カクテルエロティズム
私は強い。
いきなり何をという話だが、強いは強いでも、肉体的な話ではない。
それなりに、格闘技は嗜んでいるけど、あくまで趣味の領域。その辺の一般人やら、少しは腕っぷしに自身のある無頼の輩は簡単に蹴散らせても、真の意味での達人や、強者には及ばない。だから、私の肉体的な強さは、それなりだ。
では精神的にはどうか。
これは……ブレが激しいと言わざるをえない。メンタル面はタフだけど、状況にもよる。
たとえば、彼が帰ってこない時。フラッといなくなるのが前からあるとはいえ、やっぱり寂しいものは寂しい。
たとえば、ふと、彼が遠くを見ている時。説明は難しいけど、何だか彼が文字通り遠くに感じられて、切なくなる。
たとえば、彼とイチャイチャしてる時。もう何というか、自分で言うのもどうかと思うが、一応普段はごくごく普通の女子大生なのだ。
なのに彼にかかればあら不思議。
ちょっとした言葉に舞い上がり。抱き締められれば身体から力は抜け。キスされると痺れちゃう。変な要求が来ても気がつけば受け入れていて。ベッドに行こうものならもう勝てない。私がリードできた機会なんて、数えるくらいだ。同い年とはいえ、誕生日的には私の方がお姉さんなはずなのに。……それなりな肉体的強さとは何だったのか。
たとえば、メリーさん。……説明不要。
パッと挙げられるのはこんな感じ。こうしてみると私の精神的な弱所は、全部彼が絡んでいる気がしなくもない。それ以外なら、強い筈だ。だから私の精神的強さはそこそこだ。
じゃあ何が強いのさと言われたら……。お酒である。
※
これは、大学入りたての新入生歓迎会の時の話だ。
それなりに値のはる、高級バーみたいなお店の一室を貸し切り、私達一年生と、一つ上の二年生が集まっていた。
学部学科が入り乱れた、結構フリーダムな集まりだった事を記憶している。だからだろうか。そこには色々な思惑を持った人達が集まっていた。
人がいるだけ出逢いあり。今や関係が切れた先輩やら同級生は一杯いるのだけれども、その中で、やたら私にお酒を勧めてくる男の先輩がいた。
スクリュードライバー。
ロングアイランド・アイスティー。
カルーアミルク。
モスコーミュール。
ルシアンまで出てきた辺りで、あ。私狙われてるんだ。何てふと思った。
先輩の方はカシスオレンジやらカシスソーダを連打。何このアルコール格差。何て思いながら、同じ会場にいた彼の方に助けを求める視線を送ったのを覚えている。
そんな時の彼はというと……。
「苦手なんですか? こーゆーとこ」
「え? うん、まぁそうだね。個人的には少人数で静かにの方が好きだよ」
「あはは……。何かわかるかも。滝沢……辰くんだっけ? 気が合うね。私達」
「……そう、かな?」
同じ学部。同じ学科な女の子と、喧騒から離れた場所で飲んでいた。多分彼が離れて、女の子がそれについていった形なのだろう。
そうなんだろうけど……。
ショートカットなその女の子は、何処と無くトロンとした目で彼を見つめていた。当の彼は……。チビチビとカウボーイを煽っていた。
……壁を作ってる。それが分かるのは、私が彼と付き合いが長いからと、まぁ、恋仲だからというのもあるだろう。
だから、浮気の心配はない。浮くどころかピクリともしていない事がよく分かる。けど……。
その時私は、口がへの字に曲がっていたと思う。近くにいた名前も思い出せぬ先輩が、「あ、ルシアンは気に入らなかったかな? 綺麗で口当たりがいいから、君に是非勧めてみたんだけど」何て台詞を言っていた気がする。でも無視。じゃあ何が気に入らないのといえば……。
「雪穂! ガンバ!」
「大丈夫。どきまぎしてるだけよ! ファイト!」
「フム。虚ろな感じの美青年ね。雪穂め……やるわ~。草食動物みたいな顔してやるわ~」
「ああっ、いいっ! ちょっといいかも。が、恋に変わるこの瞬間がたまんない! 五秒で恋が始まるなんて素敵っ!」
外野うるさい。
そう。それだ。端から見たら、何かいい雰囲気に見えるのだ。周りはなんか応援し出す始末。
あれか。合コン空気に馴染めない男女二人が二人だけの二次会するみたいな。そんな感じの空気。……大丈夫と分かってても、ぐぬぬとなってしまうのは必然で……。
「あの、辰くんは、何処から通ってるんですか?」
「僕? 僕は、十七区からだよ。幼馴染みとルームシェアしてるんだ」
「へぇ……じゃあ、昔からの親友と一緒に? 何かいいですね。それ」
親友じゃないもん。彼女だもん。
頬っぺた膨らましたろか。何て早まった事を考えていたら、先輩がボディタッチしてくる。まだ肩だからいいけど、そのうち腰に来そう。来たらノーモーションエルボーは……はしたないから彼に撃つとして。取り敢えず当面はどうこの先輩を退けるかだろう。
「あ、綾ちゃん。ジン・フィズとかどうだい? 俺のオススメその6!」
「……何番まであるんです?」
「君が堕ちるまで?」
「冗談が上手いですね」
「冗談じゃない。……って言ったら?」
流し目で、イクメン……じゃなかった。イケメンな微笑み。普通の女の子なら、これで一瞬ドキッとするんだろうか。お酒とかも手伝って。
一応コジャレた格好だし、素直に格好いいに分類される先輩ではあるけれど……。まぁ、踏み込んでくれたなら助かった。後は一刀両断だ。
「へぇ、そうですか。としか」
「ありゃりゃ。綾ちゃん鉄壁だねぇ。好きな人でもいる?」
「……そうですね。いますよ」
素直にそう答える。どうでしょう? 何てはぐらかす気はない。すると先輩は、あっちゃあ~……。何て肩を竦めて。
「……滅茶苦茶好みのタイプだったんだけど?」
「それは……まぁ、ご愁傷さまです?」
「もう付き合ってるの? もし片想いなら……」
「えっと、……望みは断たれてます」
「oh……一夜のアバンチュールは……」
「ありえません。てか、この会場にいますし」
「マジで!?」
え? どれ? どれがその幸せ者? 何て言ってキョロキョロしだす先輩。……彼氏いるって分かったら引き下がると思っていただけに、少しだけ拍子抜けする。そんな事を伝えたら、「甘いね綾ちゃん。望みなくても美人と飲めるだけで男は幸せなのさ!」何て言っていた。むぅ……わりと剛の者だったらしい。
で、その幸せ者はというと……。
「親友さん、同じ大学なんですか?」
「うん、そうだよ。親友ってか……彼女だけど」
「………………ふぇ?」
全力でフラグを叩き折っていた。ショートカットな女の子の顔が凍りついて、ありありと絶望が見えた。
「し、辰くん……彼女……いるの? てか、それ……同棲……」
「うん。一応名目上はボディーガードらしいけどね」
ああ、そういえば切っ掛けはそれだったっけ。そりゃあ、お父さんからしたらそうだけど。それを隣で見ていた先輩は、引きつった笑みを浮かべながら私と彼を交互に見ていた。
「ボディーガード?」
「正直私の方が強いんで、余り意味をなしていませんけど。……お父さん、私と彼が付き合ってるの知らなくて」
「お父さん可哀想ってレベルじゃないでしょそれ……え? 綾ちゃん強いの? 格闘女子?」
「嗜む程度には」
「それ言う人って滅茶苦茶強いらしいぜ。……そっかぁ~。どうあっても無理かぁ……」
「はい。無理です。諦めて下さいね」
私が笑顔でとどめを刺せば、先輩はニッと笑い。オーダーを追加する。自分の分と、私に初めて「何がいい?」と聞いてきた。
「……オススメは終わりですか?」
「本日は閉店で~す。変わりにまぁ、俺のやけ酒のお付き合い。もとい、馴れ初めやノロケで完全に未練を絶ってくれれば……と」
本人曰く、恋するのも、所謂恋バナをするのも好きとのこと。
それはまた逞しい事である。てか、馴れ初めやら語るのは凄い恥ずかしいから勘弁して欲しい。
でも……。
「雪穂ェ……」
「フ、ファイト! 寝取れ! 寝取るのよ!」
「いや、無理でしょアレ。男の子、一定の距離ってか、壁ってか……アレ破るの無理よ。素は彼女だけにって奴? ハハッ。ワロス。リア充死ね。私達以外のリア充死ね」
「ああ、それでも健気に御酌する雪穂ちゃん……三秒で終わる恋もまた……いいっ!」
ちょっとしたカタルシスを味わう辺り、私も嫌な子だ。でも、それでいい。彼は私のだ。健気でもあげない。絶対ダメ。私がそんな事を思っていたら、先輩はショートカットな女の子を見て一言。
「……あの子、顔は地味だけど、おっぱいデカいなぁ」
「では、そちらに行かれては?」
「いやいや。ないね。綾ちゃんの話の方が聴きたいで~す。あ、そうそう。綾ちゃんもスタイルヤバイぜ。モデルって言われたら信じる。という訳で彼氏と別れて俺と……」
「嫌です」
「ですよねー。じゃ、バサッと未練断ちお願いしますっ!」
好青年なのか、ただの軟派な男なのか分からなくなってきた。しかし、実はこういうあからさまな好意を向けられたのは、結構久しぶりだったりする。高校まで私と彼はほぼ一セット。そんな当たり前な扱いだったのだ。
だから、向けられる想いだけは悪くはない気分なので……。
「……前、高校時代の友人に話したら、アイスコーヒーをボトル買いしてましたけど」
「OK。俺、今宵は吐瀉物ではなく砂糖を吐くぜ」
そうして、私の話が始まった。そのうちに先輩は「ちくしょー」何て言いながら酔いつぶれて。
周りも一人二人と倒れていて。
ふと、彼が傍に歩み寄ってくるのが見えた。私は一人、シンデレラを飲みながら、彼が来るのを待つ。
「ノンアルコールなんて珍しいね。酔ってるの?」
「まさか。何だか今は、これが飲みたかったの」
お姫様って柄ではないけれど。でも、彼が来るならレディキラーなお酒を飲んでる姿は見られたくなくて。だから私は、ちょっと小休憩も兼ねてノンアルコールカクテルをチョイスしていた。チョイスしていたのに。
「新歓だから、先輩達がおごってくれるんだって。だからいつ抜けても自由みたい」
「ふぅ~ん」
横目で、さっきまで彼が座っていた場所を見る。さっきのショートカットな女の子が、可愛らしく寝転んでいた。……膝枕位はしやがったのだろうか。もたれかかる位なら……やっぱダメ。
コテンと、彼の肩に頭を乗せる。万が一の為の上書きだ。
「鼻の下伸ばしてなかった?」
「僕? 今伸びてるかも。それ以外は記憶にないなぁ。君は? ときめいたり……」
「しないわよ。あ、でも、今少しだけドキドキしてるかも」
チョイスして飲んでるのはノンアルコールなのに、酔っちゃいそうだった。
結局。互いに気にしながらも放っておいたのは、信頼って奴だろう。……自分で言うのは恥ずかしいけれど。
「じゃ、そのまま帰ろうか。僕は少し……つかれたよ」
「……可愛い子と、飲んでても?」
「いじわる言わないでよ」
そう言って、彼は肩を竦めながら、そっと私の髪に触れて。
「僕からしたら、恋人として可愛い子は君だけなんだけど?」
……口がうまい奴め。
それで舞い上がる私もどうかと思うけど。
※
今更だけど、お酒は二十歳になってから。
若気の至りだった私達も、今はお酒が飲める歳。だからだろうか。お酒のかかわるって意味で、あの時の話を思い出してしまったのは。いや、まぁ、原因はそれだけではない。
本当の理由もとい元凶。つまるところ変態は、今目の前にいた。
「……一応、説明を求めるわ」
「……一回でいいから……! 酔っ払った綾が見たいんだっ!」
バイトから帰って来たら、彼が何故かカクテルを作っていた。
セットは衝動買いしたものとのこと。何だけど……作っているカクテルが酷かった。
キス・イン・ザ・ダーク。
ビトウィーン・ザ・シーツ。
セックス・オン・ザ・ビーチ。
オーガズム。
……よし、蹴ろう。そうしよう。そっちの方が環境にいい。
「酔っ払った女の子のトロンとした目! 赤らんだ顔と、上気した肌! 何てエロティズム! しかも知ってるかい?」
「知らないわ」
「なんと……なんと……!」
この貯めてる間に蹴ればよかったのだ。私は取り敢えず構えだけはやっといた。それが甘かった。
「お酒飲んだ女の子って、感度があがるらしいんだ! さぁ綾! 酔おう! 大丈夫! ここには僕しかいな……ギャアアアン!」
蹴りと見せかけてエルボー。一応、カクテルが並べられたソファーには飛ばさないようにして。
結果、彼はフローリングに崩れ落ちた。数秒で起き上がったけど。
「私、酔わないわよ? 知ってるでしょ?」
「純粋にお酒に強いのもあるけど、気分もあると思うんだ。つまり僕と二人きりで強いのを飲めば……」
「…………酔うの、私だけ?」
「……へ?」
おもむろに、キス・イン・ザ・ダークを一口。そのまま彼におすそわけ。
方法は……恥ずかしくて言えないけど。
「……僕が酔ったら意味ないと思うんだ」
「……酔いつぶれちゃえばいいのよ」
お酒なんかに頼らなくたって、私は貴方に酔っているのに。この分からず屋。だから今のはお仕置きだ。やった私の方が一瞬クラッと来たのは、内緒。取り敢えず、酔って大人しくなってしまえ大作戦だ。
「むぅ。でも確かに、綾と飲んでも僕の方が先にダウンしちゃうか。……ダメじゃないか! 酔っ払い綾が見れないよ!」
「知らないわよバカ。この……バカ」
「二回言った!?」
「とにかく! 飲むなら貴方も一緒がいいわ。私だけ一人酒何て……何か、その……寂しいじゃない」
私がそう言うと、分からず屋はやれやれ。何て漏らしながら、キス・イン・ザ・ダークを一口。凄く美味しそうに一口。
口に含んだ時は、確かにいい香りがした。変な思惑はさておき、普通に楽しむならいいと思うのだ。色も綺麗だし。そんな気持ちが、ふと過った。
というか、たまにやる彼との二人きりでの飲みは、いつも弱めのお酒だし。ちょっとした新しい試みではある。
「酔わないだろうけど……。私も一口貰うわ」
彼は少しだけ驚いた顔で。でも最後には嬉しげに笑う。
まぁ、あれだ。せっかく作ってくれたんだから、飲むだけは飲んで……。ん?
「……ね、ねぇ。私も一口よ? 何で貴方が飲ん……ひゃ!」
いや、一口とは言った。けど、私のお仕置きを返される何て思わなくて。
ビリビリ痺れるような感覚と共に極上のカクテルが流し込まれて……。味わい、飲み下した後すら、暫く私の舌が彼ので翻弄されていた。当たり前だけど、お酒の味。
今までにない感覚に、私は立っているのがやっとで……。
「どんな味がした?」
耳元で囁かれた時、心臓が一際高鳴った。どうにも私は、不意打ちに弱いらしい。強引にこられるのも。でも……彼ならいいか何て思うわけで。
「待って。無理。こんなの……無理」
「酔いそう?」
「う、うん。そうかも。だから普通に……ね?」
「普段酔わない君が、そんな事を言う……。どれ程破壊力があると思う?」
私のこんな反応が予想外だか予想以上だったのか。彼は肩を竦めてる。あの。目が……目が狼なんですが。
最後の抵抗に知らないわ。と答えたら、分からず屋。何て返された。……くやしい。
彼が次に手を出したのはビトウィーン・ザ・シーツ。意味は確か……ベッドに入って。だっけ。あ、ダメだ。そっちの方想像したらダメ。けど、私の止めて何て聞き入れず。また、息もつけぬくらいにお酒が勧められる。狙われてるんだ。何て思いながら。でも、海を泳いでるような快感がついてきて。
セックス・オン・ザ・ビーチ。いやいやいや。野外とか無理。前にスレスレ何て事はあったけど、浜辺とか無理! だから止まれ私の妄想!
抵抗も兼ねて彼の胸を叩いていた手は、今や力が抜けて。色んな味のするキスに頭が溶けちゃいそうになる。
結構時間は経っていたと思う。飲みながらイチャイチャしてたから気づかなかったけど、気がついたら私と彼はソファーの上。そして、彼は最後のカクテルに手を伸ばす。
オーガズム。
取り敢えず、これ以上語るのは恥ずかしくて死ねるので結論だけ。
その夜私は、初めて酔ったんだと思う。ついでに、お酒で感度が云々というのも本当だったらしい。
レディキラーと呼ばれるカクテルには屈しない私も、それに彼氏の加勢が入れば流石に勝てなかったのだ。
因みに。後でこっそり同じお酒を普通に飲んでみたけど……。やっぱり酔えなかった。
何だか自分の身体の単純さ加減に呆れるやら、恥ずかしくなるやらで頬が熱くなったのは、私だけの秘密である。




