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彼氏が変態過ぎて困ってる  作者: 黒木京也
日常は続く
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日常渇望

 彼の目の前で、私は苦しんでいた。


 悶え、のたうち回り、息も絶え絶えになる私を、彼は驚きと戸惑いが混じったような顔で見る。

 交差する視線。

 今にも意識が飛びそうに……は、ならないけれど、それでも私には衝撃が大きくて。もはや弱々しくもにっこりと、微笑みかける事しか出来なかった。


「し、しょっぱい……」


 カレーが。

 因みに私が作ったものではない。

 正真正銘、彼が一から作ったもの。私は欠片も介入していない。〝あの〟彼が作った料理が色んな意味で凄まじいと感じたのは生まれて初めてだった。


「うわっ、ほんとだ。酷いなぁコレ。綾、取り敢えず食べるの止めよう」


 私の様子を見てから、彼もまたカレーを口にし、すぐさま顔をしかめた。味見までしてないなんて、ますますらしくない。そんな彼に私が何とも言えない視線を向けていると、彼はいそいそと食器を下げようとする。咄嗟に止めようとするも、本人は首を横に振りながら、「いや、流石にこれは……ねぇ?」と、苦笑いした。


「ごめん、〝今日も〟出前か……何処かに食べに行こうか」

「う、うん……ねぇ、辰? ちょっと、いい?」


 これでもう、三日連続。流石の私もおかしいのはわかる。原因もまた、察するからこそ、歯痒い思いだが、それを圧し殺して私は彼を呼び止める。

 色々と話したいのはあるけれど、まずは……。


「最近、寝てるの?」


 私の問いに、彼は目をパチパチさせてから、にっこり笑う。「勿論だよ」と。

 嘘だ。

 瞬時にそう思う。だって彼の目元には、くっきりと隈がある。何より、この三日間、彼が寝ているのを私は見ていない。

 私が眠るまで彼は起きていて。私が目覚めると、彼は既に起きている。今まではどっちが先に寝て起きるかなんて、バラバラだった筈なのに。


「……でも、変だよ」

「うん、だろうね。仮にも友人を亡くしたんだ。それも……ある、かな」


 亡くした。

 その単語が私の胸に重くのし掛かる。

 メリーは死んだ。あの日の事は、今でも覚えている。信じがたくて立ち尽くしてたら、彼が帰ってきて……。

 彼は無言でスマートフォンの通話をし続けていた。能面のように無表情。けど、目だけは、異様な光をたたえていた。信じられないという感情を含んだ焦燥を感じさせる目。そんな彼を見たのが初めてで、私は何だか怖くて怖くて……。

 気がつけば、結構な時間が経っていた。空気の読めない私のお腹が、「くぅ」と音を立てたのだ。

 いつもなら羞恥にあたふたするだろうが、その時の私が感じたのは、どうしてこんな時に腹が減る。なんて苛立ちだった。


 結果、我にかえったかのような反応と共に、彼はようやく笑みを浮かべた。「ごめんごめん、お腹空いたよね」と言いながら。

 その晩のパスタは、ゴムを食べてるみたいにブヨブヨだった。けど、私も彼も何も言わずに胃にものを入れていた。

 おかしいと感じる感覚すら麻痺していたのだと思う。結局、彼の電話は一度も繋がらぬまま、その日の夜は更けていく。

 ついでに……。私が話しかけると見せてくれた彼の笑顔。それが何故だか凄く嫌だと感じたのも、その日が初めてだった。彼が笑ってくれるだけで、私は舞い上がっていたというのに、ちっとも嬉しくなかったのだ。


「……お皿洗い。手伝うわ」

「ん、ありがとう」


 並んで台所に立つ。会話はない。

 いつもならば、沈黙すら気にならないのに。今はただ、そわそわする。

 何を話そう。何て声を掛ければいい? 私は彼に、何をしてやれるだろうか?


「……っ」


 言葉を発しようとして、息が詰まる。

 話題をどうこうしても、結局最後は彼女に繋がりそうで……怖いのだ。


 メリーの死は、公においては殺人事件とされている。

 彼女のマンション近くの廊下の踊り場で、背後から鋭利な刃物で心臓を一突き。マンション入り口に取り付けられている防犯カメラには不審な人物の影はなかったらしい。

 詳しいことは部外者の私には分からないけれど。

 確かなのは、殺されたその日の夜は、彼女は彼と一緒にいて。サークル活動を終えて別れた後、凶刃に倒れたことだった。


「うし、終わり」


 回想に耽っているうちに、皿洗いは終わってしまう。「何が食べたい?」と聞いてくる彼に、簡単にお弁当で済ませましょう。とだけ答えた。


「じゃあ、僕買ってくるから、綾はここに……」

「わ、私も行く!」

「え、あ。うん」


 一人にしたくなかった。

 今の彼は本当に気がついたらフッ。といなくなってしまいそうで。そんな不安を圧し殺して、私は彼の手を握る。

 玄関を出て、夜の風を感じながら並ぶ。再び彼の目を見る。まっすぐ前を見るその視線。何を思うかなど、私にはわかるはずもなかった。


 ※


 日々は続いていく。結局、メリーさんの事件は進展ないまま、喧騒とニュースの波に埋没していく。毎日のように殺人事件が起きている今、女子大生が一人死んでしまっても、容赦なく人は先へ進む。

 冷たい意見だと思う。けど、私には負けるかも。

 だって私は、涙すら流さなかったのだ。

 考えてみれば、話し初めたのはつい二、三ヶ月位で。お出掛けも数回。交流もあるが、それでも大学にいる友人には及ばない。

 もう少し過ごした時間が長ければ、きっと更に気心の知れた仲になれたのかもしれない。けど、それすらあくまで想像だ。


 私とメリーの関わりは、あまりにも短すぎた。


 悲しみよりも、驚きが勝った。

 悼むよりも、彼への影響や心配が勝った。


 ああ、なんて酷い思考だろう。そして……。


「……はふ」

「ふぅ……」


 お風呂なう。

 身体も洗い終えて、彼に後ろから抱っこされたまま、一応はご満悦な私がいた。ベッドで組伏せる時は荒々しいのに、こういう時はいたわるように。壊れ物でも扱うかのようにする彼の手。そのギャップに抗えないのに気づいたのは……。結構昔の話。

 が、それはいい。ただ、最近明らかな変化があった。


「……隈、まだ消えてない。寝てるの?」

「寝てるよ~。綾は心配しすぎだよ」

「……またそうやって適当に流す」

「流してないよぅ。ちゃんと綾を寝かしつけて、寝顔も堪能してから寝てるよ」

「……寝顔だけ?」

「へ? うん、寝顔だけ。あ、大丈夫。いつも可愛い寝顔だよ?」


 他愛ない会話。そう見えるだろう。だが……お分かりいただけるだろうか。

 この間、ボディタッチなし。以前ならば会話の合間に挟んできたであろう変態行動。それが一切なくなっていた。

 てか、寝顔だけって……。悪戯は? してないの?

 寝かしつけてって何だ。私を子ども扱いして。

 というか……。


「……ね」

「ん~?」

「そっち向くから。抱っこ」

「ん。おいで~」


 身体を入れかえる。しっかり当てるとこ当てる。脚も絡めて。彼の鎖骨辺りにコテンと頭を乗せる。

 彼の手は、黙って私を抱き寄せるだけ。

 何かをする事も言うこともない。


 別にそういう事がしたい訳じゃない。……ごめん嘘。多少はある。けど一番重要なのはそうじゃない。


 バカな話をしていいのだ。

 変態な行動していいのだ。

 どんな服だって着てあげる。

 デートだって、辺鄙な場所で構わない。

 キックして、受け身取られて。和解して。そんな日常が好きなんだ。

 ご飯だって、変な味でもいい。貴方が作ったのなら食べられる。貴方が私の料理みたいなナニかを食べてくれた気持ちが、今ならわかるから。


 だから……お願いだから……。


「…………は、……てよ」

「え? 何?」

「……っ、なんでもないっ! バカ!」


 苛立ちを込めて、首筋に思いっきり吸い付いた。跡つけてやる。といったお仕置きとマーキング。

 ちくりと。いがらっぽい何かが胸を刺す。牽制の意味はない。もう、必要なくなってしまったから。同時に、結局親友になるかもしれなかった相手より彼の事を考えている自分に嫌な気持ちになる。

 でも、たとえ自分が嫌な子になってでも、彼には伝えたかった。



 お願いだから、作り笑いは止めてよ。



 怒られたり。怒ったり。喧嘩するなんかよりも……。それが一番辛かった。

 高校生時代の影のある感じとはまるで違う。なまじ付き合いが長いだけに分かってしまうのだ。

 それが心からのものか。否か。


 今の彼は……まるでロボットみたいだった。


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