バレンタイン前哨戦 /秘密を掘り下げる者
『バレンタイン前哨戦』
「という訳で、お菓子作りを教えて下さい」
「えっと、お姉さん話の流れが読めないんだけど?」
本屋に行くより人に教わった方が確実な気がして、結局私はサークルの先輩を頼ることにした。
サークル室に入るなり、いきなり頼み事をしたのが不味かったらしい。私が事のあらましを説明すると、先輩……一宮牡丹先輩は、フム。と、頬に人差し指を当てながら小首を傾げる。
ウェーブのかかった茶髪。整った顔立ちと、完璧なスタイル。加えて、二年連続ミス鷹匠大学の栄冠を手にしている上に、私の所属するサークル以外にも料理研究サークルにも入っている。つまり、料理も凄い。もはや女性としてチートレベルの才女である。教えを乞う上でこれ以上の適任はいないだろう。
「つまり綾ちゃんはバレンタインに辰君に手作りチョコあげて、今以上にラブラブになりたいと」
「ラブラ……っ! いえ、流石にいつまでも市販のばかりというのもあれですし、時間のある学生の内くらいは手作りを渡しても……」
「ほうほうほ~う。その口ぶりでは学生終わった後も視野にいれていると。……いいな~同棲。お姉さん羨ましい」
「い、いや、だから……あの、と、とにかく教えて下さい!」
「必死に平静を取り繕う綾ちゃん可愛いわぁ……ペロペロしたいわぁ」
適任はいないけど、この人は物凄く悪戯好きな一面も持っている。以前私の部屋に押し掛けて来て彼の存在を知られた時も、徹底的にからかわれたものだ。
その日、彼と牡丹先輩は、それはそれは訳のわからない大舌戦を繰り広げた。何故か私のことを題材に。壮絶なまでに熱く議論し続けて先輩の終電がなくなったくらいだ。
チャイナドレスだのナース服だのミニスカポリスといった不穏なワードが飛び交い、ストッキングか網タイツかで二人が取っ組み合いになり。絶対領域の話で二人はガシッと硬い握手を交わしていた。
何を言っているのか分からないだろうけど、私だって何が起こっているのか分からなかった。もう頭がおかしくなりそうで、彼が女性と仲良くしているのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
寧ろ、彼と牡丹先輩が組んだほうがヤバい気がしたのだ。主に貞操的に。
話がそれた。
「さて、綾ちゃんからかうのは止めにして。チョコだっけ? そうねぇ……綾ちゃんの美脚と美乳に塗りたくって、私を食・べ・て……とか」
「……先輩。最近痛くない投げ技を習得したんです。視界が反転するちょっとしたスリルだけ味わえますけど?」
「あ、綾ちゃん、目が笑ってないわ。絶対痛くするパターンよそれ。……あ、てか同棲してあと数ヶ月で一年なら、私を食べてくらいは……」
「先・輩?」
「……マジすいませんでした」
一瞬、いつぞやのハロウィンを思い出して、頬が熱くなったのは内緒だ。アレは自分もおかしくなっていたんだと思いたい。恥ずかし過ぎて死ねるレベルだ。
そんな私に気づかずに、牡丹先輩は綺麗な土下座を披露する。畳張りの部屋にて、美女の土下座。ノリが彼と似ているなぁ何て思いつつ、取り敢えず頭を上げていただく。
「さ、さて、今度こそ冗談は封印して。手作りよね? 辰君はどんな感じのチョコが好きとかある?」
「……甘いものは基本好きですね。これといって好みの形態があるとは聞いたことがないです」
失敗した。リサーチしておくべきだったか。何て思っていると、牡丹先輩はニッコリ笑いながら首を横に振る。
「うんにゃ、じゃあ、いくらでも自由にやれるわね。オーソドックスにハート型。彫刻みたいに綺麗な造形を目指してもいいわ。生チョコとかも濃厚な愛を伝えるのに素晴らしいし、お酒が好きなら、それを混ぜてみるのもありね。……後は、最近生まれたけど、QRコードチョコとか」
「QRコード……チョコ?」
チョコのバリエーションを聞いていたら、何とも耳慣れない言葉を聞き、思わず私は首を傾げる。
「うん、手作りチョコとはちょっと違うけど、市販のブロックチョコを使って、文字通りQRコードを作っちゃうの。読み込めば……あら不思議。メッセージが浮かび上がるのよ!」
「新手のラブレターですか。よく考え付きますね」
「現代ならではよね。こうして進化していくから料理って……まぁ、今回はお菓子だけど、楽しいのよね」
確かに面白そうだ。彼がこれを聞いたとしたら、「日本人って毎回無駄に洗練された無駄のない無駄な動きに命かけるよね……凝り性って奴さ」なんてコメントが返ってきそうだ。
けど、これだと手作りってコンセプトからは離れてしまいそうだ。
その旨を先輩に伝えると、「まぁ、そうよねぇ」何ていってそっと手帳を取り出した。
「今週末、空いてるわ。よかったらお姉さんの部屋にいらっしゃいな。みっちり修行をつけてしんぜようぞ」
悪戯っぽく笑いながら、綺麗にウインクする牡丹先輩。本当に、一つ一つの動作が洗練されているから困る。私がやっても、多分こうはいかないのだろう。
「いやいや。綾ちゃんがやったら、お姉さんや辰君は鼻血出す自信はあるわね。割りとマジで」
「……ナチュラルに心読まないで下さいよ」
「女はね。エスパーなのよ。ついでに未来予知しとくわ。彼氏とラブラブだからって、油断しちゃダメよ。地元とは違い、ここは大学という名の魔境……あの二人には入る余地がないから。なんて通用しないわよん」
「……心に留めておきます」
想像はつかないけど、もしそうなったら……。正直自分がどんな反応をするのか分からない。
……でもやはり、醜いとは感じるけど心にもやもやしたのは出てくるのだろうな。その時私は、漠然とそう思った。
「ま、辰君は揺らがないだろうけどね。そこだけはお姉さんでも分かるわ。元彼がホモだと見抜けなかったお姉さんでも……ね」
「……はい」
落として上げるのが上手い人だと思う。魅力バリバリなその笑顔を見てると、私も気がつけば顔を綻ばせていた。
暖かな気持ちが広がっていく。彼なら大丈夫。それだけはやっぱり、確定事項なのだ。
……さて、ここからは後日の話だ。予定通り迎えたバレンタイン。
そこで私は、ちょっとした個人的一騒動に巻き込まれる事となる。
後にも先にも、私をあれほどまで悶々とさせる人物は出てこない事だろう。それだけは断言できる。
二月十四日のバレンタイン。それを皮切りに、私は〝彼女〟とファーストコンタクトを果たした。
油断ならぬ脅威とも、愛すべき隣人とも取れるような。酷く曖昧な印象を受ける……あの女性と。
※
『秘密を掘り下げる者』
「節分って、萌えるよな」
「その心は?」
「鬼は外。で、追い立てられる鬼達。想像してみろ……俺達には見えないだけで、追い立てられるのが、小さく可愛らしい女の子達だったら……!」
「雄一。小さくがなければ僕も同意していたよ。何でよりにもよって小さくを入れちゃったんだい? ロリコンなの?」
「ろ、ロリコンちゃうわ!」
本日は節分。だが、そんなの関係ねぇとばかりに課題は出る。一応大学生の端くれたる僕は、友人である秋山雄一と共に、パソコン室にてキーボードを叩いていた。時は昼休み。締め切りは午後18時。負けられない戦いがそこにあった。午後の授業が休講になったのは神の助けに違いない。
「いいか、辰。俺はロリコンな訳じゃない。好きになった人がたまたま幼児体型だっただけで……」
「雄一。言い訳よくない。認めるべく時は認めるのが男だと思うよ」
「……お前の本音は?」
「ロリコンが教員志望とか世も末だよね」
「上等だ。表に出ろ」
悪態を付き合いながら、僕らはひたすらキーボードを叩く。隣の宿敵より目の前の障害が最優先。それは互いにわかっている。レポートの考察やら、互いが読んだ違う文献についてだけ情報を出し合い、僕らは確実に敵を潰していく。
その最中何の気なしに節分という行事に想いを馳せた。
「鬼か……コスプレはありだなぁ」
「……死んでくんねーかな。このリア充死んでくんねーかなぁ」
「ハハッ。やだね」
どうやら雄一の逆鱗にふれたらしい。じわじわとリア充爆発リア充爆発といった空気がひしひしと僕を打つ。というか、実際に彼は念仏のごとく唱えていた。唱えながらキーボードを叩いている。器用な奴だ。
他愛ない会話が途切れ、後はカタカタという打鍵音がひたすら響く。
それから十分くらい経っただろうか。雄一が再び口を開いた。
「……そういえばさ。聞いてもいいか?」
「ん? 何?」
声色からして、真面目な話だろうか。案の定、雄一はパソコンを打つ手を止め、僕の方を真剣な眼差しでじっと見ていた。
「好きな人にさ。隠し事ってしてるか?」
「……また妙な質問だね」
僕の方はというと、手は止めないままに、横目で雄一を見る。何でそんな事を聞くの? といった空気を感じ取ったのか、雄一は真顔から一転、目を泳がせながら頬を掻く。
「ある女の子に告白されたんだ。けどさ。何か……その子何かを隠してる気がして」
「……気のせい。で流すような雰囲気ではないと?」
静かに頷く雄一。彼は何と言うか、勘が鋭い。それなりに人の空気を見る力には長けているといえるだろう。バカだけど。
「どうするか決めるのは俺だってわかってるけどさ。あくまで参考程度に。お前は――」
綾ちゃんに隠し事ってあるのか?
そう、聞くなり、固唾を飲んで此方を見る雄一。僕はというと、暫くキーボードをカタカタしてから、静かに深呼吸。彼に話してもいいか、否か。結論は意外と早く出た。雄一の人となりは、この一年で結構見てきた。裏表のない、気持ちのいい奴だと知っている。だから、悩んでるなら真摯に答えてあげたいと思ったから――。
「疚しいことはないよ。けど、あまり綾に知られたくない事ならある……かな?」
それを疚しいというのではないか? なんて、答えた後に思ったけど、少なくともこれは綾と僕の恋人としてのものを揺るがすものではないと結論づける。その、筈だ。
「秘密は誰しもが持っている。綾だって僕が知らないだけで、何らかの秘密を抱えているかもしれない。誰しもが、そういうものを持っているのさ。きっと……ね」
小さな頃からずうっと綾とは一緒だったけど、僕だって彼女の全てを知っている訳ではない。一緒に住んでみて、初めて分かった事だってあるのだ。
「そんなもんか?」
「そんなもんさ。実際に日々新発見の連続だよ? 綾が予想以上に可愛かったり、暗くなると途端に甘えてきたり、腕枕しないと密かに拗ねたり、意外なとこが弱かったり……」
「うわ~。そんなもんさ以降いらねぇ情報だわ~。マジ死ねよこいつ……」
悪態をつく雄一の横で、僕はパソコンをシャットアウトする。レポート一丁上がりだ。
「じゃ、僕サークル行くから」と言って立ち上がる僕の横で、雄一は「腹立つわ~。さりげなく先に終わりやがって。腹立つわ~」なんて言いながら、恨みがましい目を向けてくる。
君が手を止めるのが悪い。という言葉は飲み込んでおいた。
「……たまには〝こっち〟にも顔出せよ?」
そんな雄一の一言に、僕は少しだけ面食らう。人の時間にはそんなに干渉しない彼にしては珍しい。お陰で足を止めてしまった。もっとも、止めただけだ。
「ゲーム研究会? 僕ただの人数調整の幽霊部員じゃないですか~。それに顔は出してるじゃん。月一、二くらいで」
「それで旅行も来てくれて普通に馴染んでるんだから、意外と社交的だよなお前」
「意外とは余計だよ」
縁はそれなりに大事にすべき。が、僕の持論なのである。
サークルの掛け持ちをしてる人の殆どは、こんな考えなんじゃないかと僕は考える。あるいは単にやりたいことがたくさんあるだけか。
人それぞれって言葉ほど便利なものはない。そんな事をしみじみと思っていたら不意に雄一は「そうだ」と、芝居がかった動作で手を叩く。
「いや、俺さりげなくお前の本業? というかサークル知らないなって思ってさ。今更だけど何してんのお前?」
せっかくだから教えてくれよ。といった風に、雄一は謎の期待と好奇心を込めた眼差しを向けてくる。出て行きがけに投げられた質問。正直答えるの面倒くさいなんて思ってしまったのは内緒だ。
まぁ実際そこまで隠すことではない。ほんの刹那迷ってから、僕はごくごく簡潔にこう答えた。
「これといって大した事はしてないよ。強いていうなら、ただの胡散臭いオカルト研究サークルさ」
ポカンとした雄一の顔が、少しだけ面白かった。




