バレンタイン諜報戦
走っていた。
講義出なければ。とか、サボりよくない。とか、色々な感情が入り乱れる中、私はただひたすら走って……気がつけば、大学で普段は使わないエリアに来ていた。見たところ、サークル部屋が連なっている。私の部室とは違った、サークル棟の一角らしい。
取り乱し過ぎだ。何て考えが浮かび、思わず自嘲気味に笑うけど、きっと目は笑っていないに違いない。
何て無様で、何て弱いんだろう。
別に彼が浮気したとか、そんなのではないのに。随分と親しげだったけど、それはない筈だ。
思えば彼は昔から、私以外の女の子にはそれなりに一線を引いた上で接していたように思う。ただし、私の友人とかにはそれの度合いが少しだけ下がる。言うなれば、友人以外には適切な距離感を保ちつつ、親しみを損なわない。そんな器用な立ち回りをしていた。
……あれ? でも待て。さっきの子には、その線自体なかったように思えたのは気のせいだろうか? というか、私に接する時とまでは言わなくとも、あんなに自然体な彼は初めて見る。故郷の友人達とつるんでいる時も違う、ありのまま。自由な彼。
確固たる世界を有する人。そんな彼と接している私だからこそ、分かるというものがある。たとえ僅かなやり取りを見ただけでも、それは残酷なまでの事実を私に告げていた。
彼女は多分、彼と同じ世界を共有できる人だ……と。
「う……あ……」
考えた事なんかなかった。今まで当たり前のように傍にいて、周りからも公認のような関係に、私は安心しきっていてしまったのだろう。ここは大学。私と彼が昔から一緒という事実を知る人など、皆無に等しいというのに。
「あり? 竜崎さん?」
マイナス思考に嵌まりそうになった時、不意に聞き覚えのあるような声がして、思わず振り向く。そこには……。
「……秋山君?」
彼の友人が、サークル棟前に置かれたベンチにて、カップラーメンを啜りながらこっちを見ていた。
※
「人形みたいな美人で、辰とよくつるんでる……ああ。多分それ、メリーさんだな」
「メリーさん?」
何とも浮世離れした名前に、私が首を傾げていると、秋山君がこくこくと頷く。
「本名はシェリー・ベルなんとか、ほにゃらららしいけど、本人がもっぱらメリーさんを名乗ってるらしい」
「……じ、自称なんだ……」
「うん、外国人はこの大学じゃ珍しくないし、意外とアダ名で名乗る人は多いみたいだぜ」
よくわかんねーけど。と、秋山君は付け加えた。
ちらりと、サークル部屋の扉を見る。「ゲーム研究会」と、デカデカとした文字で描かれた看板が、その存在を主張していた。
彼が入っているらしいサークル。こんな所に本拠地があるのすら、私は知らなかった。そこで始めて、私は彼の大学生としての側面は、そんなに知らないことに気づいた。……ちょっと泣きそうになる。
「じゃあ、そのメリーさんも、ゲーム研究会なんだ」
私が何の気なしに漏らした言葉に、秋山君はポカンとした顔でこちらを見る。
……ん?
「え? 違うの?」
「お、おう。い、いや、はい。てかメリーさんについては俺も名前くらいしか知らないんだ。前に辰の奴と連れ立って歩いてたの見て言及した位だし」
「でも、サークルの相棒って……」
「……あー。えっと、竜崎さん、もしかして知らない?」
「……え?」
私の空気を感じ取ったのか、秋山君は何だか縮こまりながら遠慮がちに口を開く。
「辰はさ。ゲーム研究会に在籍こそすれど、殆ど幽霊部員なんだよ。存続危機だったここを維持するために、先輩に頼まれる形でさ。実際は、何か別のサークル入ってるらしい」
オカルトサークルだったっけ? と、呟く秋山君の話を、私はもう殆ど聞いていなかった。
※
部活、サークルという存在が認知されているのは、何処の大学でも同じだとは思う。この二つの違いは有する規模や実績だろうが、どちらにせよそれが大学での公認であれば、より活動の幅が広がることだろう。
その為、巡り合わせが悪く、人数不足に陥り、サークルの維持が困難になった時、彼のように幽霊部員として勧誘される人は少なくはない。
どんな団体も、その存在を認知されようと躍起だったり、程ほどに頑張っていたりするものだ。
だが、中には認知などどうでもいいといった団体も存在する。
それは、大学にサークル申請を出したものの却下された集団だったり。
身内だけで楽しみたい集まりだったり。
単に趣味が暴走したものだったり。
ともかく、そういった表向きは存在しない大学内での団体は、俗にこう呼ばれる。
『非公認サークル』と。
……響きが犯罪チックなのは仕方がない。実際、マイナスイメージの塊のような団体も存在すると聞く。うちの大学では知らないが。
ともかく、彼がその非公認サークルに所属しているのは間違いないだろう。
何故なら私が知る限り、この鷹匠大学にはオカルトサークルなる胡散臭いものは存在しない。つまりはそういう事だ。
「ここ……ね」
さて、前置きはこの辺にして。私は今、とある空き教室に来ている。使われなくなった教室というやつが、この大学にもいくつかあって、彼の所属するサークルは、そこを転々としているらしい。
他に出没するのは、大学のラウンジカフェやら、駅近くのちょっとした店。
……どうして私がこんなにも情報を得られたのかというと、ちょっとした種明かしがある。蛇の道は蛇というか、非公認サークルについては非公認サークルに聞くのが手っ取り早い。
探偵の真似事により、大学内の情報に誰よりも詳しい変なサークルがある。そこに聞いたのだ。因みに牡丹先輩の繋がりだ。あの人の顔の広さは本当に何なんだと思う。
「……てか、これじゃあまるで浮気調査じゃない」
今さら気づいてももう遅い。自分でも気がついたらここまで来ていたのだ。
二人に会って、私はどうしたいのだろう?
こんなことをしなくても、彼に聞けば素直に話してくれるのではないだろうか?
ああ、バカやった。
そんな呟きが、自分の中で漏れる。
やっぱり冷静さを欠くと、ロクなことにならない。午後の授業を放って何をやっているんだと思う。
彼が私以外の女性からチョコレート渡された。それを初めて見たくらいでなんだ。義理かもしれないではないか。
段々と、私の中で恥だけが上塗りされていく。
「……帰ろ」
帰って、彼を待とう。きっとそれが正しいのだ。そう思って私はそそくさと空き教室を後にしようとして……。そこで、不意に教室に入って来た誰かと鉢合わせになった。
「あ、すいませ……っ!」
謝罪の言葉は、一瞬で飲み込まれた。そこにいたのは、私が知ろうとした人物だったから。
「……メリー……さん?」
口に出して、しまった。と思った。向こうを一方的に知る人物が、まるで待ち構えるかのようにここにいたなんて、彼女はどう思うことだろう。あたふたと慌てた私を、少しだけ驚いたように見てから、その人物――メリーさんは、花が咲くような笑顔を浮かべて……。
「ええ。私、メリーさん。今、貴方の目の前にいるの」
楽しそうに、そう呟いた。
私はというと、その場に縫い付けられたかのように動けなくなっていた。
改めて見てみると、本当にお人形みたいだとつくづく思う。
ふんわりと波打つセミロングの髪は、溜め息が出るくらい綺麗な亜麻色だ。紫にも青にも見える瞳はまるでアメジスト。色白なものだから、余計にその色が際立っている。
「……で、どんな用件かしら? ここで私を待っていたという事はオカルト関連?」
「え? えっと……」
立ち尽くし、口ごもる私を、メリーさんはじっと見つめている。青紫の瞳がすっと細められる。挑むような視線に私のうなじがピンと張るような錯覚を感じた。
「もしかして……私じゃない方に用事かしら?」
今日バレンタインだし。と、呟きながら、彼女は此方に探るような表情を向けてくる。
迷った末に私が静かに頷くと、メリーさんは「ふーん」と呟きながら肩を竦めた。
「じゃあ、ここで待っているといいわ。そのうち来るでしょうし」
そう言って、私に椅子を勧めると、自らも適当な椅子に腰掛ける。
気まずい沈黙。何か話題を……! と、テンパる私は、一番気になっていた事を聞く事にした。
「あの、メリーさんと彼は……どういう関係なんですか?」
私の質問に、しばし目を丸くする彼女。ストレート過ぎる質問に戸惑っているのか、メリーさんは少しだけ。何故か顔を赤らめながら口を開いた。
「どんな関係だと思う?」
「……ご、誤魔化さないで下さい」
私の追撃に曖昧に微笑んだ後、メリーさんはそうね。貴女も私と同じだろうし、言った方がいい……かな。と呟いて。
「そうね。強いていうならば……私も彼も変態なのよ」
その時私は、その言葉の意味を噛み砕くのに随分かかって……。
「……は、はい?」
出てきたのは引きつったかのような、乾いた笑みだけだった。