どこまでが束縛か《後編》
大学を出て、連れ立って歩く二人。それを追う私達。
流石に会話が聞こえるくらい近くに寄るとバレるので、一定の距離を保つ。のだが……。
「時折止まって談笑してるのは何なのかしら?」
「あたしたちに勘づいたかと思ってヒヤヒヤする」
「心霊スポットとか、曰く付きの場所も巡るって言ってましたから、それかもね」
「なにそれ怖い」
私も怖い。
因みに今いるのは、大学を出てすぐに目がつく川。それに沿うようにしてある桜並木道だ。講義が終わった大学生が、駅へ向かうのに使うルートの一つである。桜が満開の時は自然とこちらを通る人が多くなるのが通例なのだが、時期的に葉桜の今は、それほど人通りはない。そんな中、緑が生い茂る桜の木々を眺めながら、彼とメリーさんは何やら談笑してる。
少し離れた場所にあるベンチにて観察している分には、ただ大学生二人が時間を潰しているようにしか見えないが、理由を知れば何とも言えぬ怖さがある。所謂知らなければよかった……的な。
取り敢えず、この道はもう使うの止めよう。てか、また桜か。やっぱり桜って何かいるの? お花見怖くなってきた。
「うーむ。手を繋ぐ。抱き締め合う。キスする。ホテル行く様子なし……と」
「……え、エリナちゃん? ナニ言ってるノ?」
突然そんな事を言い出した彼女に、思わず声が上擦る私に。すると、ドウドウ。何て言いながら、エリナちゃんは冷静な眼差しを彼に向けた。
「彼は……あのメリーさんを綾たんに何て説明してるの?」
「え? サークルの相棒……だって」
「……へぇ」
エリナちゃんは目を細め、何処と無く冷たい目を彼に向けた。普段の彼女からかけ離れた表情に、思わずドキりとする。
「綾たん、危機感持った方がいいよ。男女間の友情ってね。ありえないの。必ず双方か片方に明確な下心があるものなの」
「……それは」
バレンタインの時を思い出す。メリーさんは、彼に恋慕があるような口ぶりを見せていた。彼は……。考えてみたら、相棒って話を聞いた以外は、何も知らない。自然体で、誰かに壁を作らないというのは、彼には有り得ないことだ。少なくとも、あんなに近い心の距離を、それも女の子と構築している。長い間彼を見てきた私には信じがたい事実で……。
「……ねぇ、本当にサークルの相棒なの? サークル活動ってのはただの建前できっとこれからデートに……」
「……エリナちゃんちょいストップ。少なくとも、デートに見える? アレ」
「……先輩? 今真面目な話をして……へ?」
因みにこの会話。全部小声である。
私が色々と思考のループに入りかけた時、牡丹先輩がちょいちょいと私達の裾を引き、二人の方を指差す。そこでは……。
「え? 何してんのアレ?」
エリナちゃんが驚くのも無理はない。
桜の木の一本に、彼とメリーさんが妙な紋様の書かれた紙を貼っていた。……あれは、御札というやつだろうか。
張り付けた木から離れ、暫く沈黙する二人。やがて……。耳をすませて聞こえて来たのは、シンプルな反応だった。
「何も起きないわね」
「何も起きないね」
起きてたまるかぁ! という心の叫びは、ここにいる三人の総意だっただろう。それくらい唐突な行動だった。
というか、仮に起きてたらどうするつもりだったのだ。……喜ぶのか。オカルトサークルだし。
「あ、写真撮り始めた」
「あ、猫寄ってきて……。あ、辰君猫で遊んでる」
「今度二人で猫撮り始めたわ」
「……写真サークルなの? 同業?」
盛り上がる牡丹先輩とエリナちゃんの横で、私は毒気を抜かれたように固まっていた。何やってるんだろうあの二人は?
「心霊写真……成功しないなぁ」
「デジタルカメラだとやっぱり駄目なのかしら?」
いやそんなポンポン映ったら、私カメラなんて趣味にしないから。
結局二人は、御札を増量したり、木の周りをぐるぐる回ったりと、暫く桜から動かなかった。
※
「綾たんごめん、訂正するわ。男女間の友情あるかも。何なのあの二人?」
げっそりした顔でため息をつくエリナちゃん。大袈裟に思うかも知れないが、実際私も牡丹先輩も疲れていた。桜から離れた後も、あの二人の行動は奇妙でキテレツ。摩訶不思議だった。
街角にある何の変哲もない祠をひたすら調べたり。電柱横を何度も通り抜けたり。
因みに、両方とも御札を貼っては剥がすという謎行動を実行していた。そんなに雑でいいの!? という突っ込み待ちだろうか?
そして今は……。
「……エリナちゃん。私も切実に問い質したいわ。何してるのよって。フフっ……まるで浮気された彼女のピエロみたいな台詞ね。実際やってるのは浮気どころか……」
「綾ちゃん綾ちゃん落ち着いて。お姉さんも今謎の脱力感に襲われてるんだから。……知らなかったわ。辰君って、苦行僧やってたのね」
現在地。山手線の電車内。今ついた駅は、〝三度目〟の日暮里駅。……お分かりいただけただろうか? 普通なら、同じ駅は行き帰りで二回寄るのが普通。だが、恐ろしい事に彼とメリーさんは、目的地らしい場所に着いてすらいない。回りくどくない言い方をすれば……。山手線をひたすらぐるぐる回っていた。大学を出たのが午後三時頃。現在夜七時になろうかというところだ。
「これほどまでに色気も欠片もない男女二人の過ごし方ってあるの? 談笑するにしても、もっとこう……。普段からこうなのかな?」
「というか、何で電車? オカルト関係あるの? お姉さん分からないわ」
私だって分からない。見る限り、大した変化はない。
本当に何をしているのだろう。こんな一見なんの意味もなさそうなことを二人で延々と続けているのだろうか? 遠出してまで。私に隠れて二人きりで。たまに泊まりがけで。……あ、何かムカついてきた。
オカルトサークルじゃなくて、暇サークルとか旅行サークルとかに改名すべきではないだろうか?
「む、だんだん混んできたわね~」
そんなどうでもいい事を考えていると、牡丹先輩がそんな呟きを漏らす。帰宅ラッシュにそろそろかち合う時間だ。人の出入りが次第に多くなるのを見て、私は少しだけ後悔のため息をもらす。
何の収穫もなく。ただ悪戯に時間を浪費しただけだった。考えてみれば、これだけで彼を知ろうなんて土台無理だったのだろう。確信はあったけど、あの様子だと何かが起きそうもない。多少互いの距離が近いだけで……。
「……え?」
そこで、私は少しの違和感を覚えた。遠目ながらも、彼とメリーさんの様子がおかしい。
二人ともただ事でない表情で、電車のある一点。広告も何もない所を見つめている。
彼の顔が、今までにないくらい警戒したものになり、そして……。
人が一気に入ってきて、私達は視界を完全に遮られた。私達は対角線上かつ、少し離れた席に陣取っていた為、彼とメリーさんを確認する術はなくなった。
「あっちゃ~こりゃ見えないわね~」
「いや、どうなろうがもう一緒だとあたしは思うね。あいつら、ほっといたら何周するのかしら?」
そんな呑気な二人の声を、私は半分も聞いていなかった。
見えたのは、ほんの一瞬。
真剣な表情のまま、互いに合図するかのように横目で視線を合わせ、そのまま……。
どちらからともなく手を繋いだのだ。所謂その……。恋人繋ぎ。
アレ? アレアレアレ? おかしいな。恋人私なのに。
「って、綾ちゃん!?」
「綾たん大丈夫? 顔真っ青……だ、大丈夫よ! あの様子じゃ見えないからって何も起こらないから! ネ、先輩!」
「そ、そうよ! 大丈夫よ! そんないなくなっちゃったみたいな顔しなくても……。む、見えなくなったから心細くなったとか?」
「なにそれ可愛い」
目の前でコントみたいなやり取りを繰り返す二人に、私はクスリと笑みを漏らす。泣き笑いになってないか少しだけ心配しながらも、私は努めて明るい声で。
「先輩、エリナちゃん。飲みに行きましょう!」
気のせいだと思う。理解の及ばぬものには蓋をしよう。
彼とメリーさんの姿が徐々にぼやけて見えたのは、目の錯覚に違いない。
何駅か越えて、人込みがはけた時。彼と彼女が座っていた場所には、誰もいなかった。
まるでぽっかりと、そこから消えてしまったかのように。
※
浮かれた足取りで帰路につく。
結構飲みすぎてしまった。
お酒には強いけど、ペースがいつもより早かったと思う。
牡丹先輩は「恋のバカヤロー!」何て開始早々から叫び。
エリナちゃんは「友情? 愛? はんっ、マジ笑止」何て濁りきった目で語る。前の彼氏さんとのいざこざが、未だに尾を引いているんだとか。なんでも散々友人だと豪語していたくせに、その女の子に告白された途端……。その彼氏さんときたら、あっさりその子に乗り換えたらしい。付き合った期間は浪人時代も含めて実に三年以上だっただけに、ダメージも大き目。彼に対して終始向けられていた冷たい視線はそういった苦い経験も背景にあるのかも。と、自己申告していた。
二人がこんな感じだったからだろうか。私はアルコールで揺さぶられながらも、幾分かは冷静になれた……と思う。
だからだろうか。マンションの階段を登り、部屋の前に着いた時、恐怖がせりあがってきた。
彼が帰って来てなかったらどうしよう?
部屋が真っ黒だったら?
アレが見間違いじゃなかったら?
気まぐれに帰りの電車でスマートフォンを弄っていた時、私は何を思ったか、普段は絶対に有り得ない行動に出た。
検索をかける。
電車とオカルト。
お酒を飲んでも飲まれるな。何て言葉があるけど、あの時私は完全に飲まれていたのだろう。
彼を知らない悔しさもあったのだろう。すぐに後悔した。
出るわ出るわ。ありとあらゆる迷信やら都市伝説。それを知った時、彼とメリーさんの行動にも意味があったのかもしれないと感じ、背筋が寒くなった。
確かにデートではない。検証だと言っていた。けど、それにしたって、あの二人はおかしい。
好きだからとはいえ、何故あんなにも色々な事に手を出せるのか。
『私も彼も変態なのよ』と、メリーさんは語っていた。なんぞそりゃ。オカルト狂いか。と、あの時は思った。けど、今考えてみるとそれはまるで……。
薄暗い廊下で思案するのが怖くなって、私は鍵を差し入れ部屋へ飛び込む。
そこには、彼が靴を持ったまま立っていた。
「あ、綾? おかえり。遅かった……」
安心とか問い質したい事とか。色々とあったけど、取り敢えず思考放棄。
そのまま彼の胸に飛び込んで、きつくきつく……。キツクキツク抱き締める。「ちょ! 痛い! 綾? 痛い痛いマジで痛いっ!」何て声が上がるけど無視。胸板に顔をグリグリと押し付ければ、甘いハチミツのような香りが……。
ギリリ……と。歯が鳴る音がした。彼の持っていた靴が床に落ちるのを感じながら、私はそのまま彼を玄関で押し倒した。
「……綾?」
ただならぬ私の気配を感じたのだろうか。彼は困惑したかのように私を見上げている。
どうして、私は彼と世界を共有できないのか。そんな悲しさが込み上げてきて……。
気がつけば、彼の唇を奪っていた。
歯を無理矢理抉じ開け、舌を差し込み、彼のを引っ張り出す。にゅるりとした感触が口いっぱいに広がって、私の身体がビリビリキュンキュンして……。
「……ぷはっ! 綾……急にどうし……って、顔熱っ! 綾!? しっかり! 綾!」
そうして、意識が遠のいていく。彼の今までにないくらい慌てたような声に、ちょっと可愛い何て思ってしまったのは、惚れた弱みに違いない。
※
夢を見た。
昔の夢。
誰かに手を引かれるままについていって、座敷の奥へとたどり着いて。そして……。
「見て! 綾! 凄いだろう?」
誰かが笑っている。
薄暗い座敷の中で、誰かとナニかが。
ケタケタと笑う沢山の顔、顔、顔。
箪笥に茶釜、唐笠に草履。お面や三味線といった骨董品の数々が宙に浮かんでいて。続けてドスンドスンというナニかが地団駄を踏むような音や、下手くそな歌にも似た響きが私の耳に入ってくる。そんなお祭り騒ぎの中心で、誰かが笑っていた。
薄暗い座敷の中に、ぼぉっとエメラルドグリーンの火が灯り、そこにいる者共を照らして……。
直後、私は悲鳴を上げて泣き叫んだ。
その瞬間。回りにいたものはぎょっとしたように身体を震わせて、まるで蜘蛛の子を散らしたかのように消えていく。
「綾? 綾!? どうし……っ、しっかり! 綾!」
歪んだ視界の端に映ったのは、困惑し、慌てる誰か。
こんな筈じゃなかったのに。そんな顔をしていた。
あれは……誰だったっけ? わからない。けど……。
私は、お化けの類いが嫌いだ。
超常現象だとか、奇妙な物語とかが耳に入れば、全力で拒否する。
信じる信じないは本人次第という。実際見たという人もいるだろう。その人を否定する訳ではないけど……。
ただひたすらに恐ろしい。
この世に証明できない存在や世界があることが、どうしようもなく恐ろしいのだ。
※
微睡みから覚醒して最初に見たのは、知ってる天井。夢を見ていた気がしたけど、もう思い出せなかった。
ただ、そんなことより問題は、意識を失うもとい眠落ちする直前の記憶があること。
「……っ!」
ボフンと体温が上昇した時、私は手が誰かに握られているのを感じて、隣を振り向いた。枕元には、いい笑顔の彼。
「……白状すると、玄関で押し倒された時……不覚にもこうふ……ぶぎゃん!?」
ヘッドバッドが彼の顔面に炸裂する。片手で鼻を抑えつつも尚も私の手を離さない彼。おどけていても目は真剣だった。
「……大丈夫?」
問う彼に、私は小さく頷く。事情を聞いてこないのは、何かを察しているのか。それとも無理に聞き出そうとはしない気遣いか。
「酔ってたの。友達が彼氏との別れ話があまりにも……アレで。不安になって」
「……ああ、それで僕に襲いかかったと」
勿論それもある。あるんだけど……。
「ねぇ……いなくならないで」
そんな私の台詞に、彼は少しだけ息を飲む。そして……。
「……僕は、ここにいるよ? ちゃんと大好きな綾のとこに」
するりとベットに潜り込み、私を優しく抱き締めて。そっと頭を撫でた。心地よさが広まると共に、不吉な気持ちと疑問も芽生えてくる。
いつ、電車から降りたの?
どうして玄関で靴を持っていたの?
貴方と彼女は、一体何をしているの? 何が見えているの?
どうして、いなくならないって断言してくれないの?
どうして……どうして……。この部屋……。彼の部屋にも、微かにあの子の香りがするの?
全部聞けたら楽だけど。聞くのが怖い。
「……明日、お休みだよね?」
「え? うん。土日共にバイトもないよ」
「……じゃあ、私のそばにいて。誰かのとこ行かないで。離れないで」
いつも一緒だけど。でもどうしても約束を取り付けたくて。ああ、これって束縛だろうか?
そんな私の我が儘に、彼は優しく笑い。
「……了解。じゃあ明日と明後日はいっぱいイチャイチャしよう。僕らは……恋人同士だからね」
確認するような。安心を与える彼の一言が、私にはもう凄い威力で。自分の頬を伝う雫に気づかぬまま、私は再び彼の唇を奪い去った。




