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彼氏が変態過ぎて困ってる  作者: 黒木京也
日常は続く
53/65

変態が目覚めた日

 コーヒーはいい。


 何がって言えば香りがいい。仄かに全身を包み込むような、凄く落ち着く感じが好き。

 苦みがいい。のんびりしたい時、辛い時に嬉しい時。どんな場合でも効く。リラックスに利用したり。もっと頑張ろうって気になったり。まだまだ油断大敵と心を引き締めるのにも最適だ。

 砂糖やミルク等を入れた時の味の変化がいい。思わぬ発見になったり、気分によってアレンジは様々。陰陽珈琲……もとい(えん)(おう)(ちゃ)なんて考えた人は本当に凄いと思う。コーヒーと紅茶を混ぜるという、一見狂気の産物にしか見えない飲み物だ。やろうと思った発想に乾杯したい。始めて飲んだときは衝撃的だった。

 楽しみかたや、淹れるまでの工程が好き。ちょっとした休憩に。友人や恋人と過ごす細やかな一時に。誰かの為に一杯のコーヒーを淹れる仮定を私は楽しむ。飲んだ時に美味しいって言ってくれたら、私も幸せ。


 故に私も。私の両親もコーヒーが大好きだった。

 一日最低でも朝、昼、夕、晩の四杯は飲むくらいに。


 つまるところ私にとってコーヒーとは趣味であり、癒しであり、やる気スイッチであり、そして心の安定剤でもあるのだ。


 コリコリコリと、私愛用のハンドミルが豆を擂り潰す度に小気味良い音を立てれば、私の精神はゆっくりと安定を取り戻し。

 挽き具合を確認しつつ、豆の粉末をペーパーフィルタにセットすれば、大好きな香りが私の魂に火を点ける。

 ドリッパーにフィルタをセット。お湯を沸かした細口ヤカンからお湯を少し。コイン一枚くらいを意識して、コーヒーの粉を蒸らすと、私の身体は高揚する。

 頃合いを見て円を描くようにお湯を注ぐ時。多分私は一番集中してる。心の中で「美味しくなぁれ」と繰り返しながら、雑味が残らぬよう適当な機を逃さずドリッパーを外す。

 ポットに残された漆黒のそれを見る。……88点。少し動揺してるか、緊張しているらしい。

 嘆いてもコーヒーが不味くなるだけなので、自分の中で折り合いを付けて、あらかじめお湯を入れていた二つのマグカップをキッチンシンクへとひっくり返す。

 空になったそこに、ポットからコーヒーを注ぐ。

 彼はブラックでも飲めるけど、一番の好みはミルクを入れず、砂糖をワンスティックだけ。

 こうして出来た二人分のコーヒーを携えて部屋に戻る。

 リビングでテーブルを挟んで飲もうかとも思ったけど、彼は部屋でと言った。少しお行儀は悪いかも知れないけどベッドに再び並んで座り、彼にマグカップを手渡した。


 互いに一口。隣で彼はほぅ。と、短いため息をつき、「やっぱり綾のコーヒーは凄く美味しいや」と、微笑んだ。


「……ごめんなさい。話の腰折って。一回落ち着きたかったの」

「ん、いいよ。寧ろ落ち着こうと思ってくれるとはね。え? 何言ってんのコイツ? 位の視線か言葉は覚悟してたよ」


 寧ろ、そうならなかったのはあらかじめ何でも受け入れる心構えをしていたからだろう。普段の状態だったら……どんな反応をしたのやら。


「……誰かに、言った事あるの?」

「小さい頃は、両親やら幼稚園の先生に。不思議な顔されたり、仕方ない子だ。みたいな感じの反応だったよ。実はそのあと決定的なある出来事があってさ。以来僕は、その事を周りに秘密にした。子どもながらに分かったんだ。自分は悪い意味で、人と違うんだ……ってね」


 幼い頃からの、彼のズレたような視線。それはこんな意味も持っていたのだろう。どこか遠くを見ていたのも。果たして、ナニを〝視て〟いたのか。そう考えたら、少しだけ背筋が寒くなった。


「僕にとって幸いだったのは、それが日常茶飯事ではなかったって事。まぁ、後々そういうものは殆どが人気を避けるものだって分かったんだけどね。ともかく、そんな背景があったからかな。僕はそれらに対する興味が生まれてしまったんだ」

「興味、を……?」

「うん、興味」


 信じられない。といった顔と声色になる私に、彼は少しだけ困ったような表情で頷いた。


「他の人には見えない。見えても怖がられるか、拒絶される。そんなものが視える僕は何なんだろう? 気がつけば、僕は日常の片隅に現れるそれらを、暇があれば追うようになっていた。ちょっとした冒険の扉を開くような気分でね」

「……ああ」


 小さい頃から、度々フラッと何処かへ行き、行方不明になる理由がようやく分かった。

 幼い頃から纏っていた、飄々とした雰囲気と、ある程度の人間には。果ては親しい人にすら作っていた、厚みは違えど分かる、壁のようなもの。それらの辻褄が、次々と合ってしまう。


「バレはしなかったよ。視える人なんてそうそういない。いたとしても、自らそれを拒絶して封じるか、見てみぬ振りをする人が殆ど。自ら飛び込む人なんていないんだろうね。霊感は大なり小なり誰でも持ってるらしいけど、誰もが僕と僕が行く世界に気づかず、見つけられなかった」

「小学校の頃、寄り道王だったわよね。貴方」

「担任の先生によく言われたよ。隣の県で保護された時は、もう先生半泣き半笑いだったなぁ……」

「先生って立場の人間からしたら、悪夢みたいな小学生ね」


 全くだ。と、笑う彼。隠してきた事。それがこれ。

 成る程。話せない筈だ。私がもっとも苦手な類い。趣味で終わる。興味があるだけならまだしも、それが本当にある事を知っていたとしたら?  昔の私なら、反応が変わっていたかもしれない。


「君には全力で隠してきたよ。君は覚えてないかもしれないけど、君がオカルト苦手になった原因、多分僕だからね」

「……え?」


 ちょっと待て。それは初耳なんだが? え、いつ?


「幼稚園の時。両親に先生。と……実は君にも話してたんだよ。話して、君にだけは〝見せた〟」

「……ふぇ?」


 霊感は誰にでもある。彼はそう言った。なら、私にも? そんな嫌な予感は、彼が首を横に振ることで霧散した。


「君には霊感はないよ。正確には、僕が見えるように幽霊やらに干渉して、働きかけたんだと思う。推測だけどね。当時は自分の本質を、ほとんど自覚してなかったし。話を戻そう。で、それを見た君は……」

「わ、私は……?」

「泣いた」


 うん、だよね。知ってた。


「泣いて泣いて君は気絶して、僕が両親にこってりしぼられて、目を覚ました君は、事を覚えていなかった。多分ショックのあまり、記憶に蓋をしたんだろうね」

「……さりげなく貴方に酷い目に遭わされてたのね」

「僕も子どもだったんだ。近い人に知って貰いたかった。あわよくば共有できたらいいな。そう思ってたんだ」


 今にして思えば、とんだ押し付けだよ。と、彼は肩を竦めた。


「そのまま、時は流れた。周りに隠れながら、僕は色んなものに触れていた。まぁ、もちろんそんなにしょっちゅうではないよ? ポンポン出会えるほど、僕の感覚は優れていなかったんだ。……一人の時は」


 不意に私は、来るべき時が来たのだ。そう悟った。


「メリーも。霊感持ちな視える人だったのね? それも貴方と同じ、自ら飛び込む奇特なタイプ」

「うん、そうだよ。こと感知においては、メリーは僕の上位互換だった。僕は僕で、メリーとは違った点が上回っていたけど、今はいい。僕らが初めて逢ったのは……僕が受験で一時的にこっちに来た時。メリーもまた、受験だったんだけど、僕ら同じホテルだったんだ」


 何処と無く懐かしそうに目を細める彼。大切な思い出の一つなのだろう。チクリと刺すような痛みをやっぱり感じながら、私は話の続きを促した。


「そこで、ちょっとした事件というか、巡り合わせがあってね。僕とメリーは奔走した。終わった後に感じたのはね。今までにない高揚と興奮だった」

「……そう、でしょうね」


 言うなれば、それは感覚の拡張だ。例えるならゲーム。そんなに詳しくないし、それで喩えるのもどうかと思う。けど、近いのはそれだろう。

 一人でやるのと二人でやるの。どっちが楽しいかなんて比べるまでもない。それが、そのゲームのよさを分かっているもの同士なら尚更だ。


「今までね。そういう話を出来る相手はいなかったんだ。オカルトに興味があってなくても、霊感がない以上不本意に触れるべきではない。巻き込むべきではない。それを僕は、嫌って程に思い知っていたからね。話題を出さないのに不満もなかった。僕が知っていればいい。そう、思ってた」

「そうしてた矢先に、相棒を得た?」

「そう。偶然にも、お互い受ける第一希望は鷹匠大学だった。だからかな。機会があったらまた会おう。そんな感じで連絡先だけ交換して、僕らは別れた」


 後に互いに第一希望に受かった事も、連絡してね。と、彼は付け足した。


「大学のオリエンテーション。それを経て、僕らは再会した。非公認ながらサークルを作ったのもその時だよ。僕らの霊感的なものは、なんと言うか……無駄にシナジーがあってね。今までにないくらい、ポンポン非日常に触れられるようになった」

「とんでもないファンタジーね」

「うん、そうだね。全力で楽しんでたよ」


 肩を竦める彼。他にない存在だと、言っていたのは、まさにそのままの意味だったのだ。


「……だから、さ。正直実感がわかないんだ。メリーが死んだこと。涙すら出ないんだよ。多分……泣く資格はないんだろうけれど」

「……っ」


 拳が無意識に握られていた。

 彼を睨む。彼はコーヒーを飲み干していた所だった。


「それで、終わり? そういう秘密があって、唯一無二の相棒を喪って。故に変になってる……。それが、貴方がおかしくなった理由?」

「……うん。そうだと思う」

「……私は言ったわ。〝隠すな〟って。ついでに言えば、オカルト云々は初耳だけど、貴方が大学を受ける前にメリーと逢ったのも知っているわ」

「……っ」


 息を詰まらせる彼に、私は淡々と言葉を進める。空になったマグカップを、ベッド横のサイドボードに置き。私は深呼吸する。


「思えば、貴方のスキンシップが過多になったのは、大学入試が終わってからだったわね」

「……うん」

「あの時は、受験で抑圧されていたから。そう思ってたの。でもね。違うんじゃないかって、メリーから話を聞いた時、もしかしたらって思ったの。で、貴方から話を聞いて、確信したし、思うことがあるの」


 この言葉を他ならぬ私が語るのは、どうなのかと思う。けど、

言わねば先に進めまい。だから言おう。


「普通なら、私に罪悪感とか、後ろ暗い事があったんじゃないか。そう思われても仕方ない。けど、貴方は本当に、メリーをどうこうした訳じゃない。貴方から受けた感情は……私に向けた感情にも、嘘なんてなかった。それも分かる。自惚れって言われたらそれまでだけど」

「……自惚れなんかじゃ、ないよ」


 消え入るような声で彼が言う。


「そう、ならやっぱり……私は貴方を愛しく思うわ。そこまで大事にしてくれたんだって」

「……君、正気かい? 多分君が考えてることは正解だよ? それを知った上で……」

「……少なくとも、お化けが見える男を彼氏にするくらいには正気よ。どうせいつかのファーストキスも、そういう類いとでしょう?」


 彼の目が揺らぐ。こんなに動揺した彼も、初めて見る。初めてだらけ。……嬉しいなんて、イカれてるだろうか。


「気持ち悪いって思う筈だ。それに、最低だって……思う筈だ」

「……気持ち悪い感情を持ってない人なんていないわ」

「でも……僕は……」

「うるさい。余計なご託並べないで、全部吐けって言ってるの。蹴って受け止めるって言ったでしょうが。あと、一個だけいい?」

「え? うん」


 了承を得たので、彼の両頬を思いっきりつねる。「いひゃい。いひゃい」と、彼が目を白黒させるが、構わず引っ張って。


「さっきからひしひしと感じる、私に嫌われてもいい。そうなってもしょうがないって空気がムカつくわ。ふざけないで。嫌わないわよ。寧ろこれを機にお尻に敷いてあげるわ。好きでしょ? 私のお尻」

「そ、それは……」

「……それは?」


「……い、いや好きです。ハイ」

「……それだけ?」

「…………あー」


 僕の彼女、かっこよすぎ。そんなつぶやきが聞こえて。

 そして……。


「そんなの……めちゃめちゃ好きに決まってるだろうがぁあああ!!」


 近所迷惑なレベルで、彼の叫びがこだました。


「君の脚がヤバイです。はい。素晴らしいんです。膝枕されたら悔しいっでも寝ちゃうっ! てくらいに君の脚は世界一なんだ! それが……絶妙かつ至高の脚線美なそれが支えるお尻が、素晴らしくない訳があろうか? いやっ、ないっ! 断じて否っ! まず小さい。程よく引き締まり、かといって触れば柔らかい。なんだこれ最強か。桃とか目じゃない敵じゃない。敷かれるとかただのご褒美ですとも。ついでに君の下半身について他にも余すことなく色々語りたいことが――ぱぉらぱぁ!?」


 しまった。つい蹴ってしまった。

 でも久しぶりだなぁ……いや、しみじみしちゃいけないんだろうけど。でもこれ以上語らせたらもっと酷いことになりそうだし。

 一方で、壁に受け身も取らず叩きつけられた彼は、地面に伸びたまま、目の上に片腕を乗せ、静かに息を吐いた。


「僕はね……君が好きだよ。小学校の頃から猛アタックしてくれた事に、付き合う一年位前にようやく気づいたくらいには鈍感な奴だけどさ。君からの告白は……凄く嬉しかった。君にもしもの事があったらそれこそ発狂しちゃうくらいに。君が泣いたら心が海溝の如く沈んじゃう位に。僕はね。君が愛しくてたまらないし、愛してる。君以外は考えられない。本当だよ。本当だったんだ」


 彼の声が震えている。


「だから……あの日、僕は自分が許せなかった。許せなくて。でもそれでも抑えも出来ない事を悟った。僕はね。受験で向こうに行って、件の事件に巻き込まれて。終わった後にメリーと受験後の一日観光。これもまたオカルトな事が起きたんだけどそれはいい」


 巻き込まれすぎだアンタら。とは、もう突っ込むまい。


「あの日々の中で僕は……生まれて初めて、君の事を忘れた。携帯が壊れてた。なんて言い訳を抜きにだよ。帰りの新幹線に乗って、あった事を振り返って。故郷の駅に着く直前まで……」


 僕は、君の顔すら浮かばなかった。

 悔恨するような、告白だった。


「君が駆け寄ってきた時、色んな感情が渦巻いたよ。暴走していたと言っても過言じゃない」

「……ま、まぁ確かに暴走はしてたわね」


 色々と。でも、私だって変だった。あの時は、今までにないくらい大胆になってたと思う。結果それが、彼を壊すとも知らずに。


「後はそのままさ。君への感情へ、だんだん制御が効かなくなってきた。本能ってか、ある意味でも悪い意味でも素って言うのかな。それが炸裂した」


 そうして僕は――変態になった。


 それは、全ての原点だったのだろう。

 だから私は、これも聞かざるを得ない。


「ね。正直に答えて。メリーは……貴方にとって、何?」


 それは、いつかの質問の繰り返し。

 彼は目を覆っていた腕を静かに外し、虚空を見つめている。


 そして――。

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