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彼氏が変態過ぎて困ってる  作者: 黒木京也
外伝:彼と彼女の非日常
34/65

渡リ烏倶楽部《裏》

 世界には一歩踏み出せばすぐ側に非日常がある。残酷な無法社会のルールが広がるか。緩い長閑な田舎風景か。誰もが生きるのに精一杯で、すれ違う人の顔すら見なくなった、都会の喧騒か。

 そこには形は違えど確かに世界が存在していて。そこに生きる人は、誰もが何かに焦がれ、執着し。何かを掲げて、心に刻んで歩み行く。

 そこにある、手の届く範囲が、その人の世界だ。普通ならば、それを広げる事はしても、そこから出ようとは思わない。


 そう考えた時、僕やメリーがやっていることは何なのだろうと思う。

 世界を広げ、世界を観測し、人の普通の世界から離れた場所に手を伸ばす。好奇心。それは否定しない。だが、それとは別に、普通なら見えないものを見て、それに干渉し。時に干渉される自分は一体何者なのか。モラトリウム時代特有の青臭い哲学染みた話だが、僕もメリーも探索する理由の一つはそんな感じだ。

 浮き島のように彼方の存在の元を行ったり来たりする様は、確かに渡り鳥じみている。渡リ烏倶楽部とはよく言ったものだ。

 けど、何かがあると分かってはいても、こうして唐突に巻き込まれてみると、僕らは世界を渡っているというよりは……。


「〝世の中の関節〟を外しているみたい。あるいは、外れた関節のひずみに立っている。といった感じかしら?」

「生憎と、非日常を恨んでいるわけではないからね。ハムレットみたいにはめ直す気はないよ。どっちがあるべき形かだなんて誰にもわからない」

「だからこそ、悲劇は起こる?」

「喜劇にだって出来るさ。日常と非日常。僕らにはどちらも愛してやまないものだろう?」

「そうね。外れてる云々はどうでもよかったわね。私達にとっては、どちらも世界に変わりないもの」


 きゅ。と、握られた手に力が込められる。

 無人の電車は今も進み続けていた。

 真っ暗な窓のまま、ただガタンゴトンという音だけが断続して続き。そして……。急激に響く、悲鳴にも似た甲高い音。それと共に臍が引っ張られるような慣性の力を感じた。

 電車が減速しているのだ。体感する力は大きくなり、完全に沈黙した鉄の揺り籠は、最後に一息。空気が抜けるような音が何処かから聞こえてくる。


「止まった?」

「みたいね」


 だが、ドアが開く音はしたものの、手近な入り口は閉ざされたまま。それ以上はウンともスンとも言わなくなった電車は、停車したまま再び動く気配など匂わせなかった。

 アナウンスもなく、静寂だけがその場を支配する。これ以上は進展が無いことを察した僕達は、顔を見合せつつも立ち上がり、列車の中を散策する。


「十両編成の、何両目に乗ったんだっけ?」

「流石にそこまでは覚えてないわ」

「ですよねー」


 語らいながら、ひたすら進む。ドアを開け、次の車両。ドアを開け、また次の車両。延々と続く繰返しな行動の間、やはり電車の中に誰か他の人がいる様子は皆無だった。

 そして……。

 何枚目かの手動ドアを開けると、ついに行き止まりにかち合った。運転席らしき部屋が奥に見える事から、電車の先頭に来たようだ。その手前のドアだけが開かれて、まるで僕らを読んでいるかのように、ヒューヒューと空気が通り抜けるような音を放っていた。


「……運転手もいない、と。JRを訴えてやろうかしら?」

「ここが山手線なら……まぁありかも。そんな事より出口、見つかったね。……行くよ?」

「……心臓が凄いことになってるけど、まぁ、そうね。行きましょう」


 そう気丈に振る舞うメリーに、僕もまた、肩を竦めながら。手を握り返す。

 互いの体温と手の感触で、繋がっていることを再確認しながら、僕らは連れだって電車を降りた。


 ホラーやらオカルト好きなら幽霊や超常現象は平気になる。それは偏見だ。

 戦場に慣れはしても、緊張は欠かさぬ兵士のように。僕らもまた、身体が未知なるものへの畏れと興味で、身が適度に強張っていた。

 普通の人にはない力があったとしても、外れた存在と接触する時に、僕らはただワクワクするだけではない。何故ならそれら全てが友好的であるとは限らないからである。

 だから僕らは、有事にあたる際は手を繋ぐようにしている。

 古いおまじないに習った、願掛けとも取れるそれ。だけど、何となくだが隣にいる事が。背中を預け合う事が力になることもある。


「〝ひとりよりふたりが良い〟とは、よく言ったものだね」

「旧約聖書コヘレトの言葉ね。第四章九から十節だったかしら? 〝共に労苦すれば、その報いは良い〟それは言えてるわ。こんな体験、どちらかが独り占めなんてダメよ」


 周りを見渡す。

 電車から降りたそこは、見たこともない駅だった。だが、もっとも異様に思えるのは……。


「山手線って、地下に行くっけ?」

「行くわけないじゃない」

「だよね。じゃあ僕らが今いるここは、名も知らぬ何処かという訳か」


 明らかにそこが、地下鉄のホームであることだった。

 風切るように歩けば古びた空気が鼻をつく。かなり老朽した造りである事は間違い無さそうだ。

 ふと規則的に並ぶ柱の一つに、駅の名前が記されているのに気がついた。


『霧手浦』


 頭の中で検索するが、少なくとも山手線にそんな駅はない。同様に都内の駅を思い浮かべるが、やはり該当しそうな駅はない。

 確認の意味を込めてメリーの方を向けば、彼女もまた、ブンブンと首を横に振った。


「該当しそうな……似たような都市伝説が思い浮かんだわ」

「……僕もだ」


 電車に乗っていたら、知らない場所に着いてしまった。という話がある。

 寝過ごして自分が降りたことのない駅に行く。といった話ではない。この世に存在しない筈の駅に降りてしまう。そんな物語。

 異世界に巻き込まれた。と、取ることも出来るそれに僕らの今の状況は酷似していた。


「帰り方は?」

「生憎と、今は分からない」


 メリーが受信して、僕が干渉する。つまり、こういった妙なものやら空間にぶち当たった時は、僕が頑張るのだ。何をどう頑張るかと言われたら曖昧で説明しづらいのだが、何かに干渉することで結果的に帰ってこれたり、よくないものを退けたり。僕の手は、それが出来る。幽霊と、この世にあらざるものと触れ合える手。助けられた事も、これのせいで酷い目に遭うこともある、信頼をおくにはいささか胡散臭い力だ。


 カツンカツンと、二人分の靴の音が地下空間に反響する。

 どこまでも続くプラットホーム。人の気配もしない中、自動販売機の光と朧気な外灯だけが唯一の光源だった。

 喉は乾いたが、飲み物を買う勇気はなかった。こういった所のものを口にしていいか悪いかはケースバイケースだけれども、少なくとも今はマズイという漠然とした予感があった。何故なら。


「……見たことのない飲み物ばかりね」

「調べたいけど、ここ圏外だからね。いや、でも普通に知ってるのもあるよ? これとか」


 僕が指さしたそれなりに有名な炭酸飲料を、メリーは訝しげな目で見つめる。もっとも、僕も自分で指しておいて内心では狐にでもつままれた気分だった。

 そこにあるパッケージというか、缶のデザインは、明らかに古いものだったのだから。

 考えてみれば、駅の質感といい、置かれているベンチといい。何処と無く古くさいものばかりに思えた。

 まるで時代に取り残されたかのような。いや、違うな。強いていうなら、昭和っぽいというか、古き良き日本というか……。


 そんな事を思ったその時だ。少し離れた場所から、ジャリ。と、コンクリートを踏み締める音がした。

 ぎょっとして、メリーと目を合わせる。

 僕らは自販機の前で止まっているのだ。足音などする筈がない。

 ……では、この音は何だ?


 カツンカツン。シャリッシャリッ。と、独特の旋律を奏でながら、それは此方に近づいてくる。僕らはその場に固まったまま、ただそれの姿を捕捉しようと、暗がりの奥に目を凝らす。


 やがて、それは現れた。

 

 脚を引き摺るようにして現れたのは女の子だった。

 真っ白なワンピースを身に纏い、ざんばらんに乱れた長い髪の奥からは、落ち窪んだ眼窩が覗いている。

 たゆたうように歩む姿は、幽鬼を思わせるようで、僕とメリーは自然にお互いの手を強く握り合っていた。


 女の子は、やがて僕らのすぐ近くまで来ると、無言で自販機を。そこからメリー。最後に僕へと視線を滑らせる。その氷のような目に僕が戦慄した時、僕は初めて、違和感に気がついた。バランス悪く歩くとは思っていたのだ。だがらそれも仕方がない。少女の左腕は肩口から何もなかった。


 冷たい風が吹き抜けるような錯覚。やがて、スローモーションのように動いたのは腕無しの少女の方だった。


「…………だい。…………を。……に、ち…………だい」


 残された右腕を僕の方へ伸ばし、乾燥した唇が、何かを呟く。何かを聞き返した方がいいのか。それとも無視した方がいいのか。

 すると、不意に身体に軽い衝撃が走った。


「……は? ちょ、メリー?」


 思わず困惑した声が漏れる。メリーが僕の胸元に飛び込むやいなや、空いていたもう片方の手をぎゅっと握る。都合上、正面から両手を繋いでいるという、何とも変な構図が出来上がる。

 謎めいた行動に意図を問おうとするが、当のメリーは少女をじっと睨み付けたまま動かない。

 十分。二十分にも思える無言の対峙。

 やがて、再び先に動いたのは少女の方だった。

 何処と無く苦々しげな表情で踵を返し、腕無しの少女は、暗闇へ。地下鉄のホームの奥へと消えていった。


「…………かな? ……の、……」


 キョロキョロと辺りを見渡しながら歩む歩む少女の呟き。これだけ離れても、僕の耳にはそれがこびりついて離れなかった。

 繋いだ両手の感触を確かめながら、メリーを見る。彼女は少女が完全に消えるまで、険しい表情を崩さなかった。


 ※


 不思議な存在との遭遇は、唐突に始まり、唐突に終わる。

 今回もそうだった。甘いハチミツのような香りと、柔らかな感触に包まれて目を開けると、薄水色のシルクのような生地が目の前にあり……。そういえば今日のメリーも似たような色のブラウスを来ていた気がする。身体も、ほどよい固さなものの上に横たえているらしい。……ベットの上だろうか?


「おはよ」

「……んぁ?」


 頭のすぐ上から、聞き慣れた声がする。後頭部に誰かの手が添えられていて、そこで僕は初めて、誰かに抱かれたまま眠っていた事に気づく。

 ……取り敢えず深呼吸。あ、メリーの匂いだ。……違う、そうじゃない。現実逃避している場合か。


「……何か迷惑かけてごめん」

「私もさっき起きたとこなのよね。だから私が引き寄せたのか、貴方が私にダイブしたのか。その辺は謎よ」


 取り敢えず魅惑の谷間から顔を脱出させ、第一に謝罪する。被害者メリーは横向きに寝たまま、そっぽを向きながら、綺麗な亜麻色の髪を指でクルクル弄んでいる。……本人は多分気づいていないだろうけど、照れてる時の仕草だ。心なしか頬に赤みがさしている。色白だから余計に目立ち、何だか僕もくすぐったい。


「……感想は?」

「刹那の桃源郷が見えたよ」

「〝外人の為に道ふに足らざるなり〟って、貴方には言わないといけないかしら?」

「桃花源記だね。そう来ると思ったよ。当然、口は閉ざすさ。再び探す何て間違いは犯さないよ」

「……懸命ね。探せば探すほど。求めれば求めるほど見つからず、手に入らないってね」


 本当は「〝デカカァァァァァいッ説明不要!!〟」って叫ぼうかとも思ったけど止めておこう。メリーなら照れながら「アンドレアスじゃないんだから」と、返してきそうで怖い。


「……気がついたらここにいたけど……」

「まぁ、よくある話だね。変なのに巻き込まれて、気がついたら部屋にいる。電車にいる。原っぱで倒れてた」

「成る程、じゃあ、あの女の子がある意味分岐点であり、もしかしたらあの存在しない駅の主だった……。と」

「その可能性が高い。後で一応調べてみよう。多分『霧手浦』なんて駅は無いだろうさ」

「……これなら飲まないにしてもジュースは買うべきだったかしらね~」


 証拠になるじゃない。何て言うメリー。言われてみれば確かにそうだ。少し惜しいことをした。


「夢……ってことはないわよね?」

「僕ら大学行って、山手線乗ったじゃないか。眠り続けたにしても、それはありえない。だって……」


 ぐるりと周囲を見渡す。見慣れた天井。覚えのある家具。


「ここ、僕の部屋だもん。もし夢だったなら綾がいる部屋で、僕は昨夜から君のおっぱい枕で寝てたって話になる」

「なにそれ怖い。洒落にならないわ」


 僕の方が怖いよ。意図的ではないにしろ、そんなとこ見られたら綾に殺される。


「……何気に初めての辰の部屋だけど、まさかこんな形で乗り込むとはね。……って、うわ、ごめんなさい。しかも土足だわ」

「僕達らしくていいじゃないか……っと、僕もだ。気づかなかったな」


 互いに靴を脱ぎ、笑い合う。本当に身一つで飛ばされたのかは分からないけど、今日もまた、不思議な体験だった。時計を見れば、結構いい時間だ。

 ご飯でも食べに行って、検証しようか。という形で話を纏めて、僕らは靴を片手に立ち上がる。玄関へ向かう途中で、「ちょっと姿見を借りるわ」とだけ言い、メリーは部屋に残る。曰く、外食に行くんだから、身だしなみは整えたいとの事だ。

 互いに肉が食べたいから、行くとしたら焼肉屋か串焼き屋さんなんだけどな。何て思ってしまうのは、多分僕が男だからなのだろう。

 おめかしする女性をガン見するのも気が引けたので、玄関への道だけ教え、僕は一足先に部屋を後にして……。


 そこで、予想は出来たであろう人に会った。いい時間ということは、彼女が帰ってくる時間でもある。すっかり失念していた辺り、僕も多少疲れていたらしい。玄関に僕が着くのと同時に、僕の恋人である龍崎綾が、何処か呆然としたような顔で入ってきた。


「あ、綾? おかえり。遅かった……」


 取り敢えず出た、出迎えの言葉。だけどそれは、他ならぬ彼女のキスによって文字通り口を塞がれた。

 仄かに香るお酒の匂い。それにまず驚いて、続けて歯を割って入ってきた舌の感触に僕は不覚にも目を白黒させる。普段の彼女からは想像もつかない大胆な行動。だけど、綾の身体は余裕をなくしたかのようにプルプル震えている。

 何かあったのだろうか? そんな直感が胸をよぎり……。


「……ぷはっ! 綾……急にどうし……って、顔熱っ! 綾!? しっかり! 綾!」


 唇を引き剥がし、何とか綾の顔を正面から見る。が、時すでに遅し。綾の身体から力が抜け、気がついたら彼女はスヤスヤと眠り初めていた。


 酔い潰れた? あの綾が? ちょっとだけ信じられなかった。彼女は反則級にお酒が強い。(ざる)を通り越して、最早ただの枠なのではと思うくらいに。

 だから、こんな彼女を見るのは初めてで、僕はただ混乱した。

 背後からメリーが姿を現して、僕の肩を叩くまで、そこに縫い止められたかのように立っている事しか出来なかったのだ。


 ※


 お姫さま抱っこで綾を運び、静かにベットに横たえる。部屋的に僕の部屋が近いので、取り敢えずそこへ。毛布をかけ、枕元の床に腰掛ける。顔色が悪い綾の手をそっと握りながら、僕はメリーに今日は外食は無理そうだという事を告げた。


「……まぁ、仕方ないわね」

「悪いね。後で埋め合わせするよ」

「……彼女さんの手を握りながら、そんな事言うのは止めてあげなさいな」


 女心がわからないんだから。何て呟きながらもやんわりと僕を諌めるメリー。ばつが悪くて肩を竦めていたら、僕のすぐとなりにメリーは腰掛けた。


「……メリー?」


 アメジストの瞳が、僕と、繋がれた綾の手を見つめる。そして……。


「ちょうだい。そっちの手を。私にちょうだい」


 指を指すのは僕の左腕。妖しく淫靡な光をもって、その目が細められる。

 沈黙する僕。それを見たメリーは、満足気に微笑むと、静かに立ち上がった。


「なんて……ね。私もそこまで無粋じゃないわ」

「……今の、あの子が言ってた事?」


 白いワンピースの腕無しの少女を思いだしながら、僕が問う。するとメリーは神妙な顔で頷く事で肯定した。


「辰のを狙ってたみたいだから、辰には聞きづらくしてたのかも。私にははっきり聞こえたからね。霧手浦。手が霧のように雲散霧消するのか。はたまた霧が斬りに転じるのか。どのみち物騒な駅名だな何て思ったけど……まさか本当に手を探す女の子に逢うなんてね」


 手を探す。それは、失った自分の腕の変わりか。はたまた自分の手を引いてくれる存在か。真意は分からない。消えていく最後に呟いていた言葉。「どこにあるのかな? 私の、手……」哀しげに去っていく少女の姿が脳裏から離れない。恨めしげに僕らの手を見ていた。嫉妬か羨望か。どちらにしろ、増幅した感情はよくないものになる。あのワンピースの少女は、言い方は悪いが、まさしく悪霊だったのだ。


「じゃあ、メリーが僕の両手を塞いだのは、追い払うため?」

「賭けに近かったけどね。ついでに出来るか知らないけど、念も飛ばしてやったわ」

「へぇ、どんな?」


 何となくな質問だった。だが、メリーはそれが予想外だったのか、少しだけ目を丸くして、誤魔化すように指を遊ばせている。

 何処か羞恥に耐えるような仕草。それが分からなくて、僕は首をかしげる。


「……メリー?」

「あう……えっと……気になる?」

「え? そりゃあ、まぁ」


 僕がそう言うと、メリーは顔を真っ赤にしたまま、そっと僕の耳元に顔を寄せる。「ああ見えて必死だったから、他意はないわ」と、告げてから。


「私の辰を、取らないで……って」


 我が彼女ばかりか、我が相棒も結構大胆だったらしい。……意図せず、心臓が跳ね上がってしまったのは……。他意はない。

 すると、何処と無く開き直ったかのようにメリーは腰に手を当てふんぞり返る。


「……いいじゃない。あの領域は。非日常は私と貴方の世界だもの。辰は私のもので、私は辰のものなのよ。私間違ってない」

「……まぁ、何か間違ってないようで間違っているような……まぁいいか」


 深く考えるのはよそう。僕は救われた身だ。それに……。


「まだ、お礼言ってなかったね。ありがとうメリー。危うく腕一本持っていかれる所だったよ」

「どういたしまして。……片脚まで持っていかれないでね。私、無骨な鎧になるのは御免よ?」

「……どこの錬金術師だよ」


 軽口を叩き合うように、僕らは空いた手を振り合う。それに、まぁ、こうして世界を共有しあえる存在は貴重なのだ。だから多少モノ扱いされても目は瞑ることにした。顔が耳まで赤いのは、見なかった事にしよう。言葉にしたら恥ずかしくなる事だってある。

 愛しているのは綾だけど、僕が一番信頼をおけて、共にあり自然にいられるのは、メリーといる時だ。なんて、今更僕だって口が裂けても言えない。

 ……口裂という単語で嫌な事を思いだし、僕は閉口した。が、メリーはそんな事を気にすることもなく。「私、メリーさん。今日は一人寂しく、お鍋でもつつくの」何て悪戯っぽく笑いながら、亜麻色の髪を翻し、部屋を後にした。

 残されたのはいつもの日常。

 僕がいて、綾がいる部屋だ。



 僕とメリーの関係に名前はない。

 友情があり、もしかしたら愛情もあるかもしれない、唯一世界を共有でき、背中を預けられる相手……。故に相棒。

 上手い関係性が浮かばないので名目上はこれで通しているけど、果たしてそれも正しいのか。


「……まぁ、今はいいか」


 サークル活動を終えて、僕はまた、日常へ戻る。

 眠る綾を見ているとかつて犯した過ちが甦る。

 彼女に、僕の力を披露してしまった事。〝友達〟のみんなを紹介して以来だ。綾が極端に闇やらオカルト。この世のものではない存在を恐れるようになったのは。

 だから僕は自分が自分であるためにそれらを追いながらも、彼女に全ては告げられない。

 〝怖がらせる〟のが、嫌なのだ。

 だから僕は……。


「……くそっ、谷間が見えるまでもう少し……! 綾! 寝返りだ! 寝返りを打つんだ! 悩ましげな声を出してくれれば尚よし!」


 彼女の前ではこうなってしまう。ただ、彼女可愛いから。結局何だかんだで通常運行に戻るのは仕方がない。

 山手線が地下に行っちゃっても、電車であることに変わりはないように。線路の切り替えで方向を変えるように。人から外れた変態になったからといって、彼女に変態行為をしない理由にはならないのである!


 僕は変態だ。歪むことなき変態だ。

 取り敢えず、酔い潰れた眠り姫が起きるまで、その寝顔をペロペロする事で、非日常から日常へとスイッチを切り替えようと思う。


 ※


 テクテクと、家路に戻る。

 本当に鍋にしようか何て考えて。

 思い出されるのは、玄関の彼と彼女。

 あれを物陰からこっそり見てしまった時、私は自分がどんな顔をしていたか。今となっては分からない。

 無意識に唇に触れる。キスは……したことがない訳ではない。もっともそれは、相手が起きていない時にこっそりしてしまったものばかりだけれども。


 私のファーストキスの相手は、今は隣にいない彼。可愛い彼女を今ごろ慰めているのであろう、私の相棒だ。多分彼は知らないから、知ったらどんな反応をするだろうか?


「寂しいなー。切ないなー」


 思ってもいない事を口にする。そう、寂しくもあるし切ないけれど、それが全てを占める訳ではない。

 恋人になりたいわけではないのだ。

 私が欲しいのは、彼氏彼女何て一つの立場ではない。

 傍で共にあること。それだけでいい。見方によっては、全部欲しい何て言っているようにも聞こえるかもしれないけれど。

 私は……。


「私、メリーさん。ただ、貴方の後ろにいたいの」


 彼と気ままに渡り歩く事が。この名前のない関係が。堪らなく好きなのだ。


 

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