ピロートークの延長線
休日の朝。特に用事がないときは、私も彼も大抵は寝過ごしてしまう。
何でかと言われると、恥ずかしいので理由は言えないが、ともかくそんな感じで、私は今日も遅めの朝を迎えた。
部屋の間取りは2LDK。彼の部屋と私の部屋は分かれている。互いのプライバシー的なのを尊重というのが表向きの理由。だが実際、寝泊まりするのは片方の部屋になっているのが現状だ。理由など、説明は要らないだろう。私と彼が恋仲だから。それだけ。
「……サラブレッド」
謎過ぎる寝言を言いながら、ベットから上体を起こした私の隣で、彼は寝返りをうつ。
それに少しだけ吹き出しそうになりながらも、私は床に落ちた下着やらを拾い上げ、彼を起こさないようにそっと部屋を出る。
七月故に朝でも暑い。今軽くシャワーを浴びれば、きっと気持ちがいいだろう。
脱衣所に新しいバスタオルを用意して、私はそのままお風呂場に……。
「させるかぁあああ!」
と、思った所で、彼氏が全裸でやって来た。
「……何?」
「……そんな冷たい顔しなくてもいいじゃないか」
ビックリしたから。なのだが、そんな事を言えば彼はまた不思議なリアクションをするので、スルーして私はお風呂場へ。彼もそのままついてくる。
「私は〝ゆっくり〟シャワーを浴びたいのだけれど?」
「……え~」
先手を打っておいたのが功をなしたらしい 。彼は少しだけ残念そうな顔をしながらも、「まぁ、僕もただ入りたいだけだから」
何ていいながら、シャワーのノズルを持ち上げる。ぬるい噴射が、私と彼の身体と髪を濡らしていく。暑さで上気した肌にはとても心地よくて、私は思わず息を吐く。
「お風呂屋さんは要りませんか~?」
「……何をするか聞いてもいい?」
「綾の身体をすみからすみまで洗わせて頂きます」
「却下」
ナニをされるか、分かったものではない。
「へ、変なことするつもりは……」
「そう言って毎回あっさり押し通してきたのは誰よ?」
押し通される私も私だけど。彼は口笛を吹きながら「さて、頭洗うかな」なんて宣っている。……危ないところだった。
そこそこお風呂は広いので、小さい椅子二つならば置いておける。微妙に斜めな配置になりながら、私達は手にシャンプーを……。
「……何故私の後ろに回るの?」
振り向きざまに投げ掛けた私の質問に、今まさに背後に移動した彼は、ニヘラと笑う。それはもう極上の笑顔で。
「いや、身体が無理なら、髪洗おうかなって。君の髪弄るの好きだし」
だからそういうストレートな事を言うのを止めろと……口にしようとしたら、すでに彼の手は私の髪に添えられていて。
「あ……ふ」
一瞬で、私の身体から力が抜ける。彼は、シャンプーするのが上手い。誰で練習したのかは言うまでもなく……。
「普段の凛々しい綾もいいけど、こうやって力が抜けちゃう綾もいいものなんですね」
「……変なことしたら湯槽に沈めるから」
せめてもの抵抗を、彼は了解~。なんて軽い返事で受け流す。
少し悔しいが、気持ちがいいものはしょうがなくて。だから少し手つきがいやらしい感じがするのは、容認してあげる事にしよう。
「女の子は大変だよね。トリーメントとか」
「トリートメントね」
ああ、そうだったと、笑う彼に、私も自然と笑みがこぼれる。ワシャワシャと、揉みこむように洗われて、どうにも瞼が重くなりそうだ。
「辰は……トリートメントしなくても髪綺麗よね」
「思い出した時にやる程度かな」
こっちは結構な努力を重ねて髪を手入れしているというのに、彼はそんな杜撰なやり方で維持が出来てしまう辺り世の中は不公平だ。
「綾はいい香りするよね。首筋に顔埋めると、眠くなる」
「変態」
他愛ない会話。眠くなるのは私も一緒だけど、そんなの口が裂けても言わない。
安心。というやつか。ベットで抱き締められると、妙に力が抜けて、気がつけば言いなりに……。
浴槽に、ドゴンという音が響きわたる。私が壁を殴った音だ。
「綾~。壁ドンはダメだよ」
「拳はちゃんと鍛えてるから平気だもん」
「そういう問題じゃないんだってば。君は女の子なんだから……」
頭の泡を流しながら、彼は私の拳を片手で撫でる。器用な奴だ。
そっとそこにキスを落とされて、私の身体が少し熱くなった。
お湯だ。お湯のせいだ。きっとそうだとも。
「今日、どうしようか? 天気はいいみたいだけど」
「辰は何処か行きたいところあるの?」
「ん~。君は?」
聞いたのは私なのだが、細かいことは考えず、少しだけ思案する。互いに行きたいところを聞き合って、ループするのは御免だ。
「買い物……とか?」
一緒に何処かに行くだけで、本当は嬉しいけど。何か口実を作るなら、この辺が妥当だろうか。トリートメントで髪をマッサージされながら、私が遠慮がちに提案すれば、彼はにこやかに了承する。
「アトラク・ナクアのワンピースだっけ?」
「いや、その話はもういいから」
因みに、件のガーターベルトとベビードールは、私の部屋のタンスの中にある。
正直恥ずかしすぎて二度と着たくない。
流れるお湯が、髪をまた濡らし、彼の手が優しく頭を撫でる。私より大きくて、うっすらと骨が浮き出た手。女である私の手とはあまりにも違うそれに安心する辺り、私もいい加減参っているらしい。
「じゃあ、お風呂から上がったら、お買い物デートと洒落こもう。水族館とかもどう?」
「……うん、行く」
お湯とシャンプーで大分ほぐされたのか、いつもよりは素直に返事が出来た。気がする。
気がつけば、身体は完全に彼に預けられていて、ボディーソープのついたスポンジが、私の身体をニュルリとなぞる。
「は……んっ……」
火照った身体に、心地よい刺激が走る。
気がつけば後ろから包まれるように抱き締められていた。耳朶を優しく噛まれ、自分でも想像がつかない位に甘い声が漏れる。泡だらけになった互いの身体が滑り、何とももどかしくてくすぐったい感触が……。
「って、ちょい待った」
私の胸元に伸びていた彼の手を掴み、私はゆっくりと彼を見る。
彼はというと、やりきった顔でにこやかに。腕の中で震えている私を見ていた。
「許そう……全てを……」
取り敢えず、彼の頭を浴槽に沈めてみた。
ブクブクと泡立っていて、何だか面白い。
「死ぬよ!」
「死ねばいいのに」
嘘だけど。
「いや、何かほら……。君裸だし」
「お風呂だもの」
「たまに色っぽい声出すし」
「貴方のせい」
「耐えられると自負していた時期が、僕にもありました……」
だからそれをやめてほしい。熱を含んだ、私にだけ向けられる視線。
まっすぐで、火傷しちゃいそうになる彼の目に、私はいつも抗えない。
でも……。
足を踏んづけてやろう。
デコピンもしてやろう。
デートでコーヒーを奢らせよう。
お湯のせいで熱い身体は……我慢して。
取り敢えず、私は反撃に、彼の頬へキスを落とす。
「夜までお預け」
やられっぱなしは趣味ではないのだ。だから今日はわざと焦らしてみる。
恥ずかしいけど。こんな駆け引きを楽しんでいる自分がいて。
「じゃあ、精一杯エスコートさせてもらおうかな」
それに答えてくれる彼がたまらなく愛おしいのだ。
いや、言わないけど。