正頼という男
満月鬼事件を捜査している、一識、高次、望だが、一向に満月鬼は捕まらない。捜査はまったく進展していなかった。
満月鬼
望、高次、一識、三人が出会ってから三ヶ月という月日が経ち、季節はすっかり夏になった。
桃色の花を抱えていた桜も今は青々とした若々しい葉をたくさん抱える桜になっていた。そして、セミの鳴き声が止めどなく響いていた。
そんな中、額に汗して書物を読んでいる男がいた。
その男の隣で、扇で顔を扇ぎながら酒を飲み、景色を見ている男が書物を読む男に声をかけた。
「こんな暑い日に、よく真剣に書物なんか読めるな。見てるこっちが暑くなるよ。」
しかし、書物を読んでいる男は何も反応しない。ただ、黙々と書物を読みつづける。
「しっかし、俺達が事件を調べ始めてから、三ヶ月。何も手がかりなしとは、今となっても望の力が頼り。困ったものだな。右大臣殿は早く犯人を、といつも急かす。まったく困った困った。何か手がかりはないのか。」
「そう思うんだったら、お前も自分なりに調査しろよ。そこでため息ついてても犯人は捕まらんぞ。」
「聞き込みなら、今朝からやってるよ。ここに来たのは移動ついでだ。疲れてたし、ちょっと休憩をと思ってきてるだけだよ。それより、お前のほうこそ書物ばっかり読んで、一体、何調べてんだ。」
「事件に関係あることだ。」
「フ―ン。」
男は酒を一口含み、庭の景色を見た。
その時、二人の前に屋敷の使用人が現われた。
「一識様。」
書物を読む男は書物から手を離し、使用人の方を見た。
「どうした。」
「客人がいらっしゃいました。」
「望か。」
「いえ、たちばなの橘 せいらい正頼という方でございます。」
「橘 正頼?さて、いったい誰だ。まあいい。お通ししなさい。」
「はい。」
使用人は二人の前を立ち去った。そして、橘 正頼という男を二人の前に連れてきた。連れてこられた男は二人の前に深々と頭を下げて言った。
「右大臣様の命を受けて、満月鬼の捜査の協力に参りました。橘 正頼と申します。」
「父上の命?」
「はい。私も右大臣様の命を受けて独自に調査していたのですが、一向に成果が上がらないので、一識様たちに協力するよう命じられました。」
「そうですか。ではさっそく、高次殿と一緒に聞き込みをしてきてください。」
すると、男は笑顔で答えた。その笑顔はとても穏やかで癒され、やさしく包み込まれるよな顔だった。
「わかりました。お役に立てるよう。努力いたします。」
「よろしく。それじゃ行ってらっしゃい。高次殿。正頼殿。」
一識はそう言って、高次のほうに作り笑顔の顔を向けた。
高次は子供のように拗ねた顔を一識にして立ち上がり、正頼と共に外へ出かけた。
一識はその様子を見届けて、また書物のほうに視線を戻した。
その夜。一識の屋敷にはさっきの三人が集まって酒を飲み交わしていた。
橘正頼という男はとても穏やかで気さくな男だった。
また、一識の隣には一人青い涼しげな単を着た女性がいた。
美しい黒髪をもつ聡明そうな容姿を持った女性だった。彼女の名は和葉の姫といい、一識の妻だった。
しかし、妻を見る一識の表情はあまり浮かなかった。
一識はこの妻が苦手だった。和葉の姫はとても知的な頭の切れるすばらしい女性ではあったが気が強く、行動力が強く、口も強かった。だから、和葉の姫と話をすると、いつも論じ合いになり気が休まることがなかった。一識はそれが嫌だった。それ故、一識は和葉の姫を避けていた。
和葉の姫は一識を愛していた。しかし、なかなか自分の元に来てくれないことに耐え切れず、今日は一識の元に自ら来てしまったのだった。
和葉の姫は静かに一識の隣に座り三人の話を聞いている。
「ところで、一識。お前、和葉の姫殿と結婚してどれ位だ。」
と、高次が聞いた。
「丁度四年程になりますわ。高次殿。」
和葉の姫が答えた。
一識は顔をしかめる。そして、その表情を見て、高次は笑う。
「大事にされているのですねぇ。妻が幼馴染と話すだけで、しかめっ面をしている。いい夫をお持ちになられましたね。」
「そんなことはないですわ。そのしかめっ面はやきもちではなく、私が何か不味い事でも言うのではないか、と思っているからではないかと。夫は私を苦手に思っているのです。」
「失礼だぞ和葉。口を慎みなさい。お前は奥の部屋に入っていなさい。これからは大事な仕事の話だ。席をはずしてくれ。」
すると、和葉の姫は凛と構えて言った。
「あら、一識様、私はあなたの妻です。妻たる者、夫の客人の世話をするのは当然です。夫の客人の世話をしないなんて、そんな夫に恥をかかせる行為はあなたの妻としてできません。さあ、私は気になさらずにお話を続けて下さい。」
一識はため息をついた。
その様子を見て、高次と正頼は笑った。
「ところで、正頼殿には妻子はいらっしゃるのですか。」
高次が聞いた。すると、正頼は笑って答えた。
「恥かしながら、昔はいたのですが・・・。事情により別れてしまったんです。」
「そうなんですか。悪いことを聞いてしまった。ごめんなさい。」
「いえ、気にはしていませんから。さあ、飲みましょう。ささ。」
そう言って、正頼は高次の杯に酒を入れた。そして、高次も正頼の杯に酒を注ぎ、お互い一気に飲み干した。酒を勧める正頼の顔はとても温かく。心休まる魅力に溢れた表情だった。
「おい、酒を飲むのは一向に構わんが、仕事の話を忘れるなよ。で、どうだったんだ。今日は何か収穫はあったか。」
一識が水を差すように言った。
「なにも・・・。聞きまわったが、大した収穫はなかったよ。」
高次はそう言って、空を見た。
一識は立ち上がり、庭に降りて高次と同じように空を見た。
正頼も共に空を見上げた。
「また、誰か死ぬのか・・・。」
一識が悲しく呟いた。
三人の視線の先には煌々と輝く満月が浮かんでいた。
「正頼・・・。」
不意を突かれたように驚いた女の声が三人の背後から聞えた。
和葉の姫の声ではなかった。
三人は背後に向き返った。
そして、和葉の姫は声の主を見て不思議そうな視線を向けた。
そこに立っていたのは望だった。望の表情は驚きに溢れていた。いつもの冷静な望はそこにはいないようだった。
「久しぶりだね。望。」
正頼がやさしく微笑みかけていった。
その言葉を聞いて、一識と高次と和葉の姫は正頼を見た。
望は何も言わず、表情を引き締めて、三人に背を向けた。
「すまぬ、急用を思い出した。」
そう言って、望は一識の屋敷を出て行ってしまった。
「望?」
一識と高次は何が起こったのかよく解らなかった。
正頼は去った望の後を追いかけていってしまった。
「いったい。何がどうしたんだ。」
高次は独り言のように言った。
「私もわからない。」
次に一識が言った。
「望様は正頼様の前妻なのですよ。」
和葉の姫が言った。
「知っているのですか。」
高次が聞いた。
すると、和葉の姫は笑って答えた。
「いいえ、女の勘です。」
「はぁ。」
高次は妙に納得した表情をした。その表情を和葉の姫は見るなり笑った。
一識は顔をしかめた。
一方、正頼は走って望を追いかけた。そして、望を見つけた。
「まって、望。」
すると、望は静かに立ち止まった。しかし、正頼には背を向けたままだった。
「驚かせてすまなかった。実は、右大臣様のご命令で、望達と一緒に満月鬼の捜査をすることになったんだ。」
正頼はそう言って、言葉を止めた。いや、止めたのではなかった。言葉が浮かばなかったのだ。正頼はここにいる自分がわからなかった。すべてが、無意識のうちの動作だった。
「・・・・。」
しかし望は何も返さない。背を向けたままだ。
「だから、私に出来る仕事があったらなんでも言ってくれ。それが、解決につながるなら協力する。」
「・・・・。」
望は何も言わず。正頼の言葉を聞き、足を進めた。望は溶けるように闇の中に消えていった。
その姿を正頼は残念そうに見つめた。
前回、一気にたくさんの量を載せてしまって多すぎたなぁ・・・・(汗)と反省しています。安倍椿です。
なので今回は第二話を何回かに分けて出します。何回に別れるかはわからないですが・・・・。
これからもよろしくお願いいたします。
安倍椿