この時こそ。
ヴァンたちは、僅か三十分足らずでルーヴェへと戻った。門を出て即刻、駐在所である小屋へと入る。
息をあげながら奥へと入ると、そこにはまだ男が寝たままだった。
横でルネが安堵の溜息をついた。
「まだ早い。シャレットの無事を確認し、ミランを問い詰めてからだ」
厳しい表情を崩さず、ヴァンは外へと出た。ルネも後へと続く。外に待機していたユノンと合流する。
「ルネ、ミランとシャレットのいそうな場所は?」
「シャレットさんなら、バーボルさんの家か、食堂のどちらかにいると思います。ミランさんは……食堂で酒を飲んでいなければ、僕にはわかりません」
ヴァンが神妙な面持ちで頷く。
「そうか。それなら俺は食堂へ行く。ユノン、バーボルの家へ行ってくれ」
「わかったわ」
「あの、僕は?」
ルネの問いかけにヴァンの答えはシンプルだった。
「しらみつぶしに探してくれ」
土地勘のあるルネだからこそ、それを頼める。
それをわかったからか、ルネは頷き、走り出した。
彼が立ち去ったのを見届け、ヴァンは走り出そうとしていた。
「待って、ヴァン」
しかしユノンに呼び止められ、彼は苛立ちを覚えながらも立ち止まった。
「何だ? 早くしてくれ」
「あのね……」
少し口籠る。それにまた内心舌打ちをするが、続く言葉にヴァンは胸を抉られた。
「忘れないでね。あなたは、ヴァン=マクスウェル。私の義兄で、姉さんの恋人。それ以外の何物でもないのよ」
そう、自分はルネやシャレットの代わりにはなれない。自分は失敗してしまった人間で、絶望してしまった人間だ。たとえルネとシャレットを助けたとしても、それはヴァンの目的に、何ら意味を持ちはしない。
「ユノン、それは今、言わなきゃならないことなのか?」
「私はユノン=マクスウェル。あなたの義妹で、あなたの恋人だった人の、妹よ?」
「……そうか。それもそうだな」
ユノンに指摘され、ようやく気付いた。どれだけ自分が、あの二人に執着していたかということに。人助けが悪いわけではないが、しかしそれが直接、自分の為になるわけではない。
少し、慌て過ぎていた。慌てても、良いことなどないというのに。
ユノンに諌められ、胸を抉る衝撃は消えて行った。
「問題ない。早くシャレットを見つけるだけだ」
すぐに彼はユノンから視線を外し、遠くを見つめていた。
それが遠く故郷であることは、自分でもわかっていた。
「……そうね」
そんな遠くを見ていたからだろう。ヴァンは、すぐ傍にいるユノンが、複雑な顔をしていたことに気付かなかった。
悲哀と自己嫌悪に塗れた表情を、ヴァンは見逃していた。




