愛の手料理、宿命の胃痛
目の前で、彼が苦しんでいる。
悶え、のたうち回り、息も絶え絶えになりながら、彼は私を見る。
交差する視線。
今にも意識が飛びそうに見える彼は、弱々しくもにっこりと、私に微笑みかけた。
僕は、それでも幸せだよ。と、目が語っていた。
「う……ぐ……」
痙攣する彼に、最期の時が訪れた。ゆっくりと、どこか大袈裟なリアクションを取りながら、彼は私からの施しを飲み込んだ。
「僕は、やっぱり、幸せなんだなぁ……」
みつお。何て言わんばかりに、彼はうんうんと頷いた。
悟りきった表情だが、額には脂汗が浮かんでいる。
色々と伝えたい事はあるが、ともかく今は質問が先だろうか。
「……どうして私の手料理を食べた時のリアクションがそれなのか、説明してもらってもいいかしら?」
顔がブスッとした表情になっている事は、自分でも分かっている。けど、聞かずにはいられなかった。
無理して言われる、『幸せ』という言葉程、虚しいものはないのである。
「い、いや、見た目は良かったと思うよ? 初めて手料理振る舞われた時なんか料理処か物質としての原型も……じゃなくて! あ、味は、その、エグ……違う! 刺激的な味だったけど、見た目は結構いいよ! この〝ビーフシチュー〟」
ザクリという音が、狭い室内で精神的に響き渡った。主に私の――たぶん人より控えめな所謂乙女心的な物に、彼のナイフが突き刺さる。無論、物理的にではなく、比喩的に。
「わ、私が作ってたのは〝クリームシチュー〟なんだけど……」
沈黙が流れた。彼の地雷を踏んだ! といった顔が、ますます私を沈めていく。
そうか、ビーフシチューに見えてしまったか。
「ご、ごめん。茶色かったからてっきり……」
「……ぐぅ」
悔しげに歯噛みする私に、ただただ平謝りする彼。
夕食時のこの時間。彼がバイトで遅くなるというので、頑張った結果がコレである。
途中まではクリームシチューだったのだ。なのに、最後の最後にかき回したら、何か黒くなった。
認めよう。焦げたのだ。
「こ、芳ばしくて美味しい……」
「気休めは止めて。分かってるから」
料理の関係上、結っていた髪を解く。そこそこ長いので、こうしないと邪魔で仕方がなくて……。
「え、取っちゃうの?」
そこで、残念そうな彼の声。その一言に固まった私と、彼の視線が交差する。
「ポニーテールって、何か新鮮で」
「……そうだったかしら?」
言われてみれば、あまりやった記憶はない。昔から髪は下ろしているし。
「黒髪でロングストレートな美人さんのポニーテール。これ程破壊力があるものはないと思うんだ」
「……じゃあ、年中結っていた方がいいかしら?」
結った部分を弄りながら問いかけると、彼は「まさか」と、首を横に振る。
「たまにやるからいいのさ。今日みたいに料理する時とかね」
「そういうものなのね」
男ってよくわからない。取り敢えず、それならばという事で髪を解く。ハラハラと散らばった髪を整えていると、横でグッジョブ! 何て声が上がる。たまに訳がわからない事で喜ぶから、扱いに困る。
「そういえばさ、さっきのあれもよかったよ」
「……何の話?」
茶色いクリームシチューをかっ込みながら、彼が切り出す。
「いや、お玉片手にエプロンで、おかえりなさい。破壊力が半端なかった」
「……シチューとどっちが強烈かしら?」
「……あ、あの目の保養があるからシチューも何とか……」
正直でよろしい。取り敢えず以前みたいに吐かれる事がなくなっただけ、進歩したと言うべきか。今だエプロンの補正があるお陰で何とかなっているというべきか。
「まぁ、君が作ってくれるってだけで、僕幸せなんだけどね」
「……真顔でそういう事言わないでちょうだい」
恥ずかしいから。とは、伝えないでおく。けど、そうやって素直に言ってくれるから、私は……。
「裸エプロンって……いいよなぁ」
……ちょっと出かかった、私のデレを返せこの野郎。
いきなり過ぎるその一言に、右足が動くのを必死に抑える。ダメだ。テーブル越しにハイキックはダメだ。
取り敢えず平静を装いつつ、「どうしたの? いきなり?」と、問いかけてみる。すると、彼はよく聞いてくれました。と、言わんばかりに親指を立てた。
「裸エプロン! その魅惑の響きは言わずもがな、見た目の麗しさにも破壊力の秘密があるのさ!」
「……見たまんまじゃない。」
「そう! 見たまんまなんだ! しかし覗くうなじ、脚、鎖骨! それすべてが男の妄想を掻き立てるのさ……!」
彼と付き合うようになってから、男ってどうしようもないんだなぁと、思う事が多い気がする。間違いなく。
ついでに、この後の展開を予想できてしまう辺り、私もどうしようもない女らしい。
「と、いうわけで……」
「やらないわよ」
彼の顔が、硬直する。断られる事など、微塵も想像していなかった。そんな顔だった。
「な、何故!」
「いや、それこそ何故よ」
私がそんな格好を容認する訳が……。
「だ、だってこの間のガーターベルトやベビードールだって……実際燃えに燃えて……」
「……ムエタイキックと、テコンドーキック。どっちがいい?」
「すいませんでした!」
一瞬で切り替えて、シチューを再びかっこむ彼。一口食べるたびに、涙目になっているのは……重く受け止めよう。
彼は、優しい。けど、その優しさが、どうしようもなく痛いときがある。
どんなに私の料理が美味しくなくても、しっかり完食してくれるのだ。だから……。
「……次は、頑張るから」
声が震えないように、私は宣言する。すると、彼はいつものように屈託なく笑って……。
「え? 裸エプロン?」
わざとなのか、素なのかは、判断がつかなかった。
両方と答えるのが〝可愛い彼女〟なのだろうけど。そう答えてあげたいのが本音だけれども。
「カポエラキックよ」
生憎私は、恥ずかしいのは苦手なのだ。
因みに……裸エプロンは顔から火が出るかと思ったけど……彼が物凄く喜んでくれたとだけ伝えておこう。