11.言い訳
数日後。
ルネがいつも鍛練している広場で、ヴァンとルネが相対していた。ヴァンは魔鉱剣を持ち、ルネは鉄棒を右手に持っていた。大剣だと、ヴァンが壊してしまいかねないから、その代用だ。
ヴァンが放った不可視の斬撃が、ルネを襲う。右手に持つ鉄棒でそれを弾くと、ヴァンが拳大の火球を放ってきた。もう一度、鉄棒でそれを弾くが、鉄に熱が移った。
あまりの熱さに、思わず手を離してしまう。
すぐさまヴァンが間合いを詰めて、斬りかかってきた。それを屈みながら後ろに避け、鉄棒を拾って反撃しようとした時。
突如、足元から水が吹き上げてきた。
「うわっ!?」
当然ルネはバランスを崩す。そしてヴァンが体当たりを仕掛ける。
まんまと嵌って、尻餅をついた時、ヴァンの魔鉱剣はルネの喉元につきつけられていた。
「鉱術師、そして悪魔には予想外の攻撃をしてくる者もいる。注意しろ。それから鉱術を弾くとき、特に火炎系と雷撃系は注意しろと言ったはずだ。熱や電流が伝導してしまうから、それを己の鉱力で無効化にしなければならない」
「む、無効化って言われても、とても難しいですよ、それ」
「俺と最初にやった時は出来ていただろう。ただこれに関しては、俺も教えてやれないから、何とも言えないが」
珍しくヴァンの歯切れが悪かった。
突きつけられていた剣が引かれる。その剣をヴァンは肩に担ぎ、ルネに背を向けた。その後、半身捻って顔を向けた。
「そろそろ昼食だ。詰め所に行くぞ」
「わかりました」
ルネがすぐさま立ち上がり、ヴァンに並んだ。
マラキアの丘での戦闘は、確実にルネを変質させていた。
騎士としての才能だけではない。
模擬試合ではない、本物の命のやり取りを経て、彼の中にあった本能のようなものが目覚めた。その兆候は、ヴァンとの出逢いの時にもあった。
ルネは優しい。いやむしろ、甘い。自分自身でも自覚していた。
何よりも、人を傷つけるのを嫌っていた。
だからこそ守るために強くなろうとしたのだが、しかしその結果は、結局誰かを傷つけることに繋がる。だからこそ鍛練は、ただ己を高めるためだけで、強くはなれなかった。
けれど、今は違う。
命を賭けて戦い、その力の根源を見出した。
守るべきものを守る力。人を守る力。
それこそ、ルネが発現させた騎士の力といえよう。
「ルネ、どうした? 怪我でもしたか?」
考え事をして、歩みが遅くなっていたからか、ヴァンが訝しむ。
ルネは首を横に振って否定した。
「いえ、考え事です」
「そうか。いや、要らぬ心配だったか。怪我したところで騎士ならすぐ治るだろうし」
ヴァンはぶっきらぼうな態度をして、また歩き出した。
ここ数日で、ヴァンの人となりもわかってきた気がする。
一見冷たそうだが、一方でかなりのお人よしだ。しかし、それが分かりにくい。
あれではトラブルに巻き込まれるだろう――と思ったら、事実何度も災難に見舞われたらしい。なら止めればいいのにと思うのだが、仏頂面で「元来の性格だ」と言われると、どうしようもない。
それにしても、ヴァンの力は凄まじい。基本四属性全ての術を操り、身体能力はルネと変わらない。戦闘経験という意味では、ルネのそれをはるかに上回っていた。「銀髪の悪魔」の名は伊達ではない。
考え事をしているうちに、詰め所へと戻ってきていた。囲いの近くにあるため、町の外に近い。そのせいか、辺りに人は少ない。路傍に咲く種々の小さな花が彩りを添えていた。
ヴァンが詰め所の古びた扉を開く。するとそこは、数日前まで散らかり放題だった場所だとは思えないほど、整頓されていた。酒瓶は全て棚に直され、もちろん空瓶は処分された。ユノンが火系鉱術で蒸発させるという、あまり一般的とは言い難い方法だったが。
汚れた衣類はまとめて洗われ、ボロ雑巾のようになったものは、やはりユノンによって消し炭にされてしまった。
また大量にあった煙草や大麻は、ヴァンは嬉しそうに「売れるぞー」と回収していった。どうやら、ミラン自身にも不必要なものだったらしい。どうせ首都から持ってきたそれを、この町で売買しようとしていたのだろう。そして売れなかったと。
それが全て片付けられ、床をヴァンの水系鉱術で綺麗に洗われたので、数日前とはまるで違う場所のようだった。戦闘以外で鉱術を使うというのも、新鮮で良い光景に感じた。
「あっ、おかえりなさーい」
シャレットが奥から出てきた。両手に鍋つかみを付けて、大きな鍋を抱えていた。
不意に香るのは、ミルクの良い香り。シチューだろうか?
「新鮮なミルクを貰ったから、クリームシチューにしてみました!」
既に食器が並べられたテーブルに鍋を置き、えっへんと腰に手を当てて胸を反らした。ほどよい膨らみが主張する。
「……ちっ」
奥からユノンが、ジト目でシャレットの胸を見て舌打ちをする。両手で抱えたバスケットには、普段はあまり食せない小麦のパンが入っていた。
別にシャレットのスタイルが特別良いわけではない。ただ、ユノンのそれが、少々奥ゆかし過ぎるだけだ。
すると、ヴァンが口を開き、
「ユノン、気にするな」
フォローにもならないことを言った。
「うるさい!」
案の定、ユノンは声を大きくして、ヴァンを睨みつけた。怒ったままテーブルにパンを叩きつける。バンッ、という音と共に、パンが軽く浮いて落ちる。
ヴァンは、何故彼女が怒っているかわからなったようで、眉をひそめて再び口を開いた。
「胸の大きさなんて、別に気にする必要はないと思うが。俺みたいに小さい方を好む人間は、いくらでもいるだろう」
途端、ユノンの顔が茹で上がったように真っ赤になった。
シャレットは首を傾げるが、しかし何やらユノンがヴァンにからかわれていると思ったようで、少し嬉しそうにしていた。実際はヴァンの天然なのだが。
当たり前だが、シャレットは、ユノンがヴァンに抱いている気持ちをわかっているようだ。というか分かりやす過ぎる。気付いていないのは、ヴァンだけだ。
「せっかくシャレットさんたちが作って下さったんですし、食べましょう」
そう言うとルネは椅子を引いて座った。それと共に、皆が椅子に座る。
シャレットがシチューを注ぎ分ける。それ終わると、シャレットとルネは、自分の両指を組み、それを膝の上に載せ、目を瞑った。食事の前に祈るのは、聖教に属するものなら当然のことだった。
けれども、
「いただきます」
「いただきまーす」
という、良く分からない掛け声とともに、ヴァンとユノンはスプーンを掴んだ。
「前から気になっていたんですけど、その『いただきます』って、一体何なんです? 食べ終わった後は『ごちそうさま』って言ってましたし。何かの祈りなんですか?」
祈りを終えたシャレットが、二人に問う。ルネは気にせず、シチューに口を付ける。保存しておいた芋と玉ねぎ、そして豆類の抱負に入ったそれは、濃厚なミルクの香りが食欲を引き立てる。
話を聞かずにがっついているユノンの代わりに、口を開けて食べようとしていたヴァンが、スプーンを置いた。
「崩国で古くからある呪い(まじない)らしい。意味はあるらしいのだが、もはや消え失せた。一応解釈として、食す動植物や作り手に感謝の意を込めた言葉だろうとはされているんだが、詳しいことはわかっていない」
「へー、そんな意味があるんですか」
目を丸くしていたシャレットが「あれ?」と、首を傾げた。
「でも、何で崩国出身でもないお二人が? えっと、お二人の出身って、確か――」
「グランバルタ出身だな」
グランバルタ連合国は、ローザ王国の北東に位置する、小国が連合してできた国だ。ローザ王国とグランバルタ連合国、そして北方のエイループス聖国は三国同盟を結んでおり、これら三国はエウロパ三大勢力に挙げられる。
しかし崩国は、東端の国。パタトキア帝国や清華連合よりもさらに東、断絶界と呼ばれる、世界最大規模の穢れの大地によって隔てられた秘境。そのような場所に彼らは行ったというのか?
「まだ俺が一人で旅をしていた頃、崩国出身の奴に出会ってな。そのときに、その言葉を知った。神を信じていない俺にとっては、丁度良いものだったからな。以来、使っている」
ヴァンは懐かしむような顔になっており、ややユノンが不機嫌そうに口を尖らせていた。
シャレットはともかく、信仰心の篤いルネにとっては、あまり面白いことではない。
「けど、それもすべては神が作ったものですよ? 結局、祈りは神に捧げるべきでは?」
「たとえ神がいたとして、どうして何もしてくれない相手に祈らねばならんのだ」
微かに――微かにだが、彼の声に険が混じる。それに気付いたルネは、それ以上追求しようとはしなかった。
ヴァンがようやくスプーンを手にとって、シチューを静かに口へと運んだ。
貴族のルネが言うのもなんだが、とても優雅だった。
食後、ヴァンは奥の部屋へと行き、彼が助けた男の容態を確認した。男は未だベッドに横たわり、静かに息をしていた。
持ち帰った赫花の汁は、バーボルが葉の抽出液とともに、彼に投与した。本来ならば葉は擂り潰し、汁とともに糖蜜で丸薬とするのが好ましいが、寝たきりではそれも上手くいかない。
彼は死人に近かったせいか、未だ目覚めてはいない。しかし、そのまま衰弱死することはあるまい。後は、いつ目覚めるかという問題だけだ。
「どうするの?」
背後からユノンの声が聞こえた。
「まあ、起きるまで留まっておいてもいいだろう。何か有力な情報が得られるのならそれに越したことはないが……無理だろうな」
「そうね。でも、一つだけ聞かせて。これに、何の意味があるの?」
振り返らないヴァンへ、ユノンが更に追求する。
言葉に詰まった。意味がないわけではない。ただ、この男のことは全く関係がない。
「私としてはね、ヴァンのああいう態度は、すっごく面白かったわ。ボランティアだなんて言い出す、ヴァンらしくない姿も、それはそれで良いと思う。けど、あんまりこだわり過ぎて欲しくないわ。少しでも急がなければ――そう言ったのは、ヴァンなのよ?」
「……わかっているさ」
自分がここに留まっているのは、ルネのせいだ。
誰一人として、そのような評価を下したことはないだろうが、ルネは才気溢れる少年だ。
ルネは、騎士の才能を発露する以前に、ヴァンの攻撃を受けていられたのだ。手加減はしていたが、手抜きはしていなかった。それでも一応は凌げたのは、彼自身の地力だ。
騎士として開花させてやりたいとは思う。
しかし騎士になるために必要なものが、彼には足りていない。
自ら鉱力を発生させる容量、魔剣、従者。
それが、騎士に必要なものだ。最初の一つは先天性。次の魔剣は、自力で見つけ出し、そして従者は相手を屈服させて、初めて成る。魔剣は魔鉱剣での代用も可能だが、従者はそうはいかない。
そしてそのどれもが、ヴァンに用意できるものではない。しかしサポートくらいはしてやりたいと思っていた。
「ねえ。ルネとシャレットを、あなたと姉さんに置き換えないで」
それはユノンの懇願であり、ヴァンにとっては痛いところを突かれた形になる。
ルネは、昔のヴァンに似ている。自身に才能がないと思っている点や、快活な少女に恋をしているところなどが。性格も、昔のヴァンに似ているかもしれない。だからこそ、幸せになって欲しいのだろう。死別にも似た別れ方をした、自分とカノンの代わりに。
「ヴァン」
気付けば、ユノンがヴァンの前に回り込み、顔を覗き込んでいた。少し心配そうに、眉尻を下げていた。
安心させるように、笑顔を浮かべる。ユノンだけにはわかる暖かさを含んで。
「問題ないさ。こいつから金を請求出来れば、さすがに出て行くさ」
それが言い訳だと、心のどこかで気付いていた。しかしそれは、見て見ぬふりをした。
「それから、一つ気になることがあるの」
「何だ?」
ユノンが少しだけ悔しそうな顔をしていた。それは大抵、自分だけではどうしようもないことに対する苛立ちからくるものだと知っていた。
「この男が倒れていた時、近くに悪魔がいたじゃない?」
「そうだな。それがどうした?」
「動物型の悪魔って、基本的に知能が低いわ。そしてあの悪魔も、例外じゃないと思うの。それなのにアレは、まず気絶させてから、食べようとしていた」
ユノンの言うとおりだ。あそこにいた人間は、あの喰われていた女以外は、全員目立った外傷はなかった。言われてみれば、確かに妙な話だ。
「何かあるのか?」
「わからないわ。別の悪魔が絡んでいるとしても、そこに何の意味があるのか紐解けない。いくらか文献にも当たってみたけど、手掛かりはなし。そもそも本なんてほとんどないし、ダルグベルン辺りに行かなきゃ駄目かも」
ダルグベルンは、ローザ王国最大の学術都市だ。世界有数の学者が集まった都市で、この国の英知の結晶だ。こと魔鉱と悪魔の研究においては、世界一と言っても過言ではない。
しかし、これが自分たちに何か関連してくるとは思えない。となると、単なるユノンの好奇心だろうか。知的欲求は、彼女の三大欲求の一つだ。ちなみに、代わりに欠番となったのは性欲だと思われる。異性関連の話を全く聞いたこと無いから、まず間違いない。
顎に手を載せて思案していたユノンが、視線を下に落としたまま呟く。
「この男なら、その時の状況を知っているかもしれないわね」
「じゃあ、やはり目覚めを待つ必要があるな」
無言だったが、それは消極的な肯定だと見なした。
しかし、ユノンは別の提案をした。
「あの現場に行ってみると良いかも」
あの現場と言うのは、この男を含めた数人が襲われた場所のことだろう。
「手掛かりがあると思うのか?」
「さあ……そもそも私たちの旅には、必要のないことだろうし」
「でも、気になるんだろ?」
「私の好奇心よ?」
「だからどうした? 妹の我儘に付き合ってやるのが兄だろう」
「……どうも」
ユノンが仏頂面になってしまった。ユノンは妹扱いされると、何故か機嫌が悪くなるのだ。
ヴァンは肩を竦め、部屋の外へと出た。
シャレットが食器を洗う音を聞き、武器の手入れをしていたルネを一瞥する。
「ルネ、そろそろ行くか?」
ルネが顔をあげる。
「あっ、先に行ってもらっても良いですか? 後ですぐに行きますから」
「わかった」
ヴァンは外へと出て行く。太陽は空の中心にまで上っていた。
「……昼寝に最適だな」
丘に行ったら寝ようと思ったヴァンだった。




