だいたいこんな話
「ニーソックスって、物凄くエロいと思うんだ」
朝。大学へ行くための身支度をしていた時、私に投げ掛けられた言葉がそれだった。
今まさに片足をニーソックスに突っ込もうとしていた私は、謎の戦慄でその場に硬直する。
一方、問題の発言主は、そんな私を眺めながら、どこか満足そうにうん、うん。と頷いていた。
「たくしあげる瞬間とか、ヤバイよね」
セクハラで訴えてやろうか。なんて考えが一瞬よぎるが、そんなことを言ったらこの部屋の家賃が倍になるのでそれは止めておこう。
蹴っ飛ばしたくなる衝動を抑えながら、私はニーソックスに脚を通す。「おおっ」なんて嬉しそうな悲鳴が横で上がった。……変態め。
「どうして今私が穿こうとした瞬間に、そんなことを言うのかしら?」
なんの意味もなく、彼がそんな発言をするとは思えないので、私は取り敢えず、彼に疑問をぶつけてみる。すると彼は、待ってました。と言わんばかりに指を鳴らした。
「ニーソックスのよさをあらためて再認識していたのさ。君は恐ろしいくらいニーソが似合うからね。萌えってことさ」
「……私、今日は四限までよ。バイトはないから、そのまま帰るわ」
「……清々しいくらいスルーしてきたね」
面と向かって褒められるのは、苦手だ。だというのに、彼は不意打ちでそれをやる。タチが悪くて嫌になる。
「ニーソックスって、どんな娘に似合うと思う?」
「……脚が細い子とか?」
というか、まだニーソックスの話を続ける気だろうか。律儀に返事する私も大概だとは思うけど。
「うん、そうだね。まずは美人さんだ!」
……そうきたか。
あまりにも清々しいくらい言い切るので、私は思わず顔をしかめる
「いや、これ重要だから。美人さんのニーソックスとか、凄まじい破壊力なんだよ。服装と組み合わせることで、その威力は恐ろしい事になる。ミニスカート。ショートパンツ。その裾とニーソックスでカバーしきれなかった、僅かに覗く太股……絶対領域というやつだ」
因みに、今日の私の服装は、下にミニのフレアスカート。……今からでも着替えてしまおうか。
私のそんな何とも言えない微妙な表情に、気づいているのか、いないのか。彼は鼻息も荒く、ニーソックスの考察を述べる。
「あとは、脚の形も重要だ。君が言う細い脚ね。ベリーグット! だけど、ダメだ。それだけじゃあダメなんだ。大切なのは食い込みなんだよ!」
カミングアウトさせて貰うならば、こんな事を言い出すコイツが、私の幼馴染み兼彼氏である。恐ろしい事に。
でも、これは早々に関係を見つめ直した方がいいのではないだろうか?
「食い込み……それは、女性特有の柔らかさを暗示させる。ただ細い脚というだけでは出せない、妙なエロさがあるんだ。細過ぎず太過ぎず……つまりはバランス命!」
まだ言っている。もう、大学行きたいし、この辺が頃合いだろうか。
「で、結局何が目的?」
そこそこ長い付き合いだ。繰り返すが彼がなんの意味もなくニーソックスについて語り出したとは思えない。それだけは分かる。案の定、彼自身も「あっ、それ聞いちゃう?」なんて、嬉しそうに笑っている。
「いやね、今朝まじまじと見てさ。改めて綾の脚が綺麗だなと思った訳ですよ……」
「……それで?」
改めてそう言われるのは、少し恥ずかしいし、未だに慣れない。心臓が少しだけ高鳴るのを感じながら、私は素っ気ない態度を取り繕う。
そういえばさっきの彼の好み。私の脚はそれに該当しているのだろうか?
そうであって欲しいなと思った所で、柄にもない事を考えてしまった自分が恥ずかしくなる。
悶えたくなるような思考のループ。この瞬間、何故彼がニーソの話を唐突にしだしたのかという素朴な疑問は、私の頭からはすっかりと消えていて。
「と、言うわけでさ! 是非ともこのガーターベルトを装着して欲しい訳なんだ。ミニスカート、ニーハイソックスに、ガーター! これにて絶対領域はさらに強化され、破壊力を増す! 綾が持ってる編み上げブーツと組合わさった時……それはもはや究極武装へと変貌を……」
気がつけば、私の膝が彼の顎をかち上げていた。吹き飛ばされ、床に叩きつけられた彼は、ピクピク痙攣している。
「……どっから持ってきたのよ。それ」
「か、買ってきました」
「なにしてるの貴方」
冷たく言い放つ私に、彼は強打した後頭部と顎を擦りながら起き上がる。
「彼氏に飛び膝蹴りってどうかと思うんだ」
「仕方ないじゃない。貴方の顎に私の膝が吸い込まれて行くのよ」
恥ずかしさで混乱して、気がついたら蹴っていた。とは言えなかった。
「話を戻そう。今夜これつけてよ」
「……今つけて。とは言わないのね」
「今つけたら、大学行ってから他の人が君のガーター姿見ちゃうじゃないか」
ようは独占したいのか。いや、そもそもつけて大学行く気は更々なかったのだが。
「……アトラク=ナクアのワンピースが欲しいわ」
ものは試しで、最近気になっているブランドの服を要求してみる。そこそこ高い服だし、これならきっと躊躇して……。
「よしきた」
「いや、待ってよ。それでいいの貴方?」
あっさり要求が通り、流石に焦る。いや、つけるのは構わない。恥ずかしいけど、喜んでくれるなら嬉しい。けど、素直にいいよと言うのは何だか複雑なのだ。繰り返すが、恥ずかしい。さっきの要求だって、その照れ隠しだったのに。
というか、物で釣ってその結果そういうことになるのは、恋人としてどうなのだろう? いや、釣ったの私だけど。何だか彼はニーソックスが好きなのか、私が好きなのか分からなくなってくる。
「いや、だってガーターだよ? 他ならぬ君の! き・み・の!」
「……そんな強調しなくていいから」
取り敢えず、その考えは杞憂だったらしい。
「あ、それからさ。ガーターときたら、これも着てよ」
そう言って彼が取り出したのは……。
フリルやらがふんだんに使われた、ベビードールだった。
その瞬間。自分でも、顔から表情が消えたのが分かった。
「……すいません、調子に乗りました」
私の纏う空気にやられたのか、数秒後、彼は無駄に綺麗な土下座を披露する。うん、気づいてくてたならいい。恥ずかしいのが駄目な私に、そんなものを着せようというのだ。だからこんな結末になるのも、彼は覚悟の上だろう。
「ハイキックとローキック。どっちがいいかしら?」
「ひ、被害はいかほど?」
「前者は凄く痛くて、後者はとても痛いわ」
彼の顔がひきつっている。が、気にする必要はない。
構える私に、お手柔らかに頼むよ。と、彼は降参のポーズ。数秒後、彼は素晴らしく綺麗に宙を舞った。
ローキックなのに、あそこまで飛ぶのかとも思ったが、リアクション過多な彼の事だ。きっと大袈裟に吹き飛ばされて、ちゃっかり受け身を取っているのだろう。
「き、君の愛が痛い……」
案の定、彼は普通に立ち上がる。暫く動けなくなるつもりで蹴ったのに何でこう、彼はこんなにも丈夫なのか。
「愛っていうか。そんな恥ずかしいの着れるわけないじゃない」
私がそう言い放つと、彼は私とベビードールを交互に見ながら、「似合うと思うのになぁ……」なんて呟いている。
「……私とベビードール。どっちが好き?」
そのいかにもな格好が似合うと言われるのも、何だか複雑で、少しの悪戯心を込めて聞いて見る。
「え? それ聞くの?」
困ったような顔で、彼は肩を竦める。答えなど、分かりきっているとでも言うかのように。
彼の口が、ゆっくり動く。
何て答えたかは……私の口から語る必要はないだろう。
恥ずかしいし。
取り敢えず、その日の夜はどちらも身につけてあげた。
何かもう熱帯夜かと思うくらい燃えたのは……格好のせいだと思いたい。