13.穢れの大地
あけましておめでとうございます
あくる日、ルネたちは日が昇る前に門前に集まっていた。誰にも知らせずに集まった三人は、祓穢外套を身に纏っていた。ヴァンとユノンはここに来るまでに使っていたものを、ルネはヴァンの持っていた予備の祓穢外套を身に纏っていた。これは穢れの大地で余計な穢れを吸収しないためと、砂埃から体を守るためにある。穢れの大地を通る際には、必須の装備だ。
「この門を出て西に……そうだな、一時間くらいか」
ヴァンの呟きに、ルネは軽く驚いた。そんな近くに穢れの大地があったのか。
「あの、ヴァンさん。一時間って、かなり近いですよね? 穢れの大地って、そんなに近くにありましたっけ?」
それに対し、ヴァンはあきれた様子で答える。
「お前は騎士で、俺らは鉱術師だろう?」
「……あっ」
簡単な話だった。要は、身体強化だ。そうすれば一般人の短距離走並の速度で、数時間くらいは走っていられる。鉱術師は魔鉱による補給が必要だろうが、騎士にはその心配すらない。
「それじゃあ、ルネ。はい、これ持って」
ポン、と渡されたのは大量の荷物。予想以上の重量に腕の筋肉が軋む。
「な、なんですかこれは?」
「ん? 色々と荷物。普段はヴァンに持ってもらってんだけど、今日はあんたがいるからね。よろしくー」
手をひらひらと振って、軽い調子でお願いされる。
「わ、わかりました……」
移動の邪魔にはなるであろうが、女性に持たせるわけにはいかない。そしてこれだけ重いのなら、ルネが持つのが妥当であろう。ヴァンに余計な負担をかけるのもよくないし。
ヴァンが黒色魔鉱を、魔鉱剣の柄にある、半透明の半球――鉱素変換機に入れる。黒色魔鉱が吸い取られ、分解。同時に、ヴァンの容量に鉱素が送られる。それを鉱力へと変換させていくのだろう。
ユノンも自身の魔鉱杖の杖頭にある、球状の鉱素変換機に赤色魔鉱を導入する。
「ユノンさん、赤色魔鉱を使うんですね」
「ええ。私は火系特化の鉱術師だからね」
淡く赤色の光が、杖の先端から放たれる。ユノンが軽く振ると、赤い軌跡が生まれた。
ヴァンの使う黒色魔鉱や、より純度の高い白色魔鉱は汎用魔鉱と呼ばれ、属性に関係なく一律の力を発揮する。一方で赤色魔鉱や青色魔鉱は、その属性に合った鉱術で真価を発揮する。故に、それぞれ己の得意属性に合った魔鉱を使うのが一般的だ。
「さてと。ルネ、準備できたか?」
ヴァンがユノンの状態を確認した後、ルネに問うた。
「いつでもどうぞ」
「よし。ペースメーカーは俺がやる。それじゃ――行くぞ」
容量開放。鉱力変換・内部回路活性。
身体能力強化
ヴァンが駆け出す。ユノンがその後を追い、ルネがしんがりを務める。
未体験の速度で景色が後ろへと流れて行く。彼らが駆け抜けた後は、風だけが残る。
しかし、今のルネにはまだ余裕があった。
「ヴァンさん、このスピードで良いんですか?」
「そうだな。ところでルネ、今どれくらいの力を使ってる?」
「ええっと……大体六割くらいでしょうか」
「そうか。ちなみにユノンは、これで九割を超えている」
「ええ!?」
驚くが、ユノンは振り返ることすらしない。無駄な力を使いたくないからだろうか。
「ちなみに俺も六割くらいだな。お前のような近距離型、俺のような中距離型は身体強化が得意だから問題はないが、ユノンは完全な遠距離型の鉱術師だからな。身体強化は、あまり得意ではない」
ヴァンがペースメーカーを務めた理由は、これだったのだろう。ルネでは力を使い過ぎて、ユノンに負担をかけてしまう。ユノンがペースメーカーでも同じだ。
その速度を維持したまま、しばらく走った。互いに声は極力かけないようにしている。というのも、ルネがヴァン相手に喋っていると「喋ると無駄にエネルギーを使うから止めろ。お前と違って、こっちの鉱力は消耗品だ」と窘められたためだ。
しばらくすると、徐々に景色が変わっていく。緑多い土地から草原、そして草木もまばらな荒れ野のようになる。徐々に岩ばかりの土地になり、徐々に土の色も白く薄くなっていく。
そして――
「入ったな」
ヴァンがそう言うと、突然身体強化を止め、立ち止まった。合わせてユノンも止まったので、慌ててルネも力を戻した。
「これが、穢れの大地……」
呟くルネ。ヴァンが首肯する。
そこは、灰色の世界だった。
大地に草木はなく、ただ砂礫だけが散在する。時折吹く風は冷たく、舞い上がる砂は灰のよう。穢れに特有の、鉄錆のような匂いに覆われた、死の世界。
「ルネ、体調はどうだ?」
「体調? いえ、別に変化は……少しだけ、ちりちりと肌が焼ける感じはありますが」
「この濃度の穢れだから。祓穢外套越しにでも感じているのだろう。空気も薄いはずだ」
「……もしかして、少し息苦しく感じるのは」
「気のせいではないぞ。それも穢れのせいだ」
三人は、身体強化を解除したまま進む。解除したのは、ルネでも分かる。鉱力を無駄にしないためだ。敵が現れたらすぐに鉱術を使えるようにという意図である。
「穢れの大地では、常に周辺へ気を配る。常識だからな、忘れるなよ」
「分かりました」
ヴァンの助言を聞き入れ、ルネは強化を再び行う。しかし、身体の筋力と耐久力の強化――つまり、身体強化をするわけではない。
今回は感覚――視覚、聴覚、触覚などを強化する。これを、感覚強化という。
また騎士の才能に目覚めてから気付いたのだが、騎士は鉱術師と同じく、鉱力を感じ取れるようだ。確か――
「鉱覚は絶対に弱めるなよ。穢れの大地では、それが生命線だ」
そう、鉱覚だ。悪魔や鉱術師のみならず、生命なら全てが持ち合せる鉱力を、探知する力だ。
今までも感じていたが、この穢れの大地に来て知った。
悪魔の鉱覚は、特に強いのだ。
辺りから、こちらを窺う黒い粘性の気配。その形や大きさはバラバラだけれども、眼にも、耳にも感じないけれど、確実にそれは悪魔だった。
「ヴァンさん、辺りにたくさんいますよ……」
「ほう?」
ヴァンが、祓穢外套のフードの奥で、微かに笑ったのが見えた。
「噂は本当のようだな。騎士の才能を持つものは、鉱術師とは比較にならないほど、悪魔の検知に長けていると」
「騎士王、千里向こうの邪神を討ち祓う――だったかしら。邪神といえば上位金属悪魔だから、討ち祓えたとは思えないけど。見つけるって意味じゃそうなんでしょうね」
こりゃ楽だわ、とユノンが何かの鉱術を解除した。ヴァンも同様だった。
「あの、二人とも今何を……?」
「鉱覚強化を解除した。穢れの大地では、これを常に使っているが……お前がいれば十分だ」
ヴァンがルネの方を向き、フードを少し上げて笑った。
「ルネがここまでやってくれているのだから、俺はもっと別のことに力を割くことにする」
「右に同じー」
ユノンが手をあげてひらひらさせる。恐らく「任せた」と言っているのだろう。今回のことでなんとなくわかったが、彼女は結構軽い。
しばらく歩いていると、やがて見えてきた白い梁。それが馬車のものであると気付くのには、しばらくかかった。
「あれが、もしかして」
「ああ、そうだ。あの男がいた場所だ」
近づいて、思わず顔を背けた。
散乱された荷物と、梁に色濃く残った血痕。悪魔に食べられたのか、もうそこには骨すら残ってはいなかった。黒変した血だけが、確かにそこに生命があった証だ。
すぐさまユノンが、梁へと近づく。そしてその場で片膝をつき、フードをとって血の痕を指でなぞる。眉間に皺が寄る。
「ルネ、ちょっとそれ持ってきて」
「それ?」
「私が渡したものよ」
そう言われ、慌てて彼女の傍らに荷物を置いた。彼女はそれをすぐに開いて、見たこともないような金属製の機械を取り出した。
「なんですか、それ?」
「……………………………………」
答えがない。その機械の一部を手に取って、馬車の内部へと入って行った。
するとヴァンが、ルネに近付いてきた。
「聞かない方が良いぞ。俺が聞いても、意味がわからなかった。あいつが王立研究院にいた頃、旧文明の機械を鉱術仕様に改良したものらしいが……検査用機械ということ以外、さっぱり分からん」
「あの、馬車以外にも砂とか調べていますが、意味あるんですか?」
「あれは趣味だろ。この辺の穢れでも調べてるんじゃないか?」
フードをとり、渋面を作るヴァンだったが、すぐに表情を戻す。
「気にするな。とにかく俺らは、辺りに気を配ればいいから――な!」
振り向きざまにヴァンが魔鉱剣を抜き、切っ先から炎の槍が奔る。それは遠く穢れの大地を飛び、ヴァンの背後遠くにいた一体の悪魔を穿つ。
同時、爆音が遠く響いた。
ルネが目を凝らして自然に感覚強化を起こし、爆発点を鮮明に映し出す。そこには消し炭のような何かがあった。辺りは黒く焦げ、消し炭から舞った灰が、空から地へと降り注いでいた。
ヴァンはこの距離にいた悪魔を探知して、なおかつ攻撃をしてのけた。
騎士としての才能を持っているはずの自分が、悪魔の探知という点で後れを取ったのだ。
「ルネ、お前でも気を抜いていては、あの距離の悪魔を探知できまい。穢れの大地では、一切気を抜くな」
「一瞬が命取りになる世界――ってことですね」
ヴァンが頷く。
体が震えた。
恐怖ではない。全身が振るい立つ震えだった。
こんな場所に来られるなんて思ってもみなかった。自分は強くはない。それでもできうる限りの努力をして、力を身につけて、誰かを守って――そう、考えていた。
けれど今は、ヴァンのおかげで、穢れの大地へと踏み入れるまでになった。
自分はまだ強くなれる。弱くて何もできない自分は、もういない。
そう思うと、体中から力がみなぎるようであった。
「今回はユノンの調査の護衛だ。故に、悪魔を近寄らせないことが条件となる」
ヴァンが片手で持っていた剣を、無造作に頭上へ持ち上げる。
すると、剣先から薄い空色の光が放たれる。それは膜の様に広がり、広く空をドーム状に覆っていく。
「祓系鉱術『天蓋蒼』だ。普段は穢れの探知に使うが、応用で悪魔の接近を感知することも可能だ。鉱覚強化より楽だから、時々使っている」
「なるほど……って、この術があるのなら、僕が注意する必要なんてないんじゃ――痛っ!?」
視界に火花が散った。ヴァンに拳骨を振り落とされたのだ。
「鉱術は基本的に短時間しか作用しない。長時間にわたり、現実世界を歪めることは出来ない――鉱術師の常識だろうが」
痛む頭頂部をさすりながら、ヴァンの講釈を聞く。
「これはあくまで下準備。今の時点で、悪魔の位置を正確に知るためだ。そして――」
ヴァンが腰のポシェットから、黒色魔鉱を取り出す。それを柄の鉱素変換機に押し込む。同時、発光し始めた。
ヴァンが剣を両手で持ち、正眼に構える。そして目を閉じ、眉間に皺を寄せる。
幾ばくか後――カッ、と目を見開いた。
魔鉱剣を掲げ上げると同時、剣が歪んだようにみえた。
思わず目を見開き、眼をこすってもう一度見ると、剣先に白い光が灯っていることに気付く。そしてそれが、凄まじい熱を帯びていることが分かった。剣が歪んで見えたのは、太陽のような火球が陽炎を作り上げていたからだ。
ルネでも、その術の名を知っている。火系鉱術「炎滅片」だ。対個の鉱術としてとても有名で、とても強力な術だ。
ヴァンが剣を振り下ろすと――何と炎が次から次へと現出し、全て異なる方向へと飛び散っていた。
ほぼタイムラグなしに、五つ。
注意されて感覚強化を行っていたルネには、その炎がそれぞれ、強力な悪魔だけを狙って攻撃していたことと、その悪魔の反応が消えていたことを確認できた。
「な……なんですか、これは……」
混乱したルネの頭が必死で状況を把握しようとしていた。
確か「炎滅片」は、火系鉱術でも最強の一つとして数えられる「炎滅堕星」の劣化版だ。しかし、それを五個同時に発生させる鉱術があったなんて知らない。そもそもそんな規格外の鉱術が存在するなんて、考えられない。鉱術の常識は、自分たちの常識とは異なるのか?
「ヴァンさん、今のは……」
「特別に教えてやる」
ヴァンが右手に持った剣で、左から右へ空を斬り、鞘へと戻した。
「俺は、最初から容量を五分割している。それぞれは独立しているが、連結が可能だ。これを用いて、俺は連続で鉱術を使える」
「鉱術はね、絶対に連続使用できないようになっているの」
声の方に目を向けると、灰色の砂まみれのユノンがこちらへ近づいてきていた。
「ユノンさん、もう調査終わったんですか?」
「まだよ。ちょっと休憩しようかなって思って」
ちらっ、とユノンがヴァンに目配せをする。ヴァンはそれに応えることなく、自分の荷物から水筒を取り出し、ユノンに渡した。
ユノンとヴァンがその場に座ったので、ルネも慌てて腰を下ろす。
「ところで、さっきの続きね」
ユノンがルネに体を向け、話し始めた。
「知っての通り、鉱術は鉱力を用いて、現象を歪める術式よ。鉱素を、容量で鉱力へと変換。そこで鉱力の性質を変えるため、容量に術式を書き込む。性質変化した鉱力を、回路を通して外部へと放出する。鉱力が放出されると、それぞれの術を発動するってわけ」
でもね、とユノンは続ける。
「回路には、鉱術を使用すると完全に無反応になる不応期が存在するの。その間は容量から鉱力を移行させられないから、普通は鉱術を使えない」
ヴァンが頷き、しかしルネに向かって「しかし、俺は違う」と告げられた。
「俺は普通の鉱術師と異なり、その容量と回路が、それぞれ五セット存在する。そうだな……一つのケースに収められた、五つの管付きの箱をイメージしろ。そしてその管が全て、一つの出口に結合されているイメージだ」
「……はい、何とか」
何とか頭の中にイメージを作る。
「その箱が容量で、管が回路だ。その回路を通って一つの鉱術が現出されるんだ。出口は一つだから、同時には使えない」
「それから、結晶鉱術を始めとする、大きな容量が必要となる鉱術は使えないけどね」
ユノンの言い分に、ルネは首を傾げた。
「でも、ヴァンさんの『炎滅片』って、かなり強い鉱術ですよね?」
「ああ、火系鉱術のレベル4――一般的に用いられる、レオン式五段階評価でのレベル分けだが、上から二番目にグループに入る。本来なら俺には使えないが、この術だけは相性が良いからな」
要は使いやすくて強力な鉱術ということか。
「ヴァンさんの強さ、目の当たりにした気がします」
こんな人が負けることなんて、あるのだろうか?
鉱術師との戦闘は、いかに鉱術を避けるかにかかっている。
鉱術を避ければ、少しとはいえ次の鉱術までインターバルが出来る。中長距離の鉱術師なら、これは致命的だ。
しかしヴァンは、その隙がない。本人いわく、ミドルレンジを得意とするらしいので、むしろこれは強力な長所なのだろう。
――僕は、こんな人に戦闘を教わっていたのか。
ルネの中で、また感情が変わった。
強くなって守る――ではない。
強くならねばならない。少しでもこの人に近づいて、悪魔を倒せるように――
「ルネ、顔が強張っているぞ?」
「……あっ。すみません」
ルネの謝罪に、ヴァンが目を細めて微笑した。あまり見ない、優しい表情だ。
「俺と同質の強さなんて、求めなくていい。お前なりの強さを求めろ。忘れるな――おまえは騎士だ」
「……はい」
それは、人を守る強さ。
ヴァンはきっと、ルネのことをルネ以上に理解していた。だから、そんな助言が出来た。
「ユノンさん、調査はいつから再開しますか?」
「んー、ま、ぼちぼち始めようかしらね。どうせ明日まではかかりそうだし」
「そうですか」
ヴァンがルネを横目で見る。
「テント設営だ。俺が設営をするから、その間はお前が見張りをしろ」
「わかりました」
とはいっても、ずっと感覚強化を使っていたのだけれども。
ヴァンが荷物として持ってきていたテントを組み立て始める。木製の骨格と布のシンプルなものだったが、その布は祓穢外套と同じ素材でできており、この穢れの大地でも劣化が進行しにくく、また穢れを和らげることが出来る。
ルネは己の感覚を最大限にまで開いた。
悪魔、知覚範囲に存在せず。ヴァンが放った「炎滅片」が、辺りにいた強力な悪魔を駆逐し、雑魚がそれに恐れをなして逃げたのだろう。
どちらにせよ、ルネが今すぐに動く必要はない。
ただ彼は、警戒だけを行っていた。
それは当然、今まで経験したことのない、長時間にわたるものだった。




