シュラバーはジェラシーと共に
結構前の話だ。私は彼に、「メリーさんって、辰にとって何?」そう問い掛けた事があった。
その時彼は少しだけ目を見開いて、軈て少しの黙考と共に、「相棒……かな?」と、答えた。
その答えを聞いた私は取り敢えず彼の両頬をつねり、限界まで引き伸ばした。
痛い痛いともがく彼に「正・直・に! 包み隠さず!」と、迫ったのだ。
どうして? と聞かれたら、女の勘としか答えられない。
だってさっきの間は何だ。さっきの間は! 考えて相棒って在り来たりな答えなんて、認めたくなくて。私はその日、珍しく彼の領域に一歩踏み込んだ。
知り合いや友人には勿論、あくまで他の人よりは緩いというだけで、私や彼の両親にすら、彼はある種の絶対不干渉な境界を持ち合わせている。踏み込んで嫌われるかな。ともチラリと思った。けど、その境界にメリーさんがいるのが私は何となく嫌で。頑として引かなかった。引けなかった。
すると彼は観念したかのように肩を竦めながら、「わからないんだよなぁ……」と呟いた。
「最初はね。ただの興味だったんだ。あ~。僕と似たような奴がいるな~的な」
彼は何処と無く懐かしむように、ポツリポツリと話し始めた。
「サークルを結成して、これが親友か……なんて、思った時期もあったなぁ。最終的に、それだけじゃなかったけど」
親友だけじゃない。それを聞いた私の中で、友達を示す言葉が浮かぶ。親友。女友達。……それくらいしか浮かばない。私のボキャ貧め。何て思いながらも、私は彼の話の続きを促す。
「で、ごちゃごちゃ考えたんだ。でも答えは出なかった。ただ確かなのは、背中を預け合える関係なんだって事かな」
身近って意味ね。と、彼は付け足した。私はその時、どんな顔をしていたか覚えていなかった。
「信頼できて、自分の弱さすら見せられる。こう言えば恋人に聞こえるかもしれないけど、勿論違う。名目上は相棒で通しているけど、果たしてそれも正しいのか。そんな名前がつけがたい関係なんだ」
そう彼は締めくくった。
その時私は、完全に錯乱していたのだろう。それを聞いた後に、そんな質問をしてしまった。彼は……本心ではどう思ったのだろう。
傷付いたか。或いは私を傷付けたか、しょんぼりさせてしまったと、内心で沈んでいたのか。はたまた疑う私に少しだけ嫌な気持ちになっただろうか。確かめる術はない。
「……ねぇ、私は……私は辰にとって、何?」
「え? 決まってるだろう? 可愛くてしょーがない、僕の恋人だよ」
迷いなく。淀みなく。彼はそう答えた。本来の私なら、大喜びする筈の言葉。
なのに……傲慢にも私は不満だった。認めよう。酷い女だと思う。
私の方は簡単に恋人。なのにメリーさんの方は具体的かつ複雑なのが不満だった。
本来ならば、私達の方が確固たる関係だというのに。
何処か、その関係を慈しみ、大事な宝物のように語る彼が気に入らなくて、不満だった。
普段これ以上にないくらい愛してくれていると、自覚があるというのに。
何よりも……。その関係が羨ましい。何て思ってしまった、私の中の矛盾が不満だった。
彼は鈍感だ。私の気持ちに何年も気づかなかったから。
酷い鈍感野郎だけど……大好きなんだから仕方ないのだ。
好きだからこそ、憎らしくて、妬ましかった。
※
駅からタクシーで五分もかからない場所に、目的地はあった。
体感的に歩けば十分……。いや、もっと短いだろうか。
辿り着いたその場所は、結構立派なオートロックのマンションだ。そこで指定された番号をプッシュすれば、すぐに応答が返ってきた。
「どうぞ」
マイク越しにそんな声が響き、私は頭の上から爪先まで緊張しながら、そこに足を踏み入れた。
階段をのぼる。場所は二階。そこの黒いドアの前に立ち、インターフォンを鳴らせば、ゆっくりと扉が開き、ハチミツみたいな甘い香りと共に知っている顔が出迎えた。
と、同時に、私は雷にでも打たれたかのように固まってしまった。
そこにいたのは、当然ながらメリーさんだ。整った顔立ちと、綺麗な亜麻色の髪。宝石みたいな青紫の瞳。シミ一つない柔らかそうな肌は、お風呂上がりなのか、少しだけ上気している。そして……。格好が問題だった。
彼女が身に纏うのは、レースつきの白いネグリジェ。イヤらしくスケスケな訳でなく、しっかりとした材質の、露出の少ないクラシカルなもの。……彼が、好きそう。
正直に言うならば、悔しいけど私は見とれていた。
だって本当に、お人形さんみたいに綺麗だったから。
「いらっしゃい。竜崎……綾さん、よね。私の事覚えて……どうしたの?」
「い、いえ。何でも……ないです」
固まる私に、怪訝そうな顔を見せるメリーさん。慌て首を振れば、メリーさんは私に中へ入るよう促してくれた。
玄関から入り、右手にはお風呂場と洗面所。左手には恐らく御手洗い。そこから中に入れば、リビングとカウンターキッチンが融合した、一般より少し広めの部屋が私の視界に飛び込んできた。
テーブルをはじめとした家具は皆、モノトーンを基調とした女性にしてはシックな部屋。大きめと小さめな二種類の本棚にはぎっしりと本が詰められて。その斜め横にテレビがある。
そして……。
そことは対極に位置する窓側。薄紫のカーテンの下に、独り暮らしのわりにはいささか大きすぎるベッドの上で、彼は熱冷まシートを額に当てて静かに寝息を立てていた。
「生憎、竜崎さんから電話が来た時には、既に眠っていたの。夜中だし、朝まで寝た方がいいだろうから、起こさないであげてね」
口元に指を添えて、「シィー」というジェスチャーをしながら、悪戯っぽく微笑んだ。
小さく頷き、手持ち無沙汰になった私は、メリーさんに再び促される形で、その場に腰かける。
メリーさんもまた、白いテーブルを挟んで、私と対面になる形で腰かけた。そして……。
「…………」
「…………」
沈黙! 圧倒的沈黙! 気まずいってレベルじゃない。寧ろ押し掛けてきてこんなこと言うのもあれだけど、私来ない方がよかったんじゃ……。いや、でもそれだと彼とメリーさんが一夜……。うう。
「お風呂は?」
「ふぇ!? あ、まだ……です」
「……同い年よね? 敬語なんて使わなくてもいいのに」
「い、いえ、そういう訳には……」
「そうなの? まぁ、いいわ。よかったら入ってきたら? 服は貸すわよ?」
「あ、着替えは一応あります。彼のも」
テンパる私に話題を振ってくれたメリーさん。けど、私はまだ混乱していて、当たり障りのないことしか話せなかった。
「てか、彼、服は……」
「ああ、私のネグリジェ着せるわけにもいかないし、ジャージとTシャツをね」
「ジャージ、持ってるんですね」
「私を何だと思ってるのよぉ……そりゃスポーツの類いは苦手だけど」
走るのは自信あるのになぁ……と、苦笑いするメリーさん。それがおかしくて、私も思わず顔が綻ぶ。そんなとこまで、彼と同じなんだ。
そう思いつつ、私は気を取り直して、「もう寝ますよね。メリーさんも」と聞けば、「うん。遠慮しないで、お風呂どうぞ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて私は立ち上がる。
リビングを出て、脱衣室のドアに手をかける。うーむ。そういえば自宅以外の部屋でお風呂とか久しぶりな気がする。
「……あら、起きたの?」
何て考えていたら、メリーさんのそんな声が耳に飛び込んできて、私は思わずぎょっとする。起きたって……彼が!?
思わずその場で身体を翻えし……。少しだけ考える。
彼はまだ、私が来てることを知らない。メリーさんも、私がお風呂に入ったと思っているだろう。なら……。
それは、邪な想いだった。
そっとリビングまで引き返し、こっそり覗きこむ。私の目に入ってきたのは……。
「平気……ではないわよね。喉とか……乾いてない? お腹すいてる? 寒い? 熱い?」
「そう、だね……わりかし辛い。喉は乾いたけど……食欲はないかな。で……寒い」
そこにいたのは、見たこともないくらい憔悴しきった彼と、その傍で心配そうに寄り添うメリーさん。
私が見たのはそれだけ。だけど……今までに無いくらい、胸が締め付けられた。
背中を預け合える関係。その単語がリフレインする。
「あ……」
二人に聞こえないよう、声を押し殺す。
何でだろ。どうしてだろ。あの二人は、ただ近くで会話してるだけ。それだけなのに……。
どうしてこんなにも、胸が苦しいんだろう?