寂しいと何だかんだで兎は死ぬ
凍えるかと思うくらい寒い。
北の雪深い地方から上京して来た私が何をと言うかもしれないが、寒いものは寒い。とは言っても、それは比率で言うならば肉体的にが三で、精神的にが七といったところか。
逆だったらなら黄金比だっただろう。 いや、逆じゃなくても黄金比にはなるのだろうか? 分からない。まぁ、大学生何てこんなものだ。
「……ああ、何よ。何なのよ」
悪態じみた独白が、虚しく部屋にこだまする。いつもならここで、「どしたの~?」何て間延びした返答が帰ってくるというのに。
当たり前が当たり前ではなくなって、はや三日。私は部屋に一人で暮らしていた。
理由はありふれたもの。
男女間による価値観の相違による離別……等ではない。そんなことになったら、多分私泣く。
それはさておき。何故私が一人になっているかというと、答えは簡単。彼がサークルの仲間達と、旅行に行ってしまったのだ。
「お土産買ってくるよ~」
「ハイハイよろしく」
「……す、少しは寂しがってくれたり」
「しないから。バス遅れるわよ」
「――っと、いかんいかん。じゃ、戸締まりだけしっかりね。まぁ、君強いから大丈夫だろうけど」
これが行く前のやり取りだ。簡素すぎるというか、我ながら可愛いげがないというか。そもそも彼の最後の一言が何かムカついたのは内緒だ。
私だって女なのだ。中学のクラス文集で、憧れることにお姫様抱っこと書いたら、クラスの大半にする側と勘違いされた苦い思い出はあれど、女なのだ。
もうちょっとこう、心配して欲しい。口には出さないけど。出さないったら出さない。
まぁ、そんなこんなで一人になった私はというと、最初の一日目は難なく過ごした。ぶっちゃけ、彼は結構謎な理由で失踪するのはよくあることだったりする。小学校時代は寄り道王なんて言われてたくらい。
だから、これくらいは平気。甚だしいときは一週間以上も帰って来なかった事がある。
今回は珍しく秋山くんらが同行。というか、彼らに誘われたから行くって感じらしいけど。
料理下手を克服すべく自炊して地雷を踏んだりしながらも、たまには一人も悪くないではないか。なんて考えていた。……この時は。
違和感は二日目。バイト帰りに部屋に帰った時のこと。
部屋が真っ暗だったのだ。
何を当たり前の事をと思うが、今までは帰ると、どちらか片方が部屋にいたのだ。それでいて、明るい部屋の中で「おかえり」という言葉が来る。電気を点けるのは、二人で帰ってきた時だけ。それが日常だったのだ。
だからこそ、誰もいない部屋というものに強烈な違和感を感じてしまっていた。
その日は、コンビニ弁当で済ませた。いやに広いベットの中で、いつもある温もりがないことにまた違和感を感じながら、眠りにつく。別に一人でいるなんて、あの放浪癖がある奴の彼女なんだ。たまにある事なんだ。そう自分に言い聞かせる。
でも少し、肌寒かった。
で、三日目にして今。私はというと……。
「さ、寂しい……」
もはや恥も外聞もなく、そんな呟きが漏れた。
てか何だこれは。私とあろうものが、とんでもない低落だ。
三日だ。たったの三日。だというのにこの有り様。
こんなに私は弱かっただろうか?
「無様だわ」
と、呟いても虚しいだけ。そして恐ろしい事に、彼が帰ってくるのは、あと二日後なのだ。
いかん駄目だ。恐ろしい事にとか自分で言ってしまうあたり末期だ。
「……読書でも、しようかしら」
気は紛れる筈だ。多分。
※
四日目。特になし。語ること等ない。ただ一言文句を言わせて頂くならば、彼から連絡が一切来ない事だった。
いや、旅行だし。私に構う暇がないのは分かるけど。分かるけど少しは変わりないかとか「そんな留守番で大丈夫か」の一言でも二言でも何かあってもいいではないか。
そしたら私も「大丈夫だ。問題ない」と返して済むのに。
「読書は……昨日したんだったわ」
DVDでも借りてこようか。コテコテのコメディでも見て笑うとしよう。
※
五日目。
「ごめん、帰宅延びちゃった」
「…………」
スマートフォンをぶん投げなかった事を褒めて欲しい。
朝方掛かってきた電話に寝起きの目を擦りつつ。ディスプレイに映った彼の名前で一気に覚醒し、内心のドキドキを抑えつつ電話に出たらこれだ。
上げて落とされるを体現した仕打ちに挫けそうになりながらも、「分かったわ。帰りは夜?」と聞いてみると……。
「いや、明日」
「……ふぇ?」
……訂正したいというか、瞬間タイムスリップが出来るなら数秒前の自分の口を塞ぎたくなるような。それくらい情けなく、らしくない声が出た。
「いやぁ、何か帰りの夜行バスで盛り上がっちゃってさ。そのまま先輩の部屋で飲みやらゲームすることになったんだよ」
「……そ、そうなんだ」
「ん? 綾? どしたの?」
「……っ」
寂しいよ。
そんな言葉を言えたらどんなに楽だろうか。結局私の口から出たのは、「分かった。気を付けて帰って来てね」だけだった。
通話が終わり、ディスプレイが真っ暗になる。私の心を表してるみたいで、益々陰鬱な気分になった。
飲みなら、何だかんだいって明日の夕方位になるだろうか?
何となく立ち上がり、寝室へ行く。私の部屋ではなく、彼の部屋。
一思いにベットに倒れ込み、彼の残り香を探す。それがますます寂しさを加速させ……。
「……辰のバカ。変態。不審者。おっぱい星人」
思い付く限りの罵倒を述べながら、私は溜め息混じりに毛布にくるまる。ふて寝というやつだった。
※
どれくらい時間がたっただろうか。不意に響いた、ピロリロリーン。という間抜けな電子音で、私は微睡みから現実に引き戻された。
連続して頭上で響く音は、何故だろう。人の尊厳とかそういうのを踏みにじるような、謎のムカつきを呼び起こすようで……。
寝惚け眼を擦りつつゆっくり起き上がると、そこに彼がいた。――スマートフォンのカメラを私に向けたまま。
ピロリロリーン。と、再び電子音が鳴る。沈黙が流れるなか、先に口を開いたのは私の方だった。
「……何してるの?」
私の問いに、「いやぁ……」と、頭を掻きながら彼はウインクし……。
「ふて寝する綾が可愛くて」
ヘッドスプリングからのバネを利用し、取り敢えず彼の腰にジョン・ウーをかます。言わば飛び式低空ドロップキックは、強かに彼を吹き飛ばした。
「い、いきなりバイオレンス!?」
「おかえりなさいキックよ」
「そんな出迎えイヤだぁ!」
ちゃっかり受け身をとっておいてよくいうものだ。
そんなことを思いながら、部屋の窓を横目でみる。外はまだ暗い。彼がいるということは、結構な長い時間寝てしまったのだろうか?
スマホを確認。夕方四時。日付は変わっていない。電話が来たのが今日の朝方だったので、まだ帰ってくる予定ではなかったのではないか?
「明日……って」
「いや、実は抜け出して来たんだ。ちょっと用事があるって。一応付き合いもあったから少しだけいてね。雄一が察してくれて助かったよ。彼のバイクがなかったらもっと遅かったかも」
取り敢えず、私の中の秋山君の株が爆上がりする。顔には出さないが。
「なんで? 皆で集まってたなら、楽しんでくればよかったじゃない」
声が震えぬように腐心しながら、精一杯の強がりを言う。すると、彼は少しだけ目を泳がせながら口ごもる。彼にしては珍しい、煮え切らない仕草。もしかして。という期待が少しだけ鎌首をもたげる。
「その、綾が寂しがってるかな……も考えたんだけど……うん、僕もあれだ。少し恋しくなっちゃってね」
暖かいコーヒーを飲んだときのような、素晴らしい気持ちが広がっていく。
何で連絡くれなかったの。とか、色々あった文句も流れてしまった。我ながら呆れるチョロさだ。
吹き飛ばされた場所から立ち上がっる彼の腕を捉え、そのまま私の座るベットに引きずり込む。久しぶりに感じる彼の匂いにクラクラする。
互いに身体が熱い。何だかもう考えるのもめんどくさくなってきて、ただ無心で彼の胸に顔を埋めた。
たまには素直になろう。
「知ってる? 兎って、寂しいと死んじゃうのよ?」
私なりの殺し文句は、彼には想像以上に効果覿面だったらしい。
結局この後、再会の余韻もそこそこに滅茶苦茶になってしまったという事だけ述べておこう。
詳しく語るのは恥ずかしすぎるし、それこそ死んじゃいそうだ。