男を落とすなら、先に家族を落とせ
色々あったバレンタインを経て、何だかんだで春休みに入った。大学生は無駄に休みがある何てよく言うけれど、実際は研究やら就活やらで忙しいので、多分満喫出来るのは今年と来年くらいだろう。いや、実際二年でも充分な長さなんだろうけど。
で、そんな春休みの私達はというと……別段変わった事などない毎日を過ごしていた。
普通に部屋でのんびりしたり。
デートに行ったり。
アルバイトに勤しんだり。
どちらかが何らかの用事で部屋を開けることも度々あった。
私が写真サークル仲間と合宿に行く事もあれば、「ちょっと東北行ってくる」という一言と共に、彼がフラッと消える何て事もあった。
変わり映えのない、平凡な日々。だけどそこには確かに幸せがある。毎日がとんでもない事の連続だったら、流石に疲れるのだから。
「〝平凡な事を毎日平凡な気持ちで実行することが、非凡なのである〟とは言うけれど、正直平凡に過ごしてれば平凡に終わると思うんだ」
「……見も蓋もないわね」
外食して、スーパーにてお買い物。そのまま彼の野暮用にも付き合った後の帰り道。部屋に続く階段を上りながら、私は彼の話に相槌をうつ。見も蓋もないのは自分の返事だ。何て一瞬思うが、生憎私の乏しいボキャブラリーでは、これが精一杯だ。
〝彼女〟のように、彼と息の合った論戦なんて出来ない。……それが凄く悔しいのは内緒だ。
何というか、どうも最近余裕がない気がする。
別に春休み中、彼がサークル活動で度々消えたりしたのは関係ない。ないったらない。けどたまに女の子の匂いが。同じ人と思われる、蜂蜜みたいな甘ぁい香りが身体に染み付いているのはどういうことだこの無自覚鈍感野郎。そんな香りがつく位近くで一緒にいるのか。何してたんだ。それで恐らく疚しい事が全くないのだろうから腹が立つ。
「綾? おーい。綾~」
彼と彼女の例はかなり特殊な部類に入ると思う。男女間の友情はあり得ないとまことしやかに囁かれる中で、相棒という関係に落ち着き、行動を共にする。彼女に下心が全くないかと言えば嘘になるのだろうけど、ここまで明確に何もないのも結構不思議だ。奪い取ってやる~位の事はあるかもと覚悟してたのだ。勿論奪わせる気はないが。
「うん、今日も素晴らしい弾力です」
というか、問題は他にもある。そう、たとえば……。
「……何してるのよ。貴方」
「ん? 綾のおっぱいを触っていますが、何か?」
助走なしながら、シャイニングウィザードを決めてみた。カチ上がる彼の顎。私の羞恥と共に飛んでいけばいい。
案の定、彼はオーバーリアクションながら、階段の上まで飛んでいった。ご丁寧に買い物袋を守りながら落ちている。……卵は私が持っていてよかった。
「外で何してくれてるのよ」
「い、いや、綾が階段で固まっちゃったから……これは揉むしかないと」
「意味がわからないわ」
いっそ踏んづけてやろうかと思ったけど、前に踏んづけたら「寧ろご褒美です!」何て謎過ぎる反応が帰ってきたので止めておこう。
「だいたい私が固まったからって……その、触るって結論に至るのがおかしいわ」
「そこから君の蹴りが入るのもはやお決まり……いでででで! 踏まないで! 踏んでグリグリするのやめてェ! ありがとうございますっ!」
「ララちゃん日記。お兄ちゃん痴漢して制裁受けてるなう……まる」
痴漢というか、悪戯というか……本当にナチュラルに変態行為をしてくるから困る。他の女の子には……やっていないと思う。一応、根は紳士なのだ。たまに上に変態がつくけど。
「あ、今日はピンク……あだだだだだ!」
「関節……踏み抜いて外してあげる。痛いのは最後までよ」
「最初だけにしてぇ! あ、でも綾のエロ下着見れた対価と考えれば……」
「ララちゃん日記。お兄ちゃんが歪みねぇ変態になってます。去勢しよう……かっこ提案」
去勢は……ちょっと可哀想じゃないかな。いや、関節外そうとした私が言うのも何だけど。因みに、踏み抜いてうんぬんは勿論冗談だ。出来ないことはないけれど。……ってあれ?
そこで私は、妙な違和感に気づく。さっきから、誰か会話に割り込んできてはいないか?
「……ララちゃん日記。なかなか気づいてもらえなくて泣きそう。……えーん。えーん。かっこ棒」
「……ファ?」
私に踏んづけられたままの彼が、珍しくポカンとした顔をしている。変な声を上げる気持ちは分からないでもない。何故なら……。
「ララちゃん? なんでここに?」
「やっほー。綾お姉ちゃん。遊びに来たよ」
彼の妹、滝沢ララちゃんが、満面の笑みを浮かべながら手を振っていたのだから。
※
「いや、どうなってるの? ララは小学三年だよ!? どうやって来たのさ!」
『多分お父さんの仕業ね。切符でも買い与えたでしょ。あんたにも甘いけど、ララにはもっと甘いから』
「……甘いってレベルじゃねーぞ! って叫ぶべき?」
『あたしが叫んどくわ。てか、あんたもララの事言えないよ? 小学二年でしょっちゅうプラプラしてたじゃない。あまりに親離れ早すぎてお母さん泣いたのよ?』
「……正直すいませんでした」
電話越しにおばさんとの会話が聞こえる。小さい頃、彼の家に遊びに行けば、おばさんが慌てふためいていた。というのは、結構よくみる光景だった。
理由は彼の失踪。幼いながら変な部分だけアクティブだった彼は、予告もなしに何処かへ放浪に行くいう悪癖があった。隣の県で保護されたり。見知らぬ人の家でご飯をごちそうになってたり、「さっきまで誘拐されてた~」何て笑えない土産話を持ってきたり。
おばさんに何度注意されても、彼は本人いわく小旅行を止めなかった。理由はわからないけど、その行動は今もたまにある。
「……ああ、もしかして」
当時から、オカルトを追っていたのか。と、今更ながら気づく。彼が保護される(主に通りがかった大人に捕まる)のは、決まって神社やら寺やら廃墟やら。昔の事を思い出し、そこから湧いた新たな発見が嬉しくも可笑しくて、私はこっそり笑みを漏らす。
彼の一面をまた知れて心を踊らせる辺り、やっぱり私は参っているらしい。何にとは言わないが。
「綾お姉ちゃん? どしたの?」
リビングのソファーに腰掛けた、私の膝の上。そこにちょこんと座ったララちゃんが、可愛らしく首を傾げる。何でもないよー。と笑いながら、うりうりと彼女に頬擦りすると、「きゃー」なんて小さな悲鳴をあげながら、ララちゃんは甘えるように私に腕を回してくる。
ああ、何かもう、可愛くてダメだ。向こうで彼がスマホでおばさんと会話しながら、こっちを恨みがましく見てくるが、無視だ。……別にあっちも可愛いなぁ何て思ってない。そうだとも。
「綾お姉ちゃん、ちゅー」
「あらあら、甘えん坊さんね」
頬にふっくらした感触が当てられる。柔らかい髪を撫でると、ララちゃんはますます身体を擦り寄せてくる。
「母さん、緊急事態だ。ちょっと戦争してくる。ジハドだ。聖戦だ。主に僕の安らぎを守るための」
『ん、取り敢えずララを二、三日お願いね。お母さんも新しいフライパン買わなきゃ。今日は久々の夫虐殺よ~』
夫婦喧嘩と言わない辺りがおばさんらしい。てか、彼氏。貴方も少し余裕持とうよ。私が言うなって話だけど。
そんなこんなで電話を終えた彼は、すぐさまこちらに向かってくる。
「ララ、ちょっとそこ変われ。綾に頬擦りされる上に抱っこされてナデナデだと? 羨ましいこと山の如しだ」
「やだ」
「キサマァ! 僕のささやかな幸せを……!」
「いいね。ささやかな幸せ。〝幸せは両手に納まる位が丁度いい。あまり大きいと、こぼれ落ちてしまって勿体無い〟の。お兄ちゃんは素敵な恋をしてるね。まぁ、今日の綾お姉ちゃんは譲らないけど」
「……随分と昔のアニメに似たような台詞があったね」
「そうなの? 駅で迷ってたら、ここまで連れてきてくれた幽霊みたいなお兄さんが言ってたの。死んじゃった胡散臭い友達が言ってたんだって」
胡散臭いのに友達とはこれいかに。それはともかく、随分と親切な人がいたものだ。ララちゃんは可愛いから、誘拐されてもおかしくないだろう。ボディーガードしてくれた守護霊さんに感謝だ。……あ、みたいか。人間か。
「てか、ララ。さっき母さんに聞きそびれたけど、何しに来たんだ?」
そんな中、改めて思い出したかのように口を開く彼。すると、私の膝の上でララちゃんがピクリと身体を震わせた。
その一言で彼女の周りの温度が下がった気がしたのは、私の気のせいではないだろう。
劇的な変化が、そこにはあった。
「……え? 嘘だよね? お兄ちゃん」
ふざけたような空気はなりを潜め、懇願するような声でララちゃんは彼を見る。彼はただ、目をしばたたかせるのみ。
「ララちゃんをからかってるんでしょ? しょうがないなぁ……」
「……はい?」
「……え?」
端から見たら噛み合わない会話って、何でこんなにも心をざわつかせるのか。そんな事を考えつつも、私は動向を見守る事しか出来なかった。ララちゃんの表情がみるみる哀しげなものに変わっていく。
「……だって……だって……わからないの?」
「いや、待て。わからん。本気でわからん」
「ララちゃん日記。お兄ちゃんが酷いです……まる」
「……んん?」
とうとう声が震え始めた。私の咎めるような視線に、彼は慌てたように首をぶんぶん横に振る。皆目見当がつかない。そう表情が語っていた。
「……忘れられた、可哀想なララちゃん。毎年楽しみにしてたのに……まる」
「…………ああ。成る程」
え? わかったの? これだけで?
目を丸くする私に、彼は軽くウィンクしながら、そっと彼女の頭を撫でる。
「……まさか、その為だけに来たのか?」
そう問い掛ける彼に、ララちゃんは黙ったまま、小さく頷く。やれやれといった顔のまま、彼は再びスマホを取り出す。呼び出しは、再びおばさんみたいだ。
「あ、母さん? 今朝ラインした件だけど、キャンセルで。今から取ってくる。考えてみたら、ララこっちにいるし、こっちでやるよ」
『…………ああ、合点。そういうこと。了解よ』
家族って凄い。改めてそう思った。私は何が起きているのかさっぱりなのに、彼とおばさんは離れて尚、このやり取りでララちゃんの現状を把握したらしい。「フライパンは勘弁してあげて」という彼に、『フライ返し辺りで手を打つわ』なんてやり取りの後、彼はスマホの通話を中断し、ララちゃんに向き直る。
「忘れてた訳じゃないよ。お前が来た理由がそれとすぐに結び付かなかっただけだから」
「……本当?」
彼に撫でられ、うつむいていた顔を上げるララちゃん。彼は優しく笑いながら、静かに頷いた。
「悪い、綾。ちょっと買い物と……郵便局行ってくる。キャンセル出来たらいいんだけど」
「あ、う、うん」
正直話が全然読めないんだけど、私は頷くしかない。「ララを頼んだよ」とだけ告げると、彼はすぐさま踵を返し、部屋から出ていった。珍しく真剣で、真面目な顔の彼にドキッとしたのは……内緒だ。
あの顔で「頼んだよ」は、破壊力高いなぁ何て思いながら、私はララちゃんの様子を伺う。
ララちゃんは、彼の後ろ姿を見送った後……。
「ララちゃん日記。やっと気づいたよあの野郎……まる」
すん、と鼻を啜っていた。……涙目も可愛いなんて反則だと思う。それと同時に、彼を愛し、彼に愛されているのがひしひしと伝わるようだった。
それがただ、私は嬉しかった。今も昔も変わらない、年の離れた兄妹。その絆の暖かさに触れて、少しだけ共有できるのは、彼の隣に立つ事でしか得られない特権だと思うから。
……取り敢えず。
「ララちゃん、カフェオレ飲む?」
「……綾お姉ちゃん手作りの?」
「勿論よ。辰が帰ってくる前に、二人だけでコーヒータイム楽しんじゃお?」
私の提案に、ララちゃんはこくこくと頷いた。彼女の好みはお砂糖多めの……。
「……蜂蜜も入れて」
「……虫歯になるぞぉ~?」
「ち、ちゃんと歯磨きするから大丈夫だもん!」
「約束よ? あと、辰には内緒ね」
意外と過保護な彼の事だから、あまり甘くしたら彼女にデコピンという制裁を下しかねないだろうから。
気を取り直して取り敢えず。彼に会いに来て、なのに少しの間とはいえ離れる事になってしまった彼女を、暖めてあげたい。そんな気持ちに従うとしよう。
三十分後。
彼の野暮用で郵便局に出したはずの小包と、何やら食材入りらしいスーパーの買い物袋を抱えて、彼は帰宅した。
食材は最初の買い物で結構買っていたのに、更に買ってどうするのか。私が思わず首をかしげていると、彼は悪戯っぽく笑いながらカレンダーを指差した。
「明日使うのさ。ついでに、この小包もそれ関連」
それを見て、私の中で疑問が氷解した。
明日は三月三日。
雛祭りだったのだ。




